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勇気達が木島の合体巨木と接触してから、四日が経った。
グリムペニス日本支部ビルでは、グリムペニスのトップ層達が、国内外で起こった変化に目を光らせている。
木島の里から戻ってきたその日から、幾つかの注目すべき報告はあった。二日目には明らかにそれらしき報告の数が数倍に増え、三日目にはさらに数倍に増えた。これはあくまで判明した限りの報告であり、実際の発生件数はより多いと見られる。
初日と二日目は、関西中国地方が多かったが、三日目には日本全国に及んでいる。そして四日目の今日には、日本以外でも発生報告が入るようになった。
「ぐぴゅう……着実に感染が拡大中だぞ」
『浸蝕の拡大と言ってもいいな』
集まったデータの数々に目を通しながら、史愉とミルクが言う。
「もうデータを見る必要は無いんじゃないか? 十分にわかっただろ」
ホログラフィー・ディスプレイを大量に投影して、熱心に報告のチェックを行う史愉とミルクに、勇気が尋ねる。
「あたしはおおまかな感染速度をまとめている所だぞ。発生件数や、拡大している場所から、最終的にどの程度の規模になるか、予測も立てられるぞ」
と、史愉。
『最終的には全世界に及びそうな勢いだぞ、これは。最初は花粉から始まり、そのうち人から人への飛沫感染に移行している。常に潜伏している状態だから、発見はしづらいだろうし、まさか細菌感染によって、超常の力が発現するなんて、誰も思わんだろうな』
「それを発表しなくていいのでしゅか?」
ミルクの話を聞いて、シュシュが尋ねる。この問いはもうすでに何度目かになる。
「公表してもパニックになるだけですね。しかし隠匿しようとしても、それも無理があります。自然と広がることでしょう」
宮国が言う。超常の力を発現させて起こったと思われる事件の報告は、たった四日の間に、日本全国だけでも三桁に及んでいる。
「勇気君の体は別段異常無いようですね~」
勇気の診断書に目を通した男治が言った。
「ぐぴゅう。黒アルラウネも摘出したし、純子が他に何か仕掛けているとは考えにくいぞ」
史愉が複雑な表情で勇気を見やる。
「史愉の分際で俺を気遣ってくれているのか? お前にもそんな心があったんだな。褒めてやる」
「何言ってんスか。君はあたしの大事な研究対象だから、気遣うのは当然だぞ」
皮肉る勇気に、史愉も皮肉り返す。
「文字通り俺が蒔いた種だ。俺に責任はあるし、全力で事態の収束を図る。絶対にこの借りは返してやる」
黒アルラウネに寄生されていた際、自分の心の奥底にある衝動を抑えられず、純子の思惑通りに動いてしまったことを、勇気は恥じている。酷い屈辱だ。思いだすだけで怒りが湧きおこる。
「意気込むのはいいが、事態の収束するにあたって、解決策は何も思いつかないぞー。無理があるぞー」
憮然とした表情になって史愉が言った。
「何だよ、あっさりお手上げか?」
「馬鹿言ってんじゃねーぞ。あたしが今何してるのか見えないの?」
からかう勇気に、史愉が怒りを孕んだ視線を向ける。
「純子の好き放題させることは断じてムカつくぞ。君こそ口であれこれ言うだけで何もしてねーぞ」
「俺が動くタイミングになったら動く」
史愉に言い返され、勇気は真顔になって言った。
「取り敢えずはサボっていた国家元首としての仕事を再開だな」
***
木島の里から戻ったデビルの話を聞いて、犬飼は不思議に思った。
「何でそれを止めようとしたんだ?」
犬飼に問われて、デビルは理由を話す。
デビルが純子の望む世界を嫌がることは、犬飼にとって意外だった。犬飼は純子のやることを面白がっている。もし本当に世界をひっくり返すような変化があったとしたら、それは絶対にお目にかかりたい。そのイベントを楽しみたいと思う。
「俺とお前の間での違いかな。デビルは世界が今のままである方がよかったんだな。秩序を自分の手で部分的な破壊することは良いが、誰かの手によって全ての秩序をひっくり返すことは望まないわけだ」
「最初はそう思った。僕も否定的だった。でも今は違う。雪岡純子の計画は、現段階では良いとも悪いとも言い切れない。判断がつかない」
犬飼の言葉を聞いて、デビルは否定した。もしかしたら純子の手によって変えられた世界の方が、自分にとっては良い世界になるかもしれないという可能性も、考え始めている。
「ま、俺のことは気にせず、お前のやりたいようにやれよ……と言いたい所だが、言われずともそのつもりだろうし、純子の計画は阻止できなかったからなあ」
「執着はしない。もう済んだこと」
デビルが瞑目して言い切る。目を閉じると、顔が完全に真っ黒になってしまう。間近で見れば顔の隆起もわかるが、少しでも離れるとわからなくなってしまう。
「つまりは、世界が変わるなら、それに合わせるまでってことか」
犬飼の言葉に、デビルは頷いた。
「そうだな。切り替えが肝心だ。デビル、その切り替えをすぐに出来るってだけでも、えらいことなんだぜ? そいつが出来ない奴も多い。ま、状況によりけりだがな」
犬飼もどちらかというと執着せずに、素早く切り替える性格だが、それは元からそうだったわけではない。むしろ昔は非常に執着する性格であり、だからギャンブルにもハマった。ギャンブルから離れる時には、性格が変わっていた。
***
その日、珍しく鈴音は一人で行動していた。
スノーフレーク・ソサエティー本部ビル最上階の政馬の私室に、鈴音一人で訪れる。
「鈴音一人で来たの? 珍しいね。おかしいね」
「この前だって私一人だったじゃない」
笑顔でからかう政馬に、鈴音も微笑み返す。
「いつも勇気とセットだったし、そうでないのは珍しいよね。何かあるの?」
しかも自分に一人で会いに来てくれたということが、少し嬉しいと感じる政馬。しかしその一方で、勇気と離れて一人で会いに来た理由を勘繰ってしまう。
「特に深い理由無い。勇気はこの国の支配者になって……そっちの仕事する時は、私を必要とすること、少ないから……」
寂しそうな表情になって言う鈴音。
「勇気は表面上こそ強がっているけど、今回の件が堪えているみたい」
「あのさ、酷いこと聞くかもだけどさ、鈴音はそうなるって予想しなかったの? そうなるっていうのは……勇気が黒アルラウネに操られて、純子の思惑通りに行動するってことね。鈴音は止めようと思えば止められたよね? 止めようとは思わなかったの? あ、責めてるんじゃないよ。責めるつもりは無いよ」
鈴音の言葉を聞いて、政馬はその質問が酷かもしれないと思いつつも、ぶつけずにはいられなかった。
「言いたくないことかもしれないけど、鈴音の気持ちを聞いておきたい。僕にはわからない。何で止めなかったのか、知りたい」
無言でうつむき加減になる鈴音。その仕草を見て、鈴音が口にしたくないことだということはわかったが、政馬はそれでもなお言った。
「この前……勇気が言ってたでしょ? 勇気は政馬の気持ちもわかるって。でも私には……わからない。勇気の気持ちも……政馬の気持ちも……わかるようでいてわからない。だから逆に……止められなかった。勇気の気持ちもわからないのに、ここで……私が止めていいのかなって思って。わかっていても止めようとしなかったかもだけど」
たどたどしい口調で申し訳なさそうに、鈴音は自分が勇気を止めなかった理由を述懐する。
「でもね……。勇気に本当の願いがあるのなら、叶えてあげたいのが、私の願いでもあるの」
そこまで喋って、鈴音は顔を上げて、政馬を見た。
「勇気はさ、ずっと他人のためばかりに生きてきたもん。たまには勇気自身が望む気持ちを叶えさせたいって、私が思ったから……邪魔したくなかったんだ」
「そっか……」
鈴音の心境を聞いて、政馬は納得した。そうした想いがあった鈴音を責めるつもりにはなれない。
ただ、鈴音の前で口にはしないが、もし自分がその場にいたら、何が何でも勇気を止めにかかっていたとも思う。その方が全てにおいて正解であったと考える。
「えっと……その、ごめん。鈴音にとって言いたくないこと? 言いづらいことかな。それを無理矢理言わせちゃってごめん」
「ふふん。政馬は昔からいつもそんな風に強引だし、気にしないよ」
謝罪する政馬に、鈴音は悪戯っぽい笑みを浮かべた。




