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嘘鼠の魔法使いはこっそりシェムハザの後を追い、ヴェルデの家の前まで来て使い魔を通じて様子を伺っていた。
シェムハザを助けようとも思ったが、ネロ達ヨブの報の戦士が先に飛び込んだので、使い魔視点で見届けることにする。
(彼等がシェムハザにまで手をかける可能性も……? いや……多分そうはならないでしょう)
あのネロという男は、幼いシェムハザを容赦なく殺すような真似はしないと思えた。
(念のためすぐに助けられる場所から監視しますか。この術は大変ですが)
嘘鼠の魔法使いは亜空間トンネルを作り、中に人工デーモン達を呼び出して待機させた。何かあったら、彼等を使ってすぐにシェムハザを助ける構えだ。
***
「ヴェルデちゃんっ」
シェムハザが倒れたヴェルデに駆け寄った。
悪魔の注意はヴェルデから、ヨブの報酬の戦士達へと移る。
赤、青、緑の光点をまた生じさせる。今度はこれまでの何倍もの数だ。そして放たれる色とりどりの光線の数も大量だ。
「ぐわっ!」
「ぎゃひっ!」
「ほんげーっ!」
たちまち数人の戦士達が光線で体を貫かれ、悲鳴をあげて倒れる。
「むんっ。ふんっ。ぬんっ」
立て続けに撃たれる光線を、ネロはその巨体からは想像しづらい軽快な動きで、尽く回避していく。避ける度に気合いの呻き声を漏らしていた。
光線を避けながら、ネロは悪魔に接近していく。
「無駄」
悪魔が目を細めて一言呟くと、ネロめがけて掌を開いた右手を突き出した。
水晶の壁が悪魔とネロの間に出現する。
だがネロは構うことなく突進し、水晶の壁めがけて正面から蹴りを繰り出す。
蹴りを入れられた瞬間、水晶の壁の表面が激しく波打った。
(力の分散作用があるのか)
水晶の壁の性質を瞬時に読み取るネロ。
「ていっ。とおっ。でやっ」
ネロがさらに三連続の蹴りを放ち、その度に水晶の壁が波打った。
悪魔は目を剥いた。水晶の壁の内側までもが波打ち、壁そのものが大きく変形しだしたからだ。
(限界はあるだろう。間を置かず――急激に強い力を叩きこまれたら、分散しきれまい)
ネロの計算通り、水晶壁は力を分散しきれずに歪み、そしてとうとう砕けた。
悪魔はすぐに平静を取り戻し、次の行動に移っていた。水晶壁が砕けたその瞬間に、ネロめがけて至近距離から衝撃波をぶつける。
「ぬっ……」
呻きながら体を大きくのけぞらせるネロであったが――
「ぬるいっ」
ネロがすぐに体勢を立て直し、悪魔に飛びかかる。
悪魔は再度驚く。普通の人間であれば、大きく吹き飛んでいた。ましてやこの至近距離であれば、全身の骨をへし折って内臓を複数個所破裂させる程の威力の衝撃波だというのに、ネロは倒れることすらない。
ネロが悪魔に掴みかかろうとしたが、悪魔の体は滑り落ちるようにしてネロの両手をすり抜けた。
「むう……」
今度はネロが驚きに目を見開く番だった。悪魔は四つん這いになった状態で、素早く横に移動して、ネロから距離を取る。
(滑った? 手応えは一瞬あったが、いきなり滑ったぞ)
ネロは気を取り直して、攻撃方法を改める。パワー系な見た目同様に、近接戦闘が得意なネロであるが、攻撃方法はそれだけではない。
「主の盟により来たれ。第十五の神獣、聖火の獅子王!」
ネロが叫ぶと、青白い炎がネロの前から噴き出した。いや、正確には、青白い炎をまとった青い獅子が現れたのだが、炎の勢いが強すぎて、獅子の姿は非常に見えづらい。
悪魔はここで初めて明確な恐怖を感じた。かなりとんでもないものを召喚されたと、蒼炎に包まれた青い獅子を見て、一目で直感した。
蒼炎の青獅子が悪魔に飛びかかる。悪魔は大急ぎで回避して、窓から家の外へと飛び出る。
ネロ一人か、蒼炎の青獅子一匹、どちらか一方とだけならまだ戦えるが、同時に戦闘となると勝ち目がないと、悪魔は踏んだ。そのまま一目散に逃走する。
外にいたヨブの報酬の戦士達が、悪魔にかけて矢を放つが、悪魔には全く当たらない。悪魔は人間離れした速度で駆け抜けていく。
「に、逃げたか。ご、御苦労だった。戻れ」
ネロが声をかけると、蒼炎の青獅子は炎と元に消滅する。
「ヴェルデちゃんっ、ヴェルデちゃんっ」
戦いが終わった時点で、シェムハザの悲痛な声が再びネロの耳に入った。血塗れで倒れるヴェルデに、シェムハザが泣きながら縋りついている。ヴェルデは目を閉じている。
「く、狂われ姫、悪魔に殺されたのか……」
ネロが悪魔を見て呻く。使い魔を通じて、ヴェルデと悪魔の交戦は見ていた。会話も聞いていたので、悪魔だということも知っていた。
ヴェルデが目を開き、自分に覆いかぶされるような格好のシェムハザの背に右腕を回すと、シェムハザの体越しにネロの顔を見上げた。
「あばばば……そーだよォ。しつこい追っ手さん。ま、そろそろ頃合いかなあとは思っていた所だわさ」
体を小刻みに震わせつつ、掠れ声で言うヴェルデ。
「シェムハザ……。あたしね……城を出てから、楽しかったよォ……。外の世界、色々見れてさァ……。シェムハザとも会えたしね」
左腕もシェムハザの背に回して、シェムハザに抱き着く格好になって、ヴェルデは告げる。
「でも……あたしの心は狂ってたから、死に取りつかれて……誰も彼も殺してやりたくてさ……。いっぱい人を殺しちゃった……。死に導いた……。あばばばは……それも楽しかった」
「うぐ……えっぐ……あうえぇ……」
ヴェルデが想いを口にしている間、シェムハザはただ泣きじゃくるだけで、何も言葉が出てこなかった。
「悪魔と結ばれた汚らわしき娘共め! 滅してくれん!」
そこにヨブの報酬の戦士の一人がやってきて、威勢よく叫びながら剣を抜いた。
「やめろ!」
ネロが怒号を発し、戦士は身をすくませる。
「ネ、ネロ様?」
「こ、この娘は悪魔に操られただけだ。こっちの娘は無関係だ」
戸惑う戦士に、ネロは有無を言わせぬ口調で告げる。
「シェムハザ……気を付けて……あんたは……悪魔に気に入られた……」
「私が悪魔に……?」
ヴェルデのその言葉に、シェムハザが一瞬嗚咽を止める。
「くれぐれも気を付けて……悪魔って奴は……人の弱った心に付け入るんだよね。心が弱った時……悪魔が狙って……」
「ヴェルデちゃん……。ねえ……そんなの嫌だよ……死んじゃ嫌だよぉ……駄目だよう……ヴェルデちゃあん……ううっ、うえぇ、ひぐっ……」
話の途中に力尽きたヴェルデを見て、シェムハザはヴェルデの体を強く抱きしめて、再び泣き出した。
「神よ。この哀れな娘の魂を救いたまえ」
ネロが祈りを捧げる。それを見て生き残ったヨブの報酬の戦士達も、ネロに倣って祈っていた。
しばらくしてからシェムハザは落ち着いた。
ネロ達と共に、ヴェルデの墓を作って埋葬する。その作業の間、シェムハザは悲しみにうなだれてはいたが、もう泣くことはなかった。
「き、君の存在が、こ、この子の救いになっていたはずだ……。この子の言葉を聞いて、俺にもわかった……」
埋葬を終えて祈りを捧げた後で、ネロがシェムハザに励ましの声をかける。
「だ、大丈夫だ。主は……この娘の魂をきっと救ってくれるはず……。主を信じるのだ」
「神様がヴェルデちゃんを救ってくれるなら……もっと早くに助けてよ。死なさないでほしかった。いや……ヴェルデちゃんを狂われ姫なんかにしないで欲しかったな」
ネロの言葉を聞いて、シェムハザは皮肉げな口調で言う。
「か、神を疑ってはならない……」
困ったような顔でネロが言った。
「どうして? ネロさんはそうは思わないの?」
「主の思し召しであれば、運命として受け入れるしかない。それが世の理なのだ」
「わからない……」
ネロの返答を聞いて、シェムハザは激しい反発心を抱く。何でも運命として片付けて済ませてしまえと、諦めてしまえば楽になると、そう言われているような気がした。
「き、君の家まで送ろう」
「ありがとさままま」
ネロの理屈には全く共感できないシェムハザであったが、ネロの人物には好感が持てたし、心を許すことも出来た。
***
シェムハザは帰宅すると、嘘鼠の魔法使いにヴェルデのことを全て話した。
「そうですか……せっかく出来た友達がそのようなことに……」
実は聞かずとも、全て知っている。ヴェルデの最期も、悪魔と名乗る者との戦闘も、ネロとの会話も、全て見ていたし聞いていた嘘鼠の魔法使いだが、知らない振りをしておく。
「可哀想に……。今日はもうゆっくり休みなさい。家事は全て私がしておきます」
「すまんこ、マスター。ありがとさままま」
優しく抱きしめる嘘鼠の魔法使いに、シェムハザは礼を述べながら強く抱き返した。
シェムハザの話は嘘鼠の魔法使いにとって、色々と興味がつきないものであったが、悪魔の来世まで通じる呪いとやらに、特に強い興味を抱いた。
(輪廻を越えて来世にまで力を及ぼす方法があるとしたら……私自身の魂に仕掛けもできないものでしょうか……)
その術式を作る試みをしてみようと、嘘鼠の魔法使いは心に決める。できればその悪魔を名乗る少年と接触し、彼の持つ知識を聞き出したいと考える。




