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美香は何度も真に電話をかけていたが、呼び出しには一切応じなかった。明らかに交戦中と思われる。
「交戦中ならまだいいんだがな!」
考えたくはないが別の悪い可能性も当然ある。美香は焦燥感を抱きつつ、真の姿を探して遊園地内を駆け巡る。
と、そこに携帯電話が振動する。真からだった。
「何をやっているんだ!」
安堵しつつも、思わず第一声で責めるように怒鳴ってしまう。そして怒鳴ってから自己嫌悪を抱く。
『ずっと鳥山正美とドンパチしていたんだ。あいつは力霊に触れられて飛ばされた』
「飛ばされた?」
『累とも合流した。雪岡が動き出す前に力霊を見つけ、冥界に送って処分したいから、お前も力霊を探せ』
「累と合流しただと!? 瞬一はどうした!」
『盲霊師は取り逃がしたそうだ。瞬一を人質に取られて仕方なかったらしい』
美香は指先携帯電話をつまむ指に力をこめ、もう一方の手で額を抑えた。真のあの時の判断や累の失態を責める気は無い。むしろあっさり足手まといになっている瞬一に対して腹立たしい。同時に、瞬一を守るつもりで来たというのに、守りきれなかった己への怒りと嘆きもある。
「力霊なんかより瞬一を探して欲しい所だがな!」
『もちろん並行して行うし、可能だろ? 焦っているようだが少し落ち着け』
冷静な声で指摘されて、美香は大きく深呼吸して平静を取り戻すように努める。
「で、力霊とやらは見ればすぐにわかるのか!?」
『一発でわかると思うぞ。姿が姿だからな。細長い青いこんにゃくみたいなのが空を飛んでいたらそれだ』
言われて美香は空を見上げて、前後左右を見てみた。
振り返ったところで、真の説明通りのものが宙を舞っているのが確認できた。かなり遠くではあるが、海中を泳ぐ海蛇のようにうねりながら、高速で夜空を舞いながらこちらに向かってきている。
「いたぞ!」
『どこだ。すぐ向かう』
「ミリオンコースーターの近くだ! で、触れると飛ばされるとはどういうことだ!」
猛スピードで力霊がこちらに急接近してきたがために、美香は狼狽気味に叫ぶ。悪霊の類に触れられて起こる現象など、ろくなことはないであろう。普通の悪霊ですら、触れられることで憑依されて恐慌状態になるのだから。
力霊の尋常ではない速度に、美香は運命操作術の発動さえ間に合わなかった。気がつくとすぐ間近にまで接近を許し、断面に浮かびあがる怨嗟に満ちた霊の顔と美香の顔が向かい合っていた。
『どこかにワープさせられるらしい。宇宙空間とかに飛ばされたら洒落にならないし、くれぐれも触れら――』
真の説明は途中で飛んだ。転移による瞬間だけ声が聞こえなかった。
『いように、気をつけろ』
「もう遅い!」
美香が憮然たる面持ちで叫ぶ。霊と接触して全身に凄まじい怖気が走ったかと思ったら、周囲の風景が一変していた。ホテルの一室と思しき場所に、見知った二つの顔が二つある。
「な、何!? 美香ちゃん!?」
「純子! それに夏子さんも!」
「へえ。どうやら力霊にとばされてきたみたいだねー」
突然現れた美香に、夏子が口元に手をあてて驚きの声をあげ、純子は面白そうに微笑みをこぼした。
『雪岡がいる場所に飛ばされたのか、すごい偶然だな。そのまま雪岡の挙動をチェックして教えてくれるとありがたい』
「知るか! 私はお前の小間使いじゃない!」
腹立たしげに怒鳴るなり、返事を待たず電話を切る。それを見て純子は電話の相手が誰かを察したようで、美香をじっと見つめながらにやにやと笑う。
「瞬一が盲霊師にさらわれてしまった! 助けたいので協力してくれ!」
「瞬君が……」
美香の報告に、夏子が顔色を変える。
「んじゃあ、そろそろ私も出るかなー。瞬一君は必ず助けてくるから、なっちゃんは例のアレ、頼んだよー。美香ちゃんは私と一緒に行こう」
「わかったわ」
「応!」
純子が立ち上がり、夏美が静かに頷き、美香は気合いたっぷりに叫ぶ。
今こうなった状況では、真の都合など放っておいて、純子に頼った方がいいと思えた美香であった。
「あ痛たたた」
が、立ち上がるなり、純子は太ももを抑えて前かがみになる。
「どうした!?」
「いやあ、三角木馬ゴーランド乗ったらさあ、本当に見たまんまの三角木馬だし、ものすごく揺れながら回るんだもん。脚とお股痛くしちゃってさあ」
「私はあの揺れと木馬の頂点がやばいと感じて、股間の位置に隙間を作って、内股で頂点の部分をがっしりと挟みこむことで、股への直接的な打撃を回避した!」
「あー、その手があったかあ。美香ちゃん頭いいねえ」
「ちょっと疲れたがな! で、あんなわけのわからん霊、どうにかできるのか!? 速すぎてとてもではないが接触の回避は困難! あっという間に飛ばされてしまった!」
触れられれば強制的にワープされるうえに、とても人間の動きではかわせないスピードで動く霊に、純子がどうやって対処するのか見物ではあったが、心配でもあった。あの速度ではさしもの純子でもやばいのではと。
「あー、速いのね。それはちょっと厄介かなあ。しかも触られるとワープさせられちゃうからねえ。でも触れないと解析できないし」
「解析だと! そんなのができる相手とは思えないぞ! 触れたものは飛ばしてしまうし速いしで、ほぼ無敵だ!」
どうやら純子は力霊を討伐する気は無く、実験台だか研究素材にでもするつもりらしいと見て、美香は呆れる。だが一方で口には出さないものの、興味を抱いたものは全て研究対象としか見なさない純子らしいと、納得もしていた。
「んー、解析ってのは能力のことね。上位オーバーライフならデフォで持ってる力。で、無敵の能力なんてものはこの世に存在しないよ? 解き明かせない存在なんて私は信じないし認めないから。必ず科学的根拠が存在するし、それを解き明かせば、対処できると思うよー。いくつか推測は立ててあるし、それらを試してみるよ」
自信ありげに言うと純子は先に部屋を出て、美香も夏子に会釈してその後に続く。
***
青島は盲霊師との戦闘を想定し、視力を失ってなお戦えるように訓練を行ってはいたものの、満足がいくほど完璧に仕上げることはできなかった。見えると見えないでは、やはりかなり勝手が違う。加えて盲霊師自体が、術抜きでもかなりの手錬である。
どちらかというと分が悪く、押され気味であると青島は認めていた。絶対に勝てないという程に力量の差があるわけではないが、すでにペースも相手に掴まれ、防戦気味になってしまっている。一発逆転を狙う機を狙おうにも、目が見えない状態からではしんどい話だと、苦笑を漏らす。
「力霊はすでに解放されているけれど、私を始末せずにはおれないのかしら?」
ふと、幸子の放った言葉が、青島の動きを止めた。
(力霊自体が解放された状態であるし、無理してこの女を始末する必要も無いか)
相手が嘘を言っているとは思えない。有利な状況で、そんな嘘をつく理由も無い。幸子の言葉の真意は戦いを避けるものに間違いないだろう。青島も無意味かつリスクのある戦いは極力避ける方がよいと判断する。これまでもそうしてきたからこそ、この世界で長生きできたのだ。
青島が先に銃を下ろす。幸子も銃を下ろしたのを気配で感じ取る。
が、そこで青島は幸子から悪意が発せられているのを肌で感じ取った。殺気ではない。悪意だ。幸子本人はすでに戦闘態勢を解いている。それはわかる。故に自分も警戒を解いた。それを見て幸子がほくそ笑んでいるのが、青島にもわかってしまった。
幸子から悪意を感じた直後、頭上から凄まじい怨念の塊が落下してくるのを感じ取る。
幸子はすでにその場にて呪符を地面に貼り、簡易結界を張ってあった。瞬一も結界の中にいる。上空に力霊の存在を確認した時点でそれを行った。
青島に停戦を促す言葉を投げかけて、彼の警戒だけを解くように仕向けていた。戦闘中で感覚を鋭く尖らせている状態であれば、力霊の接近も早めに気付いてしまうのではないかと思い、力霊の存在をぎりぎりまで悟らせないように。そしてその作戦は当たった。
力霊と接触した青島の姿が消える。結界内にいる幸子と瞬一は、力霊に存在を認識されずに済み、力霊はそのままどこかへと飛び去っていった。
「全て台無しになったわね……」
忌々しげに吐き捨て、拘束された瞬一を睨みつける。
「あなたにはこんな惨状を引き起こしたけじめをとってもらうわ」
「何で全部俺のせいなんだよ!」
抗議の声をあげる瞬一だが、幸子は聞く耳を持たず、新たな盲霊を作る準備へと取り掛かった。
***
至る所から火の手があがり、煙が立ち上る。倒壊した建物の下に埋まった者を救い出そうと、悲痛な形相で瓦礫を掘り起こす者達。横たわる亡骸の前で泣き続ける者達。つい先程まで喜びであふれていた空間が、悲しみが渦巻く生き地獄へと変貌を遂げていた。
「ああ……とてもよい空気……です。血臭と悲痛の叫びであふれた……この世界。動かぬ肉の塊にすがって迸らせる……哀しみと絶望の嵐。全てが……懐かしく心地いい……何て素敵なんでしょう……。思わぬ収穫……です」
真に身を寄せて腕を組みながら歩く累が、心地好さそうな面持ちで、そんなことを口走る。累のこんなに喜んでいる顔を見るのは久しぶりだ。
「お前本当に馬鹿じゃないのか?」
侮蔑しているという程ではないが、それでも呆れを禁じえず、真はそう言わずにはいられない。
「馬鹿ですよ……。でも……馬鹿な自分と、馬鹿な自分が犯してきた罪を悔いる……もう一人の自分がいる……。三十年前……純子に……ずっと眠っていた後者が呼び覚まされた結果、今の僕は……こうなってしまった……」
欝やら対人恐怖症になっている件を指しているのだろうと、真は察する。
「昔……前世の君と戦場を共にした頃を……思い出しますよ。もちろん君は……覚えてないでしょうけど、僕と君は……幾度もこういう場所を笑いながら駆け抜けて……いました」
うっとりとした表情で真にしなだれかかり、身をこすりつけてくる累に、真は溜息をつきたい気分になる。累に対してではなく、累に身を寄せられることに慣れてしまって、人前であろうと抵抗を感じなくなってしまっている自分に対してだ。
拒絶すると欝がひどくなりそうなので、拒絶できずに相手に任せている。男と思えない滑らかな肌と柔らかい体をおしつけられ、その心地よい感触に、最初の頃は真もおかしな気分になっていたが、今やあまり気にならなくなっている。
「はい、累君へのお土産~」
突然後ろから気配もなく現れた純子が、累の頭の上にウレタン製のカラフル巻き糞玩具を乗せる。
「おい! 何を男同士でベタベタしている!」
少し遅れて現れた美香が、仲睦まじく寄り添って腕を組んでいる累と真を見て叫んだ。
「いけません……か?」
振り返って、余計に真にしがみついて、泣き出しそうな顔で脅えた眼差しで美香を見上げる累。
「いいぞ! もっとやれ!」
「いいわけないだろ」
腕組みして力強く頷く美香に、真が突っ込む。
「おい! 力霊がいるぞ!」
美香が空を指す。かなり遠くではあるが、長く青白い体をくねらせ、高速で不規則に飛び回る力霊の姿が確認できた。
「力霊、早く降りてこないかなあ」
夜空を飛び回る力霊を見上げて、赤と黒の毒々しいストライプの巻き糞玩具を人差し指の上でくるくる回しながら、うきうきとした様子で言う純子。現在、力霊はかなり遠くを旋回しており、こちらに来る様子は無い。
「それよりも優先順位としては瞬一と盲霊師を探すことだろう」
真が指摘する。
「あいつは男を上げるチャンスだったのに、事態の解決に何の貢献もしていないな!」
美香が苛立たしげに拳で己の手のひらを叩く。
「それどころか人質にとられたりさらわれたりで、足を引っ張っている有様だな」
追い討ちをかけるかのように言う真。とはいえ自分達もそれほど事態の収拾に役立っていないような気もする。せいぜい敵の気を引く低度で。
「こらこら、言いすぎだよー。可哀想じゃなーい。力の無い子に期待しすぎても酷だし、功績あげたらラッキー程度に考えとくのがいいと思うよー」
「お前も結構ひどいこと言ってるぞ」
フォローしているつもりで身も蓋も無いことを言っている純子に突っ込む真。
「そうかなあ? まあ本人だって自分が足手まといになっちゃったことを自覚して堪えていると思うし、その辺を責めたりしちゃ駄目だよー?」
「うん。それはしないさ」
「わかった!」
微笑みながら言う純子に、真と美香が頷く。
「見つけました……」
目を閉じた累がぼそりと言った。
「んー? 瞬一君達を?」
「はい。意識を分裂させて飛ばして探していましたから……。結界もすでに消失していますし……。でもわりと早く見つかったのは……幸運です……」
「じゃあ、行こっか。累君、先導してー」
「はい……」
純子に促されて歩き出し、累は真と腕組みして肩を並べたまま、純子と美香の前を歩く格好になる。
「ね? 結構可愛いお尻してるでしょー?」
「服の上からではわかり辛いが、男の尻はもっとこう引き締まった方がよくないか!?」
(何の話をしてるんだ……。いや、どっちの話をしてるんだ)
背後で交わされる純子と美香の会話を耳にして真はそう思ったものの、真面目に考えたくもないので、聞き流すことにする。




