18
エレベーターのドアが開き、晃と十夜の視界に最初に飛び込んできたのは、純子に膝枕される形で伏した、血まみれの十夜の姿だった。
「十夜!」
凛の姿を確認することもなく、晃が血相を変えて二人の方へ走る。一方真は凛と視線をぶつけあわせながら、ゆっくりとエレベーターの外へ出る。
「そんな……十夜、死んじゃった……」
「心臓を止めて、脳含めて全身を仮死状態にしてあるだけだよ。助かるかどうかは五分五分かなあ」
愕然とする晃にそう言ってから、純子は真の方を向く。
「真君、どうやら凛ちゃんが決闘を御所望みたいだよー。受けてあげて」
純子の言葉に反応するまでもなく、真はすでに凛の殺意を受け止め、それに応じる構えで歩いていた。
凛が何故自分を殺そうとするのか。誰かの依頼なのか、恨みなのか、ただ単に戦いたいだけなのか、相手の動機はどうでもいい。すでに相手がその気でいる。真にとって、それだけで十分だ。
「私に銃で挑む気? 私の力を上回る能力が貴方にあるのなら、出し惜しみしない方がいいと思うよ」
すでに両手にそれぞれ銃を持っている真に、不敵な笑みを浮かべる凛。
見た目は小柄な少年だが、その小さな体から放たれる強烈な威圧感が、凛をかつてない悦びへといざなう。凛が常日頃から待ち望んでいた、極上の殺し合いができる相手だ。
「お前の力じゃなく、お前の頭に移植された妖術師の力だろ。自分が磨いたわけでもない力に縋っておきながら、自分の力だと錯覚していい気になっている哀れなマウス」
相変わらず抑揚に乏しいが、明らかに見下した真の物言い。
「別に縋っても無いけれどね。あくまで補助程度のものだし、貴方だって雪岡純子の言いなりで動く飼い犬じゃない」
その程度では笑みを崩すことなく、挑発し返す凛であったが、
「僕はお前らマウスが大嫌いなんだよ。何の努力も無しに、命をチップにして運頼みで超常の能力を手に入れて、優越感に浸っている馬鹿ばかりだしな。雪岡の力を借りて欲望を満たし、満足しているような、そんなしょーもない奴等とは相容れない。ついでに言うと、僕はあいつに改造されてはいない」
真のその言葉を受けて、凛の顔から笑みが消えた。
「言ってくれるわね。普通じゃかなわない願いってのもあるし、それをかなえてくれるのは素敵じゃない。大体そんな考えしておきながら、何で雪岡純子に仕えているわけ?」
「こんな考えだからだよ。あいつの悪行の数々は、僕にとって不愉快極まりない。気に入らない時はできるだけ逆らっているよ。飼い犬と呼びたきゃ呼べばいいが、忠犬ではないな。主の手に噛み付くのが好きな犬だ」
「あっそ」
不快感を露わにした顔で、凛は銃口を下に向けたまま引き金を二度引く。
頭上から現れた銃弾を一歩下がって回避する真。さらに片足を軸にして体を反転し、斜め下後方から放たれた二発目の銃撃をかわさんとしたが、二発目は真の左腕の防弾繊維と肉をえぐった。かすり傷と言うには重いが、深刻なダメージと呼べる程のものではない。
空間を飛び越えて飛んでくる銃弾の軌道とタイミングを、見ることもなく読みかわすという、離れ業をやってのけた真。これまでにも、凛が空間操作を使用しての銃撃をかわした者は何人かいた。腕の立つ者であれば、たとえ相手から見えない空間からの攻撃でも、微かな殺気だけでも反応する。
だが真の回避に移る際の反応速度を目の当たりにして、凛は驚きを禁じえなかった。
体を回転させた後に、真は二挺の銃を凛に向け、続けざまに三発撃つ。
一発目と二発目はそれぞれ左右を狙っている。凛が横に動いたら当たる可能性がある。
三発目が本命と見抜いた凛は、三発目だけを意識して、空間の扉を前方に開くよう、頭の中にいる町田へと訴える。
町田博次の術は、任意の場所に空間転移をするという便利な代物ではなく、次元の一つずれた亜空間を作り出す事と、視界の範囲内に予め決めた場所に、亜空間の出入口を作り、亜空間による短いトンネルで繋ぐだけだ。
その出入り口も自由自在に設定できるわけではなく、入り口を設定した際に、出口となる場所は入り口の場所からある程度の範囲内の距離に、制限されてしまう。また、その出口は固体がある場所には作れない。
真の撃った銃弾が、己の背後に出現したが、真はそれさえ予測していたのか、撃つと同時に右斜め後方へと移動していた。
戦いが始まってまだ五秒足らずであるが、そのわずかな間の真の動きを見て、凛は理解してしまった。この少年に、自分では勝てないと。見た目は可愛いお子様だが、中身は数多の修羅場をくぐってきた百戦錬磨の戦士だ。
(しっかりしろ。勝てないと思うならせめて生き残れ。無駄死にすることはない)
戦闘の最中にも関わらず、戦意を喪失している凛に、町田が意識の檄を飛ばし、凛の意志と無関係に次の術を発動させんとする。
町田が何をしようとしているのか、凛にはすぐにわかった。逃走のための扉を開くつもりだ。つまり、今は町田の力を銃弾の空間跳躍には使えない。
凛が銃を真に向けようとしたが、すでに真の銃口は凛に向けられた状態だ。能力に頼ったせいで発生した、致命的な遅れ――
(化け物……)
十秒にも満たない時間での攻防の後、凛の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
町田が後方に開けた空間の扉に倒れこむにようして、後頭部から斜めに凛の姿が消えていく。
真が引き金を引く。
エレベーターのある方向に作られた、短い亜空間通路の出口の扉に、凛の腹部から上だけが、後ろに傾く形で現れた。
凛の胸の中央には赤い点が穿たれていた。心臓の位置だ。どう見ても即死である。そして下半身だけが真の前方に残っている。
空間と空間を繋ぐ亜空間の狭間にひっかかり、体が二つに分かたれた状態で、凛は息絶えていた。
(私のせいか……余計なことをしたから……)
凛の意識が消えても、町田の意識は二秒ほど残っていた。凛と己の死を悟った町田は最後に残ったわずかな時間で己の独断を悔やみ、その意識は消えた。
空間の扉が閉じ、凛の体は文字通り分断され、血と臓物を大量に撒き散らして床に落ちる。蛇の絡まった十字架のペンダントが胸元から床へと落ち、血溜りに沈む。
「ひどい最期だ」
銃をしまうと、真が小声で呟いた。この凄惨な光景が、ネットで戦闘の様子を観覧していた悪趣味な客共を沸かせているかと思うと、わざわざショーを彩ってやったような結果になって、いい気分がしない。
「終わったねー。十夜君の売り込みは失敗しちゃったかなあ、この有様だし」
血まみれの十夜を抱きかかえ、立ち上がる純子。
「十夜が死んだら……俺は……」
目を閉じ、まるで生気を感じさせない十夜を呆然と見つめ、晃は呻いた。
「こいつを引きこんだのはお前だぞ」
真の一言に、泣き顔になりかけた晃は唇を噛み、表情を引き締める。
「こっちはうまいこと勝利したけれど、片方が負けているんじゃ宣伝としては微妙だな。両方勝たないと、アピールとしては弱い」
しかし、次いで真の口から出た言葉に、晃の引き締まった顔も一瞬しか持続せず、落胆に歪む。
「そうだねえ。ま、それでも顔と名前ちょっとくらいは、覚えてくれる人は覚えてくれると思うよー」
純子がフォローするが、真と純子では、真の言葉の方に重きを置く晃なので、あまり気休めにならなかった。