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三時のおやつ兼ティータイムの時間に、雪岡研究所の住人達がリビングルームに集結する。徹夜して就寝中の脳だけの科学者達と、雫野累は来ていない。
人間茶沸かし器に改造された蔵大輔が、植木鉢より首から上だけが生えているという姿の幼女せつなに向かって、箸で羊羹を差し出す。あーんと大きく口を開けて、せつなは羊羹を口に入れてもらう。幸せそうな顔で羊羹を食べるせつな。
「君はこんな姿になって平気なのか?」
自分で食事の一つもまともにできないせつなの世話役となった蔵が、前々から思っていた疑問をついぶつけてしまう。そもそも胃腸などの器官はどうなっているのだろうか。純子曰く、土の中に特殊なバクテリアがいて排泄物をいい具合に分解してくれるので、土を変える必要は無いとのことらしいが。
「えーっ、こんな姿って何~? 失礼しちゃうなー。ぷんぷんっ。これこそが、せつなが思い描いていた理想の姿だっていうのにー。純子ねーちゃんがせつなの夢、かなえてくれたんだヨ」
甲高い裏声でせつなが答える。確かに悲壮感はまるで無いようだが、純子に洗脳でもされたのではないかと蔵は思う。
「ろくに身動きもできない体なのにか?」
「ノープロブレムぅ~。元々引きこもりで外になんか行かなかったもんっ」
「……家族の人達は君がいなくなって、心配していないのか?」
「ないない。元々厄介者扱いされてたもん。四十過ぎ職歴無しアニヲタヒキニートがいなくなって、今頃せいせいしてるんじゃないかなー。あはははは」
微塵も悲壮感を感じさせず、屈託無く笑いながら答えるせつなに、呆れて溜息をつく蔵。心配して損した気分だった。
「累が来てないようだが」
口に出さない方がいいかとも思ったが、それも寂しい気がして、そのことに触れる蔵。一昨日あたりから姿を見ていない。
「どうやら欝の周期みたいだ」
答えたのは真だった。いつも通り無表情ではあったが、瞳には累を案じるかのような憂いの色が伺えた。
「累はいつになったら人並み程度になるんだろう」
ちょっとした発言や振る舞いでもすぐに傷ついて欝になる累に、真は日頃からかなり気遣って接していたが、鬱陶しくて仕方ないというのが正直な所だ。
「んー、真君がここに住むようになってから、大分変わったんだけれどもねえ。何より大きいのは、自分で成長しようという意志を見せたことかなあ。私といた時はずーっと罪の意識を引きずっていたし、人への憎しみと恐れも強くて、心を閉ざして現実逃避し続けていたのに、真君と再会して、自分の意志で殻から抜け出そうとしているもの」
「再会ね……」
フォローする純子だったが、その言葉はあまり聞きたくなかった。累や純子との前世での関わりなど、それらの記憶が一切無い今の真からすれば、煩わしいものでしかない。
「五百年も生きていて精神的に成長無しってのも、ある意味すごいな」
蔵が口を挟む。むしろ信じられない。五百年も生きていれば、その間にいろいろな体験を出来るだろうし、心も変わっていくのでは無いかと思える。
「全く成長無し、変化無しってわけじゃないよー。でもまあ逆に言うと、成長が乏しいから生きてこられたのかもねえ」
と、純子。
「なら精神的に成長すると、純子ねーちゃん達、死んじゃうのー?」
せつながあからさまに泣き顔になって尋ねる。首から上だけしか無いせいか、感情の起伏が異様に激しく、それにあわせて表情がころころとオーバーに変化する。
「嫌だよっ。累にーちゃんも純子ねーちゃんも死んじゃ嫌だよっ。未来永劫ずっと馬鹿でガキのままでいてヨ!」
涙まじりの声で懇願するせつな。
「どうかなあ。私は適正の無い人間が不老不死を得て、肉体は若いままでも精神は歳とって廃人になるケースをいくつか見たけれど、精神的な成長を果たしたおかげで精神も老いるっていうケースは見たことないし、ちょっと考え難いかなあ」
純子が真面目に答える。
「何にせよ今のまま、あいつに合わせて接しなくちゃならないのは面倒だしな。もう慣れた感じもあるけれど」
と、真。
「んー、そんなに遠慮しなくてもいいんじゃないかなあ?」
そう言う純子であったが、実のところ、真が累に何を遠慮しているのか、そもそもわからない。
「僕も累に対して、遠慮せずにもっとあけすけに接したいよ。家族みたいなもんだし。僕は一人っ子だったから、ずっと弟が欲しかったんだ。で、プロレスごっことかしたかったんだけれど、今のあいつにパイルドライバーとか、ローリングクレイドルとか、投げっぱなしジャーマンとか、シャイニングウィザードとか、ムーンサルトプレスとかしたら、本気で泣きそうな気がしてさ」
「んー、それは遠慮した方がいいかも……」
「真おにーちゃん、弟ってそういう扱いをするものじゃないと思いますー……」
真の言葉を聞いて、引き気味になる純子とせつな。
一方、蔵は同様に一人っ子であったがために、真の気持ちがわからないこともない。
「そろそろ来るかなー」
ティーカップ片手に時計を見て純子が呟く。
「久しぶりの実験台志願かね?」
蔵が問う。
「うん、それも緊急の実験台志願者が来る予定なんだよー」
純子が答えた直後、来客を告げるベルが鳴った。
「真君も一緒に来てくんないかなー。ちょっと今回の依頼はヘビーでねぇ……」
珍しく気乗りしない顔の純子を見て、真は訝りつつも、純子と共に部屋を出た。
入り口へ向かうと、小学生高学年くらいであろう男子が大袋を懸命に引きずり、必死の形相で歩いてくる姿が確認できた。袋は所々角張っており、中に何が入っているのか、真は直感でわかった。人だ。否、人の死体だ。
「雪岡純子……さん?」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を見上げ、神谷惣介は口を開く。
「母さんを生き返してくれるなら、俺のこと実験台にしてくれていいからっ。だからお願いです! 母さんを生き返してくださいっ!」
叫ぶようにして訴える惣介。純子はいつもの微笑みも無く、真顔で惣介を見つめている。そしてそんな純子を見て、真は怪訝に思う。
(いくら雪岡でも、死人の蘇生ができるとは思えないが……こいつならやってしまうのかな?)
脳死に至らない場合は蘇生が可能だと、純子は何度も言っていたし、実際に何度も蘇生もしてきた。今回もそのケースなら見込みがあるだろう。
だが完全に死んでいたとしたら、話は別ではないかと思える。実際、今の純子の浮かない様子を見ても、死者の蘇生は不可能であるように見受けられる。
純子が惣介の抱える袋を下ろし、中に入っているものを床に出す。
(これが母親?)
横たわるその女性はどう見ても二十歳そこそこだ。義母なのか、それとも自分や純子のように不老なのかと考えかけた所で、真は自分の考えの突拍子も無さに気がついて、笑いたい気分になる。非常識な世界で生きているせいで、発想自体が自然に非常識に順応してしまっている。
「うん、まあ頑張ってみるよー」
死体の前で腰を下ろし、死体の額に手をあてていた純子がそう答え、死体を軽々と抱き抱えて立ち上がる。
純子の言いつけで真は惣介を応接間に通したが、手早く茶菓子だけ出して面倒は蔵に任せて、さっさと純子のいる研究室へと向かった。いつもと微妙に異なる純子の反応と態度に、好奇心がそそられたのだ。何かありそうな気がして。




