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リュカとウィルもすでに臨戦態勢を取っていた。
「畜生め、うとうとしてきた所に来やがって……」
不機嫌顔のリュカ。彼は殺気に反応したわけではなく、見張りの使い魔達の報告を受けて、敵の接近を知った。
何かが突き刺さるような音が断続的に響き渡る。
(また火矢を撃ちこまれたりしてる?)
シェムハザが魔術教団との戦闘を思い出す。
「攻撃されてるね」
ウィルが呟いたその刹那、赤く長いものが壁を貫いてきた。
壁から生えるような格好になった長く伸びた赤いそれは、固体から液体へと変わる。
赤いどろどろした液体が、意思を持った生き物のように蠢き、一番近くにいたシェムハザに襲いかかった。
シェムハザは慌てることなく呪文を唱える。蠢く赤い液体が凍りついて動かなくなる。
「血を固めて矢のように飛ばしているわけですか」
凍った赤い液体を見て嘘鼠の魔法使いが言う。
「ああ、しかもその血が体に付着すると爛れる。おまけに体の中に入ろうともしてきやがる。凄まじく厄介だ」
苦々しい表情でリュカが言う。作戦時に予め聞いていた情報だが、改めて警告した。すぐに血そのものを無力化しなければならない。
嘘鼠の魔法使いとウィルが表に出ると、二人めがけて、血の矢が大量に放たれた。
見ると前方に、真っ赤な人影が四人見える。全員、赤い弓をつがえている。血で出来た射手だ。
ウィルが剣で血の矢を撃ち落としていく。
「弓矢は嫌いだよ」
血の射手を見据えて呟くウィル。不思議な事に、ウィルが切りつけた血の矢は、空中で弾けて、そのまま霧状になって消えていった。
(ただの剣では無く、超常の力の作用を払う効果があるようですね)
ウィルの剣を見て、嘘鼠の魔法使いは察する。だからこそ彼はこれまで、超常の者達相手にも戦ってこられたのだろう。
血の射手の背後から、大量の赤い鳥が飛びたち、家に向かってくる。今度は血の梟の大群だ。
嘘鼠の魔法使いが短い呪文と共に杖を払う。夥しい数の光るルーン文字が乱舞し、血の梟を次々と凍らせていく。
凍り付いて落下した血の梟であったが、凍った血が溶けだした。激しく煮立っている。
「そのようなことも出来るのですか」
「でも家の中に入ってきた、私が凍らせた血の矢は溶けなかったから、多分術師が見えている範囲だけじゃないかなあ。あるいは形状限定」
家の外に出てきたシェムハザが、復活していく血の梟を見て言った。
「私より先に気付くとは、大したものです」
「弟子の方が頭の巡りが良いってか」
嘘鼠の魔法使いが感心して、最後に出てきたリュカが皮肉げに笑う。
「凍らせて駄目なら、そのまま煮立っちまえ」
リュカが術を唱えると、血の梟が全て炎に包まれた。血の梟が悶え苦しみ、やがて蒸発していく。
「まともにやりあったら、こっちが消耗しまくってじり貧になるぜ。俺も以前それで勝てなくて、逃げたんだ。当初の予定通りにいく」
リュカが言うと、服の内側から綿の塊を取り出す。手に収まらないくらいの大きな塊だ。
短く呪文を唱えると、綿の塊が一気に巨大に膨らんだ。人が二人以上収まるサイズだ。
嘘鼠の魔法使いとシェムハザも、同様に綿の塊を取り出すと、呪文を唱えて巨大化させる。
一方で血の射手の後方から、新たな軍勢が現れた。今度は身の丈2メートルを超える、甲冑姿の兵士だ。その数は七体。もちろん甲冑も血で作られている。
血の巨漢兵士達が一斉に走り出す。その巨体に見合わぬ素早さで駆けてくる。そしてその合間にも、血の射手達が血の矢を撃ってくる。
まずシェムハザが巨大綿を念動力で前方へと動かした。
血の矢が吸い込まれるようにして、巨大綿に刺さっていく。
「あっという間に満杯っ」
真っ赤に染まった綿が地面に落下する様を見て、シェムハザが苦笑し、新たな綿を取り出し、魔法でまた膨らませる。
迫る血の巨漢兵士達にも、嘘鼠の魔法使いとリュが巨大綿を飛ばして押し付けて対処する。たちまち綿に吸い込まれる巨漢兵士達だが、その様を見て、後方の巨漢兵士達は動きを変えた。
シェムハザが飛ばした綿を、巨漢兵士は巧みにかわし、シェムハザへと迫った。
早口で呪文を唱えて対処しようとしたシェムハザだが、間に合わなかった。血の巨漢兵士が血の剣を放り投げ、剣がシェムハザの肩口をかすめていった。
「シェムハザ!」
嘘鼠の魔法使いが血相を変え、鋭い声で叫ぶ。
「だ、だいじょぶ……」
シェムハザは即座に綿を肩に押し当てる。触れただけでも危険な血だが、術をかけた特殊な綿で、吸い取ることが出来るのだ。
嘘鼠の魔法使いは胸を撫でおろす一方で、シェムハザを傷つけられたことで、冷たい怒りに支配される。
「うぎゃっ!」
今度はリュカが攻撃を受けた。巨漢兵士を綿で吸い込み、満杯になった綿が地面に落ちた直後、血の矢が飛んできて、リュカの足を貫いた。
「ぐがああぁっ! ちっくしょ……」
喚きながら綿を取り出し、体内に侵入した血を何とか吸い上げようとするリュカだが、かなり深刻なダメージを受けてしまう。
「お、お前等……ちゃんと俺を護れよっ。そのために雇ってるんだろ……。ツカエネー奴等だな……」
毒づくリュカだが、誰も聞いていない。シェムハザもウィルも、自分の戦いに精一杯だ。
「僕達を直接見ている術師は……あそこっぽいね。左手の二番目に高い木の裏」
ウィルが、敵が潜むおおよその位置を見抜いて伝える。
血の巨漢兵士達が尽きると、今度は血で出来た巨大な竜が姿を現す。
「あんなのどうやって倒すんだ……」
竜のサイズを見て、たじろぐウィル。
そのウィルの横を、嘘鼠の魔法使いがゆっくりと進み出る。
(マスター、怒ってる?)
嘘鼠の魔法使いの後姿を見ながら、シェムハザは思う。
血の射手が嘘鼠の魔法使いめがけて血の矢を射かけるが、嘘鼠の魔法使いの周囲に展開した三つの綿が、血の矢を吸い取っていく。
巨大な血の竜と正面から対峙する嘘鼠の魔法使い。
血の竜がゆっくりと首をもたげて、口を大きく開くと、血のブレスを吐きかけた。
嘘鼠の魔法使いの全身が血に飲まれたと思いきや、血が一斉に吹き上がって蒸発した。そのはずみに、血のブレスを吐いている血の竜の頭も吹き飛んだ。
血の竜の頭はすぐに再生したが、それ以上は動くことが出来なかった。
いつの間にか、血の竜の全身を光るルーン文字が取り囲んでいる。そして血の竜の足元の地面から、泥が次々と噴き出して、血の竜の体内に混ざる。
血と泥が混じっていき、やがて血と泥の塊となった血の竜は、そのまま動かなくなった。
「馬鹿な……」
木の裏に隠れていたサミュエルが呻く。サミュエルはまた血を沸騰させていたが、泥と混じった血がいくら沸騰しても、何も変化は無かった。泥の浸蝕率の方が強く、血の力を完全に無効化していた。
突然ウィルがサミュエルの横に現れ、長剣で斬りかかる。
「むんっ!」
サミュエルが気合いの入った声をあげると、サミュエルの手から血の盾が現れて、ウィルの長剣を受け流す。さらにはサミュエルの全身が、血の甲冑で覆われ、もう片方の手には血の剣が握られる。
「ここからが本番だっ!」
サミュエルが叫んだその時、サミュエルの後方に嘘鼠の魔法使いが現れた。
気配を察知して振り返ったサミュエルが、大きく吹き飛ばされる。
「ぐぱあっ!?」
生まれてこのかた一度も味わったことの内容な衝撃と共に、サミュエルが倒れる。口から激しく血を吐き出している。
腹部から胸部にかけて大きく穴が開いていた。内臓の大半が弾け飛んでいた。
サミュエルの脳裏に、妻子が自分を見送る姿が蘇る。
(すまん……。今度の旅からは、帰れそうにない……)
頭の中で妻子に謝罪するサミュエルの前に、嘘鼠の魔法使いが近づいていく。
「ここまでか……。穢れた超常の領域に堕ち、世を乱す悪魔共を一匹残らず消し去る世界を創りたかったが……かなわなかったか……」
嘘鼠の魔法使いを見上げ、憎々しげに毒づくサミュエル。
(マスターと逆なんだ……)
サミュエルの言葉を聞いて、シェムハザは複雑な気分になり、嘘鼠の魔法使いは不快な気分になった。
「何故そこまで憎むのですか?」
静かに問いかける嘘鼠の魔法使い。
「私の父と母を貴様等に殺された。それだけのことだ」
そう言い残すと、サミュエルは目を開いたまま事切れた。
(私と同じですか……)
サミュエルの亡骸を見下ろし、嘘鼠の魔法使いは大きく息を吐く。この時点で怒りは完全に消えた。
ふと気配を感じ、嘘鼠の魔法使いは振り返る。
(見られた? いや……ずっと見られていましたか?)
足早に家の方へと戻る嘘鼠の魔法使い。
「これはいけませんね。すぐにここから離れた方がよさそうです」
「は? どういうことだよ……?」
嘘鼠の魔法使いの言葉を聞いて、倒れたまま苦悶の表情のリュカが問う。
「この場所を知る者がサミュエルだけだと思いますか? サミュエルが知っている時点で、ヨブの報酬にも知られています。そして今の戦い、どうやら監視されていたようです。すぐに次の刺客が来ますよ」
早口で告げると、嘘鼠の魔法使いはリュカの家の中に入り、荷物の準備にかかった。
(私の死期も近いですし、そういうことですか……。抗えぬ死の運命の道に乗ってしまったようですね)
負傷したシェムハザの分の荷造りもしながら、嘘鼠の魔法使いは自嘲の笑みをこぼしていた。




