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その男はかつてハイジャックによる派手な渡米を行ったが、帰国時は変装して偽造パスポートまでこしらえて、ひっそりと日本に戻ってきた。変装と帰国の手筈は、彼がアメリカで所属していた犯罪組織が全てやってくれた。
「半年ぶりの日本か」
かつて大暴れした空港のターミナルにて、さして感慨も無さそうに、ニットキャップをかぶった男が呟く。その双眸は歩く時も閉じたままだ。
青年はおもむろにニットキャップを外し、さらには変装用のカツラもとって無雑作にゴミ箱に捨て、変装用のメイクも落とすためにトイレへと向かった。
その後ろ姿を一人の少女が心もち呆れたように見ていた。空港内にはカメラも多く、ここで変装を解いてしまったら騒ぎになる可能性もあるというのに。
「由紀枝、飯食いに行くぞー。空腹値がそろそろやばい」
「せめてここで食べるのはやめない?」
由紀枝と呼ばれた少女はため息まじりに、トイレから戻ってきた長身の青年をたしなめる。
「ああ、また忠犬ポリ公が沸くか。本当糞ゲー。好きな場所でゆっくり食事もできないなんてさ。仕方ない。別の場所に行こう」
青年と由紀枝はターミナルに繋がる駅へと降りていく。
「丁度アメリカの方でカタがついた時に百合からの呼び出しか。続けざまにメインクエストするのはいいけど、もう少しインターバルが欲しかった。サブクエストもやりたかったし」
椅子に座って電車を待ちながら、青年は隣にいる由紀枝に話を振る。由紀枝は空中に動画を投影しつつ、ヘッドホンから流れる曲を聴き入っていたが、青年の声も聞こえていた。
「メインクエスト中は通行人とか殺して遊びづらいしなあ。すぐ忠犬ポリ公が駆けつけて来て、クエスト進行どころじゃなくなっちゃうし」
「陸の居場所がバレたら、何もしなくてもすぐに警察来るんじゃない?」
「しつこく追い回してくるのは芦屋くらいだろ。他は俺のレベルが上がりすぎたせいで、騒ぎを起こさない限りは絡んでこない」
由紀枝の指摘を否定しつつ、青年は由紀枝の見ている動画を覗き込む。映し出されていたのは、あるミュージシャンのライブ映像だった。
「こいつはプレイヤーなのかな。それともプログラムなのかな。微妙な所だ」
化粧気の全く無い十代の美少女が、真剣な面持ちで熱唱している姿を見て、青年は訝る。いや、実際には見えてなどいない。動画を出している事だけはわかる。そこに如何なる人物が映っているかも、ヘッドホンから洩れる音でわかる。しかし青年には見えない。
「私、月那美香の歌すごく好き」
由紀枝が言った。
「歌詞がありきたりすぎるというか、直球すぎるのがちょっとあわないかな。でも声や曲は俺も好きだよ。どんな顔しているのか実際に会わないとわからないけどさ。映像が見られないバグ、いい加減直らないかな」
彼は目を閉じていても、周囲の空間にあるもの全ての形を視る事ができる。どこに何があって、どんな形をしているかまで、完全に把握できる。そのため、物に当たることも躓くこともない。
ただし、画像や映像の類はわからない。本も読めない。光を認識できず、色もわからないので絵も見えない。判別できるのは立体だけである。よって、直に見たことの無い月那美香とやらがどんな顔をしているか、わからなかった。
「月那美香を殺すのはやめてほしいかな。もしプログラムだとしても。殺したらもう歌聴けなくなっちゃうよ?」
由紀枝の訴えは切なる響きはなく、世間話程度のトーンであった。どうせ彼は殺すとなったら殺す。非常に気まぐれなので、気が変わればラッキー程度なお願いだった。
「そういうことになるね。でもクエスト内容がそうなっているし。さて、どうしたものか」
青年が思案しているうちに、電車がやってきた。
「やっぱメインクエスト進行させよう。そうすればあいつらとも会えるかもしれないし、そっちの方がちょっと楽しみなんだ。いや、いっそ俺から会いに行こう」
「あいつらって?」
電車に乗りながら由紀枝が訊ねた。青年の気は変わらなかったが、落胆はしていない。
「キングのオリジナル。そいつと、サイモンの弟分だか後輩だかも、一緒にいるっていう話だし。俺が百合の話にのった理由は、その辺なんだ。ひょっとしたらそいつらもプレイヤーかもしれないしな」
微笑をたたえ、青年は言った。
***
「裏通りのルールを破ったり表通りでいきすぎた犯罪を働いたりすれば、中枢に目をつけられて処分される。だが中枢の精鋭をも退け、中枢が目を付けた裏通りの強者の暗殺依頼すらはねのけ、中枢が匙を投げるほどの超危険人物達、タブーと呼ばれる存在になる」
安楽警察署刑事課裏通り班室にて、梅津光器は部下の松本完に向かって語る。
「過去、タブー指定された奴は二十人以上になる。でもな、そのうちの十五人は芦屋に始末されている。そして現存しているタブーは四人。そのタブー指定された奴がのうのうと生きているのは何故かわかるか?」
梅津の問いに、松本は首を横に振る。
「理由は二つある。一つは、実際の所はそんなに悪い奴でもないって話だ。バイパーがいい例だな。あの八つ裂き魔――掃き溜めバカンスに所属していた睦月ってのも、タブー指定されてからは一切殺しをしていない。それどころか雲隠れだ。こっちは謎が多いがな」
睦月に関しては警察が手出しを躊躇う事情があった。それも本来なら許されないであろう、極めて私的な事情――警察内部の者の身内が、睦月と同じ組織に属しているという理由で、タブー化する前の逮捕が見送られ、暗殺依頼が出された雪岡純子にまず任せる方針となっていた。
だが雪岡純子は失敗し、警察官の身内の者は殺されるという最悪の事態を引き起こした。その後警察は睦月の行方を追ったが、その日を境に睦月は何処かへと消えてしまった。以前のような惨殺事件も、一切発生しなくなった。
「もう一つは、さっさと始末した方がいい糞野郎ではあるが、逃げ足が早くて捕まえる事ができねーっていう、こちらの面子丸つぶれな理由だ。同時に、芦屋でもない限り迂闊に手出しできないほどの力の持ち主でもある」
「そいつを追って、芦屋先輩はアメリカに?」
「ああ、半年前にハイジャックまでやらかして日本を出て、アメリカで『戦場のティータイム』の構成員になり、瞬く間にナンバー3にまでなりやがった。芦屋はFBIの要請があって、奴を始末しにわざわざアメリカまで行ったが、失敗した。んで、そいつが日本へ戻ってくるって話なんだわ」
忌々しげに梅津は言う。そのタプー指定された男が行った事と、今後また日本で行うであろう事を考えると、警察官らしい犯罪を憎む気持ちがふつふつと滾ってしまう。
「それで芦屋先輩も帰国するわけですか。ていうか、芦屋先輩ですら失敗してるんですか」
「芦屋曰く、逃げ足だけは早い――だそうだ。実際芦屋も捕まえられないんだから、他は余計にお手上げだわな。しかし奴ほど危険でふざけたサイコパスの糞野郎は他にいないし、断じて放っておくわけにもいかねえ。視界に入って、ただ気に入らないという理由だけで、人を殺すような奴だ。老若男女関係無くな。母親の見ている前で、赤ん坊を笑いながら何度も蹴り飛ばしていたっていう逸話まであるぞ。警官が駆け付けた時、母親はボロボロの肉塊となった我が子を顔に押し付けられた状態で、犯されていたんだとよ」
梅津の話を聞いていて、松本も気分が悪くなってきた。
「何でそんなとんでもない奴が野放しなんですか……」
「だから言ってるだろ。捕まえられないだけだ」
苛立ちを露わにして吐き捨て、梅津は煙草を口に咥えた。
「谷口陸――最悪のタブーと呼ばれている奴だ。いい加減どうにかしたい所だがな」




