23
江戸の街に着いた一向は、そこでも宿を借り、今後どうするかについて再検討を行っていた。
「敵の居場所もわかっているのですし、彼奴らからも刺客が放たれているとあっては、最早躊躇う事は無いでしょう。討ちに行くべきです」
香四郎が力強い口調で訴える。
「私も香四朗殿に賛成じゃがの、肝心の雫野殿に懸念がある様子」
闇斎が累を見た。
「チヨが言っていたでしょう。私達の中の誰かが死すると」
累が口にした言葉に、他ならぬチヨが反応して大きく身震いした。その顔は若干蒼白気味になっている。
「チヨが生まれ持つ能力がいかほどのものかも計れません。しかし、運命を予見する力があるのなら、運命に抗うこともできましょう。然らば私一人が右衛門作の元へと訪れる事が最良と、心得ました。右衛門作の目当ては私です。私が右衛門作の元へと向かいし最中に、皆が襲われる可能性は低いと思われます」
累のこの発言を耳にして、綾音は大声で反対を口にしたい衝動へと駆られた。
「やれやれ、大勢で固まっていた方がよいということで、五人で旅をしてきたのではないか」
闇斎が苦笑いを浮かべ、累をたしなめる。
「普段は一人で旅をしてばかりいるでの。中々にぎやかで楽しかったですぞ。特にこいつが一人で騒々しくてな」
チヨの頭をがしがしと乱暴に撫でる闇斎。
「事の終わりまで、最後まで五人でいようではないかい。それにの、その予知とやらの死の矛先が他ならぬ雫野殿であったなら、如何にする? その時は私達が雫野殿の助けになれると思うんじゃがのう。チヨ如きの予知なんぞ、私の力でひっくり返してやろうぞ」
「ぬおーっ。ごときって何ぞーっ。引っくり返してみろぉ~」
チヨが闇斎の首を後ろから羽交い絞めにする。
「おう、これでどうじゃー」
「ぬおおおーっ」
闇斎に足首を捕まえられて、文字通り逆さに引っくり返されてじたばたともがくチヨ。
累は諦めたように溜め息をつき、綾音を一瞥した。累としては、自分は絶対死なないという自信があるが、綾音にだけは死んでほしくないと思っている。綾音のことを案じて自分だけで行くと切り出したのであったが。
「それにな、敵は雫野右衛門作だけに非ず。耶蘇会と相対している魔女とやらもおるのだ。いくら雫野殿が古今東西に比類無き大妖術師であろうと、骨が折れるのではないかの」
皮肉と冗談を半々といったニュアンスで闇斎。確かにその魔女とやらの力は未知数だと、累も認める。
「わかりました。皆で……行きましょう」
仕方なく累は折れる。
「いつ行かれます?」
香四郎が問う。
「また……刺客が放たれても面倒です。今すぐにでも……」
「えー、いやだー。臭いおじさんと江戸の街見て回る約束してあるんだからさー。はいはい、却下却下。行くのは明日ってことにしようねー、オシッコ様。じゃ、臭いおじさん、チヨを江戸見学に案内する名誉を与えるぞよー」
チヨが累の言葉を遮り、一方的に決めつけたかと思うと、闇斎の服を引っ張って外へと連れ出そうとする。
「すまぬ、約束してしまった私の顔も立てて、ここは堪えてくれ。雫野殿」
立ち上がり、ぐいぐい引っ張るチヨに連れて行かれるような格好で、闇斎は申し訳なさそうな顔で、累に向かって顔の前で両手を合わせる。
「チヨは……帰ったらその身勝手な性根を、徹底的に叩きのめして改めさせます……よ?」
「うっひゃー、やれるもんならやってみるといいよォ~」
半眼でチヨを睨みつける累だったが、チヨはあっかんべーをして、部屋を駆けて出て行った。
***
翌日、累達五人は松平邸を訪れた。
門の前で門番に不審の目が向けられたものの、闇斎が持参した土御門泰重の紹介状と、何より右衛門作本人の了承があったがため、すんなりと中へ通された。
「三万七千人もの同胞を見殺し、女房子供も殺されて、しかし本人は悠々自適に絵を描く日々であると陰口も叩かれているそうですが」
廊下を歩きながら、香四郎が口を開く。
「本人にしてみれば痛痒にも感じておらぬでしょうな。最初からその予定であったうえ、死したる怨霊を利用までしておる」
正義感の強い香四郎からすると、雫野右衛門作という人物にかなりの不快感を抱いているように見えた。綾音にも同様の感情があることが、繋がった精神を通じ、累に流れこんでくる。
己の野心のために利用できるものは利用し、障害となるものは滅ぼしつくす。戦国大名達が皆行っていたことだ。敵国の所領にあった者であれば、武士ではない民百姓相手であろうと、それが女子供であろうと、特に深い意味もなく敵国の所領にあったという理由だけで殺されるのが常であった。
そうした時代を生きてきた累からすれば、右衛門作のしたことをさほど非道とは感じない。
「ううぅ~……すごく嫌な気配だよぉ……」
チヨが顔をしかめて唸る。チヨならずともその場にいる全員が感じている。廊下を進む先で、夥しい量の怨念が渦巻いていることを。
「ここじゃ。皆の者、気を引き締めてかかられよ」
右衛門作の部屋の襖の前に立ち、闇斎が告げた。妖気と怨念の量からいっても、間違いはない。
襖を開けると、五人を待ち構えるかのごとく右衛門作が入り口に向かって正座をしていた。そして自分を討ちにきた者達に向かって、にっこりと微笑む。
「ほっほっほっ、ようこそおいでなすった」
笑顔で出迎えた右衛門作が、座したまま床に手をつき、深々と頭を下げる。
「ひい、ふぅ、みい……五人も来られると、流石にこの部屋では狭苦しいかのう。ま、すぐに広げますから、あがってくだされ」
そう言って立ち上がる右衛門作。その言葉が何を意味するかは、チヨ以外の全員が理解していた。右衛門作が作った亜空間へと呼び込むつもりであろう。
「ん~……ところで――いかなる風の吹き回しですかのう。我が愚昧なる師よ。星炭の者と共にワシを討ちにくるなど」
「其方が連れてこいと言ったから連れてきたんじゃろうが」
累の方を見てせせらわらう右衛門作に、累が口を開く前に闇斎が言い返す。
「ワシのやることの何が気に入らぬのかな? まあ正直、ワシとしては願ったりかなったりなんじゃがの」
闇斎を無視して言葉を続ける右衛門作。
「師を越えるのもワシの悲願じゃったが、流石に大恩ある師に手をかけるなど、道義に反する真似もできんかったからのう。しかし師の方からワシを殺そうとしてくれたからには、遠慮せんでもよいな。ほっほっ」
「それがお前の望みであることは……知っていました。もう一つの浅ましい望みもね……」
累が意地悪く笑い返す。それを見て右衛門作の笑みが変化した。にこやかな老人の笑みではなく、下卑た狒々爺そのものの笑みに。
「ではどうぞ、御客人方」
亜空間の入り口を開くと、右衛門作は空間のひずみへと入っていく。
累が先陣を切って中へと入る。次いで闇斎と香四郎、最後に綾音とチヨが入る。
中の光景を見て、香四郎と綾音が眉をひそめた。空と地面は赤一色で染まり、大地一面には数え切れぬほどの十字架が立ち並んでいる。十字架に磔にされた怨霊が苦しみ喘ぎ、空間全体が途方も無い規模の怨念によって満たされている。
「うう~……」
感受性が強く、精神力を鍛える修行をしっかりとしていないチヨは、怨念にあてられて頭を抑えて蹲る。
「私とは……いささか趣が異なりますが……これはこれで見事といったところですか」
悪趣味極まりない世界を目の当たりにして、累だけが微笑んでいる。
「はじめましてー。選ばれし勇者達よー」
十字架の陰から出てきた、黒衣に身を包んだ女性が声をかけてきた。




