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フリーで名が売れている始末屋の多くがそうであるように、月那美香も複数の住居を持つ。居場所を特定されるのを防ぐ目的もあるが、仕事の関係上においても、一番近い場所を拠点にできるという利点もある。
何よりも、裏だけではなく表にも顔を持つ者にとっては、表の仕事からの切り替えにも便利であった。
現在、美香が身を置いている住処は、経営難で潰れた小さな喫茶店だった。
雑居ビルの三階にあり、綺麗に清掃はされているが、内装は未だに喫茶店のそれである。住み心地はいいものではないが、安楽市内にある事と、依頼人を直接招くには適しているという考えで、美香が活用する頻度が最も高い住処となっている。
「すまんな! わざわざ住み込みでガードしてもらっているにも関わらず、そんな場所で雑魚寝させてしまって!」
複数繋げ合わせたソファーへ身長2メートル越えの長い体を横たえた芦屋黒斗に、美香は感謝の言葉を叫びつつ、茶を入れる。
「ここ、風呂が無いのが難点だなあ」
黒斗が身を起こし、美香に入れてもらった茶を頂く。
「後で一緒に銭湯に行こう!」
「銭湯で済ましてるのかよ。ていうか俺、銭湯とか行くのはちょっとなあ……。こんな格好だしさ。公衆便所だってなるべく行かないようにしてるくらいなんだぜ」
タイトスカートの裾をつまみあげて、苦笑する黒斗。
「銭湯はいいものだぞ! ああいう日本的情緒ある分かと伝統は守っていかねばならん! 守るためには利用せねばならん!」
「行くならなるべく人のいない時間に頼むよ。女湯に乱入する事態も考慮はしておいてね。職務としての護衛だから、そうなっても文句は言うなよ」
「いやらしい気持ちが無ければ致し方なし! 守ってもらう立場で文句など言わん!」
「場合によっては銭湯の壁破壊して男湯から女湯に乱入とか、マンガみたいなこともしなくちゃならないから、そういう事態だけは絶対起こってほしくないけどね」
微笑を浮かべ、口調は冗談めかして言う黒斗だったが、実際に入浴中にに襲撃があったら冗談ではなく実行するつもりでいるし、美香にもそれはわかっている。
「とはいえ、奴が来るとしたらやはり次のライブの時の方が、可能性が高――って、誰か来たみたいだな」
店に上がる階段に仕掛けられた隠しカメラに目をくれる事もなく、黒斗は来訪者の存在を察知して告げた。美香がモニターを見ると、階段を上がる真の姿が映し出されている。その両手にはそれぞれビニール袋が握られている。
「差し入れだ」
店内に入った真が、美香と黒斗の前にそれぞれ別々の袋を置く。
「サンクス! おうっ、ケーキがあるな! それにレタス!」
「ケーキとレタスってどういう組み合わせよ」
歓喜の表情を浮かべてレタスとケーキを掲げる美香に、黒斗が突っ込む。
「知らんのか! レタスは私の好物だ! 何でも巻ける! 何とでも組み合わせられる!」
「俺の差し入れはこれかよ……」
袋の中からオイル缶を取りだし、黒斗は表情を引きつらせた。
「サイボーグだからメンテナンスに必要なんじゃないかと思って」
「気遣ってくれたのかもしれんが、嫌がらせの冗談としか思えないぞ。大体このオイル、自転車に注す奴じゃないか……」
真面目に答える真に、呆れきった様子の黒斗。
「サイボーグの事情なんてわからないし。とりあえずオイルがNGだってことはわかったよ。でも――」
「相手の事情がわからない場合はね、確認してからすべきだからね。相手を不愉快にすることもあるし、見当はずれな場合もあるからね」
真の口調を遮り、説教モードに入る黒斗。
「でも霧崎は、芦屋の体は特定の部分に定期的にオイルが必要だって言ってたぞ。どんなオイルでもいいからって。僕もそれを聞いて前もって情報として仕入れたうえで買ってきたんだ。冗談でやってるわけでも、当てずっぽうでやったわけでもない」
真が口にした霧崎とは、日本が世界に誇れないマッドサイエンティスト三狂の一人、霧崎剣の事を指し、黒斗を改造した人物である。
「それはそうだけど、その必要なオイルは俺も持ち歩いてるし、自転車のオイルは勘弁して欲しい所だ。体の中に入れるものだから、気分的によくない。やっぱり相手にちゃんと確認すべきだぞ、そういうのは」
「わかったよ、悪かったよ」
黒斗に真摯な口調で諭されて、真は素直に謝る。
「それより、ちょっと言いにくい話があって来た。美香はもちろんのこと、芦屋にも聞いてほしい。芦屋ならまあ……事情を汲んで協力してくれそうだしな」
椅子に座り、言いづらそうに話を切り出す真。
「おう、困った事があればいつでも言いにこいと言ってあるしな。でもお前が堂々と相談したいというのも珍しいし、気になるな」
黒斗が腕組みしてじっと真を見据える。黒斗にとって、真や美香はこれまで面倒見てきた弟分妹分のような感覚だった。
「美香が狙われている原因はどうやら僕みたいだ」
「何で!?」
思いも寄らなかった真の言葉に、美香は驚愕した。
「ついこの間、僕と懇意にしていた女が殺された。巻き添えで死んだのかと思ったが、そうではない。彼女を殺した奴が、昨日は雪岡を狙撃した。しかも美香を狙ったあの谷口陸と雪岡が出会い、ドンパチしている最中に、谷口を助ける形でな。これで関連性が無いわけがない」
「共通するのは、全員お前の周囲の人間という事か。つまり、お前個人への恨みで、お前を苦しませるために、周囲の人間から殺していく、と?」
黒斗が冷静な口調で訊ねる。
「間違いなくそうだ。昔もそんなことがあった。僕と親しい人間は全部危険だ」
「つまり私はこの先延々と狙われるのか」
叫び声を控え、真を責めるニュアンスを絶対に込めないようにと気遣ったつもりで、低く抑えた声を発する美香。
「黒幕を突き止め、倒さないとそうなるな。そしてそれが何者なのか、僕は知らない。僕も知りたいけどな」
美香の方を向いて真は言った。
「谷口陸の裏に誰かいると?」
黒斗が訝しげな面持ちで問う。
「そんな気がする。あいつが僕の復讐相手とは思えない。そういうキャラにも見えない。それに以前だって全く姿を見せなかったんだ。それが突然、あんなにも堂々と出てくるとも考えにくい」
「確かに谷口は、時折しっかりとしたヴィジョンを定めて行動していた。やはり……背後に誰かがいて操っているという可能性もある、か」
顎に手をやり、黒斗は思案する。
その時、真の懐が震え、真は携帯電話を取りだした。
『シスターの来日する日が決まったわ』
相手は『ヨブの報酬』のエージェント、杜風幸子だった。




