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その後も嘘鼠の魔法使いは定期的に人をさらってきて、怪しげな術や薬や魔道具の実験台にして、殺していった。
その作業の際には、シェムハザも必ず立ち会わせた。いや、手伝わせた。
シェムハザは人を実験台にして殺すことに、抵抗を持たないようだった。震えていたのは最初だけだ。その後は嘘鼠の魔法使いの言いつけに従い、何の躊躇いも無く作業の手伝いを行っている。
嘘鼠の魔法使いは宣言した通り、シェムハザに様々な学問を教授した。礼節、社会の仕組み、人付き合いや人間そのものについても教えていった。
街中を連れて行って、様々な職業があることを直に見せて回って説明した。仕事の合間に断りを入れて、親切な職人に直接仕事の内容を説明してもらうこともあった。
ある日のこと、嘘鼠の魔法使いはシェムハザが持つ恐ろしい能力に気付く。
雨が開けた日の朝の庭。シェムハザが地面を不思議そうに見つめている。
「どうしました? シェムハザ」
「この生き物……溶けているの?」
尋ねる嘘鼠の魔法使いに、シェムハザが地面の上の溶けかけたミミズを指した。
「ああ、ミミズは陽の光を浴びると次第に溶けていくのです。なので地中で暮らしていますが、雨の日は水が地中に染み込んでしまい、息が出来なくて苦しくて地面の外に出てきます。しかし雨が止んだ後、地面の中に戻り損ねたミミズが、太陽が昇った際に、そうして溶けてしまうのです」
「ふーん、可哀想」
嘘鼠の魔法使いの話を聞いて、シェムハザは同情の視線でミミズを眺めた後に、瞑目して祈った。
すると、溶けかけていたミミズが元に戻り、しかも陽の光の下でも蠢いている。
「何をしたのです……? 回復? いや、改造?」
「お祈りしたのー。ミミズが皆、陽の光でも溶けない生き物になるようにってね。お祈り通じたねー」
驚愕しながら問う嘘鼠の魔法使いに、シェムハザは笑顔で答えた。
「運命操作術……『悪魔の偽証罪』」
嘘鼠の魔法使いが呻く。限定的に世界の法則を書き換えて、新たな法則を作ってしまうという運命操作術の存在は、嘘鼠の魔法使いも聞いたことがあった。その使い手は有史に何名か存在したというが、言い伝えだけで、名は知られていない。
世界を創り換えた人間と、その光景を目の当たりにした当事者以外は、世界が創り換えられた事に、気付かない可能性が高い。書き換えられる前の世界も知らず、書き換えた後の世界の方を認識してしまう。世界中の人間の認識までも変えてしまう。
(この力が有れば、あの忌まわしいヨブの報酬にも……シスターの無敵の能力『運命切断』にも、抗することが出来るかもしれません。私が求めていた、世界の謎を解き明かす目的にも繋がるかもしれませんが……しかし……)
しかしこの奇跡にも等しい力には、凄まじい代償も伴うと聞いた。
この術を使用するとその反動によって、さらに一つ、全く預かり知らぬ所で世界が書き換えられてしまうという話だ。その反作用の書き換えは、誰にも認知できないものかもしれない。あるいは認知できることかもしれない。そして世に深刻な被害をもたらす事になる可能性もある。
(まるで神……いや、あくまでこの子は人です。例え神の如く力を備えていても、人は人のままです。そしてこの力が引き起こす代償も計り知れない)
嘘鼠の魔法使いからしてみても、興味はあるが、それ以上に恐ろしいもので、迂闊に手出しをしていいものではないという考えに至った。
「シェムハザ、その力はこれまでも何度も使ってきたのですか?」
「うん。でも絶対に祈ってその通りになるってわけでもないよー」
それはそうだろうと、シェムハザの答えを聞いて、嘘鼠の魔法使いは思う。条件は不明だが、祈って全てが思い通りに世界の法則が書き換わるようでは、それは完全に人を越えている。
「その力を安易に使ってはいけません。代償があるという話です」
「だいしょう?」
不思議そうな顔になるシェムハザに、嘘鼠の魔法使いは、この恐るべき運命操作術と、その反動が起こりうることを説明した。
「そっかー……私、代償で世界が知らない所で変わっちゃうことなんて知らずに、この力何度も使っちゃったよー。よくないことだったんだねえ」
「貴女の命に危険が及んだ時以外は、使わない方がいいでしょうね。そして使い所も見極めなければなりません。その力は、必ず思った通りに効果が発揮するというわけでも無いのですから」
ようは、世界の書き換え方の問題になってくる。今はミミズという生物の性質全てを書き換えたから救えた。しかしただ目の前のミミズが死なないように祈っても、救うことは出来なかっただろう。
「しかし痛快な力ですね。神に抗う力――世界の理を書き換える力とは。私が長い年月をかけて研究している、世の理の解明を、問答無用で一瞬でしてしまうのですから」
昼食を取りながら、嘘鼠の魔法使いは言った。
「マスターはどうして色んな研究をしているの?」
シェムハザが疑問を口にする。嘘鼠の魔法使いは魔法の研究だけしているわけではない。生物、医療、科学、考古学、様々な学問を学び、研究を行っている。
「私はこの世界の理に対して、人々を振り回す運命そのものに対して、激しく怒りを覚えているのですよ。私は世界の理を解き明かすことで、それに抗おうとしています。それが魔法だとか魔術だとか呼ばれ、人々から畏怖されているものです」
そう語る嘘鼠の魔法使いの瞳に宿っている異様な光を見て、シェムハザは思わず身震いする。
「シェムハザ、貴女は生まれつき目が見えないという枷を与えられました。理不尽な運命の枷です。しかし私が世界の理に立ち向かい、貴女に新しい目を作って与えたのです」
「でもマスター、私がマスターと出会ったのも運命だよー」
真顔で告げる嘘鼠の魔法使いに対し、シェムハザが笑顔で言ってのけた。
「それもそうですね」
嘘鼠の魔法使いも相好を崩す。
「例えば人はいつしか老いていきます。外見は醜くなり、体もいうことを利かなくなり、病にかかり、知能さえも低下していきます」
喋りながら嘘鼠の魔法使いは、己の師匠のことを思いだしていた。
「そしていずれ人は死ぬように出来ています。それが世界の宿命です」
「嫌だなー。どうしてそんな風になっちゃうの? 皆それで平気なの?」
表情を曇らせるシェムハザ。
「せっかく得た経験も、積み上げた思い出も、鍛えた力も、身に着けた叡智も、全部最後は無くなっちゃうなんて、私は嫌だな。ずっと持っていたい。ずっと今のままの自分でいたいよー」
シェムハザが口にしたこの時の発言と想いが、その後の彼女の決意と決断に繋がっている。その決断に後悔はしていない。しかし全く歪が無かったかといえばそうではない。全く苦痛が無かったわけでもない。長い年月を生きて、死の意味も何となく理解できた。死ねないことの苦痛もわかった。それでもなお彼女は生きる道を選んだ。
嘘鼠の魔法使いはシェムハザのこの発言に気を良くする一方で、あることを思いつく
「私達魔法使いは寿命や病に抗う力を持っていますよ。しかし私達選ばれた人間だけです」
再び嘘鼠の魔法使いの瞳が鋭く輝く。
「この世界は最初からあれやこれやとルールが決まっています。人は神がそう創ったなどと言いますが。それにしてもこの世にはどうにもならないことが多すぎますね。しかし人はそのどうにもならない不条理にも、抗うことができます。私はずっと抗い続けているのですよ。そしてそのうち、どうにもならないこと全てを、どうにかできればいいと、そんなことを考えています。気宇壮大な願望ですが、本気です。魔法は、いや――科学は、この世の仕組みを解き明かし、人が世界を変えるための術です」
そこまで話したところで、嘘鼠の魔法使いはシェムハザの頭を撫でる。
「貴女には才が有ります。私がこれまで解き明かした世界の秘密、貴女にも教えますよ。共に解き明かしていきましょう。世界の秘密を暴き、世界の秘密に干渉することで、世界を思い通りに動かすことこそが、魔法と科学の神髄なのですよ」
「うん。わかったー」
自分の思想を刷り込む嘘鼠の魔法使いに対し、シェムハザは何の疑いも無く嬉しそうな笑顔で頷いた。
「さてと、そろそろ買い物に行きましょうか」
「わーい。行こう行こう」
二人して買い物に出ようとする。
出掛けようとして、嘘鼠の魔法使いは思い留まった。
独特なデザインの僧服に身を包んだ数人の男が、道を歩いている。
(ヨブの報酬……とうとうこの町にも来ましたか。あるいは、ただ通りがかっただけかもしれませんが……)
「マスター? どうしたの?」
急に固まった嘘鼠の魔法使いを、怪訝な表情で見上げるシェムハザ。
「今日は街に出ない方がいいでしょう。事件に巻き込まれる可能性があります」
「どうしてそんなことわかるのー?」
「私には予知能力が備わっていて、断片的に未来が見えるからですよ。全ての未来を見通せるというわけではありませんけどね」
「えー、マスター、そんな力まであるんだー。すごーい」
感心するシェムハザだが、嘘鼠の魔法使いはあまり嬉しくなかった。生来のこの能力を、非常に疎んでいたからだ。
(そして……愚かにも自分の未来も見てしまいました。この運命は、果たして変えられるものかどうか……。いや、変えられない時の保険を、今から準備しておかないと。正確には保険というより――)




