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その人物の情報は真と累もすでに知っている。エリカという名の幹部だ。しかし自分達が噂の新人と呼ばれている事は初耳だった。
(まあ目立つな。男二人で寄り添ってれば。おまけにこいつの顔がこんなんだし。フードで隠してる程度ではな)
累を一瞥し、頭の中に嘆息している自分を思い浮かべる真。
「初めまして。そしてようこそいらっしゃいました。新たな仲間、新たな戦力が加わるのはとても嬉しいです。解放の日に向けて共に頑張りましょう」
両手を広げて、オーバーアクション気味に歓迎のポーズを示しながら言うエリカ。しかしその笑みは作り笑いでもなく、言葉も社交辞令ではない。本心からの歓迎の意なのであろう事がわかった。もちろんここの信者に歓迎などされても、真も累も嬉しくはない。
「はい、頑張ります」
言葉少なに返答する真。累は何のリアクションも無い。
(少しくらいは合わせろよ。挨拶さえしないし、怪しまれないための演技も何もせず、ずっと僕に引っ付きっぱなしなおかげで、噂が立つほど目立っているし。会う人間にはずっと僕が応対しているじゃないか)
ひたすら内に籠り、人との会話もほぼ任せっきりにしている累に、真は苛立ちを覚える。累にしてみれば、ここにいるだけでも精一杯の努力のつもりだという事は、真もわかっているが。
「妊婦さん……なんです……か? 大丈夫……ですか? 射撃なんて……して……無理しない方が……いいです……よ」
真の苛立ちを察したかのごとく、今まで信者と口をきこうとしなかった累が、いつも以上にたどたどしい喋り方で、エリカに話しかけた。
(ここは近接戦闘の訓練場なのに、硝煙の臭いをかいで、射撃している事に突っ込むのは不自然だろうに……)
エリカの体に微かに残る硝煙の香は、真も嗅ぎ取っているし、ここに来る前に隣の射撃訓練場にいた事は、会った時にわかっていた。
「いいんです。無理したいんです。無理してこの子を思いっきり苦しませてあげたいの。だって悪魔の子なんですもの」
天使のような笑みを満面に広げ、悪意に満ち満ちた言葉を発するエリカ。
「この子は絶対産んではあげません。産んではいけない子です。責任をもって、私が解放の日に、地獄に連れて行ってあげる予定なんです」
累の表情がいつもの怯えたものではなく、真顔になった。エリカの狂気に触れる事で、対人恐怖症の臆病な少年ではなく、数百年の時を生きてきた闇の魔人の精神状態へと変わった。
「そうですか、そちらも頑張って」
真が全く抑揚の無い声で告げる。純粋無垢な狂気を目の当たりにし、真も頭の中に鉄柱を入れられたかのような気分を味わった。イカれた人間は今まで散々見てきたが、こういうタイプは初めてで、それなりに衝撃があった。
「ええ、共に頑張りましょう」
笑顔のままエリカが告げる、二度目の同じ台詞。
(何が共に……だ)
自分でも説明がつかない不快感が沸きおこる真。累も似たようなものを感じ取ったらしく、こちらはあからさまに憮然としている。
「ここの奴等って、皆ああなのか?」
エリカが去った所で、真が幸子に訊ねた。
「あの子は一際不幸な事情があったみたいね。お腹の子は、見ず知らずの男に乱暴された結果みたい」
物憂げな面持ちで幸子が答える。結果は望まぬ命を宿しただけではなく、エリカの精神そのものも大きく歪ませた。
「復讐心やらに取りつかれた奴は、今まで掃いて捨てるほど見てきたけどね。研究所に何百人と来ている。完全に命を捨て去るつもりだった破滅的な奴も何人かいたが、命に執着しているのがほとんどだった。だからこそ博打のつもりで雪岡に実験台志願していた」
「でもここの人達は、破滅することが大前提なんですね」
誰にともなく語る真と、淀みない口調で真の言葉を継ぐ累。
「その破滅に巻き添えも大前提だがな。何だろうな、この感情は……。教祖の演説の時もそうだったが」
真の中で、激しい嫌悪感がこみ上げていた。それは信者達に向けているというより、信者も教祖も解放の日もひっくるめて、薄幸のメガロドンそのものに沸き起こる感情だった。
「さっちゃん、おはよー」
弾んだ声での挨拶が、真のそんな感情を鎮める。唐突に純子の事を思い出す。純子はいつも挨拶を元気がよく弾んだ声で行う。徹夜明け以外の時は。もっとも、この声の主は少年であったが。
「グエン……そのさっちゃんて呼び名はやめてくれないかな。照れる」
「えー、もうここの皆その呼び方してるよー」
渋面になって振りかえる幸子に、おかしそうに微笑むグエン。
「あ、噂の二人組だ」
真と累の存在に気づき、わざわざ指まで差してグエンが言った。
(こいつも確か幹部だったな。未成年が幹部だのトップだので、よくついてくるな)
グエンを見て真は思った。未成年で組織のボスや幹部も珍しくない裏通りならともかく、実質表通りの住人ばかりが集まっている場所では非現実的に思える。この時代においても、表通りでは、未成年でありながら成人達の上に立って顎で使う者など、そうそういない。
「俺、グエン。一応幹部してるけど、戦闘訓練は訓練生扱いだから立場一緒だね」
「相沢真。こっちは雫野累。よろしく」
朗らかな笑顔で自己紹介するグエンに、無表情のまま愛想の欠片も無い態度で真は自己紹介し返す。累に至っては軽く会釈しただけで、すぐにグエンから視線を外す。
(裏通りで知られている名前をそのまま出しているけれど、大丈夫なのかしら)
そう思う幸子だったが、自分とは違い、真の方は顔も知られているから隠す意味も薄いし、それ以前にも隠す必要性そのものが無いのかもしれないと考えた。
「あー、でも俺の方が相当先輩だろうし、そろそろ俺だって教える立場くらいになってもいいかなあ? どう思う? さっちゃん」
「え……いや……」
期待を込めた表情で話を振ってきたグエンに、幸子は言葉に詰まった。
「基礎くらいならいけるよね? 師範役が少ないし、俺も基礎だけとかなら、教えることできると思うんだ」
ようするにグエンは新人相手に、先輩として武術指南していい所を見せてやりたいらしい。が、相手は真であるし、彼が(怪しまれないためにも)加減してわざとやられてグエンを立ててくれるとは限らない。幸子は真の事をよく知らないが、真はそういう性格ではない気がする。そのため迂闊に答えられなかった。
「一目見て相手の強さを量るくらいのこともできないのに、先輩面して武術を教えようってのか? 全く笑えないぞ」
真の反応は、幸子が思っていた以上にひどい代物だった。声に小馬鹿にするような響きは無かったが、いつもの真の淡々とした喋り方なので、別な意味で余計に悪印象に聞こえる。
「ううう……自信たっぷりじゃん。そんなのやってみなくちゃわからない……ぞ」
一方でグエンは、真に無表情に見つめられて冷めた言葉を浴びせられ、あからさまに及び腰になっていた。
自分の指摘一つであっさりと自信が崩壊するグエンを見て、真は小さく息を吐く。素人相手に大人げないことを口にした己に対しての溜息だった。
「やらなくてもわかるし、教授するのは僕の側だろう。師範役なんて御免だけど、少しくらいならもんでやるよ」
真が半身になり、片手をグエンの方に突き出し、かかってこいと手招きのジェスチャーを取って見せる。
「あ、えーっと……やっぱいいや。強そうな気がするし。うん」
「ちょっと。やる前からそんなんでどうするの」
あからさまに臆した顔であっさりと戦闘拒否するグエンに、幸子は思わず突っ込んだ。
「何か怒らせちゃった気がしてさ。それで手加減無しで痛めつけられそうな気がして。よく漫画とかであるじゃん。何かそういうお決まりな場面ぽい気がしてさー」
「幹部なのに、そんなチキンぷり見せてどーするんだ」
正直に思ったことを口にするグエンに、これまた正直に思ったことを口に出す真。
「その幹部に向かって、そういうことを平気で言う新人もどーかと思うけど? とりあえず、強い方が加減してあげるのは当然だし、心配しなくていいわよ。もしやりすぎてるなーと思ったら、私がストップしてあげるから」
幸子はグエンを安心させるためにそう言うと、真の方を向いて小さく頷く。
(やんちゃそうな所が晃や仁と似ているかと思ったけれど、晃はもっと怖い物知らずで何につけても積極的だったし、仁は――)
目の前で構えるだけ構えて、中々こちらに向かってこようとしないグエンを見ながら、真は裏通りに堕ちてからの弟分と、表通りにいた時の友人の事を思い出していた。




