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「まあ、なんだ……。その……俺がお前の親父ってわけだ」
ポケットに両手を突っ込み、惣介から目を逸らして話しだすバイパー。
「今更……現れて、その……親父だなんて言われてもアレだろ。腹立つか呆れるかだろうけどよ。なんつーか、悪いが、俺は今の今まで自分に餓鬼がいたことさえ知らなくてよ。いや、こんなこと言うと余計にムカつくよな……」
せわしなく足を踏みならしながら喋るバイパーをじっと見て、惣介は口を開いた。
「何で俺と目を合わせないで喋るの?」
挑むような口ぶりでもない。蔑むような口ぶりでもなく、本当に不思議がって尋ねる。大人相手に生意気な質問をぶつけているという自覚はあったが、あえてぶつけてみた。
「いや……そりゃ気恥ずかしいっつーか照れるっつーか、恨まれてるかもしれねえって思うとブルーだしよ……それに、そうでなくても俺は父親なんてガラじゃねーっつーか、何百人と壊している、とんでもねえ悪党だからよ……。そんなのが親父なんかで、お前に悪いとも思うしよ……」
「でも、助けにきてくれたんだ……? 会ったこともない俺を」
惣介の言葉に、バイパーは疑問を覚える。
(一応こいつは、俺がいたから助けることができたのか?)
わざわざ会話の機会まで設けてくれた純子のあの様子からすると、目当てである自分が来たことで、少なくとも惣介は解放してくれそうではある。雪岡純子という人物、噂ほど悪人とは思えない。
「人助けなんてするような柄じゃねーよ。けどよ、見捨てたら流石に寝覚めが悪いし、つまりはまあ、俺のために来ただけだ。感謝する必要ねーよ」
「母さんがああいう仕事をしていることは知ってるの?」
話題を変える惣介。惣介にとって触れたくなかったし触れるのが怖い話題であったが、今しか触れる機会が無いと思えて、切り出してみた。この人なら藍にあの仕事をやめさせられるかもしれないという、全く根拠の無い淡い期待も込めて。
「ああ」
何ともいえない、悲しげな面持ちで頷くバイパー。
「何とも思わない?」
「正直に俺が考えていること、言っていいのか?」
気まずそうな表情を向けて尋ね返すバイパーに、覚悟を決めた眼差しで頷く惣介。
「馬鹿だと思ってるよ。でもどーにもできねーじゃん。それがあいつの選んだ道だしよ」
返ってきた言葉に惣介は軽く落胆する。しかし同時に惣介の方も諦めがつきそうになっている。純子と行動を共にしたこの数日の間に、気持ちも大分冷めていた。
「生き方ってのは簡単に変えられねーだろ。俺も今すぐ普通の人間になれなんて言われても無理だ。お前も今すぐ聖人君主になれって言われても無理だろ? 普通の生き方すらまともにできないっつーか、それがハードル高いっつー奴もこの世にはいるわけさ。俺とか、お前のかーちゃんみたいな人間には無理なんだよ。普通になれない。おいそれと生き方を変えらんねー。馬鹿だしさ、不器用なんだ。お前がそんな親の下に生まれたのは、すげー不幸かもなー。でもよ、だからってお前が親のせいで苦しもうが、それも親元を離れるまでの間だろ? 何なら今離れてもいい。いや、苦しいのはわかるけどよ。俺もろくでもねー親もってたし。だがそれがお前の人生の全てじゃねーよ。諦めちまえばいいんじゃねーのかな? 諦めてお前はお前のことだけ考えてりゃハッピーじゃねーかな。……ってのが、俺の考えだな」
真顔で喋っていたバイパーだったが、最後に相好を崩して小さく微笑んで見せた。
「すまねえな。俺も馬鹿だから、こんなことしか言ってやれねえ。ただ、俺はすまねーと思ってるよ。俺にもう少し甲斐性があれば、あいつもお前も今とは違う人生だったかもしれねえのにさ」
不器用なりに精一杯誠意を込めて話すバイパーに、惣介は好感を覚える。話をしてよかったと思う。だがそれを伝えるうまい言葉が見つからない。
無言のままでいる惣介。何か言葉を返してやらないと相手も困るんじゃないか、誤解させてしまうんじゃないかと、惣介は焦りだす。何でもいいから言葉を返してやりたい。できれば自分の今気持ちを表したい。
「いやー……その……俺だって不器用だからさ、そう簡単に割り切れないよ。あはは」
「はははは」
惣介がやっと思いついて口にした台詞がそれで、思わず自分で笑ってしまう。バイパーもそれにつられるかのように、声をあげて笑った。
***
純子に次いで、柱の影に潜んでいる健の存在に気がついたのは、秀蘭だった。
「そこに隠れている人。出てきなさい」
その言葉に、健の動悸が激しくなる。
「扉から向かって三本目の左手側の柱の陰に隠れているあなたです」
自分のことを指しているのではないという希望的観測が働いたが、御丁寧にも居場所も特定されてしまう。
(糞、ここまで来てっ!)
焦り、混乱しながらも、脳をフル稼働させてどうするかを考える。
(ままよっ)
思い切って柱の陰から飛び出す健。そして一直線に藍めがけて走る。そのまま藍の背後に回り、後ろから口元を押さえてこめかみに銃口を突きつける。
「動くな! この女がどうなってもいいのか!」
「いいんじゃない? 別に俺達と関係無いし。人質とか意味無いよ? つーか誰よ?」
常套句で精一杯凄む健だったが、張が呑気にそう尋ねる。
「そういうわけにもいかないでしょう」
張をたしなめつつ、秀蘭は純子を見やる。
(その位置にいるのなら、彼女が人質に取られるのを防ぐこともできたろうに、全く反応せず、動こうともしなかったのは一体……)
純子の反応の無さを訝る秀蘭。
「んー、誰かな?」
藍をひきずるようにして、じりじりと扉の方へ向かう健に、純子も危機感の無い様子で誰何する。先程純子が見逃した、柱の陰に隠れていた人物であることはわかっている。
「お前らに用は無い! 妙な真似するとこの女の頭吹っ飛ばすぞ!」
芸の無い脅迫の言葉を喚き散らすと、健は扉を開けて公衆浴場の中へ飛び込んだ。
「何故動かなかったのですか?」
秀蘭が純子に問う。
「いや、面白そうな展開になったかなーと思って。運がよければ、これで私の思い描いた筋書き以上によい結果にもなってくれそうだし」
純子の口から予想だにしない返答が帰ってきて、秀蘭は押し黙った。
「何だ、てめーは」
藍を人質に取る格好で室内に入ってきた健を見て、バイパーの形相が一変する。
健はバイパーに目もくれず、惣介の姿を確認し、なおかつ自分の腕での射程範囲なのも確認して、歪な笑みを浮かべた。
「ダチの敵討ちに来ただけだ!」
叫ぶなり銃口を惣介の方に向ける。
それを見て藍は顔色を変え、自分の口元を抑える健の手に噛み付いた。健がひるんだ隙に拘束をふりほどき、惣介の方へと駆ける。
(何だ、この悲劇のお約束展開は。ふざけてんじゃねーぞ!)
憤りつつ、結果までありがちな展開にさせまいと、バイパーは健に向かって何かを投げつけた。長い針だ。
だが――遅かった。
バイパーの放った長針が健の頭を穿ちぬく――より早く、健は二発の銃弾を撃っていた。そのうち一発は藍の腕に当たり、左腕から血がにじむ。そして残りの一発は、健の執念が実り、惣介の額を撃ち抜いていた。
その光景を目の当たりにして、藍は銃弾の衝撃に倒れながら、顔を歪めて声にならぬ叫びをあげる。
「おやおや。一番いい展開にはならなかったけれど、二番目くらいに都合のいい展開にはなったかなあ」
扉の外からその光景を目の当たりにした純子が、微笑みながら緊張感に欠ける声で呟く。
「私の予定とは狂っちゃったけれど、こっちのが都合いいし、せっかくだからこの状況を利用させてもらおっかな」
惣介の肉人形の前でへたりこみ、呆然としている藍の方に歩きながら、なおも呟く純子。
「さーてと、大変なことになっちゃったけどさー」
場にそぐわぬ屈託の無い笑みをひろげ、純子が藍の顔を覗き込んだ。藍は全身を小刻みに震わせ、歯をかちかちと鳴らしている。
「どうする? 君を助けるためにこの子は私と契約して、ここまで来て、不幸にもこういうことになっちゃったけれど、君はどうするー?」
藍は震えながら純子を見上げた。突然の悲劇で思考が停止した所に持ちかけられた、悪魔の誘惑。いや、誘惑も何も、選択肢など有り得ない。断ることはできない。
「私はどうなってもいいから、実験台にでも何でもなるから……この子を助けて……」
純子を見上げたまま掠れ声で懇願した直後、藍の双眸から涙が溢れ出した。
「はいはい、契約完了。で、君は先に病院行った方がいいかな。結構出血が激しいし。惣介君は私の方で預かって何とかするよー」
「我々が病院に連れて行きましょう」
そう申し出たのは室内に入ってきた秀蘭だった。李も入ってきて、手早く藍の腕の服をまくり、止血をする。
「じゃあ頼んだよー。君達にとって大事な担保なんだから、くれぐれも丁重に扱ってねー」
「笑いながらひどい皮肉をぬかしてくれるね」
思わず笑ってしまう李。だがこうして藍を確保した所で、純子が取引に応じなかった場合、保険の人質になり得るかどうかは、正直微妙だと李には思える。
「おい、待てよ!」
「大丈夫です。ちゃんと無事に病院に届けます。今それができるのは私達だけですよ」
呼び止めるバイパーを安心させるかのように、秀蘭が柔らかい笑みを浮かべて見せる。ほとんど表情の無かった彼女の笑みを見て、バイパーも任せるしかないと判断し、それ以上は何も言わない。
「ちょっと君達もこの部屋から出ておいてくれないかなあ。この人の回収は、私の役割だからねえ」
「承知しました」
純子の要望に素直に従い、秀蘭と李は藍を連れて公衆浴場から出る。
「何が契約完了だ。死人を生き返すなんてできるわけねーだろ」
気の抜けた声でバイパー。先程まで話していた惣介の突然の死、死者の蘇生を代償として取引を持ちかけられた藍。それらを見て、バイパーも藍ほどではないが放心気味になっていた。
「私はこの子を助けると約束したよ? 約束は必ず守るつもりだけどー?」
純子が倒れている惣介の首を引き抜いた。中から、専門知識が無くても一目で人間には有り得ないと思われる器官が現れる。さらには機械も。
「サイボーグか?」
「違うよ。元々これ、遠隔操作の肉人形なんだよね。惣介君を危険に晒さないようにと思って。こんなんでも君は釣れたし、予定とちょっと違ったけど、藍ちゃんの前で死なせたように見せかけることもできたからねー。本当は私の手で殺した振りをする予定だったんだけどー」
「あいつの前で死なせたように見せるって……」
呟きかけて、純子が持ちかけた取引のことを思い出す。さらには、最初に自分達三人と会話をさせるため、遠慮して部屋を出ようとしていたことも。
「俺が今想像していることで、いいのか?」
純子の目論見を察するバイパー。つまりは惣介のために、一芝居うったということなのかと。
「多分、それで正解なんじゃないかなー。あ、でもそれはそれ、これはこれ。君は私の敵として目の前に立ち塞がったんだから、その代価として実験台にはなってもらうからねー」
「ふざけた奴だ。餓鬼が偽者だとわかったんなら、俺はもうここには用はねえ――と言いたいところだが……いろいろとムカついてるし、壊れない程度にちぎってやるよ」
垂れてきた髪を後ろになでつけながら、野性味あふれる笑みを浮かべるバイパー。
「整髪料は使わない主義なのー?」
「ああ、だからこうしてんだよ。しっかし噂通りの便器だな。まるで全てがてめーの思い通りになるって思い込んでやがる。ムカつくタイプだわ。ま、こういう、てめーが死ぬ覚悟もできていないような奴は、その思い上がりが足を引っ張って無様にくたばるのがパターンだがな」
「そんな覚悟あるわけないじゃなーい。私はここまでずっと生き残っているんだし、この先も永遠に勝ち続けるんだからさあ。負けて死ぬ覚悟なんてもの自体ナンセンスだよぉ?」
純子の返した言葉に、バイパーは笑みを消す。相手の言い分の方が説得力もあるし格好よいと感じられた。自分も考えをそちらの方に乗り換えようと。
「タブーの一人のバイパー君かあ。名前ほど毒は無さそうだねえ」
一方で純子は訝っていた。口では悪ぶっているし、どちらかというと強面のバイパーだが、全く殺気が感じられない。悪意も毒気も狂気も感じられない。
「まあ先に言っておくと、俺はアルラウネのオリジナルなんか移植されてねーよ。あてがはずれたな」
「あれま、それは残念。でも藍ちゃんの体内へ影響を及ばしたり、惣介君にアルラウネの遺伝子も引き継がせたりとか、それだけでも初めて見るケースだからねえ。君自体も研究素材として十二分に価値はあるよお? 誰の手によって作られたのかも興味あるしね」
「おめーの知ってる奴だよ」
主であるミルクの口ぶりからして、知り合い同士なのは間違いないと踏み、バイパーはそう告げた。
「あー、教えなくていいよー。教えてもらうと遠慮して手出しできなくなっちゃうから」
「何だそりゃ……。まあいい。知らなければ何やってもいいってのかよ。本当おかしいわ」
ゆっくりと歩を進めて、間をつめていくバイパー。純子もそれに応じて、微笑みをたたえたまま静かに闘気を立ち上らせ、バイパーの方へと歩み寄る。
互いにあと3メートルほどの距離になった時、二人はほぼ同時に床を蹴った。




