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シェムハザが初めて一人旅に出て、四ヶ月が経過した。
「おやおや、シェムハザはまた私の見ていない所で、目分量で調合していますね。いけない子です」
研究室で薬の調合をしていたシェムハザに、嘘鼠の魔法使いが柔らかい口調で注意する。
「目分量だけど問題無いよー」
「問題はありますよ。その理由は散々――」
「人工魔眼を改造して、文字通り目分量で正確な数字を量れるようにしたんだー。だから問題無いと思うー」
笑顔で言ってのけるシェムハザに、嘘鼠の魔法使いは舌を巻いた。
(この子はいつの間にか、そこまでの技術を身に着けていましたか……。流石は私を遥かに上回る才の持ち主だけのことはあります。それはわかっていましたが、それにしても驚かされますね)
嘘鼠の魔法使いは期待と嬉しさの眼差しで弟子を見る。
「シェムハザ、貴女の才は確かに素晴らしいものです。しかし私に無断で改造することは問題ですよ」
「んふふふ、マスターを驚かそうと思ってさあ」
「反省ゼロですね。やれやれ」
笑顔のシェムハザの前で、溜息をつく嘘鼠の魔法使い。
「私の教育方針が間違っているのでしょうかねえ、甘やかしすぎていますか」
いつも嘘鼠の魔法使いはやんわりと注意するだけで、声を荒げて叱ることはおろか、キツい声一つ出すことはない。
「私に一人旅させて超常絡みの事件を解決させるマスターが、私を甘やかしているなんてことはないよー……」
シェムハザが不満げな顔になる。
「旅は楽しくないですか?」
「ううん。楽しいよー。出会いも楽しい。でも、マスターと離れているのが凄く嫌だ」
抗議するような眼差しで訴えるシェムハザ。
(そういう顔をされるとこちらも辛いのです……)
嘘鼠の魔法使いもシェムハザの顔を見て、悲しげな表情になる。
「一応使い魔を飛ばして常に見守っていますから、そういう意味では繋がっていますよ」
「えー、それじゃ嫌だー」
「では……使い魔を追加してみますか」
「追加?」
「烏や梟を飛ばしていましたが、それに加えて、シェムハザが持ち運びするタイプの使い魔を用意します。その使い魔であれば、使い魔を通じて会話がよりスムーズに出来ますよ」
「そこまでしてくれるなら、マスターと一緒の旅でいいじゃなーい」
不満顔のまま、シェムハザは肩を落とした。
***
今回でシェムハザは四回目の旅路になる。ようするにこれまでの間、月に一度は旅に出されて、事件依頼の解決に向かっている。
訪れたのは、町からそう遠くはない場所にある村だった。最初の村が一番近かったが、今回はその次に近い。馬車に乗って一日程度で到着した。
この村のことは訪れる前から知っていた。シェムハザ達が住む町ではよく知られている、わりと悪名高い村である。何十年か前に内戦が起こった際に戦火に巻き込まれ、大勢の村人が命を落とした。その頃から村は酷く排他的になり、外部の者を受け付けなくなった。
村の排他的な性質を利用し、多くの犯罪者達が村に潜伏しているという噂が立っている。その噂を聞いて、町の役人達は町で犯罪が起こると、すぐにこの村に押し寄せる。犯罪者がこの村に逃れたことを疑うのだ。実際村の噂を聞いた犯罪者が、この村に逃れるケースも多い。そしてそのような犯罪者が村でまた悪事を働くという、負のスパイラルが発生している。
山の麓にあるその村は、村の周辺一帯を高い柵で覆われていた。こんな村など、シェムハザは今まで見たことが無い。まるで城塞都市の村バージョンであるかのようだ。この時点ですでに異様さを感じる。
村の入口には門があり、閉まっている。シェムハザは困り顔で立ち往生してしまう。柵を越えて無理に入ることも出来なくはないが、誰かに見られたらややこしいことになるかもしれないと考えた。
「何だ? お前は。見かけない顔だ」
門の前で佇んでいたシェムハザに、村の外からやってきた目次の悪い農夫が声をかける。
「えっとー、ミゲルさんていう人に呼ばれて来たんだけどー」
「ミゲル? ふん。知らん。この村では餓鬼が一人で外歩くなんて考えられないことだ。ここはろくでもない奴だらけだ。さっさと出ていけ」
「忠告ありがとさままま」
ぶっきらぼうだが忠告してくれるだけ親切だと受け取りつつ、シェムハザは礼を述べた。
その後もシェムハザは村の中を歩き続ける。村と呼ぶにしては、わりと家屋が多い。これまでに訪れた村の中で最も人口密度が高そうだ。村人とも多く遭遇したが、声をかけてもまともに相手にしてくれない者ばかりだった。
「そこのおばーさーん。ミゲルさんていう人知らなーい?」
めげることなく聞き込みを続けるシェムハザ。
「あ? 何だ、この糞餓鬼が……」
大きな籠を背負って片足をひきずるようにして歩く、腰が90度に折れ曲がった老婆が、シェムハザを睨みつける。凄まじく人相の悪い老婆だ。シェムハザを見て顔を歪め、ますます酷い顔になる。
「人に頼み事するなら、それなりの誠意を見せな。聞き賃よこしな」
「う、うん……」
老婆の要求に応じ、シェムハザは貨幣を取りだして与える。
「これっぽっちか。これだけじゃダメだ。よし、この荷物を運ぶ手伝いをしな。そうしたら教えてやる」
「わかったー」
シェムハザが老婆から籠を預かって背負う。かなり重い。
「おい、乱暴に運ぶんじゃないよ。そっと運びな。中の食いもんを傷物にしたらどうしてくれるんだい」
「すまんこー」
特に乱暴に運んだつもりはないが、老婆はケチをつけてくる。しかしシェムハザは素直に謝り、慎重に歩くよう心掛ける。
しばらく歩き続けてきた所で、前方から村人数人が歩いてきた。
「おおーいっ! 助けておくれーっ!」
「え?」
突然老婆が大声を出した。シェムハザは驚いて振り返る。
「追いはぎだよっ! 強盗だよ! この余所者のメスガキに荷物を取られちまったよーっ! 助けてくれたら礼は弾むよっ!」
「えー……」
悪意たっぷりの歪んだ笑みを広げて助けを呼ぶ老婆を見て、シェムハザは愕然とした。
「何だってーっ! こんなガキのくせして、足腰の悪いババアの荷物を奪うなんざ、とんだ悪餓鬼だ!」
「見た目は可愛いな。よし、改心させるために売春窟に売り払ってやろう」
「ソノマエにオデタチでオシオキだあ~」
激昂した村人達がシェムハザを取り囲む。
しかしシェムハザは動じた様子が無く、微苦笑と共に頬を掻いている。
(少し乱暴な手を使って切り抜けるしかないかなあ)
魔法を用いて突破しようとしたシェムハザだったが、老婆を含む村人達の顔色が変わった。
「お、おい、あれ……」
「ヤベえ……でやかったぞ……」
シェムハザの後方を指し、恐怖の表情になる村人達。シェムハザが振り返ると、複数の黒いぼやけた影のようなものが現れ、邪気を放ちながらゆらゆらと揺れていた。
「悪霊だっ! 昼間から現れやがった!」
「本当にいたのかよ畜生っ。逃げろーっ」
「あわわわ……」
「ひぃぃ、ワシは足が悪いんじゃあ……誰かぁ~、ワシを助けておくれ~」
一目散に逃げる村人達。腰を抜かして倒れた老婆は這いずるようにして逃げながら、助けを求めているが、村人達は応じない。
(これが噂の悪霊かー)
悪霊と呼ばれた黒い影数体をしげしげと眺めるシェムハザ。ミゲルという依頼者の依頼内容が、村に現れる謎の悪霊達の討伐だった。
悪霊が動き出した。老婆とシェムハザに向かってくる。
「おいガキっ! さっさと助けないか! わしを助けてくれなきゃ地獄行きだよっ! それでもいいのかい!?」
老婆が血相を変えて叫ぶが、シェムハザは老婆を助けようとせずに、笑顔で歩いて距離を取る。
悪霊達が老婆を取り囲み、腕を振り下ろす。老婆の体が容易く引き裂かれ、貫かれ、血飛沫があがる。
「ぎゃああぁあっ!」
断末魔の悲鳴をあげる老婆。シェムハザは老婆が悪霊に取り殺される様子を観察していた。
(んー、これは霊じゃなくて、れっきとして生命だねえ。魔物の一種なんだろうけど)
解析しながらそう思った矢先、ふと、シェムハザは視線を感じた。
視線の方を向くと、いつの間に接近したのか、すぐ近くに見知っている少年の姿があった。黒髪で痩せていて無表情で青白い肌の少年だ。
「すっとした?」
自らを悪魔と名乗る少年が伺う。
「お久しぶりー。これ、悪魔の仕業?」
シェムハザが屈託のない笑顔で尋ねると、悪魔は首を横に振った。




