二つの序幕 思い出の旅への導き
嘘鼠の魔法使いの前には、ティムが呼び出した単眼の巨人バロールがいた。
御頭と獣之帝の二人がかりでも屠ることが叶わなかった。かなりの強敵だ。しかしもう大分弱っている。
嘘鼠の魔法使いが杖を回すと、杖より光るルーン文字が幾つも飛び出し、杖の動きに合わせて嘘鼠の魔法使いの周りを回転する。
光るルーン文字がバロールめがけて一斉に飛来した。同時に吹雪が吹き荒れる。
元々獣之帝による吹雪で冷やされた体が、さらに冷やされる。バロールは目を閉じて倒れた。
決着はついた。しかしせっかく呼び出されて、自分の意思で動けるこの機会を、嘘鼠の魔法使いが見逃すはずもなかった。
「まだ時間の余裕があるのですから、出来得ることをさせていただきますよ。まずその一つとして、真、貴方に見せてあげましょう。私とシェムハザの記憶を。御頭が口にする、残酷な真実を」
(やはりと思っていたが、また勝手なことをしだして――しかし……)
嘘鼠の魔法使いの言葉を聞き、真は怒りを覚えたが、同時に思った。その真実を知りたいと。
「しかしこれは貴方も知りたいことでしょう? 私がここで教えなくても、いずれは知ることです。私がそれを早めてあげますよ」
(ッ――!?)
頭の中に大量の記憶が一気に流れ込み、真は声にならぬ絶叫をあげる。
その記憶は全て正しいのかどうかわらかない。明らかに嘘鼠の魔法使い以外の視点もある。
(これは……おかしいぞ。お前が見ていない、知らない記憶も混ざっている……。雪岡の視点まである。お前の捏造……あるいは妄想じゃないのか?)
喘ぐような苦しげな声で、真が疑問を口にする。
「記憶の捏造でも妄想でもありません。それは私が死ぬ前に、来世の魂に伝えるために集めた記憶の断片です。私には予知能力もありましたが、それと同系列の能力として、見えぬ所で起った記憶映像も集めることが出来たのです。最近ではサイコメトリーなど呼ばれている能力ですね」
嘘鼠の魔法使いが真の疑問に答える。
「私が縁の大収束を人為的に引き起こして、強く、縁のある魂を周期的に集めた理由も、私とあの子のあの輝かしい日々も、私とあの子の望みも、望んだ理由も、これで全て知ることが出来るはずですよ」
何も無い空間に向かって微笑みかけながら喋る嘘鼠の魔法使い。
圧縮された記憶が真の頭の中に全て蘇る。短い時間の中で、凝縮された時間が弾けて高速で流れる。
やがて嘘鼠の魔法使いの姿が消える。元の真の姿に戻る。
膝をついて空を仰ぐ真の双眸から、とめどなく涙が零れ落ちる。
「希望じゃないだろ。それは呪縛だ」
真は涙をぬぐい、天を仰いだ格好のまま呟いた。
(残留思念の癖に、我を持って、意志を持って、僕と同じ魂でありながら……僕の魂と肉体を媒介にして、僕に逆らう……。僕を乗っ取って好き勝手する。最悪の存在だと思っていたが、真実はそれ以上に……嗚呼……確かに残酷だな……)
全てを知った真の胸の内を、悲しみと怒りとやるせなさが渦巻いている。ともすればそれは、真を絶望の奈落へと引き込もうとしたが、真は踏み止まった。
「どうしたんだ? ダメージが残っているのか?」
いつの間に近くにやってきた勇気が、真を案ずる。ここでようやく真は我に返り、天を仰ぐポーズを解いて、勇気の顔を見た。
「いや……何でも……無い。大丈夫だ……」
「大丈夫だと? 顔が真っ青だ。どう見ても大丈夫じゃないぞ」
「疲れただけだ……」
憔悴した顔で言い、真は立ち上がった。
(今日は帰ってゆっくり休んだ方がいいぜィ)
真の頭の中にみどりの声が響く。真はみどりに対しても怒りの感情を抱きかけた。
(みどり……お前は全部知ってたのか?)
必死に平静を保ちつつ、真はみどりに尋ねた。例え知っていたとしても、悪意があってそれを秘密にしていたわけではない。みどりなりの考えがあるのだろうということも、真にはわかっている。
(最初に真兄の魂の正体を覗いたその時から、嘘鼠の魔法使いから聞いて、全部知ってたさァ。だからこそあたしは真兄に付き合ってるんだよォ~。みどりの口から全てを教えるのも躊躇われたんだよね)
(そうか……それはみどりも辛かっただろう。秘密にしていることが……)
そう考えると、真にはみどりを責める気にはなれない。
(イェア、真兄もデリカシーの本読んだ効果がちったあ出たかなあ)
(それとは関係無く、それくらいの気遣いは出来る)
茶化すみどりに、真は頭の中で微笑みかけながら告げた。
***
世界は楽しいことでいっぱいだと思っていた。毎日笑って無邪気に遊び惚けていた。
しかしある日唐突に、世界は暗黒に包まれた。その日、その時間を境に、彼の世界は一変してしまった。
彼が住む村を襲った悲劇は、どこにでもあることだ。村は野盗に襲われ蹂躙し尽された。幼い彼は両親によって籠の中へと隠され、事なきを得た。もしこの時、野盗達が籠に興味を示していたら、世界の歴史は大きく変化していただろう。
外では悲鳴が交錯する。彼は耳を塞いで、家族の無事を必死に祈る。
静かになってから籠の外に出て、祈りは届かなかった事を知る。自分をたっぷりと愛してくれた両親は、血塗れの無残な屍となっていた。村の他の者達も大半が殺されていた。
時間を戻して欲しい。こんな運命は無かったことにして欲しいと、彼は痛切に思い、神に願った。必死に訴えた。だがその一方で、彼は気付く。この残酷な運命を与えたのもまた、神なのだと。
何とか逃げおおせて、生き残ったわずかな村人達の世話になり、彼はその後も生きることが出来た。しかし彼はもう笑わなくなった。いつも暗い目で、言葉も発さなくなった。彼の人生観は大きく変化していた。
「嘘吐きの鼠の話を知っているかね?」
村を訪れた老人が、彼に声をかけた。
「調子のいいことばかりいって、人々をおだてて良い気にさせて、色々なものを貢がせる鼠がいた。鼠の嘘は日に日に酷さを増していき、とううとう神への祈りも放棄させた。それほどまでに鼠は口が上手かった。ある日人々は鼠が嘘吐きだと気付いたが、もう遅かった。鼠の正体は悪魔だったのだ。人々は神の信仰を失った罰を受けて、呪われ、生きながらにして何も感じられない、虚無の地獄へと落ちる事になった」
中折れした三角帽子に、だぶだぶのローブという、奇妙な格好の老人の話を聞いて、彼は不快感を覚える。
「変な話。神様を崇め続けないと、罰せられるのか。じゃあ僕も罰せられるの? 僕は村が襲われてから、神様なんて信じていない」
淡々と語る彼に、老人は膝をつき、顔を寄せてにっこりと微笑んだ。
「神様は信じなくていい。神様は世界の理を秘密にしている。私はその秘密を解き明かす者だ」
老人はそう言って彼の肩に手を置く。
「君は才が有る。私がこれまで解き明かした世界の秘密を、知りたくは無いかね? 私にはもう時間が無い。託せる者をずっと探していた」
彼はこの老人の誘いに乗って、共に村を立ち去った。
老人と過ごしているうちに、彼の心にも光が戻ってきたが、それでも彼の中の闇が完全に晴れることは無かった。




