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(まさかここでヨブの報酬と出くわすとは)
使い魔の烏を通じてシェムハザの様子をチェックしていた嘘鼠の魔法使いは、小さく息を吐いた。しかしこの状況を弟子の危機とは見なしていない。
(しかし大幹部のネロ・クローバーがいる時点で大丈夫そうですね)
ネロが話のわかる男であることは、嘘鼠の魔法使いも知っている。
「おい、何なんだ? あんたら」
ユリウスが胡散臭そうな目でネロとヨブの報酬を見る。
「こ、この村の者から呼ばれた……。狼男が暴れていると……と、討伐の依頼だ」
「その前に調査も行います」
ネロとヨブの報酬の戦士一名が質問に答える。
「ふーむ。俺以外にも外に依頼した奴がいたってことかい。ま、有り得なくもないわな」
顎に手を当てて言うユリウス。
「シェムハザ、き、君がどうしてここにいるのか?」
「んー……そのー……」
ネロが尋ねると、シェムハザは頬を掻きながらユリウスをちらりと見る。
「俺が依頼したんだよ。何か問題あるのか?」
シェムハザの視線に気付くこともなく、ユリウスは正直に答えた。
「このような幼子……しかも医者の弟子である彼女に依頼だと?」
ネロが不審げな表情になる。
「こっちも驚いてるよ。嘘鼠を呼んだつもりが、その弟子が来てさ。しかもこんな小娘だ」
そこまで話した時、ようやくユリウスはシェムハザの視線に気づいた。
(ああ、ひょっとして言ったら駄目だったことか? すまねーな)
シェムハザを見返し、心の中で謝罪するユリウス。
「えっとー、マスターから修行のためにって……」
「そ、そうか……。しかし医師に何用だ?」
「ああ……それはだなあ……」
ネロに問われ、ユリウスが口ごもる。
「狼男になるのは病気の一種なんだよー。私はそれを治しにきたの」
シェムハザが答える。
機転を利かせたつもりで口にしたシェムハザの台詞に、ネロは目を剥き、ヨブの報酬の者達はざわついた。ユリウスは口をぽかんと開けている。
(シェムハザ……それは無理がありますよ。返って余計に怪しまれてしまいます。例えそれが真実であろうと)
使い魔を通じて会話を聞いていた嘘鼠の魔法使いは思う。シェムハザが口にした可能性も、無きにしも非ずだと考えるが、それが他の人間に通じるとは思えない。返って余計に怪しまれ、ややこしくしてしまいかねない。
「わ、わかった……」
だがネロは、表面上はそれで納得したようであった。あくまで表面上であり、怪しんでいる様子はあったが。
***
陽が大分傾き、空が赤くなり始めた頃。
ユリウスの案内で村を一回りした後、シェムハザは単独で村の散策を行っていた。
「ひ、一人で出歩くのは危ない……」
ネロがシェムハザの前に現れて声をかけてきた。こちらも一人で、ヨブの報酬の戦士達はいない。
「ネロさんだって一人じゃなーい」
「俺はいいんだ。大人だ。だ、だが君は子供だ」
微笑みながら言い返すシェムハザに、ネロは真顔で答える。
「狼男の出るという村で、一人歩きなどしては駄目だ。お、俺が側にいよう」
申し出るネロ。
「でもネロさんにも仕事あるんでしょー?」
「子供を護るという仕事が……出来たな。それも重要な、し仕事だ」
「んー、すまんこ。私がネロさんに余計な仕事させちゃってるみたいで」
ネロが珍しく微笑を浮かべて言うと、シェムハザは謝罪した。
「構わん。そ、それに、た互いに目的が被っているなら、協力し合った方がよいかもな」
ネロが言うが、問題の解決の仕方までは違うのではないかと、シェムハザは考える。
そんなわけで、シェムハザとネロは二人並んで村の中を歩いていた。
「狼男の手がかり、どこかに無いかなーと思って探し回っているけど、全然見つからないんだよねー」
「そ、そうか。大変だ」
「ネロさん達はどうやって探すつもりだったのー?」
「むう……滞在していれば、そのうち事件が起きるのではないかと……」
シェムハザに問われ、苦しそうに答えるネロ。
「シェムハザの方が……俺達より真面目に働いているな」
「えへへへ」
と、二人で雑談を交わしながら歩いていると――
「おーい、シェムハザちゃーん」
昼間に会った丸々とした体型の中年女性のヘムナが、声をかけてきた。
「そちらの方は? 外から来た坊さんのようだね」
やってきたヘムナが、ネロを一瞥して尋ねる。
「んー、知り合い」
「ヨブの報酬のネロだ」
ネロが自己紹介するも、ヨブの報酬の存在をヘムナは知らないようだった。
「あんた、ユリウスさんに呼ばれたって聞いたけど、大丈夫だったかい?」
「んー? 全然平気だったよー。変人でもなかったしさ」
「おや、そうだったのかい。それなら安心したよ」
ヘムナが一瞬目を泳がせてから、にっこりと笑ってみせた。
その微かな挙動の不審さを、シェムハザは見逃さなかった。一瞬妖気が生じたことも見逃さなかった。
シェムハザが人工魔眼の機能を働かせて、ヘムナを解析する。
(この人……)
ヘムナが何者かまではわからなかったが、超常の領域に足を踏み入れた者であることが、この時点でシェムハザにはわかった。
「今、家でお菓子を作っている所さ。ほら、すぐそこにあるのがあたしの家。食べに来ないかい?」
「ありがとさまままー。御馳走になるねー」
ヘムナに誘われ、シェムハザは嬉しそうに応じる。
「お、おい、シェムハザ……や、やめた方がいい……」
ネロが身をかがめて、シェムハザの耳元に顔を寄せ、声をひそめて制する
(そっか、ネロさんも気付いているんだ)
流石と感心するシェムハザ。
「大丈夫だよー」
「いや、丈夫ではない。俺も同行する」
小声で告げた後、ネロはシェムハザと共に歩きだす。
「何だいあんたも来るのかい? この子だけ呼んだつもりだったんだがね。この子の保護者かい?」
ヘムナは不審げな視線をネロに送って、心なしか刺々しい声を発した。
「そ、そのつもりだ」
「え? そうなの?」
ネロが肯定し、シェムハザは目を丸くする。
「その……今だけ限定でな。うむ」
視線をそらして、心なしか照れくさそうな声音で言うネロ。
二人はヘムナの家に招かれ、お菓子を御馳走になった。
「あの子が生きていればねえ、あんたくらいの歳に死んじまったよ」
「あの子?」
「私より二つ年下の妹さ」
遠い目で語るヘムナ。
「ところでユリウスさんてどう変人なの? 変な風には思えなかったけど」
「ああ……変人というか偏屈と言った方がいいかねえ。素直じゃないというか、皮肉屋だし、村の者の多くが右と言えば、左と言い張るような、そんな困った人なんだよ。一部の人以外とも関わろうともしないしね」
シェムハザに問われ、ヘムナは苦笑気味に答えた。
「ネロ様ーっ! どこですかネロ様ーっ!」
「む……連れが呼んでいる。すまぬ」
ヨブの報酬の戦士の呼び声を聞き、ネロは家の外へと出る。シェムハザも続く。
「ど、どうした?」
「狼男が現れましたっ。それも二匹もっ」
ヨブの報酬の戦士が報告した。
「現在交戦中ですが、かなりの手強さですっ」
「行くぞ」
「私も行くー」
「そ、それは……いや、まあいい」
シェムハザまで来るのは危険なので、拒もうとしたネロだが、拒んでもこっそりついてきそうな気がした。そうなると余計にややこしい事態になりそうなので、拒否せずに、目の届く位置に居させた方がよいと頭を巡らせた。
現場につくと、狼男二人と、ヨブの報酬の戦士達が戦っていた。
ヨブの報酬側に犠牲者は出ていないが、負傷者は多い。一人が右脚を大きく負傷し、倒れて呻いていた。圧倒的な速度と膂力で暴れ回る狼男二人に、盾を構えて防戦一方になっている。
「下がれ」
ネロが狼男二人の前に進み出る。ヨブの報酬の戦士達はそれを見て、心底安堵していた。
それまではヨブの報酬の戦士達を圧倒していた狼男二人だが、ネロが相手となって、まるっきり逆の構図になった。ネロは素手で狼男以上の速度と怪力ぶりを見せる。殴り飛ばし、投げ飛ばし、吹き飛ばし、弾き返し、小気味いいくらいに、狼男二人は一方的に蹂躙されていた。
(やはりかなりの使い手ですね)
使い魔視点で戦闘の様子を見ていた嘘鼠の魔法使いが感心する。
シェムハザはというと、ヨブの報酬の重傷を負った者の治療にかかった。脚を負傷して動けなくなった者だ。
「ありがとう。まだ幼いのに手際がいいな」
「えへへへ、どういたしましてー」
礼と称賛を述べるヨブの報酬の戦士に、シェムハザは照れる。
(術を使わないでの治療は面倒だなあ。でもこの人達の前で術を使うと、私の正体もばれちゃう可能性大だし)
治療しつつ、もどかしく感じるシェムハザであった。
「ネロさん、殺さないで、戦闘不能程度に抑えられる?」
「む、難しい注文だが……何故だ? 情けをかけたところで、こいつらは人の世を蝕む魔物だぞ」
「でもその二人、人間だよー? 多分村人だろうし」
シェムハザの言葉を聞いてヨブの報酬の面々驚くが、ネロはあまり驚いていない。
「やっぱりネロさんは知ってたんだねー」
「ああ、そうではないかという推測はあった。しかし今はもう魔物だ。元には戻らんのだ」
「私の医術で、元の人間に戻せないか、試してみたいんだよねー」
「何だと……」
シェムハザの申し出を聞いて、ネロは驚いた。ヨブの報酬の戦士達もシェムハザの言動に驚愕している。
(やれやれシェムハザ……貴女という子は……大胆に動き過ぎです)
使い魔を通じて観察し、会話も聞いていた嘘鼠の魔法使いは、嘆息した。
「わかった。可能な限り、やってみよう」
ネロが言った直後、狼男の一人が飛びかかってきた。
「ふんぬ!」
ネロがカウンターで拳を繰り出す。狼男の頭部が粉砕され、血と脳症が飛び散る。
「しまった……。加減を誤った……」
顔をしかめるネロ。
もう一人の狼男が飛びかかってくる。
ネロは狼男の両腕の手首を掴んで動きを止めると、力を込めて手首を握り、そのまま両手首をへし折る。
狼男がひるんだ瞬間、脚を払って倒すと、両脚も踏みつけてへし折った。
「こ、これでいいか?」
ネロがシェムハザの方を向く。
「流石ネロ様……」
「強すぎる」
「味方ながら恐ろしい……」
どよめくヨブの報酬の戦士達。
「ありがとさままま。ちょっと私一人にして欲しいなー。秘密の方法を使うから」
「そ、それは出来ん……。き、危険だぞ」
「眠り薬を与えたから大丈夫だよー。痛みを与えても起きない凄い薬だよー」
これは嘘では無かった。
「わかった。な、何かあったらすぐ逃げろ。そして助けを呼べ」
「うん。わかった。ネロさんありがとさままま」
「うむ」
それからしばらくの間、近くの水車小屋の中でシェムハザは狼男を解析し続け、幾つかの事実がわかった。
「やっぱりねえ。予想通り。これなら私でも治せる」
呟いた後、シェムハザは狼男に向かって呪文を唱える。
「終わったよー。治したよ」
水車小屋の扉を開けて報告するシェムハザ。
「これは……」
小屋の中を見たネロが呻いた。手足に接ぎ木を沿えた包帯で巻かれ、藁の上に寝かされた男が一人。明らかに人間であり、明らかに自分がたった今交戦していた狼男であった。




