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「冗談じゃ……ありません。僕が一番……行きたくないような場所……じゃないですか」
夕食前、純子は累にライブのチケットを見せて、美香からライブの誘いがあった事を告げたが、累は露骨に嫌そうな顔をして拒絶した。
「んー、やっぱり?」
いつもの白衣とボーイッシュな服装の上にさらにエプロンをかけるという、見る人によっては奇天烈に映る格好で夕食を作りながら、純子が微苦笑をこぼす。累の反応は、その場の誰もが予想していた通りの代物だった。
とはいえ、全く声をかけないでおくのも仲間外れのような形になるので、一応声だけかけてみたのである。
「薄幸のメガロドンでは散々でしたしね……。いろいろと……。もう……しばらくは、静養したいです。そっとしておいて……ください……」
「刺激があった方がいいだろ。引きこもり状態を抜け出す手助けにもなると思って、連れだしたのに、ショックでまた休むとか、そんなこと言ってたらキリがない」
明らかに自分にあてつけた抗議だと意識し、真が言い返した。
「ふわあぁ~、二歩進んで一歩分休むとかなら、少しずつ前進になってるよぉ~」
累へのフォローのつもりと、真をたしなめる両方のニュアンスをこめて、みどりが口を挟む。
「こいつは静養している時間の方が圧倒的に長いだろう。つまり一歩進んで、三歩進める時間休んで、たまに二歩下がるようなもんだ」
「ひどいです……。もういいです……」
真の物言いにかなり気を悪くしたようで、真を恨みがましく一瞥したかと思うと、累はふくれてぷいと横を向いた。
「ふわぁ……御先祖様、半ベソかいていじけちゃったよぉ~。駄目だよ、真兄ィ~。ああいうのはさァ、赤ん坊あやすつもりでもっと優しく優しく接してあげないとさァ」
「んー、みどりちゃん、それ追い打ちになってるからさあ」
純子が微笑みながら突っ込み、みどりは舌を出す。
「僕のことを……ってのは、全て口実だったじゃないですか……。結局真は、自分のために僕を利用しただけですから……」
「何だ、気付いてたのか」
そっぽを向いたまま抗議する累に、あっさりと認める真。それを聞いて、ますます累は不機嫌になる。
「でも別にいいだろう。お前のことだって真面目に考えていたぞ。それに、利用されたとか、されないとか、そんなことは僕と雪岡の間じゃあ、しょっちゅうだしな。いや、雪岡と僕の関係とは違うか。利用云々という言い方や解釈の仕方がそもそも駄目だ。ついでだから協力してもらったと受け止めろ」
一応累のことを気遣い、真なりに累をなだめようとする。
累も真がなだめているつもりであるのはわかっていたし、さらにはそのなだめ方が、とんでもない強引さを発揮しているので、いじけている事が次第に馬鹿馬鹿しくなってきた。
「私もいつも真君には、ついでだから協力してもらってるだけなんだけどなー」
「合意の確認が無いという部分が決定的に違う」
おどけた口調の純子に、速攻で否定する真。
不意にポケットの震えを確認し、真は携帯電話を取りだす。空中に画面を映すと、何者からかわからないメールの着信があった。
(非通知?)
訝りながらメールを開き、書かれていた内容を見て驚いた。
「ちょっとこれ、見てくれ」
料理の手が離せない純子の方へと歩いていき、空中に画面を投影して見せる。みどりと累もキッチンの方へと向かい、画面を覗き込んだ。
『明日の月那美香のライブは危険。月那美香の命を狙う者有り。相当な手練れ。メールは消去希望』
そこに書かれていた文を読み、みどりが微かに目を細め、累は真顔になる。純子だけが、興味深そうに微笑を浮かべていた。
「美香ちゃんの所にもこのメール、行ってるのかな? それにしても真君の所に来るっていうのが、いろいろと不思議だよねえ」
「ああ」
「それと、そのメール自体が何かの罠って可能性もあるしねー。いろんな方向から考えた方がいいよー? 心当たりはきっとどこかにあるはずだよー」
「ああ」
突然の事案発生を面白がるように喋る純子と、無表情に相槌を打つ真。
真には全く心当たりがない。自分や美香とどういう縁のある人物で、どうしてその事を知って、何故事前に警告を発したのか。純子は罠かもしれないと言うが、わざわざ危険を告げる形で警戒させる事によって、何を狙っているのかなど、情報量が少なすぎて全く見当がつかない。
「美香姉の方が恨まれてるって事なのかなァ? 真兄にメルするってこたー、真兄のこと直接知ってる人で、裏通りの住人だろうし、明かせない事情があるって事だし、探るのはわりと容易じゃね?」
と、みどり。
「あいつはあんな性格だから友達も少ないしな。考えられるのは美香の弟とその周囲か」
身も蓋も無いことを言うと、真は確認のために、月那美香の弟である月那瞬一にメールを送ってみる。
『明日折り畳み傘が必要か?』
誰かに捕らわれている可能性もあるので、文章は当たり障りの無い世間話を偽装して、それでいて今のメールを送ったか否かを確かめる代物にした。
すぐに返信は来た。
『突然何言ってるの? 誤爆? ていうか明日は晴れでしょ』
「ハズレだ」
返ってきたメールの文章を見て、真は言った。当たりならば、それとなく合わせた文章にしてくるはずだ。だが返信内容は、どう解釈しても関連性の無さそうな代物であった。
「こいつが違うとなると全くわからない。僕の携帯の番号を知っている者全員に当たってもいいけどさ。たとえ僕を知らない奴でも、番号知る方法だってあるし」
情報組織『オーマイレイプ』に依頼すれば、裏通りの住人の携帯番号など、簡単に調べがつくだろう。特に真のような有名人なら猶更だ。
「でも真君を御指名なんだから、絶対に真君を知っている誰かだよー。愉快犯の悪戯って可能性もあるけどさあ」
「お前とかな」
「いくらなんでも私は、友達の大事な晴れの場を台無しにするような、そんな悪趣味さは無いしー」
「わかってるよ。冗談だ」
笑顔で否定する純子に、真顔で言う真。
(へーい、真兄、不安~? 普段真面目な人が冗談言うのって、あまりよろしくない精神状態だっていうよぉ~?)
真の心の中に直接声が響く。
(不安は無い。例え不安が生じても、踏み殺して、覚悟を決めて臨む)
声の主に視線を送ることなく、心の中で言葉を紡いで返す。
(上っ等。みどりもいるから御安心だぁね。美香姉のこと守ってやろうぜィ。純姉だっているしさァ、誰が美香姉のこと狙ってんのか知らないけど、とんでもない相手に喧嘩売ったってこと思い知らせて、後悔させてあげようよぉ~)
(累は除外か)
心の中で微笑む自分の顔を思い浮かべる真。これも全てみどりに見られているはずだが、みどりに自分の心の中を全て見抜かれてしまうことは、すでに覚悟済みだし、何とも思わないようにしている。プライバシーなど無きに等しくなることを承知のうえで、真はみどりと精神を常時繋げる事にしたのだから。




