17
「へーい、開けていいぞよ~」
みどりがふざけた口調で告げると、扉が開く。現れたのは杏だった。後ろには麗魅もいる。
「ちょっと話があるんだけど、こっちに来てもらえるかしら」
みどりに向かって声をかける杏。ようするに、信者には聞かせられない話なのだろうと、部屋にいた三人は察する。
「あいあいさー」
返事をするなりみどりは、ソファーに勢いよく両手をついて座った格好のまま跳ね上がり、後方宙返りをしてソファーの後ろに着地する。
「何かあったァ?」
廊下に出て扉をしめ、杏を見上げて危機感の無い笑顔で訊ねるみどり。
「雫野累って子、知ってる?」
しかし杏からその名を聞いた瞬間、みどりの顔から笑みが消え、不審げな表情になる。
「ふわ? そりゃ知ってるさね。みどりの学んだ妖術流派の開祖だし。血の繋がらない御先祖様みたいなもんてとこかなァ。今でも最強の妖術師ってことで有名だし。杏姉の口からその名が出ると思わなかったけど」
「私や麗魅の友人でもあるのよね。で、今ここに来ているの」
「あばばばば、そいつはまた奇遇ちゃ~ん。もしかして、また術試しィ?」
喜色満面になるみどり。
「そうみたいよ」
演説を聞いて不快感を露わにしていた真と累の事を思い出す杏。あの様子からすると、ただの手合せだけでは済まない気がしてならない。
(累がこの子を止めてくれるのが理想のシナリオだけれど)
そう思うも、そうそううまくいくわけがない事は杏もわかっている。
「開祖な御先祖様か~。それは会ってみたいな~。うんうん。上っ等ォ。こないだの雫野の女の人といい、続けざまとはね」
頭の後ろに手を組んで、みどりは不敵な笑みを浮かべる。
「でも予定がいろいろたてこんでいるし、明後日にしてって言っといてよ」
「どーせ解放の日関係の予定だろ。それこそ後回しにしろよ」
忌々しげな口調で麗魅。
「ま、今から準備を妨害しても、解放の日は止められそうにねーけどさ。たとえあんたが何もしねーでも、信者共が勝手に進めちまうだろうし」
麗魅の言葉は的を射ている。みどりのやることと言えば、信者の煽りと警察への抑えくらいのものだ。具体的な計画を推し進めているのは信者達である。
たとえ累がみどりとの戦いに勝利した所で、解放の日を止めるには至らない。止めようがないという事実。だがそれでも累が勝利すれば、何か良い方向に転ぶのではないかと、漠然たる希望を杏は抱いている。
「かといって、みどりは信者らを止めるつもりねーしよー」
重い溜息をつく麗魅。
「イェア、解放の日はもう止められないよぉ~。必ず来るよ~。あいつらの頭の中の芯まで、あたしの思想を植えつけちゃったもんね」
みどりの最後の言葉が、杏は引っかかった。
「植えつけた? この展開は貴女の本意では無いんじゃなかったの?」
「最初に想定していたのとは違うよ? 解放の日だって、別にみどりが思いついたものでもないし。でもさ、皆に植えつけた人生論も死生観も、あたしの思想であるのは事実だし、乗りかかった船って事で、途中から積極的にそれを植えつけてったのは事実だもん。もちろん、能力で操って洗脳みたいなことは、一切してないっス。私が背中を押したとしても、あくまであいつらの選択の結果だわさ。全員が解放の日っつー命の花火大会に参加するわけでもないですし」
「私が止めたいのは貴女のその後よ」
杏が静かに告げた。
「みどりに従ってきた皆を見殺しにして、みどりだけ生き残れって? そりゃできないよ~」
笑顔でそう返すみどり。
「あたしねぇ~、社会の法律にも縛られず生きてきて、記憶と力を損なうことなく転生する術を身に着けてね、世界の法則にすら背いて死んで生まれてきたんだよ~。フリーダムに、カオスに、ずっとそれを続けるつもりだった。でもさァ、今回のこのお祭り騒ぎのせいで、それもできなくなっちゃったわ~。なははは。って、麗魅姉の笑いがうつったァ」
みどりの返事はやはりいつも通りだった。これも何十回も繰り返されたやり取りだ。しかし答えはわかりきっていても、杏は同じ問答を続けるつもりだった。
破滅のシナリオの終幕である解放の日は、その全貌は明確にはされていないものの、集団自殺か集団テロではないかと世間の注目を浴びている。メディアや政府の憶測通りのものであろうと、杏や麗魅も察している。だとしたらみどりを護ったとしても、その後にあるのはやはり破滅でしかない。
杏達も現時点では、信者達の具体的な計画を掴みきれていない。パイパーも交えて、三人で慎重に情報を探ってはいる。そして出来れば阻止せんと目論んでいる。
(麗魅は一般人の犠牲を減らすため、バイパーは信者のあの子のため、という気持ちもあるみたいだけどね)
一方で杏は、みどりだけを救いたかった。信者達のためや社会のためではなく、主にみどりの行く末を案じて阻止したい。信者達をけしかけた責任を取らせるような真似をさせたくないと。
だがすでに先走って死んだ信者が何人もいる中で、果たしてみどりの後追いを防ぐ事ができるのだろうか?
***
真との戦いの翌日、幸子は道場へと赴いて、信者達に戦闘訓練を施していた。
彼等の多くは、趙超から手ほどきを受けていた。彼等の師範とも言える人物を殺した張本人が、何くわぬ顔をして新しい師範面をしている事をどうしても幸子は意識してしまう。仕事と割り切る事が出来ず、意識してしまう事自体がプロ失格である事はわかっているが、何も感じないようになったら、人として終わってしまう気もしてならない。
信者達は熱心かつ真摯に、幸子の指導を受けていた。その情熱の矛先にあるものが社会への反逆でさえなければ、素直に感心できるのだが。
「グエン君、切れが悪いみたいね」
趙超に習ったのであろう形意拳を使うグエンに、幸子が声をかける。先日と比べて動きもよくないし、いつも明るいこの少年にしては、覇気にも欠けている。
「そうかな。体調悪いとかそんなことは無いと思うけど」
幸子と視線を合わせず、グエンはタオルで汗をぬぐいながら答える。
「趙超さんは残念でしたね」
ひょっとしたら趙超が死んだことを悲しみ嘆いているのかと思い、幸子はあえてその名を口に出した。
「ああ……それもあるけど、この教団内に侵入者がいるって事がちょっと心配で」
幸子を見ないまま、グエンは暗い面持ちで言った。
「バイパーの兄貴や麗魅さんが、じっちゃんの仇を討ってくれると思いたいけどさ。でも心配だよ。二人とも強いのは知ってるけど、あのじっちゃんだって相当強かったんだぜ」
「大丈夫、私もいるわ」
明るい声で告げる幸子。その子を心配させている張本人が何をぬかしているんだと、心の中で嗤っている悪魔を潰すかのように、幸子は奥歯を強く噛みしめた。
「いくら世の中のいじめられっ子達が集まってもさ、国にもマークされちゃってるし、やっぱり俺達って、少数のいじめられっ子には変わりないんだな。解放の日で馬鹿騒ぎして、いじめられっ子達の声を世の中に聞かせてやろうってつもりだったけれど、それさえも事前に封じ込まれちゃうんじゃないかって思うと、すごく悔しいんだよ。それとさ、もしかしたらここで知り合った仲間達も、解放の日前に殺されちゃうんじゃないかって考えると……不安で……」
グエンの話の内容は、反社会な立場でありながらも真剣そのものだった。彼等からすれば何がどうあっても、社会こそが悪なのであろう。彼等がこうなってしまったのは、果たして彼等の責任と言えるのだろうか?
幸子も所詮は社会のはみ出し者だ。裏通りに生きる者は大抵そうである。
いや、裏通りに生きる者はまだ幸運だ。自分の居場所を見つけてそこで生きているから。グエン達は、流れ着いた居場所で破滅への片道キップを握らされ、自らの意思で、この世に居場所を無くそうとしている。
(社会に背を向ける事が必ずしも悪いわけじゃない。それならそれでいい。そういう生き方もある。でも、社会に恨みを抱いて特攻するよう仕向けるなんて、絶対間違ってる)
何故ここの教祖は、彼等にもう少しまともな居場所を与えてやらなかったのかと、幸子は憤りを覚えた。これに比べたら、救いの名のもとに信者から搾取するだけの悪辣な宗教の方が、ずっとましだ。たとえ信者は搾取されていても、信じて救われた気になって、それでもなお生きていられるのだから。
「君、いじめられていたの?」
この少年の事をもう少し知りたいと思い、幸子は突っ込んだ話題を振ってみた。それはただの知的好奇心だけからくるものではない。この狂った教団に心を奪われた少年を、もしも救えるものであれば救いたいと考えたからだ。ここに来る経緯を知れば、そのヒントが得られるかもしれないと。
「俺、見ての通り移民の子だからさ。学校じゃずっといじめられてたよ。学校だけじゃないけどね。村ぐるみで、俺の家族もね。肌の色が違う、名前が違う、たったそれだけで排斥されるんだ。あ、この排斥って言葉はプリンセスに習ったんだけどね。先公も見て見ぬふりだし、俺は世界から敵視されてて、ここは俺がいていい世界じゃないんだなって、ずっと思ってた」
そこまで語った所で、グエンは表情を輝かせた。いつもの明るく温和なグエンに戻った感じだ。
「でもさ、夢の中にプリンセスが現れて、俺が考えていたのと全く逆のことを言ってくれたんだ。世界は俺のために用意された舞台だって。最初は信じられなかった。毎晩、同じ女の子が夢の中に出てきて、俺にとって都合のいいことばかり言うからさ。何か俺の頭がおかしくなって、妄想が夢の中に現れたんじゃないかって思ったけど、そうじゃなかった。現実でプリンセスと出会えて、夢と同じこと言ってくれた。世界に初めて光が差し込んだみたいだったよ。それまでは灰色のフィルターでもかけられていたみたいに暗かったのに、世界の何もかもが綺麗に見えたっていうかさ」
嬉しそうに語るグエンの話を聞きながら、幸子の憤りは増す一方だった。同時に、自分ではグエンを救えないような気がしてきた。
救いの手を差し伸べて光の当たる世界へと引き上げておきながら、崖から飛び降りるように促され、その事実を疑わず受け入れている。
グエンだけではなく、皆そうだ。そんな人間の心を、自分の説得で改めさせる自信は無い。いや、そこまで突っ込んだ話をするとなると、幸子自信に疑いの目を向けられ、任務に支障が出る可能性もある。
(やっぱりこれじゃ、プリンセスを暗殺した所で、彼等の暴走は止められないんじゃない? それどころか余計に……)
過去のケースからすると、新興宗教の狂信は、覚める時はわりとあっさりと覚めるものだという事を幸子は知っている。
しかしこの薄幸のメガロドンは違う。教祖を神格化して崇めているというだけでなく、文字通り心の中まで浸蝕されてしまっている。信者一人一人の心の奥底にまで触れている。ただの宗教めいた崇拝だけではなく、教祖と信者の間に、より人間的な信頼までもが生じてしまっている。
「なんだグエン、新人とじゃれあってるのか」
道場の入り口の方から響く男の声。幸子が振り返ると、季節に合わない寒そうな格好をした、褐色の肌の男の姿があった。




