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訓練場と射撃場のすぐ外の廊下にて、みどりの護衛がてら麗魅は待機していた。隣には杏もいるので、雑談しながらみどりが出てくるのを待っていた。
「だからさー、いい加減真にびしっと言ってやれよ。雪岡純子と自分、どっち取るのかって。争いごとは極力避けるっつっても限度あるだろー。杏も言いたいことはしっかり言えって」
触れられたくない件を思いっきり触れてくる麗魅に、杏はげんなりする。
「喧嘩なんかしないで謝るか逃げるかしなさい、怪我したら損だからって、親に言われ続けたからね。厄介事に自分から首突っ込みたくは無い性分なのよ。裏通りで情報屋やってて、こんなこと言うのもおかしいけどさ」
「どーしょーもなく腐った救いようの無いくらい馬鹿な親だなあ。プライド投げ売るよりかは怪我してでも相手に立ち向かうべきだろ」
「あんたのお節介と無遠慮さもどーしょーもないレベルよ。まあ、うちの親は本当に屑だったから、どうでもいいけれど」
麗魅の容赦ない物言いがおかしくて、微笑を浮かべる杏。
「伴と少し境遇が似ているけれど、あれよりもっとひどいわ。何人も兄弟がいて、一番出来の悪い子か、反抗的な子を徹底的にいびるの。体罰も有りでね。それがうちの家の伝統なんだって。私はそれにうんざりして家を出たけれど、私の次に一番下の弟がターゲットになってみたいでね。で、弟は家族を皆殺して、今は裏通りにいるって聞いたわ」
「家出てから会ったことねーの? こっち側に来てからの話な」
「真と懇意みたいで、真経由で聞いた話だけどね。あまり会いたくないわ。私が出たせいであの子が標的にされたようなもんだし」
と、そこで麗魅の携帯電話が鳴り、会話が途切れる。着信相手の名前を見ると、ハゲポリと書かれていた。
「梅津さんか。何か用?」
信者達の出入りを気にかけんと、麗魅は訓練場と射撃場へと通じる扉に意識を集中する。中から誰かが出てくる気配があれば、すぐに察知して会話を中止できるように。
『様子を聞きたいがための定期的な連絡って所だな。変わった事はないか?』
電話の相手は、安楽市の裏通りでは有名な刑事だった。目立った問題を起こした者の多くが、彼の世話になった一方で、裏通りの住人達とも交流が深く、持ちつ持たれつの間柄でもある。
「へっ、変わった事あったらとっとと教えてるっつーの」
信者の出入りに気を配る一方で、自分の発する声は全く抑えずに、いつもの大きめな声で応答する麗魅。
『目新しい情報無しか。お前は今何してるんだ?』
「教祖の護衛。今教祖様は信者の訓練の様子見てるよ。あたしは訓練場の外でさぼりだ」
『信者の訓練とか訓練場とか何だそりゃ……初耳だぞ』
呆れと不審が入り混じった声を発する梅津。
「あっれー? 言わなかったっけ? ここの信者らは解放の日のために、皆戦闘訓練しまくってんのよ。ポリ公に取り押さえられないようにしてなるべく多くの人間殺してまわるための動きを研究したり訓練したりで」
『マジか……。具体的にどんなことしてるんだ?』
「催涙弾だかを使って相手ひるませたりとかかねえ。あとは変な水鉄砲みたいなの。まあ目つぶし系が多いよ」
『それは参考になった。まあ大抵バイザーつきのヘルメットしてるし、目つぶしは大丈夫だな。他にも何かないか?』
「多分無い。つーか、そろそろ教祖が出てくる気配だから切るよ」
一方的に言って麗魅は電話を切る。
「梅津は何だって?」
杏がサングラスに手をかけて訊ねる。
「もっと情報よこせと催促してただけよ。で、訓練の様子をちょっと教えただけ」
「テロが発生するであろう場所も教えてあるのよね?」
杏の問いに麗魅は無言で頷く。
「信者達の動向は筒抜けだから、抑えるポイントは把握できているけれど、人手が足りるものかしら」
すでに判明している分だけ、薄幸のメガロドンの信者達がどこで暴れるのか、警察には伝えてあった。
しかし全ての情報を伝えたわけではないし、個人や少人数で動く信者も数多く存在する。上層部を抑えられて身動きの取りづらい現在の警察に、それらを全てカバーしきれないのではないかと、杏は考える。
「さーてね。あたしらの出来る事は限度があるしな。一応バイパーも手伝ってくれるみたいだけどね。あとな、みどりは間違いなくあたしらの動きに気づいているぜ」
「みどりには……やっぱりばれているのね」
不敵な笑みをこぼす麗魅の言葉を受け、杏はアンニュイな表情になった。
みどりの友人として、護衛として最も近い位置にいる自分達こそが、警察に情報を流している裏切り者であることに、みどりともあろう者が気づかないわけもない。そしてそれを見透かしたうえで見逃している。
「別に頭の中覗かなくても、あれほど頭回る奴が気づかないわけもないしね。あ、そーだ。人手が足りねーんなら累と真に手助けしてもらうのがいいんじゃね? あのホモボーイズもみどりの行いには否定的だったしよ」
麗魅の提案に、杏は小さく息を吐く。
「真はバイパーと、累はみどりとの手合せの後ぼろぼろじゃない……。杜風幸子を味方に引き入れておけばよかったんだけれど」
「今捕らわれているみたいだから、逃がす代わりに協力させるって手もあるな」
「拘束を解いたら、協力せずにみどりを殺しに行くかもよ?」
「正義の味方かぶれみたいだし、事情話せばこっちに協力してくれると思うけどな。まあ不安要素もあるから、触れないでおくか」
自分だって正義の味方かぶれじゃない、と杏は口には出さず突っ込んだ。長年始末屋業を続ける麗魅だが、仕事は選ぶ。追い詰められた依頼者に低予算で仕事を引き受ける事もあれば、気に入らない仕事は受けない事も多い。
「へーい、腹減りタイムでーす」
扉を開けてみどりが出てきて、右手を上げる。
「おう、飯食いに行くか。みどりは肉ちゃんと食えよ。がりがりなんだから」
麗魅に促され、三人は食堂に向かう。
「んん? どーしたんだよ。元気ねーな」
歩いている途中、みどりが珍しく沈んだ面持ちをしている事に気が付き、麗魅が声をかける。
「ふわぁぁ……自己嫌悪~。こないだの御先祖様とのこと思い出してさァ。御先祖様に精神攻撃してトラウマ刺激とか、えげつないことしちゃったから」
重い溜息をつくみどり。
「開祖だからすんごく強いかと思って手加減無しでやったら、それほどでもなかったんよ……あんなことしなくてよかったわ~」
「あんた傍若無人なようでいて、結構気遣いするタチだしね」
そう言って笑いかける麗魅を見上げ、みどりはにっと歯を見せて笑い返し、
「で、裏切り者は麗魅姉だよね」
唐突に告げたみどりの指摘に、麗魅は表情を強張らせた。まるで予期せぬタイミングでの不意打ちで、誤魔化す事が出来なかった。
「やっぱバレてたかー。なははは」
すぐに表情を和らげ、してやられたといった感じに笑う麗魅。
「言っとくけどダチの頭の中覗くなんて下衆な真似してないよォ? とはいえ、みどりのこの生来の能力は、たまにみどりの意志とは無関係に、周囲の思考が流れこんできちゃうこともあるけどさ。今回は単純に推理して、麗魅姉なんじゃないかなーって思ったのよ~。みどりねェ、みどりに向けられた悪意は察知できるけど、信者にはあたしに悪意を向ける子はいないもん。もちろん杏姉や麗魅姉も違~う。でもみどりに悪意は無く、教団の情報を外に流す者ってのは、考えられるんだ。杏姉、麗魅姉、バイバーの三人ね」
「んで、どーするよ?」
裏切り者と知ってどう対処するのかという意味を込めて訊ねる。
「ふええ~? どーもしないよォ? 祭りを妨害されたとしても、それはあいつらの自己責任だしさァ。内部の妨害にも屈しないよう努力すりゃいいだけの話だもん。あいつらにも好きにやれっつっているし、麗魅姉も好きにやりゃいいよ~」
杏と麗魅が予想していた通りの答えが返ってくる。一切合財望むがままに好きにやれというスタンスは、信者だけに留まらず、友人にも変わらない。
「でも――」
杏が口を開こうとしたその瞬間、三人は目の前で起こった異変に気が付いた。
それはまさしく異変だった。歩きながら、全く気に留めていなかった。何の前触れも無かった。異常事態とすら呼べた。何故なら悪意や殺意を瞬時に察知するみどりが、視覚的にその光景を目の当たりにするまで、全く反応できなかったからだ。杏と麗魅も同様である。
通りすがりの信者と思われた、長身の男。虚ろな表情でぶつぶつと何か呟きながら、彼はみどり達三人の前で、堂々と銃を抜いてみせた。何の前触れも無く、微塵も殺気を放たずに。そして真正面から、三人の方に銃を向けてきた。
(こいつはあの時の……)
麗魅はその男に見覚えがあった。葉山と名乗った気色の悪い入信希望者。裏通りの住人の気配を漂わせてはいたが、本当に刺客だったとは。
銃声が鳴り響く。男の銃によるものでは無い。瞬時に抜かれた麗魅の銃によるものだ。男はすんでの所でそれをかわし、虚ろだった表情を凍りつかせていた。すでに銃を抜いて構えていた自分より速く、銃を抜いて撃つという、麗魅の神速の速撃ちに戦慄していた。
「おお、あれが霞銃ですか。霞の銃とは何ぞやと訝っていた僕だけど、実際に拝見してみて、その名をつけた者の思いが、なんとはなしに理解できたような気がします。名前には力が宿る。表現は名に言霊を宿らせる。そう、僕が蛆虫であるように」
葉山は己にしか理解できない独り言をまくしたてると、ズボンの裾から小型催涙弾を落とし、廊下に催涙ガスを撒き散らす。
「ここはひとまず蛆虫らんなうぇーい!」
甲高い声で叫ぶと、葉山は堂々と背を向けて駆け足で逃げ出した。
「麗魅姉っ! 追うな!」
今までに一度も聞いたことのない鋭い声を発するみどり。みどりの強張った表情も、杏と麗魅は初めて御目にかかるものだった。みどりともあろう者がここまで緊張し、警戒するとは。
「あからさまな罠だわさ。で……」
その言葉の後は継げなかった。麗魅――いや、自分ですら、その罠の中に飛び込むのは危ういと感じたからだ。
「何だ、あいつ……。正面から堂々と……。しかも全然殺気が無かったぞ」
麗魅が唸る。銃を抜いたその時点でようやく反応できた。それまで全く気に留めなかった。殺気を抑える事はできても、完全に消す事など出来るものではない。
初対面の際も隙だらけで捉えどころの無さを訝った麗魅であったが、今回の襲撃はそれにも増して異様であった。
「うん、全く殺気感じないから気が付かなかったよ。しかも精神世界からの追跡もできない。認識できない。精神波が引っかからない。術を使って防いでいるようでもないし。何者……」
「一応写真は撮っておいたわよ」
携帯電話を手にした杏が声をかける。
「今までの暗殺者の中で一番やばそうね」
杏の言葉に、みどりも麗魅も何も答えなかった。銃をちらつかせただけで、麗魅に即座に反撃されてすぐ逃げたものの、もし今の襲撃が正面からによるものではなく、背後や側面からによるものであったら――それを考えていた。
「教団内に伝達しておきましょう。変装するとは思うけど。それと今後はガードをより固めないと」
「うん。警戒しとく」
なお声をかける杏に、みどりは神妙な面持ちで頷く。
「精神波に頼りっぱなしだったから、視覚的な警戒ってのも面倒なんだけどね~」
「つーか変な奴だな。完全に殺気消せる暗殺者なのに、後ろから狙うんじゃなくて正面からかましてくるとかよ……。余程の自信なのか、馬鹿なのか、それとも殺る気が無かったのか」
と、麗魅。
「ふわぁ……殺気は無かったけど、撃つ意志は感じたよ。警告か何かのつもりで怪我させるだけだったのかなあ。でもあんなのは……」
そこまで言ってみどりは口をつぐむ。
みどりは今の襲撃者を人間として認識できなかった。みどりの精神干渉能力は、人間か、人間とほぼ同じ精神構造の人工生物である妖や魔物の類にしか通じない。人間とは大きく異なる精神構造を持つ動物相手には苦手であり、昆虫等にはほとんど効果が無い。
(警告じゃない。ただの勘だけど、殺意はあった気がする。でもあたしはそれを全く読み取れなかった)
考えても答えは出ない。次に会ったら生け捕りにして、どういう奴なのかじっくりと確かめてやろうと、みどりは心に決めた。




