少年課と遊ぼう 前編
二十一世紀後半、日本は多種多様な犯罪組織の乱立によって、犯罪ビシネスが産業の一角を担うようになり、犯罪組織の存在は国からも片目を瞑って許容されるに至った。
いつしか世間では、それら裏社会に生きる住人達と裏社会そのものを指して裏通りと呼び、畏怖されていた。対して、裏通りの住人達は一般社会を指して、表通りと呼んでいた。
裏通りには幾つかの生ける伝説がある。その中には、表通りにすら名が知れ渡っている者もいる。
改造手術の実験台となる代わりに、人智を超えた力を与えて願いをかなえてくれるという噂の、雪岡研究所。その主たるマッドサイエンティスト雪岡純子も、裏通りでは生ける伝説とされた一人であった。
だがその雪岡純子が現在、絶体絶命の窮地に立たされている。
多くの店が閉まった深夜の繁華街。純子は息を切らせることなく軽やかに疾走するが、その表情には余裕が無い。
多くの気配が自分を追っているのがわかる。おそらくは先回りもされていると予想できる。
果たして純子の真紅の瞳が、前方に二つの影を捉えた。
そのうちの一人が前に進み出る。おおよそ人が持ち運びするものではない、通常は台座に備えて扱うはずのミニガンを抱えた、身長150センチにも満たない小柄な男が、純子の前に立ちはだかる。
「猿島さんか」
純子が呟いた瞬間、弾丸の雨が純子めがけて降り注ぎ、純子の足が止まる。
日本で唯一ミニガンの携帯が許され、かつ携帯が可能な警察官、猿島末春。
生まれながらにして恐るべき怪力を備えた異常体質の持ち主で、十歳にしてベンチプレス620キロを余裕でこなしたが、本人はその記録を残すことはなく、その光景を目の当たりにした者達も、あまりに常軌を逸していた出来事であったが故、誰一人その話を人前で口にすることはなかった。
その猿島の背後から、もう一人の人物が前に進み出る。
黒いドレスをまとった長い黒髪の女性。しかしその髪の毛は癖っ毛だらけなうえに、手入れもろくにされていない小汚い印象がある。女性の手には、黒い鞭が握られていた。
彼女こそ、裏通りの住人達に恐れられる安楽警察署少年課の婦人警官が一人、九条和美である。
「しきゃあああっ!」
和美が奇声をあげ、純子めがけて鞭を放つ。闇夜の中で黒い鞭の回避は困難であったが、純子はバックステップしてからくもこの攻撃を回避する。
「しぇいああぁぁあ!」
再び奇声をあげ、和美が数歩踏み込んで鞭を横に振るう。狙いは首だ。今度は身をかがめて回避を心みた純子であったが、鞭が途中で数条に別れ、純子の手と足に巻きついた。
「ひぃゃーっひゃっひゃっひゃっひゃあ~」
勝ち誇った哄笑をあげ、和美は鞭を手繰り寄せる。
「油断するな馬鹿者! 奴の手に原子分解の能力が備わっているのを忘れたか!」
その和美めがけて厳しい叱責が、純子の背より飛ぶ。
声の主は、純子を追いかけていた少年課課長、下澤伸彦であった。
『電撃二刀流の下澤』の二つ名で、裏通りの少年少女達から恐れられている存在である。スーツの上からでも逆三角形の逞しい体の持ち主であることがわかる。その両手にはスタンガン機能を備えた警棒が一本ずつ握られている。
「いいわよぉ、壊してみなさい。壊したら弁償してもらうからぁ」
鞭をまとめて掴んで原子分解の力を発動させようとした純子に、和美は挑発するように言い放ち、鞭の柄を舌でなめる。
その一言に純子は逡巡したが、弁償すれば済むならそれでよいと判断し、掴んだ部分を分解し、拘束を解く。
だが和美と猿島の背後より新たな刺客が姿を現したのを見て、純子は思わず絶望しかけた。
この国で唯一身長2メートルを越える巨大婦警、佐治妙のお出ましであった。
「ハッ、私を越えられるもんなら越えてみな」
道の真ん中にてゴールキーパーのように両手を広げて中腰になりながら、妙が凄味たっぷりの低い声で言い放つ。
佐治妙と九条和美、どちらか一人であれば突破できる自信もある純子だが、二人揃っているとなると流石に困難だ。
「やあ純子、元気そうじゃないか」
純子がいる横の壁から、まるで壁を素通りするかのようにして一人の男が現れ、声をかけた。
年齢は二十代半ばくらいで、細目でのっぺりとした顔立ちをしている。その人物のことは純子もよく知っている。かつて純子に実験台志願したマウスであるからだ。
「君は僕を救ってくれた。今度は僕が君を救う番かな?」
とぼけた口調で言うその男は、河西法継という。純子のマウスの中でも特に高い戦闘力を持ち、安楽警察署戦闘力ランキングで六位の座に位置する。
あらゆる物質を透過して移動するという、純子ですら全く予期しえない特殊能力を備えたがため、自分が手がけたマウスの中でも五本指に入る出来であると純子は認識している。
さらに後方より、無数の気配が迫ってくるのを純子は察知した。
耳と鼻が人並み以上に優れた純子は、それが何者であるかをすぐにわかった、犬だ。八匹もの警察犬がこちらに向かってきている。
「遅いぞ! 里見!」
下澤が叱責を飛ばす。
「おやおや、久しぶりに大物ですな」
穏やかな口調と共に八匹の警察犬を引き連れて現れたのは、『魔導犬士』の異名を持つ元鑑識課の警察犬訓練士、里見房男だった。
見た目は初老の温厚そうな小男であるが、その丸眼鏡の奥にある瞳の眼光は只者ではない鋭さを備えているのが見てとれる。
「現八、信乃は前方に回りなさい」
里見の指示に従い、二匹のシェパードが純子の横を駆け抜けると、和美の両脇に陣取るようにして、純子に向かっていつでも飛びかかれるように身をかがめる。
里見が使役する犬は、ただの犬ではない。里見の妖術によって生み出された妖怪の一種であることを、純子も知っている。当然、通常の犬などとは比べ物にならぬほどの、高い戦闘力と知能を有する。
「ヒヒーン!」
遠くからあがる馬のいななき。近づいてくる蹄の音。
車道を駆ける一頭の馬。それに跨ったフルプレートアーマーで全身武装し、長いランスを携えた騎士。純子の横に馬を止め、騎士はランスの穂先を純子の頬間近にと突きつける。
「どうか動かないでおくれ。君のその白く柔らかい肌を傷つけたくはないんだ」
全身を甲冑に包んでいるが故に外からでは判別できないが、騎士の口から芝居がかった口調で発せられたその柔らかく甘い響きの声は、紛れもなく女性のものであった。
彼女の名は柴田悠乃。れっきとした安楽警察署少年課の警官である。
「空間転移で逃げようとしても無駄であるぞ。この辺一帯に、空間操作術の力が及ばぬ結界を張ったであるが故に」
突如上から声がかかる。見上げると、背広姿にターバンを巻いた浅黒い肌の初老の男が、座禅を組んだ格好で空中浮遊し、純子を見下ろしている。
「遅れてすまぬな、皆の衆。結界を張るのに手間取ってのう」
彼こそは安楽警察署少年課随一の魔術師で、名をシャンカラ佐藤という。その強力な超常の力だけではなく、しおからさとーというあだ名で呼ぶと激怒することでも有名な男である。
シャンカラ佐藤が浮かぶ後方上空より、轟音と共に一機の飛行機が、純子と少年課警察官達のいる場所めがけて飛来し、突っこんでくる。飛行機といっても非常に小型で、2メートルもない。むしろ巨大ラジコンと呼んだ方がいいかもしれない。
小型飛行機は空中で変形し、人型となってシャンカラ佐藤の横を通り過ぎて、地面に着地する。
飛行機形状から全身を金属質の体で覆われた人型形状へとなったそれは、安楽警察署にいる四人のサイボークコップのうちの一人、疾風坂三之助であった。安楽警察所でも戦闘力ランキング九位に認定されている強者である。
一切言葉を発する事無く、純子に向かって戦闘態勢をとる疾風坂。
「来てます来てます! これは来てまーす!」
佐治の後ろから現れた、ドジョウ髭にギョロ目という怪しそうな風貌の長身の男が、両手で頭を抱えながら意味不明な叫び声をあげる。
「今、宇宙からの交信がありました! 故に非番であるにも関わらず、こうしてこの場に導かれたのです! やはり宇宙人は存在するのですよ! これで証明されました!」
その男の名は久保真之介。宇宙人とUFOに取りつかれた変人であり、裏通りに落ちた未成年を補導するついでに、彼等に宇宙人の実在と政府の陰謀を説いて同志を増やそうと試みているが、うまくいった試しはない。
「下澤警部、私の出番もあるでしょうか?」
いつの間にか下澤のすぐ横にやってきた中年女性が、声をかける。薄化粧の美人で、その顔には優しげな微笑がたたえられている。
「大日向さんの力も当然お借りしますよ。相手が相手だ」
明らかに彼女に対して敬意を払っている口調で、下澤は言った。
その女性の名は大日向七瀬といい、裏通りの生ける伝説とされる一人である。警察官でありながら、多くの裏通りの住人達から敬愛の念を抱かれるという特異な人物だ。
「観念して大人しく補導されるんだな、雪岡純子。少年課の精鋭四分の一が貴様一人のためにここに集結しているのだ。いくら貴様とて逃げられまいよ。今後こそ貴様を更生してやるぞ」
下澤が純子の方へと歩み寄り、厳かな口調で言う。覆面バトカーが前方後方の双方から道をふさぐ。最早逃げ場は完膚なきまでに塞がれた。
「あのー……何度も言ってるけど、私、未成年じゃあ……」
「言い訳無用!」
純子の言葉を遮るように一喝する下澤。純子は諦めるようにしてうなだれた。




