21
十夜と晃を乗せた車は、おなじみの青い建物の前に止まった。来るのは三度目になる。ホルマリン漬け大統領第七支部だ。
「もうここは潰れたんじゃなかったの?」
晃が口を開く。
「ここに勤めていた構成員は皆死にました。でも建物はまだ残っていますし、ショーの舞台としては使えるはずです。さ、どうぞ」
運転手が解説し、二人を降りるように促す。ショーという言葉に、十夜は嫌な予感を覚える。
前後左右を八人の男達で取り囲まれた格好で建物の中へと連れていかれ、廊下を歩くこと暫し。扉の前に立たされ、中へと二人だけで入るようにと促した。
男達は扉の左右、向かい側に立っている。自分達を逃がさないようここで見張っているのであろうことは、十夜にも晃にも容易に察せられた。
扉の中は劇場だった。舞台があり、観客席がある。そして舞台の上に一人の男が立ち、十夜と晃を迎えた。他に人影は無い。
「ようこそ、いらっシャいナ」
訛りのあるイントネーションで言い、道化の仮面をかぶった背広姿の黒人の男が恭しく頭を垂れる。仮面の下の口の部分は露出している。
「私はマイク・レナードなる者デス。ホルマリン漬け大統領の大幹部の一人をやらせていただイテおりマスデス。先日殉職した奥村誠人の直属の上司デス」
「もうケリはついたんじゃないの?」
おかしな日本語で自己紹介するレナードに、晃が訊ねる。
「イエス。一つの戦いの決着はつきマシタ。しかし貴方達も雪岡純子も私達も生きていマス。私は完全な決着を望みマス。雪岡純子の死をもってネ」
レナードの言葉に十夜は驚いた。自分達が何で呼ばれたのか理解し、同時に疑問を覚えた。ホルマリン漬け大統領とは表面上は敵対しつつも、組織の大幹部クラスとは裏で繋がっていると、純子は言っていた。この四日の間に、完全に敵対する出来事でもあったのだろうか。
「つまり僕達は、純子を誘き寄せる餌か。純子や先輩がそんな見え透いた罠に引っかかって、ホイホイと来るかね~?」
晃も気が付いたようで、緊張感の無い声で言う。
(来ないってことは、俺らが見捨てられるってことだぞ。まあ、見捨てられると思えないし、思いたくないけど)
十夜が思う。
「来マスよ。私は雪岡嬢の性格は知っていマス。こういう見え透いた罠だからこそ飛びついてくる、そんな人デスよ。きっと何か裏をかくつもりデしょうが、どっこい私も策がありマスから。一時間前にネットで君達を戦い合わせるショーがあることを告知してい――」
「何で純子を殺そうとするんだ? 裏で手を組んでたんじゃないのか?」
嬉しそうに語るレナードに、十夜が口を挟む。
「ええ、そうデシタよ。しかし実の所、私は密かにずっと危惧もしていたのデスヨ。あのクレイジーガールはいつか、組織にとって真の意味での脅威になるのではないかとネー。いつまでもなあなあの関係が続くとは思えナイとネー。組織内でも意見は分かれてマスが、私はどちらとも言えない中立派デシタ。しかしネ、最近ふとしたことで、雪岡純子の存在が危険だと思うようにナッタのデス。潰せる時に潰した方がいいデス。ハイ」
レナードは口元に笑みをたたえ、柔らかい口調で喋っていたが、逆にそれが恐ろしく十夜には感じられた。この男からは強い決意と殺意が見受けられる。
「俺達はここでただ純子が来るのを待つの?」
「すでに連絡済みデスし、そう長くは待たないと思いマスよ。でも……そうデスね。ただ待つだけというのも暇デショウから、お二人、殺し合いでもして待つというのはどうデスカネ? そしてその様子をショーとして生中継で放送するとしまショウ」
あくまで柔らかいトーンのまま、とんでもない提案をするレナードに、十夜の顔が引きつった。
冗談だと思いたい所だが、冗談ではない。ただの思いつきで、そのうえ本気で言っている。そういう事をして金儲けをしている組織なのだ。
「いいけどさー、どっちかあっさり死んだら人質にならなくない?」
「いいのかよ!」
あっさりと応じる晃に、思わず大声で突っ込む十夜。
「どちらか一人でも残っていれば、それで構いまセンヨ」
「あっそ。じゃあ十夜、いっちょ揉んでやるよ」
やんちゃな笑みを広げて晃が十夜の方へ体ごと向く。
「本気かよ……」
呻く十夜。本気であるわけがない。何か晃に企みがあるに違いないとは思うが、何の抵抗もせずにあっさりと聞き入れた事に呆れてしまう。
「だってショーとして生中継されるって言ってるんだよ? 僕の始末屋としての宣伝のチャンスにもなるし、もしここでやらないってつっぱねたら、どっちかを殺すとか言ってくると思うぜ。それなら戦いあって、それまでに純子と先輩が助けにくるのを待った方がいいじゃん。暇つぶしにもなるし」
「そんな都合のいいタイミングで助けが来ると思えないけど」
ため息混じりに十夜も身構える。
「あのヒーローっぽいスーツ無くて平気なの?」
「あれは防弾仕様なのと、感情抑制装置がついているだけで、俺自身の持つ能力とはまた別の代物なんだよ」
晃の問いに、十夜は嫌そうに答える。純子はそのうちあのスーツ自体も、十夜の体に合わせて強化するようなことを言っていたし、その時は自分に実験に付き合ってくれとさえ言っていた。裏通りから足を洗うと言った十夜であるが、純子は実験台として逃がすつもりはないらしい。
本気で戦えば例えスーツが無くとも、純子の実験で改造強化されている自分の方が強いのはわかりきっているので、自分の方がうまく場をコントロールしないといけない。それがうまくできる自信は全く無いので、十夜は気が重かった。
「聞き分けがよすぎデスね。何か企……」
レナードの声は晃の銃声によってかき消された。
「ちょっ! 頭狙うなよ! いくら俺でも当たったら死ぬぞ!」
慌てて銃撃を回避し、かがんだままの格好で抗議する十夜。
「いやー、今のならかわせるかなーと思って。そっちも来ていいよ」
「来ていいよって、本気で殴れば即死なんだぞ」
渋面で十夜は晃との距離を詰め、胸に向かってパンチを繰り出す。
十夜のパンチが当たる直前に晃がうまく後方に身を引いたのがわかったが、かわしきれずに拳が晃の胸に少し当たる。
「ぐはあっ!」
叫び声とともに晃の体が大きく吹っ飛び、空中を5メートルほど舞ってから椅子の上に叩きつけられる。
「ほらあ……手加減してもこれだ」
やれやれと額を押さえる十夜。
「えっと……君達……友達同士で戦う事をもうちょっと苦悩するとか、手加減するとかしないのデスか? いきなりガチでやっているように見えるのデスが……」
引き気味に問うレナードに、十夜は大きなお世話だと心の中で言い返した。これでも手加減しているつもりだが、うまく調整できないだけの話だ。
「糞っ、本気で殴りやがったな。もう怒ったぞ」
「いや、手加減したし、そっちだって一歩間違えれば死ぬような所狙って撃ってきただろ」
憮然とした表情で起き上がって言う晃に、十夜もむっとして言い返す。
これまで晃と喧嘩した事は無いが、実質、これが初めての喧嘩と言えるかもしれない。明らかに互いに感情的になっている。
「殺しはしないけど、病院送りくらいにはしてやろうかな……」
物騒なことを口にして、晃がナイフを抜く。一応ナイフの扱いも真から習っている。
「何逆ギレしてんだよ……。それなら俺もあんまり手加減しないからな。骨の二、三本は折れると思えよ」
十夜はそう嘯くも、晃の胴体や頭を狙っては不味いと思い、手足に攻撃の照準を絞ることに決める。
晃が十夜めがけて走り、喉元めがけてナイフを繰り出す。先ほど同様、加減しているととても思えない攻撃だ。
繰り出されたナイフの刃を素手で掴んで防ぐ。肉体強化しているからこそできる芸当だが、我ながら凄いと、他人事のように感心してしまう十夜であった。
「隙を見てあいつを殺そう」
至近距離まで迫った所で、晃が顔を寄せてにやりと笑い、十夜にだけ聞こえる声で囁いた。
「僕が負けた振りをしてさ」
「そんなこと向こうだって警戒してるだろ」
提案する晃のナイフを掴んだまま、十夜が小声で言う。
「やってみなくちゃわからない。よし、いっせーのせでいくぞ」
「隙を見てじゃなく、今行くのかよ」
「今隙だらけじゃん。よし、いっせーのせ!」
晃がナイフを捨てて銃を抜き、レナードに向けて二発撃つ。負けた振りをしてという話はどこにいったのだろうと、十夜は呆れる。
レナードは軽く体を捻っただけで、それを簡単にかわす。余裕を誇示するかのように口元に笑みを浮かべたままだ。表情を見るに、自分への奇襲も最初から想定していたようだ。
もう二発撃つ晃。
その二度目の晃の銃撃と同時に、十夜がレナードめがけて駆けだす。
レナードの戦闘力は未知数だが、純子に改造されて、常人をはるかに上回る身体能力を持つ十夜に、果たして抵抗できるものなのだろうかと、十夜と晃は疑問に思っていた。
その直後、十夜の頭に別の考えがよぎった。十夜と晃を前にして部下も従わせず一人でいるとあれば、襲われたとしても対処できる自信があるからなのではないかと。ならば相当な実力があると見ていい。
晃の銃弾を軽くかわすレナード。直後、ステージを駆け上がり、レナードの眼前に迫る十夜。
「メジロチョップ!」
叫んでから、どうせ純子はここにいないのだし、技の名を叫ぶ必要も無かったなと思いつつ、十夜は手刀をレナードの脇腹めがけて横薙ぎに繰り出した。
その手首をレナードは片手で掴み、十夜の攻撃をあっさりと防いだ。見上げると、仮面から露出した口が相変わらず笑みの形になっている。振り払おうと力をこめるがびくともしない。恐怖とは異なる冷たい感触が十夜を襲う。
十夜は手を掴まれたまま、レナードの股間めがけて膝蹴りをくらわせようとする。
だがそれより早くレナードがもう片方の手で十夜の頬に拳を見舞う。同時に十夜の掴まれていた手首が離され、空中で何度も回転しながら吹っ飛び、客席へと突っ込んだ。
「十夜!」
驚いて叫ぶ晃。だがレナードから目を離してはいない。戦闘中は断じて敵から注意を逸らすなと、真から教わっている。
「どうなってんだ、この人。俺より力あるぞ……それに……」
起き上がりながら十夜が呻く。
ただ力があるだけではない。レナードに掴まれた際、寒気のようなものが首筋から背中にかけて走り、形容しがたいおぞましさを感じた。目の前の道化の仮面の男が、何かしら超常の領域に足を踏み入れている事を確信できた。
「さて、もう一度戦い合ってくだサイ。別に今みたいに引き伸ばしバトルでもかまいませんヨ。むしろせいぜい戦いを長引かせてくだサイ。雪岡純子と相沢真が来るまでネ」
仮面の下で笑いながらレナードが告げる。
「それならあんたと戦うのでも構わないんじゃないかな?」
と、晃。
「いやあ、私はこう見えてもわりと名が知れていマシてね。私自身も幾度かショーをこなしてきマシタ。私と君達が戦っても面白くないのデスよ。私のショーを見てきた人達は、私が勝つとわかりきっていマスから」
口元に笑みをたたえたまま、両手を広げてみせるレナード。その言葉を受けて、十夜と晃は顔を見合わせる。
「どうする?」
十夜が身を起こして尋ねる。したたかに座席に打ちつけられたにも関わらず、怪我は無い。痛みも一瞬ですぐに引いた。
「思惑通りにするのも癪だけれど、どうにもできないじゃん。しゃーないし、訓練のつもりで戦っておこうぜ。さっきも言ったけれど、配信されるんなら宣伝になるわけだし。しっかし、十夜が肉弾戦で手も足も出ないって。只者じゃないな」
あくまでポジティブ思考な晃に十夜は口元が緩む。どんな状況だろうと、こいつと一緒ならば乗り切れる――そう思わせる活力と説得力が晃にはあった。それに十夜は惹かれていたし、救われてきた。
「でももう頭狙うのはやめてくれよな」
微笑みながら構える十夜に、晃も不敵な笑みを浮かべて銃口を向けた。
***
十夜と晃がホルマリン漬け大統領第七支部に拉致される数十分前、雪岡研究所にレナードから電話があり、二人をさらった旨が伝えられた。実際にはこの時間には、まだ二人はさらわれていない。
「助けたければ私に来るようにだってさ。んー、無視しちゃおっかなー。でもそうすると怒られそうかなー。可愛い後輩見殺しなんて、真君に出来るわけないしー」
「お前が無視しても僕が勝手に行くから問題無い」
からかい半分な純子に、銃の手入れをしながら静かな口調で言い放つ真。
「私も行くけどねー。御指名されちゃってるし。それにレナードさんをやっつけるだけならともかく、十夜君達を助けるのも並行して行うなら、二人で行って別行動した方がいいと思うんだ。どうせ罠張って待ち構えているんだろうし、どんな罠張っているかも大体見当つくしねー」
「部屋の中に閉じ込めて水牢とか、そんなパターンだろ、どうせ」
「だろうねえ。私の考えでは、二人が建物の中にいるとしたら、多分私達を建物の中へと招き入れてから、建物ごと爆破とか、多分そういう手じゃないかなーと思うよ。レナードさんの性格考えると、そういう大雑把で安易なことしそうだしー」
「なら、それに気づかないで、罠にかかった振りして裏をかくのはどうだ。これを使って」
傍らに置いてある、布で包まれた太く大きな筒状の物を、ぽんと軽く叩く真。
「私も同じこと考えていたよー。ま、真君にこの世界のイロハ教えたのは私だから、思考が似通うのも無理ないけれど、真君の師匠ポジション的にはちょっと嬉しいかなー」
真の顔を見て、純子が本当に心底嬉しそうににんまりと笑う。
「お前を本当の意味で敵に回すとは、あの道化仮面も思い切った事をしたもんだな」
「こないだ電話でちょっと挑発しちゃったせいかなあ。あの時、そういう気配は感じたよー。まあその覚悟には応えてあげないとね。あ、そうだ」
何かを思いつき、ぽんと手を叩く純子。
「どうせだから十夜君達にレナードさんをやっつけさせて、その様子をリアルタイムで配信すれば、いい宣伝になるね。うん。もちろんあの子達だけじゃあ荷が重いから、こっそり手助けもしてね」
「どうやって手助けするんだ?」
真が訝る。陰に隠れてこっそり撃つとかの類を想像したが、そんな支援では、見る者が見ればすぐにバレてしまう。
「それはその時になればわかるよー。んでー」
純子が真の傍らにある筒を指す。
「それは真君が持っていって、あの子達の救助に使ってあげてね。私は別行動するから」
「その別行動が不安なんだがな」
これまでの経験上、純子が一人で行動すると大抵ろくなことをしないので、できれば傍らにいて監視しておきたい所である。実際には側にいようといまいと、ろくなことをしない純子であるが、それでも暴走を抑えられる可能性はある。
「私はレナードさんをマークするだけだよ。彼が逃げようとする所を私が抑える役だね。じゃ、行こっか」
純子が先に部屋を出る。
「珍しくまともだな。いや……油断できないな」
そう呟くと、部屋にある棚から長いバッグを取り、布に包まれた筒を中に入れて背負い、真は純子の後を追った。




