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真が二挺銃を抜き様に、四発撃つ。加減しようという気配は微塵も見られない。
バイパーは徒手空拳のまま、銃弾をものともせずに真との間合いを一気に詰める。
刀剣の扱いを極めた者は刀が体の一部と同じ感覚を持つように、真にとっては銃弾が当たる間合いまでが意識の制空権であり、その空間内であれば、自分がこれから撃つ銃の弾道をほぼ完璧に把握している。
(二発当たったはずだ。でも出血していない。溶肉液も効いてない)
弾が当たる瞬間を目で見たわけではない。感覚でもって確信しているが、バイパーは全くの無傷で、当たった形跡が無い。
弾かれたか、それとも体内に吸収されたかのどちらかだろう。弾かれたにしては弾いた弾が壁か床に着弾しているはずなのに、その痕跡が見当たらないので、後者であろうと真は判断する。
(つまり、弾をとばしてくる可能性有りか)
以前自分が戦ったマウスに、そういう芸を行う者がいたのを思い出す。
真は距離を取ろうとするが、驚いた事にバイパーの方がさらに俊足であった。そのうえ真の動きにぴったり合わせて床を蹴り、右に左にと小刻みに跳ぶ。
スピードと身軽さが売りの真であるが、自分よりはるかに大きな体のバイパーが、若干ではあるがどちらも上回っている。もし手の届く範囲まで接近されたら、リーチでもパワーでも明らかに劣る真は、かなり不利になるであろう事が伺える。
だが最早銃で対応するには近すぎる距離まで接近を許してしまった。真は覚悟を決め、近接戦闘に移行すべく銃を懐に収め、バイパーと同じく徒手空拳で構える。
(素手で挑むつもり? あのバイパーに)
真の行動に思わず目を剥く杏。体格差を考えれば有り得ない選択だ。チョークスリーパー、もしくは脇固め等の関節技等をかけようとしても、バイパーのスピードとリーチをくぐりぬけて一瞬で、かつ正確に決める必要があるので、リスクが大きすぎる。
(隠し持ってるな、ありゃ。おそらくは針の類)
バイパーは真の構えを見て一目で看破した。バイパー自身も体内に毒針を仕込んでいるため、直感的にそれがわかってしまった。
(素手と見せかけて油断させて、袖の下の針でリーチを補うって所だろう。ネタがバレちゃあ御愁傷様だが)
身を低くしたまま、バイパーの脚を狙って左拳を繰り出す真。喉元か胸部を狙うかと思いきや、セオリーを無視しすぎている。思いもよらぬ部分への攻撃に、バイパーの反応が遅れ、右太股に長い針が突き刺さった。
舌打ちし、バイパーが真の左腕を取り、思いっきり引っ張る。鈍い音と感触が、真とバイパーの双方に伝わる。
「負け惜しみ言うようだがよ、わかってはいたんだぜ。お前がそいつを仕込んでいることは」
真の腕を掴んだまま、バイパーは針の刺さった箇所を見て、再度舌打ちした。痺れてうまく動かない。だが毒の類ではない。神経だか経絡だかを狙って刺したと思われる。
「ほれ、あの便器とお揃いだ」
脱臼した真に向かってバイパーが言い放つ。
「折られたわけじゃないぞ」
バイパーを見上げ、真はバイパーに捕まれた左腕の上腕部を右手で掴むと、何喰わぬ顔で肩をはめていれる。
「本当に折られたいのか、てめえ」
「躊躇わず折ればいいだろう。手でも首でも」
凄むバイパーに対し、真はひるむことなく冷え切った声で言うと、自由の利く右手の針でもってバイパーの腹部を狙う。
その真の右腕めがけて、バイパーの左手の手刀が振り下ろされ、長針が床に落ちた。
「望み通り折ってやったぞ。これでいいか?」
唸るように言うバイパーの顔を見上げ、真は訝る。バイパーの顔が渋面――と言うより、ひどく青ざめて、気分の悪そうな顔色になっている。何故圧倒的優位にある彼の方が、こんな苦しげな顔をしているのか、不思議であった。
「まー、それぐらいにしときなよ。バイパー。あんたもこいつ相手じゃ本気出せないだろ?」
やれやれといった感じで、麗魅が声をかけた。
「勝負ありよ。真も潔く引きな。そんくらいわかってんだろ」
麗魅の言葉にまず反応したのはバイパーの方だった。戦意を完全に失った様子で、掴んでいた真の腕を放す。
「釈然としないな。いろいろと」
まだ殺気の収まらぬ真が、バイパーと麗魅を交互に見やる。バイパーの様子がおかしい事といい、突然の戦意喪失といい、麗魅の言葉といい、何かわけありだということはわかるが。
「こいつガキは殺せないって奴なんだよ。いや、傷つけるのもすごく抵抗あるっぽいわ。何かトラウマあるらしくてさ」
「麗魅よー、何でそんな余計なこと言うわけ?」
決まり悪そうにそっぽを向くバイパー。
「だから最初から勝負にはなんないのよ。こいつからしたら勝負自体したくないって感じね。雪岡純子相手の時もやりにくかったんじゃない?」
「わかった」
そこまで聞いて、真も引き下がる事にした。そんな話を聞いてなお食い下がる気にもなれない。実際、勝負はついている。どう見ても自分の敗北だ。悔しさに歪んだ己の顔を思い浮かべ、右手を意識する。ひどく傷む。バイパーが言った通り、骨折していると思われる。
「すまなかったな。お前の好きな女を傷つけて」
真の頭に手をおいて、バツが悪そうに謝罪するバイパー。
「別にそういう関係じゃ……」
「じゃあどういう関係なんだよ。つか杏と二股かよ。ガキのくせしてタチ悪すぎだぞ」
真から離れ、先程までのように扉の脇に立つバイパー。
「おつかれさままま」
そのバイパーの横にやってきた麗魅が、悪戯っぽい笑みを浮かべて声をかける。
「ったく、あいつといいこいつといいみどりといいグエンといい、最近の俺、ガキの面倒ばかり見てる気がするわ」
腕組みして壁によりかかり、アンニュイな表情で、先ほどと同じ台詞を口にするバイパー。
「ガキに好かれる大人はいい奴だっていうけど、あんたが好かれてる時点で嘘だよね。つーか、真の奴、随分と成長したもんだわ」
「うっせ。今は勝てたが次やったとしても、勝てる保証はねーよ。実力拮抗した者同士の戦いなんて、時の運になっちまうもんだぜ。勝った負けたでどっちが強いとか、そんな単純なもんじゃねー」
「そう? あたしはあんたの方がずっと上に見えるけどね。あたしにも劣るし」
麗魅の言葉を受けて、バイパーはわざとらしい溜息をつく。
「あいつがその気になったらお前じゃ危ないぞ。あれはコンセントを服用してない。俺も服用してないからわかるが。コンセントを服用してる奴の動きの特徴が無い」
「マジで?」
目を丸くする麗魅。どんな強者であろうと、裏通りにおいて、コンセント未使用で戦闘に臨むなど、自殺行為としか思えない。服用するとしないで、大きな差がある。真の力量が薬無しであれだけのものであったとしたら、コンセントを服用すればどれほどの代物になるか、想像すらできない。
「単純骨折ね。多分」
真の右腕を取り、杏が冷めた声を発する。
「機嫌悪そうだけど何かあったのか?」
杏を見て純粋に不思議がっている様子の真に、杏は頭の中で何かがヒビ割れる音が聞こえたような気がした。
(これ……指摘したら全部台無しになっちゃうのかな? 私が我慢さえしていれば、この関係を持続できるから、何も言わないで我慢していればいいのかしら……。今までだって、そんな感じではあったけど)
陰鬱な面持ちで杏は、幸福という名の城が崖っぷちの上に建って、その中に真と自分がいるイメージを思い浮かべた。




