終章
真の前に、嘘鼠の魔法使いがいる。その後方には、御頭と獣之帝の姿もあった。
「縁の大収束はどんな人間も、輪廻の中で自然に経験するものです。それを時期に合わせて意図的に発生させることが出来たらと思い、私は何十年もかけて研究していました。そして……この命と引き換えに術式を完成させ、行使したのです。結果は成功と言ってよいでしょう」
(極めて大規模な運命操作術によって引き起こされた、人工的な縁の大収束ってわけだね~)
嘘鼠の魔法使いの話を聞いて、みどりが念話で声を発する。
縁のある魂を同時期に大量に呼び寄せる縁の大収束は、世界中、歴史の中で何度も起こっている。本来は自然発生するものだが、嘘鼠の魔法使いはこれを自分の都合で、意図的に発生させている。
上級運命操作術の一つ、『運命の特異点』。足斬り童子という妖怪の青葉が、かつての主である獣之帝を蘇らせるために用いた術。嘘鼠の魔法使いは、それをさらに大きな規模で仕掛けることで、縁の大収束を自分にとって都合よく紡ぐことが出来た。
「そう、雫野みどり……貴女の出現も予知していたのです。私の魂の扉を開いてくれる者が、私の魂に触れることを。それは私が縁の大収束を引き起こした結果か、そうするまでもなくそういう運命だったか、わかりませんけどね」
みどりの方に意識を傾け、嘘鼠の魔法使いは微笑みかけた。
「私は自分の力と記憶も魂に書き記しておきましたが、それを引き出す力は、私にはありませんでした。しかし私の引き出す力を持つ者との邂逅を私は予知し、自分の来世に大きな力を持つ者が現れる度に、その力と記憶を魂の片隅に残留思念という形で記録していったのです」
「力の引き出しが出来るみどりが出現し、僕と出会うことも予知して、そのタイミングに合わせて、雪岡や累と再会するように、縁が収束するようにしたのか?」
真が嘘鼠の魔法使いを睨んで問う。
「卵が先か鶏が先かという話でもありますが、貴方の言う通り、みどりが私の残留思念に接触する時期を知り、その時代こそが、私の望みを叶えるに相応しい時期であると見て、タイミングを合わせました。しかしそれはシェムハザに対し、とても残酷な運命を強いる行為です」
敵意たっぷりの真の視線を受け止め、嘘鼠の魔法使いは憂い顔になって答えた。
「転生すれば、縁で引かれあうように出来ています。それが輪廻のシステムです。しかしオーバーライフが死なずに生き残っていた場合は、どういうわけか、その縁によって引かれあうことが難しくなってしまいます。故に累と私の魂は、中々再会しなかったのでしょうね。シェムハザに至っては、縁の大収束まで一切再会せずでしたね。不老化という行為は、この世のシステムに逆らう行為故に、そのようになったのかもしれませんね」
「その考えは違うな。こじつけだ」
嘘鼠の魔法使いの話を聞いてから、真はその考えの一部を否定した。
「お前は知らないだろうけど、不老か――あるいはそれに近い生き物は、地球上にそれなりに存在するんだ。若返りを行うベニクラゲという生き物もいるから、世界のシステムに逆らう云々は違うな。お前はきっと神を信じていて、都合の悪いことは全て神のせいにしたいんだろう? だからそんな発想になる」
「そう……ですね。言われるまで自分で気付きませんでした。千年先の来世の自分に見抜かれ、言い当てられるとは……」
真の指摘を受け、嘘鼠の魔法使いは苦笑する。
「自分の願望のために、よくもまあ……こんなこと、出来たもんだな……」
真の中で怒りがふつふつと煮えたぎる。
「雪岡は……純子は、一人で千年も……僕との再会を夢見て、何時になるかわからないのに、長い長い時間……ずっと彷徨っていたんだぞ……」
怒りをぶつけようとして、はっとする。
(いくら怒っても、あいつにそんな辛い運命を背負わせたのは……他ならぬ僕……。同じ自分)
真の視線が御頭に向く。御頭は伏し目がちになる。御頭が何度も口にしていた残酷な真実の正体は、これだった。
(いくら僕が、前世のことなんて知ったことかと言っても……無関係を主張しても、雪岡からしたらそうじゃないんだ。雪岡から見れば、どちらも同じ僕……)
思い悩む真を見て、嘘鼠の魔法使いはほくそ笑んでいた。真の苦悩を全て見抜いている。
「今、この時代は、縁の大収束地点です。真がシェムハザと再会すれば、シェムハザの方で気付いて、行動を共にすることもわかっていました。みどりの力によって私の意識が引き起こされれば、再びかつての夢を共に追えると期待していました。そしてとうとう――」
「だがこいつは間抜けにも、現世の真が、純子のやる事に否定的になっちまった事を、全く予知できていなかった」
心地よさそうに語る嘘鼠の魔法使いの話を、御頭が皮肉たっぷりの口調で遮った。
「おい、真。残酷な真実の正体はわかったな? そいつから目を逸らすな。今のお前とお前の前世は無関係じゃない。そいつは心に留めておけ。だが、な……それでもなお、お前はどうせ自分を貫くだろう?」
「くああぁ」
御頭がにやにや笑いながら伺い、獣之帝は朗らかな笑顔で声をかける。
真は頭の中がぐちゃぐちゃになっていたが、御頭と獣之帝の笑顔に、少し救われた。気持ちが楽になった。
「私にも計算違いはあります。望ましくない展開もあります。例えばシェムハザが真に不老化を施してしまったのは、よくないことですね。転生によって魂は成長します。そういう理があるのです」
「知ったことか。もういいよ。消えろ……」
真が力無く吐き捨てると、嘘鼠の魔法使いは微苦笑と共に肩をすくめた。
「そうですか。真、貴方は現世の自分であるわけですから、私は全て尊重していますし、真を苦しませる真似もしませんし、妨げることもしませんよ」
「信じられないよ。お前は機会さえあれば、また何かしでかすだろ」
それ以前にすでに大いに苦しませているのに、よくもまあいけしゃあしゃあと言えたものだと、真は呆れた。しかもこれが同じ自分だというから、すこぶるタチが悪い。
「何かをしでかそうとはしましたが。しでかしたことは一度もありませんよ。未遂に終わっています」
とぼけた口調で言う嘘鼠の魔法使いに、真はさらに苛立ちを覚える。
「最後に一つ言わせてください。真……どうか貴方は、私達と同じ結末を迎えぬように……」
「同じ結末?」
嘘鼠の魔法使いが、急に真面目な口調で訴えた。
「俺と獣之帝は累の前で、嘘鼠の魔法使いは純子の前でおっ死んじまった。悲しませちまった。それと同じことを繰り返すなってことよ」
「くうぅ~……」
御頭が補足し、獣之帝が切ない声をあげる。
「わかった」
三人をそれぞれ見やり、真は頷く。
「皮肉なものですよ。私は自分の予知を信じて、私の希望を弟子に託し、弟子は千年かけて私の願いを叶えようとしてくれています。それなのに生まれ変わった来世の私は、私の希望を断とうとしている。私とシェムハザの希望を破壊しようとしているのですから」
そう言い残して、嘘鼠の魔法使いの姿が消える。御頭と獣之帝の姿も消える。
真の意識が現実に引き戻される。変身していた真の姿が元に戻る。
膝をついて空を仰ぐ真の双眸から、とめどなく涙が零れ落ちる。
「希望じゃないだろ。それは呪縛だ。甘い呪いだ」
真は涙をぬぐい、天を仰いだ格好のまま、嘘鼠の魔法使いの言葉を否定した。
***
「おかえり。真兄」
暗い顔で雪岡研究所に戻ってきた真を、みどりが出迎えた。
みどりの横を素通りして、真は自室へと戻る。みどりは真の後についていく。
部屋に入った瞬間、真は部屋の壁を殴り出した。
「真兄っ、やめれっ」
扉を開いてみどりが止めに入る。数発殴っただけだが、真の手はすでに血塗れで、大きく腫れていた。多分骨も折れている。
(嫌な予感してついてきてよかったー)
「これが穢れた呪い?」
御頭が口にした言葉を思いだし、真は怒りの形相で虚空を見上げた。
「残酷な真実……これが? これが残酷な真実だって?」
また涙がにじみ出る。殴った手では無い方の手で、顔を拭う。
「違うだろ……。これは、滑稽な真相って言うんだよ。とことん運命に振り回されている事に、腹が立って仕方がない。でも僕を振り回す運命を作ったのは、他ならぬ僕自身」
真が喋っている合間、みどりが真の手を応急処置するが、骨折もしているので、後で研究所の設備も使っての治療が必要と思えた。
「みどり……お前の前世もいたな」
狂われ姫のことを思いだす真。
「あばばば、いたねえ。御先祖様や綾音姉とも前世では関わっているぜィ。あれも最初に真兄の頭の中に入った時に、嘘鼠の魔法使いに見せてもらったよォ~」
「お前の魂にかけられた呪いってのは……?」
「死を求め、死を誘う呪いって奴? 呪いも怨念と同じで、永久に続くなんて有り得ないよォ。多分さ、もうその呪いは解けてる。今は呪いとは無関係に、あたしが求めているもんなんだと思うわ。そのうちあたしが拒むこともあるかもしれないし、拒んだらそれで終わるんだよね」
みどりが虚しげな表情で言った。
「実際あたしは前世で、死の運命を操作する力を持っていた時期もあったけど、今はもうそんなもん無いしさァ」
「そうか」
みどりはその呪縛に苦しめられているわけではなさそうなので、真は安堵した。
『お前はどうせ自分を貫くだろう?』
御頭の力強い言葉が、真の脳裏に蘇る。
(そうだな……。真実を知ったからって、何も変わらない。でも……嘘鼠の魔法使いの言う通り、酷い話だ……。全部僕が引き起こしたこと。そのうえで僕は、僕のせいで千年も彷徨い続けたあいつを否定しようとするんだから)
真実を知り、受け止めてなお、真は信念を捻じ曲げるつもりは無い。純子の行いを見逃すつもりは無かった。
89 千年前の記憶を掘り返して遊ぼう 終




