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旧安楽寺院の敷地へと入る正門を、一人の少女がくぐった。
年齢は十代半ばほど。背はやや低めで、サイズの合わないだぶだぶの厚手生地のTシャツを着ていて、上着はそれだけだった。シャツそのものは冬用だが、その上に何もはおっていない。シャツの裾は太ももまで伸びていて、下に何をはいているのか判別がつかない。ストッキングも靴下もはいておらず、素足にスニーカーだけをはいている。一見すると、Tシャツとスニーカーしか身につけてないようにも見える、異様な格好だ。
少女の両手には大きなバスケットがあった。それを下げて歩くのではなく、胸に大事に抱えるようにして歩いている。
「くぅぅぅ……」
少女が歩きながら、唸り声をあげる。顔立ちはわりと整っているが、髪は癖っ毛だらけで、全く手入れをしていないかのように見える。
『ま、元々こうする予定ではあったがね。純子本人が出てきているわけだし、遭遇したらバイパーに勝ち目はないし』
肉声とは明らかに異なる響きの声が少女の周囲に響く。
「くぁぁ……」
両手に抱えたバスケットを見下ろして、少女は喉の奥から空気をしぼりだすかのような獣じみた唸り声を漏らし、中にいる己の主に返答を返す。
『繭、何度も言うがやりすぎるんじゃねーですよ。たまにはお前も遊ばせてやろうっていう、私のありがたい心遣いで連れてきてやったんだから。まかり間違っても殺したりしないよーにな』
「くぅ……」
繭と呼ばれた少女は、偉そうに命ずる声を聞いて、嬉しそうに微笑んでみせた。自分が外に出してもらったことに対する感謝の念と喜びの現われだった。
『芦屋と遭遇した時は結構危険だったけど、純子の目的上、殺すことはないだろうから、万が一あいつがバイパーを捕獲した後も、すぐ取り返す、が……』
「くぅ?」
訝るような声をあげる繭。声の主が何を言いたいか計りかねたのだ。
『純子のマウスと戦わせて経験を積ますことを考えたのですけど、場合によっちゃあ、純子本人とやりあいかねないってこと。そうなる可能性も想定済みですし。強い奴とやりあわせるのはバイパーにとってもいい鍛錬だから、あえてあいつ一人に行かせたんですよっと。ただ、その後で放っておくわけにもいかないし。放っておいたら、純子に何されるかわかりゃしねー』
そこまで言ったところで、バスケットの蓋から内側から開かれ、中から一匹の白猫が頭だけを覗かせた。
『いた』
ミルクの視線の先を繭も見やる。制服姿の小柄な少年がゆっくりとした歩調で庭園の中を歩いている。相沢真だ。
『純子のお気に入りの殺人人形とやら、どんなもんか、ちょっくら試させてもらおうか』
そう言うとミルクはバスケットの中から飛び出し、地面に降り立つ。
『ここじゃあ場所的に活かせない。建物の中に連れて行け』
「くぅぅぁあぁぁ」
ミルクの命令に頷くと、繭は真の方へと早足で向かい、堂々とその前に躍り出た。
***
バイパーと藍は礼拝堂の中へと入った。
「一番いそうな場所だと思ったが、誰もいねーな」
周囲を見回して呟くバイパー。そこら中瓦礫だらけで、無数にある柱や壁にもひびが入り、雨水の染み出た後がある。奥に設置された、石で造られた扉付き階段の形の説教壇も薄汚れている。
室内において、かつては綺麗に飾られていたであろう幾何学的な装飾の数々も、所々無残に剥げ落ちている。カラフルに彩られたランプが幾つもついたシャンデリアだけは、遠目に見て見栄えよく映る。
「別の場所に隠れているんじゃない? 礼拝堂以外にも部屋が多いようだし。それにこんな荒れ果てた場所じゃ、落ち着いて待ってもいられなさそう」
と、藍。
「荒れてない場所なんてあんのかね? あったとしてもそれがどこなのか――」
言葉途中にバイパーが険しい顔になる。無数の気配が接近してくるのを礼拝堂の入り口の方から感じたのだ。
「この感じ――統制の取れた足運び――あいつらか」
嬉しそうに含み笑いを漏らし、入り口を見据える。
「お前は終わるまで隠れてろ。そっちの出口から通路に入っておけ」
「こっちに敵がいる可能性は?」
「いるかもしれねえが、多分いない。そっちから誰か来る可能性もあるが、そんなこと言ってたらどうしょうもねえ。少なくともここにいるよりは安全だ」
「わかったわ」
藍が頷き、礼拝堂の奥にある扉へと向かう。
やがてバイパーの前に、見覚えのある集団が姿を現す。同じ服装、同じアサルトライフルによる武装。中国工作員部隊、煉瓦の面々だ。
「そろそろてめーらが来るんじゃねーかと思ってた所だよ」
一斉に銃口を向ける煉瓦を不敵な笑顔で迎え、先に声をかけるバイパー。
「おやおや、遅刻したと思ったら、そうでもなかったのね」
李がおどけた口調で言う。
「漁夫の利のあてがはずれましたね」
李の横に進み出て秀蘭が無表情のまま言った。
「あー、えっとな、まず先に言っておきたいことがあるんだがよ。お前らのお目当ては俺だ。三狂の一人、草露ミルクにアルラウネを移植されたマウス。雪岡純子が俺の息子で釣ろうとしている張本人だ」
「へえ」
バイパーの突然の宣言に、李は興味深そうに薄笑いを浮かべる。秀蘭も微かに片方の眉を動かす。
「それを自ら告げて標的を自分に向けるというのは、貴方のお子さんに手出しをさせないようにとするためですか?」
「まあ、そんな所……かな。ガラじゃねえけどよ。顔も見たことも無い餓鬼守ろうとか、馬鹿馬鹿しいと思われちまいそうだが」
淡々とした口調で問う秀蘭に、バイパーが視線をあらぬ方向に向けて、照れくさそうに答える。
「ま、万が一のことってのも考えてな。てめーらにすりゃラッキーだったろ。雪岡純子でも相沢真でも他の競合相手でもなく、真っ先にお目当ての俺に出会えたんだし。それとも、餓鬼も実験材料に連れて行かなきゃ気がすまないか?」
「いいえ。オリジナルのアルラウネさえあれば、私達はそれでよいのです。雪岡が人質に取っている子がそうではない理屈は考えればすぐわかること」
「ま、俺も実はオリジナル移植されたわけじゃあないけれどな」
「それは私達に判断できうることではありません。貴方を連れ帰って、我が国の研究班が判断することです」
「ごもっとも。ただまあ、俺に勝ってからっていう前提だがよ」
獰猛な笑みをたたえ、バイパーが静かに煉瓦の方へと歩み出す。
「あ、こいつって、できれば生体で連れ帰った方がいいんですよね? ちょっと俺にやらせてくれませんか?」
緊張感に欠ける声で名乗りをあげたのは張だった。
「んー、弾の通らない体みてーだし、肉弾戦で打ちのめすってのもありかもね」
顎に手をあて、にやにやと笑いながら李。
「それなら一斉にかかるべきでしょう。もう一対一の勝負は許しませんよ」
「一斉にかかると、いらぬ犠牲者も出しかねないね。てなわけで、精鋭選抜といきましょうよ」
秀蘭に釘を刺されたものの、李は不敵な笑みを上官に向け、堂々と異論を述べる。李の言うことももっともだと判断し、秀蘭は無言のまま、それを認めるニュアンスで頷いた。
「じゃあ俺でいいですよね」
「お前しつこいね。ま、俺と張の二人がかりでいいか」
自分を指して再びアピールする張に、呆れながら李。
「どうせ最終的には全員相手するし、一度に来ても構わねーんだけれどもな」
煉瓦のやりとりの合間にストレッチなどして待っていたバイパーが、口を挟んだ。
「ふーん、お前さん一人でうちら全員を殺せるつもりなのかー。凄い自信だねー」
李が不敵に笑い、部隊の列から出て、ゆっくりとバイパーの方へと近付いていく。張もそれに習うかのように足を踏み出す。
「殺すって言葉は安っぽくて好きじゃねーんだ。うちの御主人様が息吸って吐くくらいに連発しているせいもあって余計にな。俺的にはちぎるとか壊すってのがしっくりくる。それに俺はこう見えても謙虚なんでね。大言壮語はしねーよ。できる自信のあることだけ口にする」
ゆっくりと近づいてくる李を見据え、バイパーがストレッチを続けながら喋る。
「ふー……日本人は謙虚を美徳とすると自分達で思い込んでいるが、それは間違いだね。欧米人程ではないが、君達も相当傲慢だよ。他人には謙虚な姿勢を押し付けたがるが、己は謙虚ではない。謙虚な姿勢を振舞うのも、人目を気にしてだけのことだしね」
李は立ち止まり、臍のあたりで両手を合わせ、喋りながら気を練りはじめた。
「お前等はもっと傲慢なくせに何言ってやがる。ま、俺は人目なんざ気にしねーから、本当に謙虚ってことでいいな」
ストレッチを途中でやめると、バイパーは李と張めがけて突進した。




