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晴天の日曜日。
「曾お婆ちゃんとはよく釣りに行ったけど、曾お婆ちゃん以外とは初めてだなあ」
歩きながら、アンジェリーナとその友人である子供達を見やり、上美は言った。背に釣竿を背負っている。
「ジャップジャップ」
上美同様に、梅子から借りた釣竿を背負い、釣り道具を入れた箱を振り回しながら、御機嫌そうな声をあげて、アンジェリーナは軽い足取りで歩く。
「昨夜雨だったから水増えてると思うよー」
「違う魚が取れたりしないかなー」
「大抵釣れるの、鮒か鯉だしね」
「こないだすっぽんいたよ。あれ釣りたいなー」
アンジェリーナとよく遊んでいる子供達六人が、口々に喋る。
普段はアンジェリーナと子供達だけで遊んでいるが、その日は上美も予定が無かった所に、アンジェリーナに丁度誘われたので、釣りに付き合うことにした。
「アンジェリーナは魚好きそうだよねえ」
「イルカだもんねえ。でも俺達の前では駄菓子ばかり食ってるけど」
「ジャップぅ」
子供達に慕われて上機嫌なアンジェリーナを見ていると、上美も自然と顔が綻ぶ。
やがて釣り場に着く。コンクリートで舗装された川岸。普段は岸の斜面のかなり深い位置を水が流れるのだが、今日は黄土色の濁流がかなり浅い位置をかなりの勢いで流れている。昨夜の大雨の影響である事は明らかだ。
「雨の日は釣れるって聞いたことあるけど、雨の翌日のこの濁った川って、釣れるの?」
子供の一人が疑問を口にする。
「それって釣り人が少なくて、ライバルいないから釣りやすいだけって聞いたよ」
「俺は種類によるって聞いた」
「こんな汚い川の中で魚ってどうしてるんだろう……」
「餌とか目で見てわかるのかな? 臭いもわからなかったり」
「ジャッ……プ」
アンジェリーナを含め、子供達は明らかに難渋を示している。
「まあ、とりあえずやってみようぜ」
しかしせっかく来たのに、何もせず帰るというのもどうかという話だ。
アンジェリーナと上美と子供達が腰を下ろし、釣糸を垂らす。
「おーい、今日は川の流れが速いし、水が上まで来てるから気をつけるんだよー」
『はーい』
「ジャーップッ」
対岸で釣りをしている顔見知りの釣り人のお爺さんに注意を促され、返事をする一同。
その直後、アンジェリーナの釣竿の浮きが沈み、竿が引っ張れる。
「ジャップ!」
かなり強い手応えに、アンジェリーナが勝ち誇った叫び声をあげ、立ち上がる。おそらく大物の鯉であろうと判断する。
「ジャッ!?」
ところが、力みすぎてしまったうえに、足元が濡れていたため、滑って体勢を大きく崩し、イルカボディーが川の中へと落下した。
「ちょっ……アンジェリーナさん!」
「うわあああああっ! アンジェリーナが落ちた!」
「いや、イルカだから平気でしょ」
上美や子供達が驚き慄いて、アンジェリーナが落ちた後の川を見る。完全に沈んでしまっている。
「でも浮かんでこない」
「あっ」
「ジャアァァアァアアァアあァアァアァアアアぁぁぁアァッッッっッップ!」
子供達が不安げに見つめる中、しばらくしてからようやく浮かび上がったアンジェリーナが、必死にばしゃばしゃと濁流の中をもがき、流されていく。結構離れた位置にいる。
「アンジェリーナさん、溺れてる!?」
必死にもがくアンジェリーナを見て、上美が声をあげる。
「イルカのくせに泳げないの!?」
驚く子供達。
「ジャアアァァップっ!」
そのうちまた川の中へ沈むアンジェリーナ。
「あれ、絶対ヤバいよ!」
「何でイルカなのに泳げないんだよ!」
「泳げないイルカだから陸上で生活してるんだろ!」
「君達、落ち着いて! 今、警察と救急車呼んだ!」
対岸にいたお爺さんの釣り人が叫ぶ。
「ジャアアァァアアップ!」
アンジェリーナが再び浮き上がったが、全く見知らぬ場所へと流されていた。子供達も上美の姿も見えない。
そしてまた濁流の中へと沈む。
アンジェリーナの体は姿形こそイルカであるが、イルカと同じ身体機能を備えているわけでもないので、水の中には適応していない。なんちゃってイルカである。
沈み、溺れ、肺の中が水で満たされ、溺死と同じ状態になる。しかしアンジェリーナは再生力に優れているため、すぐに再生機能で蘇る。そこでまた溺れ、あがいて水面に上がるが、肺の中の水を吐ききる前にまた溺れては沈み、苦しみのあげく溺死状態になる。そして蘇り、そしてまた溺れ死ぬ。
延々と何度も繰り返されて続く溺死地獄。いっそ死ねたらどれだけ楽だろうかと、死なせてくれと、アンジェリーナは痛切に願ったが、それもかなわない。
大きなイルカ口からたっぷりと濁った水が入り込み、肺の中を満たす。水面に上がって吐き出されても、すぐにまた溺れて水を飲み込む。気を失うことも許されない。例え意識を失っても、すぐに覚醒してしまう。
一体何キロ流され、その地獄が何回繰り返された事だろう。気がついたらアンジェリーナは岸に打ち上げられ、水を吐きだしていた。
肉体的なダメージは大したことはない。刹那生物研究所で、毎日おかしな薬品を投与されまくっても、生命活動には支障が無かったアンジェリーナである。しかしこれほどの苦痛を味わったことは、あの実験台生活の間にもただの一度として無かった。動く気力を失い、先程とは違い、舗装されているわけではない砂利の川岸で、うつ伏せに倒れたままになっている。
「あ、あそこにいた!」
「アンジェリーナーッ!」
「アンジェリーナさーんっ!」
聞きなれた子供達と上美の声を耳にし、やっとアンジェリーナは身を起こした。
「無事だったのね、よかったあ」
「ジャ……ジャップ……」
泣き顔の上美を見て、申し訳無さそうな声を発するアンジェリーナ。
その後パトカーやら救急車もやってきたが、何とか助かったと適当に誤魔化し、それ以上は釣りを続ける気にもなれず、お開きとなってしまった。
上美と肩を並べて、アンジェリーナは帰路につく。まだ午後二時にもなっていない。
「アンジェリーナさん、そんなに落ち込まないでよ。無事だっただけで、私もあの子達も心底ほっとしてるんだよ?」
肩を落としてとぼとぼと歩いているアンジェリーナを見かねて、上美が声をかける。
「ジャッ……プ……」
力無い声が漏れる。自分のせいでとんだ日曜日にしてしまい、子供達にも上美にも心配と迷惑をかけてしまったことで、すっかりとしょげているアンジェリーナであった。
***
シルヴィアはルキャネンコ邸に、七名の銀嵐館の戦士達を連れてきて配置した。
シルヴィア自身も泊まりこみで護衛することにした。栗三は幾夜が何かと突っかかるので、一旦帰した。しかしその代わりに、内藤屠美枝を呼び寄せる。
「嬉しいなァ、お姉様がこれからしばらくお泊りしてくれるなんてさあ」
「命狙われてよかったな」
上機嫌なにこにこ顔で言う幾夜に、シルヴィアは皮肉を口にする。
「私のことなんて忘れたみたいに連絡の一つもくれなかったしさ……。小さい頃はよく遊んでくれたのにぃ」
シルヴィアの持つライフルは幾夜の父、幾三ルキャネンコが作ったものであり、その製作途中に、シルヴィアはルキャネンコ邸に何度も通い、幾夜の相手をしたものだ。
「サイコメトリーは失敗した」
強引に話題を変えるシルヴィア。
「お姉様ぁ……ひょっとした私のこと嫌いなの~?」
「カードそのものに術がかけられていて、試みた瞬間燃えてしまったという話さ。敵は明らかに術師のようだな。それもかなり高位の力を持つ、な」
しなだれかかってこようとする幾夜を振り払い、シルヴィアは事務的な口調で報告する。
「本当にどうしてなの? 私が何かお姉様の気に障ることしたの?」
「してねーよ。ただ、俺はお前にそういう意識で接してほしくはねーんだ」
「どういう意識?」
にやにやしながら幾夜が問う。
「お前がレズだってわかったから、俺はお前と接するのを避けだした。はっきり言ってやったぞ」
自分でも冷たいとは思ったが、すっぱり諦めさせたいと思い、あえてキツい態度をとるシルヴィアであった。
「わぁい、よかったあ~。嫌いってわけでもなければ、私が何か機嫌損ねることをしたわけでもないのね」
しかし幾夜は表情を輝かせた。諦める気配は微塵も無い。
(こいつは手強そうだ。ある意味あいつよりもな……)
幾夜を見て、シルヴィアはある人物を意識して思う。最も付き合いの長い、自分とはパートナーの間柄と言える、固い絆で結ばれた人物――オーマイレイプのボスの事を。
「幾夜ちゃん、当主が迷惑だと感じているのは無視して、自分のことばかり押し付けたら駄目ッスよ」
突然現れた屠美枝が、幾夜に声をかける。
「恋愛ってのは押しが強いだけじゃ駄目ッス。相手を引き出すことも肝心なんスよ。例えば当主がどんな女の子が好みか聞いて、可能であればそれに合わせる努力をするとか」
「なるほど……。ありがと、屠美枝さん」
「お前、俺に助け舟出してくれるのかと思ったらそっち寄りかよ。ふざけんじゃねーぞ」
屠美枝に礼を述べる幾夜と、文句を言うシルヴィア。
「あ、そうだ、お姉様。今日は客人が来る予定だから、その人は通してあげるよう、部下の人達に伝えておいてね~ん」
と、幾夜。
「あいよ。客人の名前と特徴を教えろ」
シルヴィアが頷き、コーヒーをすする。
「名前は雪岡純子。赤いおめめに白衣着てる超可愛い子なのぉ」
「ぐっ……」
名前と特徴を聞いて、シルヴィアはコーヒーを吹きだしかけた。
「何の用……」
『当主、庭の門にあの雪岡純子が現れましたが……いかがしましょう?』
問いかけようとした所で、インカムに部下からの連絡が入った。
「通せ」
部下に短く命ずる。
「あれー? シルヴィアちゃん。随分物々しい警備だと思ってたら、銀嵐館の人達だったのかー」
しばらくして、シルヴィア、幾夜、屠美枝の前に現れた純子が、屈託の無い笑みを広げて言った。
***
ここ最近は始末屋としての仕事が入らなかった葉山であるが、ようやく仕事が入った。
葉山は本来始末屋として売り出しているにも関わらず、いつの間にか殺し屋として定着してしまい、しかも最近その名声と評判もあがってしまった。葉山からすると、嘆かわしい話だ。
だからといって殺しの仕事をお断りにすることもない。仕事は可能なかぎり選ばずこなすのが、葉山のポリシーである。
メールに入った仕事依頼に、内容は記載されていなかった。直接会って伝えたい、非常に厄介な依頼と書かれているだけだ。
どんな事情かをまずは知るために、葉山は依頼者の要求に従い、直に会いに行く事にした。




