19
「真、ちょっと」
タスマニアデビルより研究所に戻った真が、自室に入ろうとした所に、蔵が声をかけて呼びとめた。
「純子からは口止めされていたが、君には教えた方がいいだろう」
心なしか神妙な面持ちで、意味深な言葉を口にする蔵に、真は悪い予感を覚える。
「さっきな、純子が狙撃されて頭部を撃たれた状態で帰ってきた。ここで治癒したがな」
蔵の告げた言葉に、真はまだ無表情であったが、心臓が大きく跳ね上がり、一瞬全身を硬直させていた。
「脳を破壊されても生きていられるだけでも凄いが、それでも無敵というわけではないようだ。いや、それよりも言いたいことは――」
「あいつを撃つことのできる程の奴がいるってことか」
ぽつりと呟き、怒りと覚悟と殺気が入り混じった表情があらわになる真。それを見て蔵は息を呑む。
「君がそんな顔をするとはな」
行き場の無い殺気を撒き散らす真に気圧されながらも、それを指摘するニュアンスを込めて蔵は言った。真も蔵のその心遣いを察し、いつもの無表情に戻り、名も知らず顔も見えない誰かに向けられた殺気を収める。
「あいつを守るだけの力と強さを備え、いざという時に守るつもりでいたけど、その前にあいつを傷つけられるだけの敵が現れたってのは脅威だな」
純子がバイパーに傷つけられた事に対しても怒りを覚えたが、脅威とは感じなかった。
「守ると言っても、純子と四六時中行動を共にするわけにもいくまい」
柔らかい口調でたしなめる蔵。
「詳しいいきさつはわからんが、純子がわざわざ気遣って口止めするくらいだ。言っちゃ悪いが、君の手に余る存在だという判断ではないかね?」
「あんたに言われるまでもなくわかってるさ。だから頭にくるし、そう判断された事が悔しい」
「さらに言わせてもらえば、力も頭脳も君が及ばない所にいる純子の身を案じるのではなく、信じておいた方が、気が楽だぞ」
「随分とキツい言い方してくれるなあ。さっきから……」
一瞬だが微苦笑をこぼす真。無意識に表情が出た事を悟り、自分でも驚く。
「うむ。いつだったか君に無能呼ばわりされた仕返しだと思ってくれ」
「覚えてたのか」
頭の中で微笑む自分を想像する。これこそ今のタイミングで無意識に出したい表情だったと、真は思う。
「まあ、自分でも決して有能と言えないのはわかっていたがな。破竹の憩いも鎬がキツい組織だった。弱小組織に落とさず、中堅組織としての体裁を保つだけで精いっぱいでな。日々ストレスを募らせていたし、今から考えればどうしてあんなことを――と笑ってしまうようなヘマばかりしていたな」
「蔵さんも蔵さんなりに足掻いてたんだろ。僕も足掻いてる最中だ」
「うむ。だから君の気持ちもわかる。私は身の丈を弁えずに高望みをしすぎて組織を失った。君も己の力量の出来うる範囲を無理して越えようとすると、身を滅ぼすかもしれないと、そう言いたかった。まあ……こういうことを話すのは苦手で、うまく伝えられないが……」
「十分だよ。でも、一応話だけはしてくる」
蔵に軽く会釈し、真は自室に入るのをやめ、純子がいそうな部屋へと向かった。
三つ目の扉を開け、中に純子の姿を確認する。ソファーに寝転がって前世紀の特撮を鑑賞していた純子が、一時停止をかけて真の方を向く。
「おやー? 私が撃たれたこと、蔵さんに教えてもらって来たのかなー?」
「口止めしてもバラすとわかってたなら、口止めなんかする意味無かったんじゃないか?」
悪戯っぽく微笑みながら訊ねる純子の言葉に対し、真は頭の中で微笑み返す己の顔を思い浮かべて問い返す。
「私が無意味や無駄なことして楽しむのは、真君も知ってるでしょー? 無意味から意味が生じることだってあるし、わざと穴を開けておくドキドキ感もいいものだよお? 相手に華を持たせる意味もあったりするしねえ」
「撃たれたのもわざと隙を作って楽しんだのか?」
真の問いに、純子の微笑みが苦笑へと変わる。
「撃ってきた奴に心当たりは?」
「それ以前にタブーの谷口陸君に襲われたのは聞いたかな?」
「いや……」
「彼がどうして私を狙ってきたのかもわからないよねー。美香ちゃんの次に私。いや、わからないって言ったのは嘘。推測ならできるよ。私を撃ったのは別の人だけど、多分仲間なんじゃないかなー」
「お前がそんなことになるなんてさ……。杏が殺され、美香も狙われ、今、お前まで狙われている。これはやはり、そういう事なのか? まるであの時と同じだ」
純子の話を聞いて、真の中で一つの答えが導き出される。
「三人目で……ようやくわかった。そうとしか思えない。偶然だとは思えない」
真の声は微かに震えていた。純子から視線を外し、うつむき加減になって押し黙る。
(でも、彼女の仕業だとしても、私まで狙うかなー? 彼女の性格を考えると有り得ないし、配下の制御が利かなくなってると考えるのが自然だろうねえ。真君の読みは、半分は当たってるけど、もう半分は微妙にはずれって所かな。それはともかく、真君に何て言ったらいいかなあ。うーん、悩む)
沈黙が流れる中で、純子は考えを巡らす。
「あのねー、真君。私は今まで何も触れてこなかったし、これからも多分触れないし、真君が何をしようと邪魔もしないけど、ちょっとこれだけは言わせてほしいかなあ」
言いづらそうに、回りくどい前置きを置く純子。
「私は君を鍛えてやるニュアンスも含めて、真君といつもゲームしてる。それは今突然始めてもいいし、何も私から開始しなくてもいい。君の方から始めてもいい。私を気遣う必要なんてないよ。私が望まないことがあるとして、それが何であるか真君に見えたら、遠慮なく私の望まぬことを実行すればいいじゃなーい」
「触れてこなかったし触れないというのは、僕が憎むべき相手のことだよな?」
真の問いに、純子は微笑みを張り付かせたまま無言だった。だがその無言が、すでに答えになっている。
(邪魔もしないし、遠慮もしなくていいってことは、僕に復讐をしろと言うことだな。一方で望まぬことを実行しろという台詞は、こいつはそれを本心では望んでないってことか)
さりげない台詞の中に、純子の本心が見え隠れしていた事を真は見逃さなかった。
「話が途中からズレたな。お前を撃った奴のことを聞きたかった」
「何も教える気はないよー? 知りたければ自分で調べてねー。もちろん、手出しするのも止めないしね。止めても聞かないでしょ?」
純子は真の心を完全に見透かしていた。純子に深刻な痛手を与えるほどの力を持つ者に、身の程を考えず挑まんとする真。だからこそ教えない。だが一方で、止めるつもりもない。
(これまた同じだ。僕の気持ちを尊重して邪魔はしないが……僕の身を案じるから望みもしない、と)
そう考えて、真は悔しくて歯噛みする。そしてまた自然と感情が表に出た事にまた驚き、情緒不安定になるとそういう傾向になるのかと勘繰ってしまう。
「ま、正直言うと私にもよくわかんないんだよ。初めて会う人だったしさあ」
言いつつ純子は背後を意識した。その意識の流れは真にも見てとれたが、純子の後ろに、何も変わったものは見受けられない。
「僕じゃ勝てない相手だと、はっきり言わないんだな」
「勝負なんてやってみるまでわからないよー。状況だの時の運だの、いろんな要因もあるんだしさ。ゲームと違って、ただの数字のぶつかり合いじゃないんだよ? あれ? ひょっとして真君、私に心配してほしいのかなー?」
「いや、僕的には嬉しかった。でも最後の一言でカチンときた」
「いやいやいや、こんな軽口程度でキレることは……」
純子の言葉が終わる前に、真はさっさと部屋から出て行った。
「んー、どうもあの子の機嫌を損ねるポイントって、掴みづらいんだよねえ。もう何年も一緒にいるのに」
己の背後を意識しつつ、純子は頭をかきながら声に出して言った。




