20
シェムハザは魔術教団の副リーダーの邸宅へと向かった。悪魔も一緒だ。教団員の住居の場所はミゲルから聞いている。
庭付きの立派な屋敷の敷地内に入る二人。
「負の波動」
悪魔がぽつりと呟く。
「あれ? どこに?」
それまでは自分の後をついていく格好であった悪魔が、自突離れてどこかへと移動しだしたので、シェムハザが声をかける。
悪魔は一度立ち止まって振り返り、シェムハザを手招きする。シェムハザは怪訝な顔でついていく。
窓の外に立つ悪魔とシェムハザ。家の中から怒声が響いている。窓から家の中を覗き込むと、部屋に二人の人物がいた。
「ウッキー! この役立たずがァ! 何度言ったらわかるんだぁぁぁーッ!」
ローブ姿の初老の男が、床で丸くなって頭を両手で押さえている、下女と思われる女性を乱暴に蹴り続けている。時折杖で殴ってもいる。
初老の男の服装には見覚えがある。鍾乳洞の中で見た、魔術教団の者達が着ていたローブだ。しかしデザインが他の教団員に比べて豪奢な作りだ。彼が目当ての、魔術教団の副リーダーに違いない。
教団副リーダーに嬲られている下女は顔が痣だらけだった。血も出ている。頭に酷い一撃を受けないように必死に守っているようだ。
「あれは昔の私なのかなあ?」
下女を見てシェムハザは、何とも言えない悲しい表情になって呟いた。
「昔の君? 君の昔?」
悪魔がシェムハザを見る。
「もうあれから何年経つのかなあ? 私は目が見えなくてさ、ゴミ捨て場のゴミの中で生きてたんだ。そんな私をいじめてくる男の子達がいてさ。殴られたり蹴られたり石を投げられたり、水をかけられたり、変な物を食べさせられたり、ずーっとそんなことが続いてたんだ」
シェムハザの過去を聞き、悪魔はシェムハザから顔を背けた。
「すごく嫌な気持ちになる話」
「え? 悪魔的にはほっこりする話じゃないの?」
意外な言葉を口にする悪魔に、シェムハザがからかうように尋ねる。
「ヴェルデの話も聞いていて嫌な気持ちだった。だから力を与えた。僕が人を奈落に落とすのはいい。でも悪魔の所業を人が真似ることは不快」
「ふーん。悪魔なら人の不和や暴力も楽しむものかと思っていたよ」
「悪魔がそれらを引き起こしたのであれば、それでいい。人が悪魔を無視して勝手にそんなことをするのは駄目。許されない」
「ふーん、そうなんだ」
悪魔の言い分を聞いて、シェムハザは笑ってしまう。
「で、君を甚振った奴等は?」
「もういないよー」
「そう」
もし生きていたとしたら、悪魔が殺しに行ったのだろうかと考えるシェムハザ。
しばらくすると副リーダーが立ち去り、後には蹲ったままの下女が残された。
「どうする?」
「んー、どうしようかなあ。あのいじめられている人、利用できそうな気がするんだけどなあ」
「奇遇。僕も同じこと考えた」
シェムハザの言葉を聞くなリ、悪魔は堂々と窓を開いて部屋の中へと入る。
「ど、どなたですかぁぁ~あは~ぁ~……」
突然入ってきた悪魔を見て驚く下女であったが、その表情が蕩けるようにして呆けていく。
「これはもう僕の人形」
窓の外のシェムハザに向かって言う悪魔。シェムハザも窓から中へと入る。
「この人形を使って遊びたい。君はここに来て何をして遊ぶつもりだった?」
悪魔がシェムハザに問う。教団に不和と混乱をもたらして、犯人を釣り上げるという、乱暴なやり方をしようとしていたことはわかったが、具体的に何をするつもりだったかは聞いていない。
「捻りは無いけど、副リーダーを殺しちゃおうと思ってたよ。で、魔従が暴走した結果みたいに見せようと思ってたんだ。それで魔術教団内の動きを見ようと思ってた。もし魔従を意図的に暴走させている人がいたら、アクションがあるんじゃないかなーと思ってさ」
シェムハザが方針を伝える。
「君もわりと悪魔に近い。嬉しい」
「いやー、それほどでもー」
『いくらなんでもそのやり方はどうかと思いますよ。しかし……今の男なら殺しても構わないでしょう』
悪魔の言葉に照れるシェムハザ。嘘鼠の魔法使いは呆れていたが、副リーダーの所業に不快感を覚えていたので、反対もしなかった。
「この人形で殺していい?」
「いいよー。むしろその方がいいよー」
悪魔が尋ね、シェムハザが笑顔で頷く。
下女にナイフを持たせて、副リーダーのいる部屋へと向かわせる。悪魔とシェムハザもついていく。
「うん? 何の用……だばーっ!」
座っている副リーダーの後ろから後頭部めがけて、何度もナイフを振り下ろす下女。副リーダーは断末魔の叫びをあげる。
副リーダーは机に突っ伏して痙攣していた。大量の血が机の上に流れ、床にしたたり落ちる。
「屋敷の中に魔従がいると思うんだよねえ。探して、ここに連れて来よう」
シェムハザが言い、二人は屋敷の中を歩き回る。
「見つけた。地下」
悪魔が先に、地下室で魔従を見つけて報告した。
「魔法で操って運べないか試してみるね」
地下室にいた魔従数人を前にして、シェムハザが呪文を唱える。
「あ、簡単だった」
簡単に術がかかったので、魔従を副リーダー殺害現場へと連れて行く。
「その人の洗脳、解くこと出来る?」
まだ殺害現場で立ち尽くしている下女を見やり、シェムハザが悪魔に尋ねる。
「出来る」
「じゃあこの人を第一発見者に仕立て上げよう」
「わかった」
シェムハザの提案に乗る悪魔。
(やっぱりこの子は面白い。わりとではない。かなり悪魔に近い。あるいは悪魔そのもの?)
悪魔の中のシェムハザに対する好感度が、ますます上がっていった。
***
正午前、副リーダーの屋敷に魔術教団の者達が集まり、騒然としていた。
殺された副リーダーと、その死体の周囲にただ佇んでいる魔従。彼等は皆ナイフを持っていた。
第一発見者は下女だ。村には役人もいないし、副リーダーと懇意にしている村人へと報せに行った。その懇意にしている村人とは当然、魔術教団の者であり、副リーダーの派閥の者だ。故にこの殺人を知る者は現在、シェムハザと悪魔と下女を除けば、魔術教団の者だけだ。
現場にはシェムハザもいる。悪魔は隠れている。
「おいおい、いきなりとんでもない展開になったが、何か知ってるか?」
ミゲルがやってきてシェムハザに話しかける。
「ううん、全然知らないよー。でもこれで事態が動きだすんじゃないかなー?」
笑顔でとぼけるシェムハザ。
屋敷の中でも周囲でも、教団の者達がざわついている。
「自ら作った魔従に殺されたということか……」
「状況からするとそうとしか思えない」
「不自然な部分もありますよ。複数の魔従を自室に呼んで何をしようとしていたのです?」
「確かにな。実験するなら地下室だ」
「あるいは魔従に自由意思が芽生えて、地下室から抜け出したという可能性も」
「有り得ない……とも言えなくないな。この状況を見た限り」
教団員達が様々な推測憶測を飛ばす。
「野良魔従を解き放ってしまったのは、こいつなんじゃないの?」
一人の女性がそう言うと、全員がその女性に注目した。魔術教団のリーダーだった。
「この状況から見るにほぼ確実ね。多分魔従の改造を試みて失敗したのよ。あげく自分の身も亡ぼすとは何とも愚かなこと」
副リーダーの死体を見下ろし、せせら笑うリーダー。
(副リーダーと派閥抗争していた教団のリーダーの人だね。これは、事態を無理矢理収束するために罪を被せようとしているのか、それとも犯人がこの人だから有耶無耶にしようとしているのか。どっちかなあ)
シェムハザが顎に手をあてて思案する。
「リーダーが有耶無耶にしようとしている。何人もが事態を収めるよう進言しても、この馬鹿女は聞き入れなかった。まあそれは副リーダーも同じだけどな」
シェムハザの耳元で、ミゲルが毒を込めて囁いた。リーダーのことをかなり嫌悪しているようだ。
「実際、問題になっていた魔従の暴走が、副リーダーの失敗であるという可能性もあるんだよね?」
「それはもちろんある。もしそうだとしたら、あとは村と村の近くで野良化している魔従の始末に専念すればいい話だ。しかし証明する方法も無い。野良化した魔従を全て始末して、なお事件が起こらないようなら、それでめでたしめでたしだが」
シェムハザが伺い、ミゲルが答えたその時だった。
「大変ですっ。魔従が十一体も現れて、村で暴れていますっ」
屋敷の外から走ってきた魔術師が、息を切らせて報告した。
「十一体ってそんなに……」
「何が起こっているんだべー。次から次へ……」
「魔従なんて作らない方がよかったのかもな」
さらにざわつく魔術教団員達。
「犠牲者が多く出ています。助けないとっ」
「助ける? 私達の存在を明かすとでもいうの? 魔術の使い手達がこの村に潜んでいると知られれば、ヨブの報酬の標的にされてしまうのよ?」
報告してきた魔術師の言葉を、リーダーは一笑に付す。
「今聞いたばかりだけど、野良魔従はどっちにしろ全部やっつけるのが依頼内容でもあるよね?」
「ああ、そうだが」
シェムハザが改めて確認し、ミゲルが頷く。
「じゃあいい機会だし、ちょっくらやっつけてくるー」
「お、おい……待て。俺も行く」
シェムハザが屋敷を飛び出す。ミゲルもその後をついていく。
村の中心部に行くと、村人達が魔従に追い回されている光景が見えた。死体も幾つか転がっている。
シェムハザが呪文を唱える。村人を追いまわす複数の魔従が、たちまち炎に包まれる。
「おいおい、堂々とっ。見られちゃってるぞっ」
呆気に取られるミゲル。彼は人前に出ないよう、物陰に隠れて様子を伺っていた。
やがて魔術教団の者達もやってきた。
シェムハザは村人達と魔術教団の魔術師達の前で、何の躊躇もなく魔法を連発していき、次々と魔従を殺していく。
悪魔もこっそりと手助けする。木陰から能力で攻撃していた。
村人と魔術教団の者達は呆然として見守っている。
ミゲルは頭を抱えている。嘘鼠の魔法使いも使い魔を通じてこの光景を見て、自宅で額を押さえて溜息をついていた。
「大丈夫ー? 怪我している人は治療するよー。私は医者だから」
魔従を全滅させた所で、シェムハザが村人達に向かって声をかけた。
「ま、魔女……」
「魔女だあぁぁっ!」
「何てこったあっ、この村に魔女が出たぞーっ!」
「殺せ! 魔女を殺せーっ!」
「化け物を殺しまくった魔女を誰が殺せるというんじゃい」
「町に行ってヨブの報酬を呼べーっ」
皆一様に引きつった顔になって、騒然とする村人達。
「え~……助けたのに、そんなあ……」
こちらはがっかりとするシェムハザであった。
「違うよー。私は医者だってばー。今使ったのは魔法じゃなくて医術だからー」
必死に誤魔化そうとするシェムハザだが、村人達は耳を貸そうとしなかった。
「流石に苦しすぎる」
いつの間にか悪魔が側にやってきて、声をかける。
「質問。恩知らずのこんな奴等を助ける価値あった?」
「あったと思うよー。遠慮しなくていい、恩知らずな人達だったってことが、よくわかったからさ」
「なるほど。君の見方、いちいち面白い。それならやることは一つ」
悪魔が三色の光点を発生させる。
「ぎゃあーっ!」
「うげばーっ!」
「ひぎぃ!」
三色の光線が放たれ、村人達を貫いていく。
「おっと、ヨブの報酬を呼ばれても困るねえ」
シェムハザも呪文を唱えて杖を振る。遠くに駆けていく村人の足元から巨大な氷柱が付き上がり、股間から頭頂にかけて貫いた。
「はいはい、これで綺麗さっぱり目撃者全滅っと。ヨブの報酬ほ呼ばれる心配もないねー。呼ばれても誤魔化す自信あるけどさ。悪魔、ありがとさままま」
シェムハザが悪魔の方を向いて屈託のない笑顔で礼を述べる。
「あっちにまだいる」
悪魔が魔術教団の者達を見やる。悪魔の視線を感じて、何名かの魔術師が後ずさる。
「あの人達は問題無いよー。多分味方。私と同じで、ヨブの報酬を呼ばれても困るだろうしね」
「そう」
シェムハザの言葉を受け、悪魔はそっけなく頷いた。
「あんた達……何者なの?」
リーダーがやってきて、シェムハザと悪魔に向かって、恐る恐る声をかける。
「通りすがりの医者の卵だよー。医術を使って戦うこともできるんだー」
「とぼけないで、相当なレベルの魔術師じゃない」
「そう言われても困ったなあ」
シェムハザが目線を逸らして頬を掻く。
「見逃してあげるから、今すぐこの村から出ていって」
「私がいると都合が悪いことあるのー?」
キツい口調で告げるリーダーに、シェムハザは堂々と尋ねる。
「ここは余所者を歓迎する村じゃないし、あんたみたいなわけのわからない子は。余計に遠慮したいわね。村人も平然と殺してくれちゃって……」
「自衛のためだから仕方ないよー。それとも放っておいた方がよかった? 超常狩りのヨブの報酬を呼ばれちゃうかもしれなかったんだよー?」
「その理屈はわかった。だからそれは大目に見る。でも大目に見るのはそこまで。消えて」
「おかしなことを言っている」
悪魔がリーダーを見て呟いた。あからさまに侮蔑の視線を向けている。
「力の無い者が力の有る者に向かって、高圧的な態度で命令している。滑稽だ。無様だ。そして不遜。身の程をわからせてやる?」
「いいよ。別に。リーダーしているから、体面を繕うためにそういう態度取っているんだよー。だから見逃してあげよう」
悪魔とシェムハザの言葉は、リーダーにも魔術師達にも聞こえていた。リーダーは顔を真っ赤にしているが、それ以上は何も言おうとしない。
「あ、でも村は出ないよー? 私も用事があって来たんだからねー」
笑顔で言うと、シェムハザはその場から立ち去った。悪魔も続く。
「ははは、滅茶苦茶してくれやがるなあ、あの餓鬼。嘘鼠の魔法使いも大した教育をしていやがるよ。でも正直すっとしたわ。あははは」
シェムハザの背を見送り、ミゲルが小気味よさそうに笑っていた。




