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ライブ当日、由紀枝は一人で会場へと入った。
前回同様、陸が来るのはライブ終盤か、あるいは終わった直後となる。あまり早く来すぎては由紀枝がライブを楽しめないという理由と、襲撃を遅らせた方が、護衛側が緊張を維持する時間を多く取る分、疲弊させる事ができるという理由だ。
いつも陸と行動を共にしている由紀枝がいる事で、敵も陸の存在を察知しそうだが、それも織り込み済みである。
(私を狙うってことはしないみたいね。警察は立場上、人質取るようなやり方はできないだろうけど、裏通りの住人なら、そういう手段取っても不思議じゃないのにな)
ふと由紀枝は疑問に思う。
真達とて、陸と行動を共にしている由紀枝の存在は知っているが、人質に取った所であまり意味は無いと見ているうえに、逆に手間にしかならないので、最初からその方針は考えていなかった。あくまで陸から美香を守りつつ、撃退する事に注力する構えでいた。
襲撃があるかもしれないと前もって噂されたライブは、凄まじい盛り上がりを見せた。美香も会場のその異様なまでの空気と熱量に気圧される事無く一体化しているかのように、由紀枝には感じられた。
(前回のライブより凄くいいな。これが陸のおかげなんだと思うと皮肉だけど)
殺人鬼の存在も、時として世に貢献する形になってしまう現実。だからといって殺人鬼が正当化されるかどうかはまた別問題として、その存在がプラスとなることはまごうことなき事実である。世間の話題性としての話のネタになる事でもそうだ。
(陸みたいな存在がいる事も、刺激の一つとして世の中の面白さになっている。殺された人やその家族は可哀想だけど)
この世から疎まれ、忌み嫌われる存在。世界にとっての敵である陸。それをどうにかして自分だけは肯定したいという気持ちが、由紀枝の中にはあった。
(そろそろ来るかな)
ライブ終盤にさしかかった所で、由紀枝は周囲を見回した。
(いた)
会場の隅に陸の姿を確認し、陸もまた由紀枝の存在を察知して、由紀枝の方に顔を向けて小さく微笑んだ。
***
「来たぞ」
楽屋のモニターにて陸の存在を確認した蔵が、マイクに向かって告げる。蔵の報告は、この場にいない真、みどり、美香、純子の四名に伝わったはずだ。
ちなみに黒斗のことを名字で呼ぶ者と名前で呼ぶ者で別れているが、蔵と純子と累とみどりは名前の方で呼んでいた。おそらく黒斗の事を年下と見なしているメンツである。
「うっす。俺出動」
蔵と同じ部屋にいた黒斗が立ち上がり、颯爽と部屋を出ていく。真とみどりと純子は会場の外にいる。累は宣告通りライブ当日には来ない構えで、研究所に留守番となった。
『どの方向に逃げるか判明したら、すぐ教えてくれ。みどりと僕が二人で手分けして張り込んでいるが、それにしてもなるべく早く教えてくれないと、離れている場所に逃げたら、間に合わなくて取り逃がす可能性もある』
蔵と黒斗の二人が同時に聞こえるように音量を大きくした携帯電話から、真の声で指示が出される。すでに黒斗が部屋を出たので、もう音を大きくしておく必要もないが。
「了解した」
応答しつつ、蔵は疑問を覚えた。
作戦の内容はシンプルで、結界を張るための柱の間へと陸を誘導して、柱の間に入ったら結界を張って封じ込めるという代物だ。
会場に訪れる際に封じる事ができれば言うことはないが、全方角をフォローする事はできないし、術を行使するみどりが側にいなければならない。
それならば、一度会場に呼び込んでおいてから、芦屋が会場内から陸を追い回し、真も誘導役に回り、みどりがいる場所へと追いやる方が有効と、真は判断した。芦屋が追い回して時間を稼いでいる間に、真とみどりもうまいこと先回りして移動する必要がある。
(理想は早い段階でみどりと遭遇する事だが、先に真と遭遇した場合、真が谷口を誘導するなど、できるものなのか?)
蔵は考える。話を聞く限り、谷口陸の実力は真のそれを上回っているように思えてならない。先に真と遭遇した場合、真の身が危険だ。黒斗もそうなる事態をずっと案じていたし、真にしつこく問い詰めていたが、真は具体策を挙げずに何とかするの一点張りだった。
(とはいえ真のことだから、本人の言う通り、何とかうまいことやりそうな気もするがな)
そう思うと同時に、蔵の中で頼もしさと誇らしさが混ざった不思議な気持ちが沸き起こり、微笑みが零れた。
***
雑居ビルの中の使われていないフロア。かつては入居者がいたようだが、どういうテナントが入っていたのかも、その部屋の本来の用途も不明である。
部屋の広さは六畳程度。床には相当数のペットボトルが転がり、机や椅子、小さな棚があり、何故かクーラーボックスが部屋の隅に山積みになっており、四つもあるハンガーラックには、女性ものの薄いカーディガンが何着もかかったままだ。
ハンガーラックは部屋の真ん中に、それぞればらばらな角度で適当に放置されているかのように見えるが、これは彼がもしもの事態を想定し、配置しなおしたのだ。
七階の部屋の窓から、彼はターゲットを見る。雑居ビルとは、道を挟んだ向かいにある公園。数百メートル先に建てられた特設会場。夢中になってライブを楽しむ観客達。
「愛のちかーら―でー、生まれ変わるー。生まれ変わって蠅になーるー」
このビルまで響く歌の歌詞を何となく一緒に歌ってみる。ただし、最後だけは少しだけ自己流に改変してみた。
「これは嘘だ。有り得ない」
一節歌った後、彼は声に出して否定した。
「愛なんて僕は知らない……。知りようがない。蛆虫に愛は無い。蠅にならないと愛というものはわからない。だからこの歌は矛盾している。愛の力で蠅になるとか有り得ないんだ」
そんなことを呟きながら、彼――葉山は狙撃銃を構え、舞台の上で歌う月那美香をスコープで除く。
もちろん撃つ気は無い。葉山のターゲットは彼女ではない。すぐに照準を変え、会場内を隅々まで見渡す。葉山の仕事は、芦屋黒斗が現れた際に、陸の援護として黒斗を撃つことだ。
葉山の懐が震えた。部屋の外に仕掛けておいたセンサーが作動したのだ。何者かがこの部屋に迫っている。こんな打ち捨てられた部屋への来訪者とは何者か? 入居希望者の下見か、それともここを根城にでもしようと目をつけていたチンピラか、あるいは……
「私は常に、予想外の出来事が起こるのを楽しみにしているんだけど、君はその期待に応えてくれるかなー?」
扉越しに、耳に心地好い少女の弾んだ声が響いた。




