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診療台の上に、裸に剥かれてシーツだけかけられた状態の女性が寝かされている。その前で純子が顕微鏡を覗きながら、嬉しそうにいつもの笑みを浮かべていた。
「ただで助けてはやらないのか? まだ小学生だぞ?」
悲壮感いっぱいの惣介の顔を思い出し、何故か嬉しそうにしている純子に憎らしさを覚え、真が噛み付く。さっきまでは純子も重い表情だったのに、何故かここにきて機嫌がよくなっている。
「君だってここに住むようになったのは、中学生の頃だったじゃない。まあ、真君は実験台志願で来たわけじゃあないし、あの時、実験台になる以上に過酷な道を自分で決めたわけだけれどさー。同じことだよぉ。覚悟を決めて自分で選んだ道なんだから、私はそれに応じるだけなんだ」
真の感情を見てとり、たしなめる純子。いくら真がケチをつけようが、たとえ嘆願しようが、あるいは怒ろうが、純子は一切聞き入れない。それはわかりきっている。彼女が自分に課したルールを破ることは無い。真もわかっていたが、今回は噛み付かずにはいられなかった。
「ここに来るのは……最底辺の奴等ばかりだよな。自殺志願者、復讐目的、ニート、いじめられっ子。社会に恨みを持っている奴とか、自分より恵まれた者を妬む奴とか、追い詰められて切羽詰った奴とか……。そういうのに希望を与える、救いを与えるってのは、百万歩譲って目瞑ってもいいさ。でも、そんな破滅と絶望の隣り合わせの代償なんか、無くても構わないだろ」
真は雪岡研究所に訪れる者達に、蔑みと憐憫の感情を同時に抱いていた。彼等の血を吐くような想いを理解はしつつも、認められなかったし、醜悪に見えて仕方なかった。力の無い者が、人生の一発逆転の奇跡を望んで自分の命をチップにしようとする構図に、どうしても嫌悪感が沸いてしまう。
「力を得るためにも、望みをかなえるためにも、ピンチを脱出するにも、他者の大いなる手助けが欲しいのなら、その代償は必要だよー。それはあってしかるべきことなんだ。それが私の美学だって、君も知ってるでしょー?」
喋りながら、顕微鏡を机の上に置き、寝台に寝かされた藍の体に差し込まれた電極の幾つかを抜いていく純子。頭にはつけたままだが、すでに何らかの処置は行ったようだ。
「そのくだらない美学とやらが認められないっていうんだ」
「だったら、誰にも力を与えない方がいいかなあ? 私は強要しているわけでもないし、ここを訪れる人は皆、覚悟したうえで、承知したうえで来てるんじゃなーい?」
「追い詰められてやむなくって奴もいる。今回がそうだ。まるでお前は、その弱みにつけこんでいるかのようじゃないか」
「そりゃまー、本音言えば、美学云々以前に実験素材が欲しいってのもあるからねえ」
言って再び顕微鏡を手に取る。
「お前はそれを楽しんでいるだろ」
自分でもしつこいと意識しつつも、真はなおも噛みつく。
「人が運命に翻弄され苦しみもがく姿は、絵になるし物語になるものだからねえ。当人はたまったものじゃないけどさあ。運命という名の悪意に満ちた作家に振り回されそうになった時、抗うにはどうしても力がいるんだよ。私は何の力も無い人に、その力を与えてあげるのも好きなんだー。そして私が与えた力で抗う様を見るのも。その後の成長を見るのもね」
純子のその物言いに関しては、真は不快さを感じなかった。実際真は知っているからだ。純子から力を授かって窮地を脱したり望みをかなえたりした後、人間的に大きく成長した者達や、己の力を活かして成功していった者達の存在を。純子の性格や立場からしてみれば、それは楽しいに違いない。
「何で私がマッドサイエンティストしていると思う?」
それまで真と目をあわせず話していた純子が、ここでようやく真の方を向いた。
「理由は幾つかあるんだけれどさ、そのうちの一つに、創造への謂れなき差別と弾圧に対しての反抗ってのがあるんだよね」
口元には微笑を浮かべつつも、珍しく純子の瞳に哀しげな光が宿ったのを見て、真は驚いた。純子は悲しみや嫌悪や怒りといった負の感情を滅多に見せない。少なくとも表には。
「発明家だったり、科学者だったり、芸術家だったり、思想家だったり、作家だったり、まあいろいろあるけれど、新しい何かを生み出した人に対しても、生み出された物に対しても、時代はそれをただただ手放しで歓迎して、受け入れているわけじゃないんだよねえ。時として反発し、迫害しはじめたりするんだよ。人間の愚かしさの一面だよね。地動説を唱えた人も叩かれたし、進化論を唱えた人も叩かれた。まじないの類を治療法にしていた地方やら時代では医学を用いての治療を外法と罵ったり、臓器移植が人道的観念とやらで禁止される一方で、人命が失われるのは黙認される事になるおかしな法律があったり、他にもいろいろだけどさあ。てなわけで、私は何百年もの間、そういった矛盾と欺瞞と偽善に満ちた人類の愚かしさっていうのかなあ――歴史と一緒に、そういうのとずっと戦ってきたんだよねえ。そういうのに抹殺されてきた、人や物や考えや技術を嫌というほど見てきたんだ。だから私は開き直って、悪の側に自分を置くことにしたの。それだけが理由じゃないけどね。ま、いくら口で言っても、わかってもらえないかもだし、私が生きた途方も無く長い時間からのこの結論、この想いは、人には伝えきれないと思う。でも――」
いつもとは明らかに違う様子でもって語る純子の話に、真は聞き入っていた。
正直、嬉しかった部分もある。いつもはぐらかすかのような語り口ばかりの純子が、ここまで真剣に己の内を自分に明かしてくれていることが。
「伝えきれないと諦めきっているんだったら、わざわざ僕に言ったりもしないだろ」
真の言葉に、純子が微笑む。寂しげでもあり、嬉しそうでもある笑み。
「うん、君にはわかってもらいたいかなーとか思っちゃっていたりするんだなあ、これが。あははは、まあ君は私がマッドサイエンティストしているのが気に入らないようだし、私に楯突くのも全然構わないんだけれど、たださー、知るだけでも知っていてもらいたいと思ってたかなあ? いい機会見つけたから、今がチャンスとばかり話しちゃったけど」
純子の笑みが照れくさそうなものに変わる。
「まあ……そういう風に言われると、理解してやりたいとも思わなくもない……。でも僕はお前のこと……知らない事が多すぎる。お前は僕をほとんど知っているのにさ。生きた時間が違いすぎるから、当然だけれど」
「んー、その差は私も感じているよー。それを埋められれば、そりゃ素晴らしいんだけれどねえ。私も不器用だから中々ね……。ああ、別に私に楯突くなと言ってはいないよ。君はそのまま私とのゲームを続ければいいよ。私を止めたいのなら、言葉ではなく力でね。君だってわかってることでしょー?」
「言葉も大事だよ。ちゃんとお前の心に刺さっているはずだから」
そう言いつつも、いい加減この話題はやめようと思い、真は寝台の方を向いて別の話題を振る。
「で、蘇生できそうなのか?」
「できそうにないならあの場で無理だと言ってるよ。肉体の損傷具合や時間経過によっては無理だけれどさ。ていうか、仮死状態のような感じだったしねえ。今、細胞活性液を注入したから、もうしばらくしたら蘇生するよ。で、検査してみたら、すごく馴染みのあるものが出てきたんだよー。死をくいとめたのもこれが原因だろうねえ。これの力で限りなく脳が仮死状態で保存されているの。血液の流れが無くても、平気なようにね」
結論をすぐに口にしない回りくどい言い方は相変わらずではあったが、おおよそ何を指しているのかは察せられた。超常の領域の何かを秘めているのであろう。そして純子が馴染みあると言い、それが人体に特殊な作用をもたらす物としたら――
「アルラウネか」
なんとはなしに呟いた真の言葉に、純子は目を丸くする。直後、感心したような笑みを満面に広げる。
「よくわかったねえ。まだこれから幾つかヒント出していこうと思ったのに」
純子がよく実験台志願者に移植する、地球上には存在しえない有機物――アルラウネ。
俗に妖怪や魔物と呼ばれる怪異は全て、人間の手によって生み出された存在だと、純子と累は言っていた。それらは一切自然発生したものではない。科学の力で遺伝子操作や移植手術によって生み出されたバトルクリーチャー同様、術師達が術を用いて既存の生物や人間を改造や融合を試みて作り出したのが、世界中に伝わる妖や魔物の類であると。
だが、アルラウネは違う。この世に存在しえない命の断片。地球上に存在しない有機物と、地球の生物に無い遺伝情報を備えた、明らかに地球外から来た生物。地球外惑星から飛来したのか、それとも別世界より訪れたのか、そのルーツは謎だが、何にせよ完全なる異邦者であるらしい。
かつてアルラウネの研究チームの一人に加わっていた純子だが、途中でアルラウネのコピーを持ってとんずらし、その後研究チームも解散。オリジナルや、培養されたコピー、リコピーのアルラウネは、研究チームの他の科学者も所持しているという話だ。
「何者かにすでにアルラウネを移植されたってことか?」
「んー、どうだろうねえ、これは……」
再び顕微鏡に目を落とし、口を濁す純子。
「それにしてはアルラウネの成分が微々たるものなんだよね。しかも血液や細胞の中に拡散しすぎているというか。これは移植されたというより、何かのはずみで偶然混入してしまったのかな。この人の中でもアルラウネはあまり育ってないようだしさ。ほんの残滓が、一応はこの人の進化を促しているようだけれどねえ。この人の体から、異性を誘惑して依存させるフェロモンのような――」
喋っている途中に純子は何かを思い立った顔になる。
「アルラウネが遺伝したケースは見たことがないんだ。いや、少なくとも私が所持し、培養しているアルラウネでは無理だよー。これはコピーだし、オリジナルではないからねえ。でもオリジナルならばそれも可能なんだよねえ」
それだけ言うと、純子は顕微鏡を手にしたまま部屋を出る。
何をしようとしているのか真にもわかった。惣介の体内を調べて、アルラウネが遺伝しているかどうかを調べるのだろう。真もその後を追う。
「ちょっと検査がしたいんで、血をもらってもいいかなあ」
応接室で真っ青な顔でうなだれていた惣介に向かって、純子がにこにこと微笑みながら近づくと、惣介の返事も待たず、右手に持った顕微鏡を手から離し、目にもとまらぬ速さで惣介の頬を右手の人差し指の爪で切りつけ、数センチ落下した所で顕微鏡を空中で受け止め、爪の先についた血をスライドガラスの上に一滴垂らす。
驚いて惣介が頬に触れたが、一瞬じんじんとしただけで、傷になっている感触は無い。血が流れてもいない。真の目から見ても、惣介の顔に傷は残っていなかった。
「ビンゴォ」
顕微鏡を覗く純子が、嬉しそうに呟く。
「母親と違って覚醒こそしていないものの、残滓程度の母親とは違って、よりはっきりとこの子のゲノムと絡まりあっている。行方知れずのオリジナルのアルラウネが関係しているのか。それとも私より進んだ研究成果をあげた人の手によるものか。いずれにしてもすごく興味があるよー。この子の母親が、一体どこでアルラウネを体内に取り入れたのかがね」
純子の言葉の意味を惣介は理解できなかったが、言葉の節々に、漠然たる不安を抱かせるものがあった。
「この子さ、見た目は人間のそれだけど、ゲノムは人と微妙に違うよ。この子は、私を含め多くの科学者が何度実験しても実現しえなかった、アルラウネの第二世代だよ」
「つまり父親はオリジナルのアルラウネだと?」
真が口にした言葉に、惣介は一際不安になった。父という言葉そのものが神谷家ではタブーだったからだ。少なくとも惣介が父親のことを口にしようものなら、藍は凄まじく不機嫌になった。
母親の職業を知って、素性のわからぬ客の一人ではないかと邪推もしたが、それだけはないと藍はきっぱり否定した。相手ははっきりしているらしい。
「その可能性は大きいよ。私の知るオリジナルのアルラウネは女性だから、父親ではないと思うけど、他にアルラウネのオリジナルがいるのかもしれないし。あるいは……アルラウネを移植したうえで、遺伝させるまでに成功した誰かの仕業なのか。あるいはただの偶然――想像も及ばぬ未知の要素か。いずれにしてもこの子は私にとって、とんでもない授かりものだってことだよー」
「俺、父親のことなんて知らない……何も」
タブーとなっている父の話題を出されていることへの不安からか、問われる前に惣介の方から切り出した。
「君が知らなくても、お母さんが知っているでしょうし、そのためにも早いところおっきしてもらわないとねえ。それに、君にはこの先、協力してもらうよー? 君のお父さんを探し出すために。あるいは、君のお父さんにアルラウネを移植した人を知るためにね」
片手を己の顎にあて、うつむき加減で面白そうにニヤニヤと微笑む純子。すでに純子の関心の矛先は定まり、新たな目的――遊びを思いついたようだ。そういう時の癖であることを真は知っている。
(さてと、今回僕はどうしたものかな)
真は思案する。いつものように邪魔をしてやるかどうか、現段階では判断がつきかねる。
邪魔をするにしても、純子の目当てが惣介の父親であるのなら、探すことそのものを妨害すればいいのか、会わせないようにすればいいのか、それもわからない。家族の問題が関わっているのがややこしい。
惣介は実の父親と会いたいのかもしれないし、会いたくないのかもしれない。父親の側からしてもどうなのか。そもそもここに来た原因が母親殺しという理由も重い。
純子の行いが毎回悪事というわけでもない。結果的に善行に繋がることもあるので、その際は全面的に協力することもある。
(ちょっと様子見かな)
惣介に視線を向け、真は口の中で呟く。惣介が相変わらず沈痛な面持ちでいるのを見て、単純に少しだけ同情した。親殺しの末にここへ来たとわかっていても。




