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同じ衣装。堅苦しい空気。厳しい戒律。くだらない方針。全てが馬鹿馬鹿しい。全てが軽蔑に値する。
悪魔はシェムハザと別れた後、すぐにヨブの報酬の一員となったが、この息苦しい場所に居ることが、嫌で仕方がない。
自分を知るネロとは接触せずに済んだ。人の精神に影響を及ぼす能力を用いて幹部を操り、戦士の一人として組織に溶け込んだ。
ヨブの報酬は、自分達の管理下に収まらない超常の領域にある者を、全て敵視する組織である。その性質を上手く利用すれば、いずれシェムハザとその保護者である嘘鼠の魔法使いとも、一戦交えさせることが出来るであろうと、悪魔は考えたのである。
しかし計らずともその機会は巡ってきた。
ネロの近くにいてネロに見つからないようにしていた悪魔だが、嘘鼠の魔法使い討伐の話を聞いて、すぐに移動を行う。
斥候部隊に混じり、シェムハザ達の側まで到着した悪魔は、シェムハザ達が炎鉄の町に行くことも知り、先回りして町を訪れる。そして町の中にいる教団に混じって、シェムハザ達を待ち構えていた。
人の心を操り狂気へと誘う力を、悪魔はかつてないほどフルに発動させる。町の衛兵や市民達にその効果を及ぼす。監視をしていたヨブの報酬の戦士まで、その力を振るう。そして嘘鼠の魔法使いを攻撃対象として誘導する。
(さあ、また一緒に遊ぼう、シェムハザ。今度は味方ではなく、敵という立場で)
赤い瞳の少女を思い浮かべ、悪魔は心の中で呼びかける。
心の中で呼びかけた直後、悪魔の視界内に、狂気の暴徒達に追われるシェムハザ達四人の姿が飛び込んできた。
「来た」
建物の窓からシェムハザを見て、悪魔は小さく呟いて微笑んだ。嬉しさがこみあげてくる。
***
悪魔がシェムハザの姿を捉える一分程前。
シェムハザ、嘘鼠の魔法使い、リュカ、ウィルの三名は、ずっと逃げ続けていた。襲撃者血の数は増え、狂乱の暴徒が大群となって、町中で四人を追い続けていた。
「いつまで逃げてるの? そのうち捕まりそうだけど」
ウィルが問いかける。自分一人でなら逃げきれる自信はあるが、負傷しているリュカがいずれ走れなくなり、捕まると見ている。
「操っている術師を見つけて斃すための逃走だよね?」
嘘鼠の魔法使いに伺うシェムハザ。
「ええ、ただ逃げているわけではありませんよ。回り込んでいます。最初、襲撃者達が来る方向が同じですから、洗脳している者がいる方向にもあたりをつけていました。術師かどうかは不明ですが、これは薬や暗示などで正気を失っているのではなく、超常の力が働いているのが明らかです」
走りながら説明する嘘鼠の魔法使い。
「そして力の流れを辿って、接近しています。もうすぐ近くですよ」
「流石だね、嘘鼠の魔法使い」
「でももう走るのキツいわ……」
ウィルが称賛し、リュカは息を切らせながら訴えた。
「しかし近づいています。いえ、この近くです」
嘘鼠の魔法使いが足を止める。他の三人が足を止め、ウィルは最後尾で、追跡者達を迎え討つために身構える。
ふと、シェムハザは建物の一つを見上げた。視線を感じたのだ。懐かしい気配を感じたのだ。
建物の窓から、シェムハザを見下ろす少年の姿があった。
「そっか……あの子だったんだ」
自分を見下ろして微笑む悪魔を確認し、シェムハザは微笑んだ。
「知ってる奴か?」
「そうでしたか。彼の仕業でしたか。しかもあの服装は……」
リュカが尋ね、嘘鼠の魔法使いは眉根を寄せた。
「ヨブの報酬の戦士の服だぞ。下っ端っぽいけどよ。なのにヨブの報酬の戦士を操っているのか?」
リュカが悪魔を見て訝る。
「マスター、あの子は私が相手してくる」
シェムハザが微笑をたたえて宣言する。
「シェムハザ、気持ちはわかりますが、貴女一人では危険です」
「大丈夫。マスター、私を信じて」
嘘鼠の魔法使いが制止したが、シェムハザは弾んだ声で告げると、建物に向かって駆け出した。
「あまり師匠の言うこと聞かない弟子だな」
「たまに聞かない時もある程度で、普段はちゃんと聞きますよ」
リュカがからかい、嘘鼠の魔法使いは苦笑してシェムハザの後姿を見送っていた。
***
悪魔は一人で建物に入ってくるシェムハザを見て驚いていた。同時に喜びがこみあげる。
「やあ、おひさー」
悪魔のいる部屋の入口に、シェムハザが現れ、屈託の無い笑顔で声をかけてくる。
悪魔の口元がまた緩む。彼女のこの明朗な笑顔を見ると、彼女のよく通る弾んだ声を聞くと、それだけで嬉しくなってしまう。
「悪魔、ヨブの報酬に入ったんだねえ」
「君と遊ぶため。こんな組織、どうでもいい」
悪魔が笑みを消し、不愉快そうに吐き捨てる。
「私と遊ぶためにわざわざ?」
「そう」
「そっかー。それは嬉しくもあり迷惑でもあるかなあ。私一人ならいいんだけど、マスターまで巻き込んじゃうのはねえ」
シェムハザの笑顔が苦笑に変わる。
「シェムハザの最も大事な人である嘘鼠の魔法使い、それを僕がシェムハザの前で殺してみたい。その時シェムハザがどんな顔をするか見たい」
悪魔が告げると、シェムハザの顔から笑みが消えた。困り顔になる。
「そんなひどいことして何になるのー?」
「君のその顔が悲しみに歪む瞬間を見たい。苦しむ顔も見たい」
「うげー、ぐるじー、うえーん、しくしくしく。どう?」
自分の首をしめて変顔してみせたり、泣き真似をしてみたりして、悪魔のリクエストに応えてやったつもりのシェムハザであったが、悪魔は首を横に振った。
「駄目」
「えー? 何で駄目なのー?」
あっさり却下されて、シェムハザは不満げな声をあげる。
「僕がやらなければ意味がない」
「んー……」
腕組みして小首を傾げるシェムハザ。
「ようするに悪魔はさ、寂しがり屋でかまってちゃんなんだよね」
「そうかもしれない」
そうかもしれないではなくその通りであったが、素直に認めるのも癪なので、濁しておく悪魔であった。
悪魔が軽く手を上げ、シェムハザに向かって人差し指を指す。人差し指の先の空間に、青、緑、赤の三つの光点が無数に出現する。
三色の無数の光線がシェムハザめがけて放たれる。前置きも無くいきなり戦闘を開始した悪魔であったが、シェムハザはしっかりと対応した。杖を振りかざし、光るルーン文字が無数に飛び交い、光線を途中で折り曲げて防いでいく。
「あたっ」
シェムハザが顔をしかめた。全ての光線を防ぐことはできず、そのうちの一つが、左腕上腕部を貫いたのだ。
動きがひるんだシェムハザを見て、悪魔は連続で次なる攻撃を行う。同じ三色ビームでは味気ないので、別の手を用いる。
悪魔が両腕を前に突き出して、両掌をそれぞれ内側に向けてかざし合わせる。両手の間に小さな水晶の塊が生ずる。
少しずつ腕を広げて、両手の間隔を広げていく悪魔。すると両手の間に生じた水晶の塊も、どんどん大きくなっていく。やがて人の頭部より大きくなった所で、悪魔は両手を大きく横に払い、水晶の塊がシェムハザめがけて一直線に飛来した。
シェムハザは再び光るルーン文字を展開させて、純粋魔力による防御を試みたが、途中まで接近してきた水晶の塊が破裂し、細かい水晶片を無数に撒き散らした。
「ううう……」
顔や胴体は防御することが出来たものの、全身を守り切ることは出来なかった。両腕の一部と、何より両足の膝から下の広範囲に、嫌というほど水晶片を大量に受けてしまい、シェムハザは膝をついて呻く。
「もう終わり? がっかり」
「大丈夫……。まだまだ遊べるから」
痛みを堪えて、眉根を寄せながらも微笑んで見せながら、シェムハザは立ち上がった。




