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少年が自らを悪魔と名乗る前、彼は無口で無愛想ながらも、どこにでもいるような普通の少年だった。
「母さんはお前のせいで死んだんだよ」
少年の父親は、笑顔で少年に告げた。その時から、少年が見える世界が変わった。
「お前は母さんの足が悪いことを嫌だと思っていただろう?」
父親が指摘するが、少年はそんなことを思っていない。数年前に死んだ母親は、片足が悪かった。しかし少年は幼いながらも、そんな母親を助けて支えてきた。
「その気持ちが母さんにも伝わってしまったんだ。それで母さんは心を病んで、体も病んだ。それで死んでしまったんだよ。ああ、言っておくけど、私はお前を責めているわけではないぞ。ただ事実を伝えたままだ。これが事実だということを知っておいて欲しい」
そんな事実などあろうはずがない。全て父親の勝手な思い込みだ。推測だ。憶測だ。妄想だ。しかし実の父親がそのようなことをずっと思っていた事に、そして笑顔で断定された事に、少年は激しくショックを受けた。世界が一変した。見える景色が全て変わった。色まで変わった気がした。
少年はそれまで父親を信頼していたが、最早心を許せる存在ではなくなった。家族とも思わなくなった。
ある日少年は、奇妙な存在と遭遇する。それは人では無かった。それは人よりずっと小さかった。それはまるで植物と人が混ざったような生物だった。それは人の言葉で語りかけてきた。
「強くなれ。力を手に入れて強くなれ。自分を変えろ。そのために私をお前の中に入れろ。そして願え。望め。力を。強さを。進化を」
少年は言われるがまま、葉と花が生えた白い小人を体内に取り入れた。
その後、少年は自らを悪魔と名乗った。
悪魔は無数の力を開花させていった。
そして白い小人を草の人と呼び、自分も草の人と同様に、人に力を与える力を望み、身に着けた。人に力を与える力は、人を誘惑する悪魔に相応しいと思えたからだ。
少年の見る景色は変わった。世界の色は変わった。
自分と同じように、何か悪いことがきっかけで、景色も色も変わった者達が、沢山いる。そうした者達を見つけて、力を与え、奈落から引き上げてやる。
しかし結局の所、彼等に色はついていない。悪魔の同胞のようであり、微妙に違う。彼等はモノクロだ。モノクロの風景の一部分だ。絵の中の存在のようなものだ。だから絶頂した所でまた奈落へ突き落とし絶望させてやった。
ある日、悪魔はようやく出会った。モノクロの風景の一部分ではなく、ちゃんと色がついて、自分同様に絵の外で動いている者を。
赤い瞳の少女は、確かに自分と同じ世界にいると、悪魔は認めることが出来た。
***
「君の前で君の最愛の人を殺してあげたかったけど、それは出来そうに無い。だから予定変更。僕の手で君を壊してみる。それが出来なかったら、君に殺されてみる。そのどちらでもいい。そのどちらかがいい。どんな気分になるか楽しみだ」
「また一生懸命悪ぶっちゃって……。痛々しいよー」
悪魔の台詞を聞いて、げんなりとするシェムハザ。
シェムハザが反撃に出る。光るルーン文字が飛び交い、悪魔に様々な軌道で向かっていく。
悪魔は衝撃波で光るルーン文字を弾き飛ばそうとしたが、光る文字は衝撃波を浴びても全く効果が無かった。
(文字そのものは、繰り出される力が視覚的に前もって見えているだけで、何の作用も与えられない。つまり、避けるしかない)
悪魔がそう判断したその時、光るルーン文字が消え、魔法の効果へと変換される。
空中に幾つもの水の塊が現れ、弾ける。悪魔に水が浴びせられたかと思うと、水が急激に凍りつく。
衝撃波を撃った直後なので、悪魔は対応できなかった。全身を氷で覆われた悪魔は、意識が飛びかけ、倒れそうになる。
『しっかりしろ。正気を保て』
悪魔の中で声が響く。悪魔の体の中に入り、悪魔に力を与えた、葉と花が生えた白い小人の声だ。悪魔とは会話が出来る。
悪魔が全身から衝撃波を放って、体を覆う氷を弾き飛ばした。
『これはかなりのダメージだぞ。体温が急速に低下し、身体機能が著しく低下している』
(草の人、感謝はするが、余計なことは話さなくていい)
内なる声に対し、悪魔は少し苛立ちを覚えながら告げた。声をかけられたおかげで助かったが、せっかくのシェムハザとの遊びに水を差された感覚で、不快だった。
悪魔が再び三色光線を放つ。
シェムハザは再び防御した。今度は全身をちゃんと覆った。
しかし悪魔は出力を上げていた。光線はシェムハザの魔力のガードを突き抜け、シェムハザの肩、脇腹、腕等を撃ち抜いた。左耳も吹き飛んだ。
倒れそうになったシェムハザだが、気合いを入れて持ちこたえる。
攻撃した悪魔も、荒い息をついている。
「楽しい……。強い……。嬉しい……」
肩を上下しながら悪魔が笑う。
「悪魔、ちょっと疲れてるのかな?」
血塗れになったシェムハザが問う。シェムハザの方が攻撃を何発も食らっているのに、悪魔の方が、消耗が激しく見える。確かにシェムハザの攻撃の方が重くはあったが、それだけではないようだ。
「うん。あいつらを操ることで力を使い過ぎた。でもおかげで君とこうして遊ぶことが出来た」
悪魔が爽やかな笑顔で答える。
「悪魔は私に何を求めているのかな? ただ遊びたいだけ? 寂しくて構って欲しいだけ? それとも私に悪魔の仲間入りしてほしいの?」
「ただ遊びたいだけ。でも前は同じ悪魔にしたいと思ったこともあった。でも今はこう思う。悪魔はこの世に僕一人でいい。君とは命をかけて、思いっきり楽しい時間を過ごしたい。遊びたい。それだけでいい」
「そっかー」
シェムハザはその時察した。
(悪魔がその名の通り悪魔らしくもっと意地悪な手段を使えば、もっと私達を苦戦させることだって、出来たはずなのにね……。私と遊びたくて、そういうことはしなかったわけだ)
そう意識することで、シェムハザの中で悪魔に対する確かな友愛の念が生じていた。
悪魔が水晶の槍を次々と生み出し、シェムハザめがけて射出する。
シェムハザは防御に徹した。さらに魔力のガードを強くして、今度は完全に防ぎきる。
悪魔の攻撃が終わったタイミングを見計らい、シェムハザが攻撃に転ずる。
光るルーン文字群が飛び、悪魔の前方地面に落下した。その直後、複数の土の槍が飛び出して、悪魔の腹と両脚を貫いた。
悪魔は衝撃波を放って土槍を破壊する。
「悪魔、まだやるの? これ以上やると死んじゃうかもだよ?」
問いかけるシェムハザだが、悪魔は腹の中央に大きな穴が開いている。常人ならすでに致命傷だ。
「ごふっ……君とは行ける所まで行きたい。それだけでいい。それだけが僕の望み……。付き合って……。最後まで……楽しもう。最後まで遊ぼう」
血を吐き出し、悪魔は苦しげに喘ぎながらも、笑顔で訴える。
「わかったよ」
シェムハザが頷き、最後の攻撃を行うことにした。シェムハザもかなりのダメージを受けており、そろそろ限界が近い。しかし悪魔よりは余力がある。
悪魔がまた三色の光点を生み出すが、三色の光線が放たれる気配は無かった。
先に光るルーン文字が飛来し、爆発を起こす。
悪魔の体が仰向けに倒れる。三色の光も消えた。
『終わりか。楽しかったよ』
(僕も楽しかった。草の人。今までありがとう。でも喋るなと言ったのを忘れたの?)
体内から発せられる声に対し、悪魔が感謝する一方で抗議もする。
「悪魔……」
ふらふらとした足取りで、倒れた悪魔の近くに寄ってくるシェムハザ。
(優しい子だ。僕を看取りに来てくれた……)
悪魔が目を細める。
(でも、そういうのは要らない)
悪魔に情は要らない。悪魔には相応しくない。悪魔はそう考える。
倒れた悪魔を見下ろし、シェムハザはふと思う。
(マスターに禁じられた運命操作術、悪魔の偽証罪。それをこの子に……)
悪魔を助けられるかもしれない。悪魔と本当の意味で友達になれるかもしれない。悪魔を悪魔でなくすることも出来るかもしれない。確実に世界の法則を捻じ曲げられる効果があるわけではないが、もしかしたら何かしらの奇跡を生じさせて、変化が見込めるかもしれない。
「僕のことは……忘れて……」
躊躇しているシェムハザの意識が、悪魔の声によって引き戻された。
「えー、忘れるわけないよー。忘れたくても忘れられないし、ずっと覚えておくって。だって私と君は――」
「それ以上言うな。忘れて……」
シェムハザの言葉を遮り、悪魔は最後の力を振り絞る。すると――




