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「ねね、今更こんなこと言うのも何だけどさあ」
純子はジュデッカに声をかけた。
「私がミハイルさんを殺したこと、怒ってるのかな?」
ジュデッカが貸切油田屋の創設者ミハイル・デーモンの師であることも、純子は知っていた。
「別にぃ。今更……今このタイミンクで、そんな質問することには、ちょっとイラッとくるけどなー」
冷笑を浮かべて答えるジュデッカ。
「ミハイルさんのことも陰から操ってた?」
「多少は干渉することもあった。持ちつ持たれつな時期もあった。敵対したこともあった。付き合い長くて、まあ色々とあれだ。お前ならわかるだろ。お互いにクソ長生きしている身なんだしよ」
「んー……ちょっと不思議には思っていたんだよねえ。ミハイルさんの目指していた理想って、ジュデッカ君とは全く相容れないものだと思っていたからさー」
「なるほど……」
純子の言わんとしていることを、ジュデッカは少し理解した。
「ミハイルは自分好みの場所を手に入れた。ある程度は理想の世界を創った。それは良かったよ。俺の嫌いな世界ではあったが、俺が面倒見てやったあいつが、自分の望みをかなえたのはいいことさ。だがよー、何でだろうねえ。ああいう立場になった人間てのは、どいつもこいつもパターン通りになっちまうっていうかさー……」
そこまで喋った所で、ジュデッカが渋い顔になる。
「カタブツになっちまうのか、それともカタブツだからあんな立場になりたがるのか。とにかく、どいつもこいつも、融通利かなくて、つまんなくて、人ではない――そう、ロボットじみた感じになっちまうんだよ。シスターは比較的マシだけど、あれもわりと……な」
喋りながら、ジュデッカは政馬を見る。
「こいつは――政馬は俺が見た限り、俺の基準じゃあ丁度いい塩梅だ。だから与した。こいつの理想になら乗ってもいいと思えた。面白そうだしな」
「ありがと、ジュデッカ」
ジュデッカの言葉を聞いて、政馬が嬉しそうに微笑む。
「純子、お前はまだ理想を叶えていないが……理想を叶えちまった後の俺の立場から言わせると――ミハイル、それにシスターなんかを見た限り、そのな……あまりいいものじゃねーぞ。俺は虚しくて仕方がなくて、自殺しようとも何度も考えたもんさ。政馬と会って息を吹き返したけどな」
「いつまで無駄話してるんよ。ひょっとして時間稼ぎ?」
季里江が不機嫌そうな顔で口を挟む。
「時間稼ぎなら、わざわざここに出て来なくて、引きこもっていればよかったと思うよー」
純子が季里江の方を見て言う。それもそうかと季里江は納得し、馬鹿なことを口にしたと自分でも思った。
「勇気はここにいるの?」
我慢して黙っていた鈴音が、純子に冷ややかな視線を向け、硬質な声で問いかける。
「いるよー。まだ用事があるから、しばらく私が預かっておくよ。ちゃんと無事に返すから安心して」
「殺したと見せかけて誘拐した時点で、そんなこと言われても信用できないよ」
純子が笑顔で告げるが、鈴音がもっともな理屈ではねのけた。
「勇気は取り返す。貴女はやっつける」
鈴音が確固たる決意と共に宣告すると、己の爪の間に針を刺した。
「パラダイスペインっ」
純子を睨みつけて、いつもより深く――どころか、針が爪の根元を突き抜けるまで突き刺して、能力を発動させんとする鈴音。
「あ、あれれ?」
能力を発動させたつもりの鈴音であったが、発動していなかった。何故なら――
「失敗しちゃ……痛たたたっ」
「うぷっ!?」
鈴音が痛がると、タイムラグがついてパラダイスペインの能力が発動して、純子のいる場所に大爆発が起こって、壁と天井と床が吹き飛ばされた。爆風は啓太をも吹き飛ばし、スノーフレーク・ソサエティーのメンバーがいる場所にもわずかに届く。
「何だ? 今のは。失敗したとか言ったらいきなり爆発したし」
「いや……痛くなかったから……」
ジュデッカが問うと、鈴音が気まずそうに言った。
「僕の推測。鈴音は怒りのあまり、アドレナリン出ちゃって、痛み感じなかったんだよ。鈴音の能力は痛みをエネルギーに変換するものだからさ」
「なるほど」
「ううう……気を付けないと……」
政馬の推測を聞いてジュデッカは納得し、鈴音は頭を抱えた。
「啓太っ、大丈夫っ?」
爆風に巻き込まれて倒れた啓太に駆け寄る政馬。
「馬鹿政馬っ! そいつはまだ敵じゃんよっ!」
季里江が目を剥いて叫ぶ。政馬は自分の陣営に引き入れると決めたが、啓太はそれを了承したわけでもない。大したダメージではなかったら、迂闊に近寄った政馬を攻撃してくると危惧した。
啓太が目を開ける。覗き込む政馬に対し、ここぞとばかりに攻撃するようなことはしなかった。気怠そうな表情で、口から微かに血を流している。
「啓太、血が……」
「内臓から血が出ているわけじゃないみたいだ。口の中切っただけだ」
案ずる政馬に、掌で口元の血をぬぐって言う啓太。
「でも内臓にも損傷はあるかもな」
啓太が言いつつ、仰向きになった。天井か壁か床か不明だが、どこかの破片が啓太の腹に突き刺さっていた。
(死相はこれ? 私が殺す運命だったの?)
意図せぬ事故に、愕然とする鈴音。
「政馬っ、逃げろ!」
ジュデッカが怒鳴り、政馬も攻撃の気配に気づいた。
起き上がった純子が放った電撃が、政馬のいた空間を薙ぐ。政馬は間一髪の所で避けていた。
(惜しいなあ。霊魂を電脳空間に送って、政馬君を捕獲するチャンスだったのに)
純子が微笑みながら思う。政馬は政馬で、捕獲できたなら実験台として色々楽しめると考えていた。いや、政馬だけではなく、ここにいる全員に対して同じ認識だ。
純子は体のあちこちから血を流していた。鈴音の攻撃がちゃんと効いている。オーバーライフは多くがその名の通りの如く、強い再生能力を持ち合わせているが、純子は再生能力が極めて乏しい。自身の肉体が所持できる力を、他に振っている。
ジュデッカが壁沿いに移動してから、槍を突く動作を何度も行う。突撃が転移して、純子をあらゆる角度から襲ったが、純子も転移して避ける。
純子はジュデッカの目の前に転移していた。ジュデッカは別段驚きもしない。空間の歪みによって、ジュデッカも純子が自分の前に転移してくることは察していた。
「舐めんな」
至近距離で槍を振るうジュデッカ。しかし純子は軽く避けて、さらに前方へと踏み込んで、ジュデッカとの間合いを詰める。手を伸ばせば簡単に届く距離まで迫る。
(近接戦闘でこいつとは分が悪い。そんなこたーわかってるさ)
オーバーライフ間では、純子は様々な能力を有しているが、特に近接戦闘には長けていることで有名であったし、ジュデッカも承知済みで、あえて接近した状態での交戦を望んだ。
そしてジュデッカは二つのことを計算していた。一つは、壁沿いに移動して、壁を背にしたため、転移してくる方向は三方向に絞られるということ。もう一つは、ジュデッカが移動した場所のすぐ近くに転がっているもの。
「アアアアァァーッ! アーッ!」
ジュデッカと純子のすぐ横で倒れていた狂乱ベルーガおじさんが、甲高い鳴き声をあげながら、勢いよく立ち上がった。立ち上がると同時に、純子に横から掴みかかった。
(ナイスタイミングだ。雅紀。よく見ていてくれた。そしてよく動かしてくれたぜ)
ジュデッカがほくそ笑み、狂乱ベルーガおじさんを動かした雅紀に、心の中で称賛を送る。ジュデッカは狂乱ベルーガおじさんが倒れているこの場所に、純子を誘導していたのだ。
しかし純子は狂乱ベルーガおじさんの存在を視界内に収めていたし、意識していないわけでもなかった。ジュデッカが誘導している事にも気付いていた。知っていてなお、引っかかってみた。
掴みかかってきた狂乱ベルーガおじさんの体を、純子も掴む。そして勢いを利用して体を入れ替える。純子とジュデッカの間に狂乱ベルーガおじさんが挟まれる格好になる。
純子が狂乱ベルーガおじさんめがけて至近距離から衝撃波を放つ。吹き飛ばされた狂乱ベルーガおじさんの体がジュデッカに直撃し、二人揃って倒される。
「糞っ」
あっさりと純子に見抜かれ、いなされてしまったことに腹が立ち、ジュデッカは毒づきながら身を起こした。
その瞬間を狙いすましたかのように、純子が間合いを詰めてジュデッカの顔を掴んだ。
「ちょっと寝ててね」
純子がジュデッカの顔を掴んだまま耳元に顔を寄せて囁くと、ジュデッカの顔がぼろぼろに崩れていく。原子分解したのだ。
「寝るどころじゃないだろ……」
雅紀が呻き声で突っ込む。ジュデッカがこの程度で死なないことは知っている。
「さて――」
純子が倒れている啓太と政馬に視線を向ける。啓太は目を閉じ、意識を失っていた。
「皆手出ししないで」
ゆっくりと啓太と自分のいる方向に歩いてくる純子を見て、政馬は制止をかけた。純子の意図が読めたからだ。
「何も言わなくてもわかるのは、流石政馬君と言ったところかなあ」
純子が褒めつつ、啓太の元でかがみ、腹部に刺さった破片を引き抜くと、傷口に手を突っ込んだ。
「はい、縫合完了っと」
立ち上がる純子。血塗れだった手から、血が瞬く間に蒸発する。
純子が啓太を助けたのは、単に死なせるには惜しいと思ったからだ。彼の能力も知っていた。
「よかった……」
安堵する鈴音。啓太の死相も消えていた。
「ありがと、純子。ヤマ・アプリ、独房」
政馬が礼を述べると、感覚遮断能力を純子に仕掛けた。
「抵抗できるかな? 測定不能なまでに罪業の大きな純子自身が、僕の力の源になるからね。いや、言葉の使い方が変か。純子の積み上げた悪業が僕に力を与え……」
得意げに語る政馬であったが、その言葉は尻すぼみになった。純子にかけて能力が、いともたやすく無効化されたからだ。
「大きすぎる力には、抵抗して抗おうとするのは悪手。でも抵抗するだけが全てじゃないんだよ。解析と解除が基本の……」
「ヤマ・アプリ、拘束」
純子が喋っている間に、政馬が別の力を用いるが、やはり純子には効かない。
「ヤマ・アプリ、刑務作業」
「もう無理だよ。見切ったから」
ムキになって力を用いる政馬に、純子は苦笑混じりに告げた。
「むむむ……」
「んー……政馬君はあまり強い相手と戦闘したことないのかな? こういうハメ系の術や能力ってね、流石に千年以上も生きてきていろんな能力者と遊んでると、パターンとかわかっちゃうんだ。加えて、オーバーライフは大体デフォで解析、解呪の力を持ってるし、これまでのパターンの記録から読み解けばいいだけの話なの」
諦めて悔しげに睨む政馬に、純子は笑顔で解説する。
「その手の能力は、弱い相手だけにやる方がいいよー。たまにいるよねー。ハメ系の力しか使えない子。その能力が破られたり効かなかったりしたらどうするのー? ようするにハメ系の能力ってさあ、バレたら困る嘘ついてるのと同じなんだよ」
(なるほど、一理あるじゃん)
(あの政馬が手も足も出ないなんて……)
純子の話を聞いて季里江は感心して納得し、雅紀は慄いていた。
「私は科学で解明できないものなんてこの世に無いと思ってるし、あーすればこーなる的な、そんな漫画みたいな絶対的な能力なんてのも信じないんだよねえ。理詰めで封じようとしても、理は解き明かせる。ま、最後にものを言うのは――」
「最後にものを言うのは、単純な力だよね」
純子の台詞に自分の台詞をかぶせると、鈴音がカッターの刃を己の口の中に入れて、唇の裏をゆっくりと切り裂く。
鈴音のパラダイスペインによって生じた不可視の力場が、純子の体を真上に弾き飛ばし、天井に叩きつける。
「あ痛たたたた……効いた~」
天井に叩きつけられた直後に、元いた部屋の中に転移して、うずくまる純子。
「部屋の中に逃げたわ」
季里江がすぐに純子の転移先を察知して告げた。
「政馬。ショック受けてないで戦って。政馬だってヤマ・アプリで、純粋物理攻撃も出来るでしょ」
「まあね……」
鈴音が力強い声で促すと、政馬は照れくさそうに笑って頷いた。




