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京が左手を正美に向かって突き出す。正美はひょいと横に一歩移動して、造作も無くその照準をかわす。
「むう……」
引き寄せの照準をあっさりとずらされて、京は唸った。この時点では、引き寄せの原理を敵に看破されているという考えが、京の頭には思い浮かばなかった。ただの偶然であると見ていた。
再び左手を突き出す。あっさりとかわす正美。二度目にして京は、引き寄せの発動条件を見破られていることを知り、目の前の女が只者ではないと判断する。
未だかつて、左手より放たれる引き寄せの引力を回避した者など、一人も見たことが無い。己が窮地に立たされるような事になった経験も無い。京がこれまでに純子に呼び出された際に行った戦闘は、一方的な蹂躙しかない。
正美が銃口を向ける。即座に反応して両手で頭を抱えてしゃがみこむ。
「絶対……現実回避!」
叫びと同時に銃声が二度鳴り響く。不可視の力場が発生し、二発の銃弾は空中でピタリと止まった。
その場にうずくまる京を、正美は訝るように見ていた。
「ねえ、それって立ち上がった瞬間撃ったらどうなるの?」
わざわざ質問する正美。もしそれで致命的になると判断したら、何故それを狙わないのか? 答えはしれている。ずっとこのままの体勢でいるわけにもいかないし、いつかは立ち上がらなければならないからだ。
「問題無い」
即座に立ち上がる京。そこを狙い済まして正美が撃つ。が、銃弾はやはり空中で静止して、地面に落ちた。
「なるほどー。バリアーみたいなのはそのアクションの最中だけじゃなくて、しばらくは残るって感じなのね。そうでないと不便すぎるし、当然だよね」
納得したといった感じの正美。
「そうなると銃で仕留めるのは面倒かなっ。手は幾つかあるけれど、一番単純なのでいってみようかな。どうせ素人が力持って調子のっているだけだし、余裕だよね」
正美は左手に持った銛に力を込める。
正美が次の手の方針を決めた一方で、京はどう攻めればよいか決めあぐねていた。引き寄せて体勢が崩れた敵をパンチ。今までの戦いは全て、本当にこれだけだったのだ。
それをあっさりよける相手がいなかったため、よける相手にどうすればいいかの想定すらしていなかった。雑魚しか相手にしてこなかった事により、己を無敵と信じていたが、無敵の裏づけはこのハメパターンのみなのである。
純粋な接近戦に持ち込めれば問題は無い。だが自身が移動するとバリアーの効果は即座に失われる。絶対現実回避は限定空間に留まり続ける事で、労働拒絶力を集約して発生させる強力な力場の壁である。動いてしまえば労働拒絶力は拡散されてしまう。
同じ場所に居続けて動かなければ最強。ファイナルニートはそういうヒーローであった。
「いちかばちかだ」
呟くなり京は左手を突き出すかに見せかけて、左手を一瞬振るわせた。実際には突き出していない。腰にあてた形のまま、振るわせただけだった。しかし正美は反応して横に一歩移動する。
(かかった)
フェイントに引っかかったことに勝利を確信し、移動した直後の正美の場所めがけて左手を突き出す。
確かな手応え。正美の足が地面より離れ、体が宙に浮く。そして京が左手を引く動きに合わせて、物凄い勢いで京の元へと引き寄せられる。京の口元に笑みが浮かぶ。
(かわそうと思えば今のだってかわせたんだけれどもね。銃弾かわすより全然余裕だし)
引き寄せられながら正美の口元にも笑みが浮かぶ。わざと引き寄せを食らい、相手が勝利を確信して油断していることへの笑み。
自分の体を不可視の力で掴まれて、一方へと引きずられることによって、正美の体勢は大きく崩れている。ここからの回避は当然不可能である。いちかばちかの反撃――銃など向けて狙って撃つ余裕などとても無い
正美の左手が動く。その手に握られている銛は、明らかに京の右手よりリーチが長い。体勢が不安定であろうと、引き寄せられている上体を支点にして勢いよく振りかぶれば、それで済む。
必殺の正義の鉄拳が繰り出される前に、正美の銛が京の胸の中央部を――心臓を貫いていた。
「目潰しするとか、引き寄せられる時はバリアー消えてるだろうし、引き寄せられる直前に撃つとか、引き寄せられる前に銃の狙いつけたまま引き寄せられて撃つとか、他にも幾つも手は思いついてたよ? でもこれが一番確実かなー。マウス対策としてもね」
血を撒き散らし、膝をつく京を見下ろし、銛で京の体を貫いたまま返り血を浴びながら正美は告げた。
「知ってた? 純子は不死身のマウスとか作っちゃうけれど、完璧な不死身ってわけじゃあないんだよ」
京の体から銛を抜こうとはせず、京の攻撃も届かないギリギリの位置を維持しながら、正美は京に語りかける。京は口から血を噴き出しながら、今にも泣き出しそうな顔で正美を見上げていた。
「どういう原理かわかんないんだけどー、出た血は自動で体の中戻って、血に混じった泥とかも外に出しちゃう。でもそれ以上は動けないみたい。知ってた? 心臓を止めたままにしておけば、体に血は流れないんだよ? つまりー、心臓を刺したままにしとけば、再生する体を持つマウスも、長くても20分もすれば絶対死ぬの。マウスによって誤差もあるかもだけど、前に実験したマウスは皆そんな感じだったしね」
正美の言葉の意味が京には全くわからなかった。それどころかろくに耳にも入ってもいない。死への恐怖と確信。そして両親のことが思い浮かぶ。
(苦労ばかりかけてごめんなさい。でも俺が働かないことで、労働拒否力を溜めることによって、正義の味方として、数々の悪を滅ぼしてきたのだから、これでよかったんだ。父さんと母さんに伝える事ができないのが悔やまれるけれど、これが俺の中にある確かな真実。何十年か先にあの世で再会したら、この真実を伝えるよ……。純子、ドジっちゃってごめん)
頭の中で両親と純子に謝罪を告げてから、京の意識は体より離れた。
「あれ? もう死んじゃった?」
うなだれた京を見て、正美は銛を引き抜く。
「てことはあ、不死身タイプじゃなかったってことだよね。このスーツでパワーアップしていたのかな? だったらスーツだけ壊せばよかったな? ごめんねー。私さ、こんな仕事しているけど、あまり人殺しって好きじゃないのに。あーあ……殺さなくてもいいのに殺しちゃってちょっとブルーかも。でもどっちかわからなかったから、これってしょうがないよね」
独り言を続けながら、正美は鏡とハンカチを取り出し、鏡を覗き込みながら顔についた返り血をぬぐった。
***
周囲の風景が歪みだす。色が混ざり、光が揺らぎ、空間がねじれていく。水槽の中の軟体動物はどこかに消え失せていた。床も天井も黒一色の何も見えない状態で、しかし背景だけは歪んだ状態で存在している。
まるで夢の世界の出来事のような超常現象の発生に、瞬一はおののき、美香も動揺を押し殺しながら、元々大きい目をさらに大きく見開いて周囲を見回す。
「何だ、これは!? 幻覚か!」
距離感が全く掴めない空間。足場すら存在しないように見えるが、しかししっかりと平面の床に足がついている感触がある。
「高位妖術師の十八番、結界方陣術だろう。空間そのものを支配して別物にしたんだ。ようするに盲霊師は累のように、呪術師でもあり妖術師でもあるんだな。」
聞き覚えのある抑揚に乏しい声がすぐ近くからした。だがその姿は見えない。
「真!? どこだ!」
「すぐ近くにいるよ。そっちからは見えないようだな」
言葉と共にいきなり真が美香と瞬一のすぐ横に現れた。
「空間の歪みのせいで、場所や角度によっては近くにいても、相手の視界には入らないことがあるようだ」
真が右手を今まで自分のいた空間へと伸ばして見せる。すると真の手が肘から先が消えたかのようになる。
「つまり盲霊師が近くにいるってことか。それで俺達の足止めを……」
瞬一が恐怖を押し殺した声で唸る。超常の力の持ち主との交戦が初というわけではないが、これはあまりにも現実離れしすぎている。未知なるものへの恐怖を覚えずにはいられない。
「足止めのつもりなのか始末する気なのかはわからんが、まともな空間へと戻りたいものだな!」
美香が瞬一から視線を外して真の方を見た。脅えている自分を見て軽蔑して、頼りになる方へと意識を向けたかのように思えて、瞬一は歯噛みする。考えすぎかもしれないが、そう思えてしまった。
「結界の中はSF的に言えば亜空間とかいう奴になっている。多角形で構築され、角の部分に結界の支柱となるものがある。これを最低二つにまですれば、結界は消滅する」
「なら早速そいつを壊そう! そうしよう!」
「話は最後まで聞け。結界方陣術を破る方法は幾つかある。そのうちの一つが支柱部分を破壊していくことだが、支柱というのは大抵が、元々ある物質を利用しているんだ。木であったり、石であったり、建造物であることもある。つまり木の場合は木そのものを切り倒すなり焼くなりして、とにかく破壊しないといけない。高位の術ほど、でかいものを支柱にできる。これだけの規模の結界は、爆弾でも持っているか、重機でも無い限り壊せないものを支柱にされていると見ていい」
「ならば他の方法でいこう! さあ教えろ!」
美香の声が、やや苛立ち気味なものへと変わる。
「術師を倒す。これは結界の外にいれば無意味だ。結界の線分にあたる壁の薄い部分を見つけ出して破壊する。これは結界の角数による。巨大な結界や複雑な作用をもたらす結界ほど多角になるが、結界の壁はモロくなる。逆に封印や防御だけを目的とした結界は三角形や四角形といった、頂点の支柱が少ない代物になるが、結界の壁自体は強固になる。まあ、これらは全部雪岡からの受け売りだし、実際に結界破壊の対処なんて、数えるほどくらいしかしたことないが」
「解説はわかったから方針をそっちで決めろ! 私は知識が無い! だがお前には知識がある! お前に任せるし協力するから、それを述べろ!」
冷静そのものに述べる真に、苛立ちを込めて言う美香。この異質な状況下において、姉も少なからず恐怖を感じているのではないかと瞬一は勘ぐる。
「支柱の破壊の方がいいかもしれないな。おそらく盲霊師は力霊の封印目当てに結界を築いたんだろう。だとしたら強固な結界を築くはずだ。しかし結界を構築する支柱の数は限られているから、それらを破壊しようとすれば、敵に何らかのアクションもあるはず。盲霊師は僕等が近付いてきたために、結界の中へとあえて招きいれ、迷わせるか始末するかの行動に出たわけだしな」
「その、さ……支柱の破壊とやらをしたとして、盲霊師が遠くから怪しい力使って俺達を殺したりとか、霊をけしかけたりとかもあるんじゃないか?」
瞬一が問う。
「もちろんあるな。むしろそのために、お前達をわざわざ結界の中へ引きずり込んできたんだろう」
瞬一の懸念をあっさりと肯定する真。
「その言い方だと私達二人だけが引きずりこまれて、お前は別と聞こえるが!?」
「そうだ。お前達が引きずり込まれるのをたまたま後ろで見ていたから、僕はその入り口が閉じる前に自分で飛び込んだんだ。多分お前達は、結界の中に引きずり込まれる感覚さえ無かっただろうけれど、僕にははっきりと見えたぞ」
美香の問いもあっさりと肯定する真。
「私達を助けるために、お前も来てくれたわけか! すまん!」
美香が勢いよく頭を下げる。
「だからさっ、もし遠隔攻撃みたいな何かわけわからんことをされたら、どう対処するか知りたいんだよっ」
声の震えを押し殺しきれない瞬一に、真は目を細め、
「ビビってるのか、お前」
呆れたように確信をつく真の一言。瞬一のプライドが軋む。
「このヘタレが! 真は私達のために己の危険も省みずにここに来てくれたというのに!」
さらに姉の容赦ない一喝を受け、うなだれる瞬一。
「弱気にならないように堪えてくれ。実際な、僕も恐怖が無いわけじゃない。それどころか、いつだって怖いよ」
真の意外な言葉に瞬一は顔を上げた。雪岡純子の殺人人形の異名通り、恐怖などとは無縁な超人だという先入観があったのに。
「皆、恐怖はあると思うぞ。それを押し殺しているだけだろ。あるいは感じないように努めているか。死を意識したり予感した奴、怖気づいたり弱気になった奴は、死の可能性が一気に高くなる。後ろ向きにはならないようにしないとな。まあお前が一人で後ろ向きになるのは勝手だが、こっちも気が滅入るから一緒にいる時はやめてくれ」
「やめてくれって言われてもなあ……」
「僕はこの世界に堕ちて五年くらいになる。その間雪岡の下でひたすらドンパチしまくって、こうして生き延びているわけだが……その間にいくつかの事を悟り、学んだ」
再びうなだれる瞬一に、諭すような口調で真は語り続ける。
「特に重要なのは、まず生き延びることを意識していないと駄目ってことだ。小説や映画に出てくるハードボイルドに見せかけたニヒリスト気取りなんて、現実じゃ真っ先に死ぬ。実際そんな馬鹿は何人か見てきたし」
「そういう精神論て好きじゃないな」
厳格さを売りにしている武道家の父親が、根拠の無い精神論ばかり振りかざすのを見て育ち、さらにはそれを押し付けられた立場であるが故に、瞬一は精神論の類が大嫌いになってしまった。
「最後の最後は泥臭い精神論に行き着くものだよ。いや、僕はそれこそが最初で最後で全てで基本であると思っているがな。とにかく弱気はやめろ。絶対に何が何でも生きることを考えろ。目的があればなおいい。そいつを意識しろ」
「真は何か目的があるのか?」
何気ない質問をぶつける瞬一。説教モードの回避に繋げたいがための話題逸らしを狙っていたが、純粋に好奇心もある。
「ある」
端的に答える真。
「その目的をかなえるまでに、何百回、何千回と命のやり取りをすることになるかもしれないが、僕は絶対死ぬつもりはない。生き延びる気でいるぞ」
それが何であるか瞬一は興味があったが、聞いても答えてくれるとは思えない気がして、尋ねなかった。
「そろそろ本題に入れ! こんな馬鹿どうでもいい!」
「確かに、こんな話している暇は無いんだけど、こいつがヘタれたままでいる方が悪影響だと思ってな」
容赦の無い美香と、身も蓋も無い真。二人の物言いに再び落ち込みそうになる瞬一。
「一番の疑問は、その支柱はどこにあるかだ! さらに言うなら、どう壊すか!」
「もちろん探すしかないさ。この得体の知れない空間の中をな」
現実離れした眼前の光景を見据えて、真は淡々とした口ぶりで言った。




