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最後の演説を終えたみどりが舞台裏の控室に行くと、幹部四名が迎え、そのうち三人が興奮しきった顔で拍手を送った。
「素晴らしい演説でした。今までで一番素晴らしかったですっ」
感極まって涙までにじませて称賛するエリカ。
「全くだ! 我々一同、今この時まさに、地球上で最大最強の幸福感を味わっているであろうことは疑いようもない!」
ありったけの力をこめて拳を握りしめ、武者震いしながら伴が叫ぶ。
「へーい、本当のエクスタシーはこれからでしょ~? あたしのやることは皆を焚き付ける事だから。この後みどりがすることっていったらせいぜい警察のお相手くらいだけど、皆はこっからが本番なんだからねー」
「わかっている! わかっているとも!」
みどりに言われ、武者震いしたまま不敵な微笑みを浮かべた所で、不意に犬飼と目が合う伴。
「おい犬飼っ。一人だけ斜に構えてないで、お前も少しは褒めたらどうだっ!」
「こんな大事な日に、ボディーガードの二人が見えないのはどういう事だろうね。おかしな話だ。今みどりに何かあったら一大事なのにな」
伴の言葉を全く取り合わず、全く関係の無い話を振る犬飼。その言葉の不可解さ不穏な響きに、浮かれていた幹部達に緊張が走る。
「大丈夫だよ~。今日は大丈夫」
根拠の無い言葉だけが、みどりの口から出た。しかし伴とエリカはそれで納得した。教祖の言葉を疑うなど、有り得ない話だ。
「では行くぞ! プリンセス! 貴女には感謝しかない!」
深々と頭を垂れる伴。
「これでお別れですね。私も……感謝の気持ちでいっぱいです。他にうまい言葉が見当たりません」
それに習うかの如く、エリカも丁寧にお辞儀をした。
「気張ってくるんだよ~。演説でも言ったけど、みどりの心は皆の心と一緒にある。そう、文字通りの意味でね」
いつもの歯を見せての笑顔で、伴とエリカは送り出された。
一方、グエンは何も喋らず、暗く沈んだ面持ちで、少し離れた場所にいた。
「どうしたんだ?」
犬飼が声をかける。伴とエリカはみどりの演説に興奮する余り、グエンの様子がおかしい事に最後まで気が付かないままだった。
「そっとしておいてあげて」
みどりが柔らかい口調で言う。
「バイパーにも言われたじゃん? ぎりぎりまで悩むといいよ~。まだ決行まで時間はあるんでしょ?」
「うん……」
小さく頷き、グエンも舞台裏を後にした。
「本当に……現実になってしまったな。俺のあの冗談が」
みどりと二人きりになった所で、犬飼が語り出した。
「字面での小説を断筆した俺が、リアルの小説を創り出す事にした、一作目がこんな凄い形になるとはね。ストーリーの概要しか考えてないし、大した事はせず、勝手にキャラが動き出していった感じだがな」
「ふわぁ……黒幕と言うには、説得力足りなさすぎるよねえ、犬飼さん」
「何だ、やっぱり知ってたのか」
みどりの言葉に、苦笑して肩をすくめてみせる犬飼。
「解放の日を立案したのは犬飼さんで、それを広めたのも犬飼さんでしょ? 別に心の中覗いたわけじゃないよ。ちょっと考えりゃわかるって。他にいないもんよ」
解放の日はみどりが思いついて計画した事と、信者達は信じているが、事実は違う。みどりが思いついたのではない。勝手にどこからか沸いて出てきた話だ。それが犬飼の仕業であろう事は薄々気が付いていたが、確認したのは正に今だ。
「俺達は共犯者。そうだろう?」
「応。もちろん、そーよ」
犬飼の言葉を受け、みどり歯を見せて笑い肯定する。
発端こそ犬飼であるが、みどりは解放の日の存在を否定することも無く、その勝手に広まった噂話に乗りかかる形で、解放の日に全てを解き放つように煽り、似たような心を持つ社会から外れた者達を集めてまわった、言わば実行者だ。
「ただ、一つだけ聞きたいかな~? 何でこんなことしようと思ったのぉ~?」
「メギトボール好きなんだろ? あれと同じことやってみたい願望もあるかなーと思って、命を使った花火あげしてみようと思ったんだ。お前もきっと楽しむと思ってな。ああ、別にお前のためにだけやったんじゃないぜ。俺が楽しむためにやった。創作意欲も戻るかなーという期待もあったし。紙の小説の方のな。だが、その後はあいつらで勝手にお前の教義を信じ、破滅と熱狂の復讐を望み、臨んだのさ」
「犬飼さんとは付き合い長いけどさァ、いまいち考えてる事がよくわかんないな~。頭の中覗けば一発だけどさァ。でも、普段こうして喋ってる時も、あまり感情とか流れ込んでこないんだよね~。強い気持ちとかは、みどりの意思とも無関係に、みどりの中に入ってきちゃったりするけれど、犬飼さんはそれがほとんどない。心閉ざしてる感じだよぉ~」
みどりの指摘を受け、犬飼は照れくさそうに微笑む。
「そーだなー、俺がこう見えて恥ずかしがり屋だからじゃないかなー。俺が物書きだからか、考えている事とか絶対に悟られたくない。大スランプになって創作意欲さえ失せてしまった今でも、完全に物書き辞めたわけでもない。うん……俺はリアルの人間の動きと、物語を求めるようになったから余計、冷静な観察者でいたい」
「ふええぇ、なるほどぉ~。スランプになっちゃった事も、本心では引け目に感じているし、苦しいわけか。でもそんな苦しさ自体も、人には知られたくないって事か~」
その時初めてみどりは、犬飼の心に触れた。犬飼の感情がどっと流れ込んできた。
「執筆望んでいる俺のファンに対しても悪いと思っている事とかもな。うん、ただの照れ屋だな。まあそれは置いとくとして、俺はリアルを動かして物語を創る事で、小説家としてのモチベを取り戻せるんじゃないかと思ってね。それの実践をしただけの話だ。この宗教テロの結末でその望みがかなうかどうか、とくとごろうじろって所かね」
隠していた本心を話してすっきりした気分になり、犬飼はいつになくさわやかな笑みをひろげて、舞台裏を立ち去った。
***
「どうなってやがんだ、畜生」
安楽警察署刑事課の裏通り班部屋にて、煙草の煙を吐き、渋面で毒づく梅津。部屋には梅津と新人の松本完を含め、三名の警官しかいない。他は全て出払っている。
「武田先輩の方は無事みたいです。やられたのは薄幸のメガロドン前で張っていた連中だけみたいですね」
松本が携帯電話を切って報告した直後、また梅津の携帯が震えた。
「遅え」
相手の名を見て、さらに毒づく梅津。今頃状況の報告があっても後の祭りという意味を込めて。
『やべーよ。あたしの知らねー間に、解放の日の前倒しとか計画してやがったよ。幹部だけでこっそり準備進めてて、今日の朝早くから信者集めて、教祖が大演説して実行に踏み切ったらしいわ』
電話の相手は麗魅だった。
「そのようだな。教団施設前で張り込んでいた連中が一人残らず集団マインドクラッシュされてるぞ。機動隊も含めてひどいもんだ。起きながら悪夢にうなされてパニくり状態で、何しでかすかわからない危険な状態になっちまってるから、それを取り押さえるために、貴重な人員割いている有様だ」
苛立ちに満ちた口調で、警察サイドの状況を述べる梅津。
「お前は何やってたんだ。もっと早くに報告できなかったのか?」
『いや、寝てたし。つーか、早くに報告しても教団前の連中はどーにもできなかったんじゃない? どっちにしろ教祖の能力は防げなかっただろ』
麗魅の指摘は正しいと思ったが、それだけで済む問題でもない。
「教団前に配備していた連中の異常に気が付くまでの間、時間がロスしちまってる。信者の動きもこっちからはわからんぞ」
『もう多数の信者達が出ていっちまったよ。残ってるのは解放の日に不参加の信者だけじゃないかね』
心の中で最悪だと呻き、思わず梅津は天を仰いだ。
「やっぱり、始まっちまっているようだ」
電話を切り、松本ともう一人の警官に向かって梅津は言った。警察側もすでにその前提で動いてはいるが、後手に回ってしまった。
都内の各都市の歓楽街に多数の警官が出動しているが、どこで発生するか全くわからないテロの警戒を行うなど、難しい話だ。カバーしきれるものではない。
せめて解放の日が予定通りに行われればよかった。そうすれば警察側だけではなく、市民側でもある程度は自衛ができるからだ。
実は警察側は解放の日がズレることを全く予期していなかったわけではない。その可能性も考えていた。
しかし世間はそうではない。予め解放の日と定められた日には、催し物を控えたり、全国の学校を休校にしたり、店を休業などにもできた。だがそれ以外の日までも毎日警戒して、ずっと何もしないでいるわけにはいかない。
現在、あらゆる民間機関に連絡を入れ、特に人が集まる場所に警戒を呼び掛けている。催し物の類があれば、中止するよう要請し、学校も休校にするよう連絡を入れているが、連絡を入れなければならない候補が多すぎて、時間も人手も足りない。
都市によっては、市区町村内に取り付けられたスピーカーを用いて解放の日の前倒しを告知できたし、学校なら連絡網が行き届いていたが、朝の早い時間帯という事もあってか、中々スムーズにはいかないようであった。
「マスゴミにもちゃんと伝えたのか? いつまで経っても、緊急ニュース流そうとしねーじゃねーか」
テレビのチャンネルを変えながら忌々しげに吐き捨てる梅津。
「あっちも教祖の不思議パワーで上層部が洗脳されちゃって、下の者に報道しないように圧力かけているのかもしれませんよ」
松本が指摘する。それが正しいのだろうなと思ったが、梅津はふとチャンネルを切り替えるのを辞めた。
『今、緊急ニュースが入りました。薄幸のメガロドンによる解放の日が、前倒しされて本日実行される模様です。いえ、今現在テロ活動が行われているようです』
朝のワイドショーで、ようやく報道が行われた。
「驚いたな。よりによってここかよ」
以前、警察を散々無能呼ばわりした大嫌いな番組だったので、複雑な気分になる梅津。
「ま、正義感でもなんでもなく、視聴率のためなんだろうけどな」
別の番組に変えると、他でも解放の日前倒しの報道が始まった。
「上が洗脳されていたってわけじゃないようだ。こりゃあ、単にタイミングの問題か」
いずれにせよ、これである程度はテロの犠牲も防げるかもしれないと梅津は思った。しかし、完全には抑えきれない事はわかっている。どこで発生するかわからないテロを未然に防ぐなど、土台無理な話なのだ。




