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異人の容姿をしているがために白昼堂々人前で歩きにくいため、累は辻斬りに赴く以外に町へ赴く際は、頭巾で頭髪と目を隠している。廻り方同心に不審がられて呼び止められた際は適当に誤魔化しているが、しつこく問いただされた際は、面倒なので殺害してしまう事も何度かあった。
町に赴いた累の目的は、かつて破門にした弟子に会うことだった。闇斎の話だけでは真偽は見出せないし、右衛門作が国壊しを企む真意に多少なりと興味はある。そのような大それたことをする男では無かったように思えた。
累は右衛門作にあまり好感を抱いていなかったが、絵を師事したいがためだけに、交換条件として妖術を教えた。だが彼の思想は累とは全く相容れないものであり、最後には口論の末に累の方から破門を言い渡し、それっきりだった。
堂々と松平綱吉の屋敷を正面から訪ねた累は、己の名を告げ、右衛門作に会わせて欲しい旨を門番に告げる。中に入った門番がしばらくしてから戻ってきて、累は屋敷の中へと通された。
小間遣いに案内されて邸内を歩いている際に、向かう先から禍々しい妖気が漂うのを感じ取る。懐かしい右衛門作の気配も混じっているが、それとは異なる妖気が幾つも凝縮されている。右衛門作が製造している悪魔のものであろうと察せられたが、居候している屋敷にそのような妖を大量に置いておくなど尋常な沙汰ではない。
通された部屋にいた老人を見て、思わず累は眉をひそめた。
(老けた……ものですね)
累が師事し師事された際もすでに中年の域であったが、皺が増し、頭髪が抜け、肌も黒ずんだその容姿を目の当たりにし、落胆と哀れみが混ざったような感情に捉われる。だが右衛門作の方はそんな累の反応を察し、逆にせせら笑っているかのように見えた。
右衛門作は累とは異なり、不老不死ではない。その術を授けようとしても、右衛門作は拒絶し、なおかつ否定した。それが累と袂を分かつた決定的な理由になった。
そして累は右衛門作を目の当たりにし、気がついたことが二つある。
一つは右衛門作と異なる妖気の出所。どうやら室内の別次元に広大な亜空間を築き、そこに多大な怨霊を蓄積しているようだ。デーモンもそこに控えさせているのであろう。
もう一つは、累を強く戸惑わせた。右衛門作から感じ取られる、非常に微かではあるが、疑い間違えようのない確かな、累がよく知る人物の魂の残り香。
(……何故この者に御頭の残滓が?)
それは累が二度と会えぬ想い人の魂の残り香だった。年数的に見ても、没後転生していても不思議ではない。御頭の来世たる人物と右衛門作が、どこかで接触しているのではないだろうかと勘繰る。
もしそうであれば、何としてでも突き止めて会いたい所であるが、たまたま御頭の縁の人物に会った程度かもしれないし、あるいは御頭の所持していた神器や魔具を手に入れたのかもしれない。それくらいに、感じ取れる魂の残滓は弱い。
「久しいのお。我が愚昧なる師にして我が秀逸なる弟子」
先に口を開いたのは右衛門作だった。ねっとりと絡みつくような視線が降り注がれる。その視線は、着物から微かに露出している口元や手、さらには足などに向けられていた。
「老いました……ね。我が偉大な師にして我が不肖の弟子……」
好色な目で自分を見る右衛門作に、不快感を募らす累。この辺りも累が右衛門作を嫌った原因の一つだ。明らかにそういう意識で累を見ており、それを隠そうともしない。さらには累が不快に感じているのを見て面白がるかのように、過剰に下卑た視線を這わせる。そうした性格もまた嫌いだった。
それでも累はこの人物から得たものは大きかった。得る物を得つくしてから、計算もしたうえで破門して自分の下から去らせたのである。
「もう二度と会うことは……無いと思っていましたが、星炭の者より……よからぬことを企んでいると伺い……ましてね」
「ほっほっほっ、その話よりもワシの絵を見てみぬかね? 絵が絵故に自慢できる相手が少のうての。お主には見てもらいたいとずっと思っていたんじゃよ」
右衛門作が襖を開けて、中にしまっていた多くの絵画を取り出し、累に見せる。
一目見て、自慢できる相手がいないという右衛門作の言葉の意味がわかった。それらは全て島原の乱を描いたものであった。それも一揆軍が幕府軍に殺されている様子を生々しく描いたものばかりだ。絵の全てには、黒い悪魔達も共に描かれている。
「お見事……です。素晴らしい……」
累は素直に称賛の言葉を口にする。夢中でそれらの絵を見入っていた。そんな累の様子を見て、右衛門作は顔をさらに皺くちゃにして心底嬉しそうな笑顔になる。
「できれば御主の絵も持ってきてワシに見せてほしがったがの」
残念そうに言う右衛門作。累も実はそれを考えはしたが、綾音の裸ばかり描いているのを知られるのも気恥ずかしくて手ぶらで来た。他の女の絵ならともかく、実の娘の裸というのを知られる事に抵抗があった。
「ワシが原城にて集めた怨霊を用いて、世に災厄をもたらしていることには、すでにお気づきであろう」
一つ一つ絵をつぶさに鑑賞する累に、右衛門作の方から本題を切り出す。
「星炭闇斎殿からある程度話を……伺って……います。近頃の世の……気の乱れが、お前の仕業と知ったのには……少し驚きました」
「師を驚かせることができただけでも、挑んでみた価値はあったというもの。ほっほっ」
「お前が斯様な……大それたことをする者とは、思っていなかったので……」
少し皮肉げに累。実際累は右衛門作のことを異能の力に憧れる小物と見なし、何かしら野心を抱く人物とは思っていなかった。
「ほっほっほ、さあ、早く聞いてくだされ。何故ワシが身の丈に合わぬ大それたことをしているかと」
そんな累の心を見抜き、右衛門作は揶揄する。
「何か目的が……あるのですか……?」
呆れたようにため息をつき、お望みの質問をしてやる。
「歴史に名を刻むためじゃよ」
右衛門作の笑顔が変化した。にこにこと愛想のいい笑みが、明らかに邪悪な歪みを帯びた笑みへと変わる。
「それも誰も成し遂げぬ偉業としてのお。未来永劫、この国にて、これより上は有り得ぬと人々に思われ、デウスの如く崇められ、語り継がれるほどの存在になってみたいと思いましての。いやはや、年甲斐もなく大それた野心など抱くなど、恥ずかしい気もいたしますが」
「破壊をもたらして、悪名を得ようなどとは……」
話を聞いて、ますます呆れる累。ここまで愚物だったことに幻滅する。
「お主にはわからんじゃろう。永遠の命などという世の理に反したものに見も心も預け、時を怠惰に貪るお主には、な」
右衛門作の笑みが今度は嘲笑へと変わった。累の中でふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「人は限られた時の中で何ができるか、どう輝けるか、命題があるからこそ良きものぞ。それをお主は不老不死などといったものを手に入れて、命を徒に永らえさせておる。お主は命の輝きの可能性を断ったのだ。それに気付いてはおらんだろうがな」
「故に……その限られた命の中で輝かんとして、国壊しですか?」
今度は累が嘲笑する番だった。
「左様。お主に否定できるかの? 永劫の命あらば大業を成す事も易かろうが、限られた命の中でそれは至難。故に挑む価値があるというもの。ま、いくら言うたところで、お主とはわかりあえぬじゃろうて」
「醜く老い、命尽きることを避ける術があるのならば……それを用いるのは当然でしょう」
「おう、確かにワシはもう爺じゃよ。じゃからどうした? ワシよりずっと歳を重ねておるくせに、維持する姿が童であることも滑稽じゃ。それがお主の望む姿であるということがな。人はどうあっても、心も体もいずれ大人になる。年老いてゆく。どんなに拒絶しようともな。お主がいくら拒んでも、心はすでに子供のそれではない。だがお主の心は老いてもいない。老いだの若さだのといったものを超越した、おぞましいことこのうえない化け物と成り果てておりよる。見た目の美しさはともかく、中身はのう」
そのおぞましい化け物の見た目に執着しているくせに――とは返せなかった累。それを自分の方から口にするなど、それこそおぞましい。
累がこの姿を維持しているのは、自分が気に入っているというからの理由だけではない。御頭に気に入られていたからだ。もしこの先年月を重ね、御頭の生まれ変わりに出会えたとしたら、きっとこの姿を気に入ってくれると信じている。そして前世のように愛でてくれるとも。
「右衛門作……お前に悪魔製造の術を伝えた、異国の魔女とやらに関し……訊きたいのですが」
御頭のことを思い出し、累はふと思い浮かぶことがあった。右衛門作に微かに残る御頭の魂の残滓。その正体を是非とも突き止めておきたい。怪しいのは右衛門作と接触した魔女とやらだ。
「あの娘と出会うたのは島原の乱の後でしたの。大量の怨霊を得たワシは、当初それを雫野の術で有効活用するつもりでありましたが、どうしても一人で出来る事には限界がありもうして。ワシの言いなりになってくれる術師を欲していたところ、たまたまあの娘と知り合うたのですじゃ。強い霊力を宿し、術の行使も行える妖を手軽に作る術とやらでしたが、いまひとつワシには扱いづらく、教えてもろうた術と雫野の術を融和し、昇華させましたわ。興味がおありなら、ワシが教えてさしあげますが?」
「興味があるのは術では……なく、その魔女ですが……。お前にその術を教え、何を……企んでいるのです?」
「ワシも問うてみたのじゃがのう。異国の術師の才を計るためなどと口にしておりましたが、どうもはぐらかされている感じでしたわい」
右衛門作が累に、嘘をついたりはぐらかしたりしている気配は感じられなかった。そもそもその人物の目的を隠す理由というのも想像しにくい。
「して、どうなされます?」
右衛門作が尋ねる。
「哀れにして愚かなる師よ。お主がワシの遊びを止めだてする理由はないはずよの?」
確かに無い。だが引っかかる。綾音のことを差し引いても、気に入らない。他の者がするのであれば歓迎するが、自分の考えを否定し、小馬鹿にする右衛門作だからこそ気に入らない。
「お主の望むことをワシが代わりにしてやるのだ。この国をより地獄へと近づける。否、地獄そのものにしてくれよう。泰平の世など幻想となり果てる。お主にしてみても、それは喜ばしきことじゃろうて?」
からかうように言う右衛門作。
「ならば……どうして私を名指しで呼び出したのです?」
半眼で右衛門作を睨み、累が問う。
「星炭に告げた言葉か? 呼び出したなど……そのようなつもりはありませんでしたがの。あれは挑発というか、行きがかりで口にしたこと。実際ワシを止められるのは、お主くらいのものでしょうからの。ほっほっ」
果たしてそうだろうかと累は疑念を抱く。行きがかりでわざわざ人の名を口にするものなのかと。目論みあって自分を呼び出すことは十分考えられる。目の前の老人には、自分に確かな執着があるからだ。
それに累が闇斎の依頼など引き受けるはずがないことも、わかっているはずだ。そこに矛盾があるし、右衛門作もそれを承知している。だが本心では右衛門作は累との戦いを望んでいるからこそ、そういう言葉が出たのかもしれない。
(この者にしてみれば……いくら大それた野心を満たそうと、私の存在は……未練として残るはず……)
遠まわしに自分を挑発して、誘き出そうとしているのかとも考える。欲を満たしたければ自ら直接自分の所に来ればよいとも考えたが、それをしようとしないのは、右衛門作の最低限の仁義なのかもしれない。
「お前の言う通りです……ね。しかし……」
累が立ち上がる。
「お前の口ぶりでは……私に邪魔をしてもらいたいように聞こえますが……。お前に関わるかどうかは……ここですぐに結論を出すより、考えたうえで決めますよ」
明瞭な答えを出すことなく帰る累。
それを見送って皮肉げに笑い、鼻を鳴らし右衛門作はこう呟いた。
「柄にもなく迷うておるのか? あの――人の皮を被った魔の化身が?」




