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『まず宮村好吉っていう子の調査と捕獲を考えよう』
盗聴器から聞こえる聞き覚えのある弾んだ声を耳にし、『ヨブの報酬』のエージェントである杜風幸子は思案する。
(ただ迂闊なだけなのか、聞かれているという事もわかったうえで罠にかけてようとしているのか、聞かれても問題無いと思って会話しているのか……)
あの場を調査しにくる他の勢力に備えて、監視カメラや盗聴器をあちこちに仕掛けておいた幸子であった。
「シスター……本当に雪岡純子を信じていいんですか……?」
虚空に向かって、幸子はぽつりと問いかける。この場にいるのは幸子一人だ。ヨブの報酬の構成員達はチームを作って出払っているが、幸子は今回、遊軍兼指揮官として動くことになっている。
(シスターは雪岡のことを信頼しきっている。敵なのに親友。不思議な仲。ちょっと妬けるなあ……)
そこまで思って、幸子ははっとする。
(何で妬けるのよ……。馬鹿か、私は……)
自分が危ない趣味でも持っていたのかと考え、幸子は慌てて己の頭の中をよぎった思いを打ち消した。
***
宮村好吉は普段から怪人化しているわけではない。普段はまともな人間の姿である。
自宅には帰れない彼は、今はとある場所に潜んでいる。そこなら安心して眠れる。衣食住に不自由はしない。
そこに引きこもっていれば安全だが、暇なので外に出る。しかし外に出ているのは本体ではない。遠隔操作している分裂体だ。
道を歩いていると、下校中と思しき高校生の男子生徒三人が、談笑しながら目の前を歩いてくる。
その光景を目にしただけで、好吉の中でドス黒いものが渦巻く。
「お前ら、何かわからねーけど、楽しそうだよな」
「え?」
正面に立ち塞がった好吉に声をかけられ、三人の男子生徒はきょとんとした顔で立ち止まる。
好吉が三人の一人に向かって手を突き出し、何かを掴む仕草をすると、男子生徒の腕に圧迫感が加わり、上へとねじりあげられていく。
「な、何だっ、これ!?」
「お、おい……どうしたんだよ……」
「こいつ……浮いて……」
見えない力で腕をねじり上げられ、男子生徒の足は地面から離れ、体は宙に浮いていた。
好吉はそのまま激しくねじる動作をすると、男子生徒の腕が音を立てて折れた。
「いでぁあぁぁあ!」
悲鳴をあげ、空中で足をばたばたとさせる男子生徒。
「ああ……いい声だなあ。しかしもっといい声が聞きたい。もっといい顔が見たい。死の恐怖に怯える声と、顔。そのためには、まず犠牲が一人必要なんだ」
ねちっこい声で言うと、好吉は残った手で、何もない空間に向かってデコピンをする。
そのデコピンの動きに合わせて、宙に吊り上げられた男子生徒の首があらぬ方向へとへし折れた。
男子生徒が地に落ちる。どう見ても死んでいる。しかし友人二人はその事実を認めつつも、受け入れられないで硬直している。
「俺さ、楽しそうにしてる奴等を……同年代で笑いながら歩いてる仲よさそうな奴等を見る度に、ムカムカして殺したくて仕方なかったんだ」
残った二人に向かって言うと、その場で足払いをかける動作を行う。すると二人の両脚の膝から下が同時に折れて、二人は同時転倒した。
恐怖に歪んだ顔で、二人の男子生徒は好吉を見上げると、好吉は楽しそうに笑っていた。
「で、今は簡単に殺せるようになった。神様は俺を見ていてくださったんだなー。助けてくださったんだなー。うきゃきゃきゃきゃ、うわあ、その顔すげえナイスっ。すっげえウケる。その痛そうな無様な顔最高ぉぉっ! さっきまで楽しそうに笑ってたのが、マジビビりして痛そうに泣いてる顔、最高おぉぉぉ! 神様ありがちょぉぉおぉぉぉう!」
天を仰いで感謝の雄叫びをあげると、好吉は地面に転がって泣いている二人をまた見下ろす。
「神に選ばれし戦士の手にかかって殺されるのだから、これは浄化だ! 世界から悪を討ち滅ぼし、さらにはお前達の悪しき魂を地獄に送って改心してあげるという、ダブル善行! ありがたく思って死ぬように! おら、『殺してくれてありがとうございます』って、言ってみろ。ちゃんと感謝の気持ちを込めて言うんだぞ。はい、どうぞ」
笑顔で台詞を促す好吉だが、二人共無反応だった。
「何で言わねーんだ! この野郎!」
癇癪を起こした好吉が、地面を踏みつける動作を行うと、男子生徒の頭部が弾け飛んだ。
「ちゃんと感謝を示しておけば、罪も少し軽くなって、地獄で受ける罰もマシになったってのに、何でそんなこともわからねーんだ! ばっかじゃねーの!」
「何が神に選ばれた戦士だよ! 異常者が!」
恐怖に怯えつつも、友人を目の前で殺された怒りと勇気を奮い起こし、残った一人が罵り、側に落ちていた石を拾う。
「畜生ぉぉぉーっ!」
叫びながら、殺されるとわかっていながらも、好吉の顔めがけて石を投げつけた。
石は好吉の額に当たった。好吉は怒りに顔を歪める。
「きっさまああああぁぁ! 神の戦士である俺に手をあげるなど! お前は俺の手で念入りに嬲り殺してやる! もちろん死んだ後は永遠の苦痛が続く無間地獄行き確定!」
その後、好吉は空中でかきむしるような動作をし続け、その動きに合わせて、最後の生徒の肌が、肉が、神経が、少しずつ磨り減らされていく。
「アブラハム様が俺は神の使いだと認めてくれたんだ! 上級天使のアブラハム様が言ったからそれは確実だ! 馬鹿め! 俺は神の使い故に、自由に人を裁きにかけて罰する権利がある! どんなに嫌がっても、その事実は変えられず、お前達は裁かれ、地獄行きなのどわぁあぁぁッ!」
喚いている途中に、生徒の体は原型を留めぬほど、ばらばらになっていた。それでもなお、好吉はかきむしり続ける。
現在好吉は、ある人物の庇護下にいた。その人物が衣食住もまかない、何より好吉の力を認め、存在意義を与えてくれた。
力を得ただけではなく、生き甲斐を得たうえに、己の命と殺戮の正当性まで得た好吉。今こそが人生の絶頂期である事は疑いようがなかった。
***
純子と累は宮村好吉の自宅を訪れた。
住宅内に入ると、二人のよく知る臭い――微かであるが血臭と死臭が入り混じって漂っていたのを嗅ぎ取り、純子と累はここで何があったか大体想像がついた。
死体は無い。血痕も無い。何者かによって証拠は隠滅されている。
好吉の部屋へと入る二人。
「おおーっ。美少女抱き枕っ。私も抱き枕持ってたんだけどねえ……。真君と累君をプリントしたのをさ。真君にバレて、真君のだけ捨てられちゃったけど」
ベッドにあったものを見て、嬉しそうに喋る純子。
「真は……僕のは捨ててくれなかったんですか? 今でも僕のを使ってるんですか?」
「いや、累君のも私が捨てたよ。真君のだけ捨てて、累君のは捨てないんじゃ、捨てられた真君の抱き枕が孤独で可哀想だったし、累君の抱き枕も、真君の抱き枕を失って悲しそうにしてて、『僕も一緒に捨ててください』って、私に語りかけてくる声が聞こえた気がしたから、同じ粗大ゴミの日に出して、供養しておいたよー」
純子の話を聞いて、軽い眩暈を覚えた累。その直後、ふと、自分がプリントされた抱き枕が、ゴミ捨て場に剥きだしで出されたことを考えてしまい、今度は断じて軽くない眩暈がした。
「んー、フィギュアの扱いがあまりよくないなあ。これは同じフィギュオタとして悲しいよ。私とは方向性は違うけど」
本棚やパソコンの上に並べられたフィギュア群を見て、純子が眉根を寄せて唸る。純子が集めるのはもっぱら怪獣や特撮ヒーローのフィギュアだ。
「よくわかりませんが」
「これ見てよ。埃がこんなに見える」
「うっすらとしか見えませんが……」
「うっすらとでも見えちゃ駄目だよ。見える前に掃除しないと。掃除するのが面倒なら埃避けのケースに入れて飾らないと」
「そうですか……」
どうでもよさそうに相槌を打つ累。いや、実際心底どうでもいい。
「これもちょっと覗いてみようか」
ノリノリの笑顔で、純子がパソコンの電源を入れる。
「家族と生活しているのに、ロックもかかってないね。私もかけてないけど。うわあ、こりゃまた……」
映し出されたディスプレイを見てにやける純子。
「おかずフォルダも拝見~。おー、制服JK率高め。まあこの子も高校生だから健全……でもないか。幼女フォルダとかもある。累君の仲間だねー」
「僕はここまで幼い子を犯した事はありませんよ。十歳未満じゃないですか。僕の守備範囲は最低でも十一歳か十二歳の……いや、年齢どうこうよりも、体に女としての丸みを帯びてからの子でないと駄目です。完全なツルペタは生理的に受け付けないんです。ほんの少しだろうと、膨らみが出てくれば、それでいいんですけどね」
「そ、そう……」
ディスプレイを覗いて不満げに熱弁を振るう累に、話を振ってからかっていた方である純子が、少し引き気味になる。
「性癖は大体わかったけど、それ以外の有用な情報は……と?」
メールボックスのリストに目を向ける純子。
「本名系かー」
SNSのフレンドリストにアブラハムの名があったのを確認し、純子は呟いた。
「これって力霊量産計画の責任者である、アブラハム吉田のことでしょうかね」
「偶然にしては行き過ぎている名だし、ほぼ間違いなくそうだろねえ。元々繋がっているのか、それとも力霊の力を得てから、アブラハムさんに探しあてられて、繋がったのか。いずれにせよ、アブラハムさんは、暴走した力霊が憑依した相手と繋がっているってことだよ」
繋がっているのが宮村好吉一人だけとは、純子には思えない。もしかしたらアブラハムという人物は、故意に力霊を解き放ち、複数の人間に憑依させたのかもしれないとも勘繰る。
少なくとも解き放たれた力霊の居場所は、彼に把握できるのではないかと、推測する。もちろん、憑依されて大暴れした好吉の件を知り、その居場所を探しあてて接触したという可能性もあるが、純子の勘では、これは前者な気がした。
「またまた重要情報げっと。でもこれはそのうち、嫌でもわかった情報だろうねえ。たまたま私が一番に見つけたかな?」
「他の人も知っていて隠している可能性有りですか」
「んー、隠す意味あるのかな?」
「純子だって知らせるつもりはないのでしょう?」
「そりゃまあ、今追っている好吉君を実験台として確保したいからねえ」
あっけらかんと答える純子に、やっぱり人選ミスだろうと、改めて累は思う。
「シスターは何だって、よりによって純子なんかを推薦したのやら……」
「シスターと電話して聞いたけど、シスターも最初は私を推すつもりはなかったらしいよー」
累の言葉に対し、純子が意外なことを口にした。
「ヨブの報酬の構成員が、この状況なら私にヘルプ頼んだなら、動いてくれるんじゃないかって、シスターに進言したんだって。まあ、実際動いているわけだけど」
「動いて役に立つかどうかとか、余計なことをしでかさないかとか、その構成員やシスターは考えなかったんですかねえ」
呆れ気味に言う累。しかし構成員の推薦という話は、意外に思える。そして何か引っかかる。
「いや、頼まれて引き受けたからには、ちゃんと役立つつもりでいるし、だからこそこうして探偵モードなんじゃなーい。そのおこぼれでちょっと実験台確保するくらい、別にいいと思うしー」
「そのおこぼれ優先で、知らせるべき情報も隠匿するのだから、全然よくないでしょ」
「累君……最近真面目じゃない?」
「純子が不真面目すぎるだけですよ。いや、昔の僕も、今の純子並に不真面目でしたから、あまり人のこと言えないですけど。あんまり適当にやっていると、名目上では推薦した事になっている、シスターの顔に泥を塗る事態になりかねないでしょう?」
「なるほど……。累君、そこまで考えてたんだ……。累君なのに……」
「真もそうですけど……純子はよっぽど僕のこと、下に見てるんですね……」
引きこもり歴が長かったせいもあるし、それも無理はないと、累は承知しているので、怒る気にもなれない。
「しゃーない、宮村好吉君のこと、真面目に報告しておくかー。真面目に報告したうえで、後で実験台として確保すればいいわけだし」
それも駄目だろうと思ったが、最早突っ込む気は起きない累であった。




