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修の特訓が終わってから、陽が落ちかけた面会時間ぎりぎりで、輝明と修と純子は、綺羅羅が入院している病院を訪れた。
「おっひさー、綺羅羅ちゃん」
純子が屈託の無い笑顔で弾んだ声をかけると、綺羅羅も嬉しそうに微笑む。純子は綺羅羅が少女だった頃からの知己だった。輝明や修とも、綺羅羅経由での繋がりである。
「修、無事で何より。純子、久しぶりね」
「私の所で修君みたいに一日か二日でぱぱっと治してあげよっかー?」
「いや、いいよ。病院でゆっくり治していれば、いろいろサボることもできるし、何より輝坊のツラをしばらく見たくないからね」
綺羅羅の一言にムッとした輝明が、荒い足取りで綺羅羅が寝るベッドへと接近する。
「ケッ、見たくもねーツラが来て悪かったな。ほーれ、見たくない御尊顔だ。存分に拝んでくれ」
「ブッ……」
触れ合いそうになるほど間近に顔を近づけ、ドアップで変顔してみせる輝明に、綺羅羅は思わず噴きだして、顔を横に背ける。
「うわっ、きったね。ババアの唾がかかった」
「あんたこそキモい真似すんな。つーか顔見たくないから、見舞いなんて来なくていいわ」
「あー、そうかよ。糞くだらねー無駄足しちまったわ。そんなこと言われるとは思わなかった。俺がどんな気持ちでここに来たかも考えずに、よー言うわっ」
「うっさい。私が大怪我してるのだって、全部あんたが原因だろうが」
喧嘩を始める輝明と綺羅羅。修はいつものこととして無反応であったが、純子は止めに入った。
「ちょっとちょっと、綺羅羅ちゃん。輝明君て、こう見えてわりとナイーブなことは綺羅羅ちゃんだって知ってるでしょー」
「ケッ、純子も何ぬかすかと思えば。俺がそんな軟弱虚弱貧弱脆弱なメンタルだと思ってんのかよ」
「ここにいる皆知っていることよ。ごめんね、輝坊。私も言い過ぎた」
精一杯強がる輝明に、綺羅羅が大きく息を吐いて謝罪する。
「あれ? 輝坊泣きべそかいてるの? やめてよ、十七にもなってさ、みっともねー」
「かいてねーよ!」
謝ったと思ったらからかいだした綺羅羅に、輝明は思わず大声をあげてしまう。
「ああ、そうだ。輝坊、言おうと思ってたことがある」
不意に真顔になる綺羅羅。
「銀河を煽りまくってたけど、ああいうタイプは執念深いし、火に油注いでもろくなことねーって、わかっててやってんの? あんまり見くびるんじゃないよ。あいつは馬鹿だけど、馬鹿だからこそろくなことしないもんさ。思わぬ所で災厄になるタイプだから、さっさと理由つけて始末しておく方がいいわ」
「ババアも中々過激だねえ」
綺羅羅の言葉を聞いて、輝明は苦笑した。
「でも綺羅羅ちゃんの主張は正しいし、合理的だよ。綺羅羅ちゃんも輝明君の知らない所でいろいろあって、そういう思考に行き着いたんだよー」
口出しする純子に、綺羅羅がちょっと嫌な顔になる。プライド的な問題だが、そういうフォローを輝明の前でしてほしくはない。
「テルの護衛は今度こそちゃんとするんで、綺羅羅さんは安心してよ」
にっこりと笑い、修が綺羅羅に声をかける。
「修、あんたも無茶すんじゃねーよ。輝坊がくたばらずに、代わりに修が死んでも嫌だからね。それならまだ輝坊がくたばった方がマシだわ」
綺羅羅が修の方を見て、微笑みながら言った。
「話戻すけど、こっそりと気に入らない身内を、暗殺だの謀殺だのするのは、俺には無理だわ。俺の性分に合わない」
「性分どうこうの問題じゃなく、あんたは甘いんだよ。ま、あんたはそういう甘い奴のままでもいいけどね」
渋面になる輝明に、綺羅羅はフォローを込めて告げる。そういう汚れ仕事は、命令されるまでもなく下の者がやるのが理想だと、綺羅羅は考えている。
***
「気合いが入っているのはわかるが、空回りしているぞ」
夕陽ケ丘家の道場にて、一人息子の善治に注意を促す良造。
星炭に数多くいる師範代を務める夕陽ケ丘家の道場であるが、現在門下の者はいない。夕陽ケ丘家は一年前まで二人ほど、星炭流派の家系の新参術師数名に、個別指導を行っていたが、無事指導を終えて、現在この道場に訪れるのは善治と良造だけだ。
目の前に様々な種類の訓練用の呪符を並べ、精神力と術の制御力を向上させる訓練をしていた善治は、父の注意を受けて大きく息を吐き、精神集中を解く。
「心にわだかまりがあって、それが足を引っ張っている。そんなところかな」
「父さんは何でもお見通しだな」
父の洞察力はいつも怖いほど優れているし、助言も指摘も的確だ。故に善治は良造のことを尊敬し、信頼している。一方、反発心も無いわけではないし、結構逆らうこともあるが。
「生まれの才能だけで、全ては決まってしまう。この世界は理不尽だ。最近いつもそう思っている」
何故そう思うかは言わずもがなだ。ある人物を意識してのことである。もちろん良造もそれを即座に見抜く。
「では才能の前には歯がたたないと投げ出し、何もしないでいるかね? 世の多くの者はそれを知りつつも、己のいる世界でベストを尽くす。そして才能を授かってきた者ですら、ベストを尽くすのは変わらない。当主の輝明が何もしていないと思うか?」
父の正論が、今の善治には煩わしく感じられた。
「それでは永遠に才能にある者にはかなわない。やはり理不尽だ」
「目指す上がある事はいいことだと、そう受け取るのは、まだお前には難しいか」
「俺は勝ちたいし、俺が星炭の継承者になりたい。輝明は……力はともかく、人間性で考えれば、とても当主には相応しくない」
思っていることをとうとう口にする善治。
「俺も雷軸みたいに雪岡研究所で改造してでも、あいつに勝ちたい。俺はあんな奴が星炭の頂点に立ち、好き勝手しているのが我慢ならない」
こんなことを言って、きっと父は自分を激しく叱責するだろう。ぶん殴られるかもしれない。そう覚悟したうえで、思いのためをぶつける。
しかし良造は穏やかな目で――息子を案じる目のまま、怒りの気配など全く見せない。普段は穏やかだが、怒った時は容赦無く手が飛ぶ父親であったし、これは明らかに怒らせることを言ったと、善治は思っていたのに、怒られないのが不思議だった。
「お前の気持ちはわかるが、果たしてそれでいいのかな? 勝ちたい相手に、そんな力を授かってまで勝って、それで本当の勝利と呼べるのか?」
「でも、才能のある者には……いつまでたっても絶対に勝てない。そもそも才能の有無なんて、ただの運だ。極めて理不尽なものだ。普通にやったら絶対に勝てない。俺は別に反則とは思わない。生まれながら運を味方につけた者こそ反則だ」
「スポーツでドーピングをする者も許すのか? お前らしくもないな」
「それとこれとは別だ。綺羅羅さんだって、増幅器を使った。何でも有りの真剣勝負でいいと、輝明も認めたのだから、同じようなことをする奴がこれから現れる可能性も高い。ルール上有りとされたのだし、問題は無い」
「お前の心のルールの問題は?」
「ずっと悩んでいたが、答えが出た。認められたなら有りだと」
「そうか。それもまたお前の選択だな」
良造はそこで相好を崩したが、父の目に不安の色が宿っていることは、他人の感情の変化に鈍感な善治にも、明らかに見てとれた。
「輝明はよく、他人を無才だの無能だのと罵倒するだろう。あれは何でだと思う?」
「意味があるのか? ただ見下しているだけではなく?」
父がわざわざそんな質問をしてくるからには、何か意味があって、それを父が見抜いているのであろうと、善治は思う。
「輝明の視点からすれば、自分の実力――才能の部分しか見ず、才能の壁と断じて、嫉み、諦めている連中に腹が立っているのだろうな。実際彼は、努力も人並以上にしている」
才能があってさらに常人以上に努力しているのなら、常人は絶対にかなわないし、やはり世界は理不尽だと、善治は元の思考に戻る。
(やはり俺も雷軸のように……雪岡研究所で改造するしかない。あれこそが才能の壁を打ち破るただ一つの方法に思えてきた)
正直、オリンピックでドーピングする者の気持ちも、今の善治には理解できてしまう。あらゆる不正を嫌う善治だが、今、不正を働く者へ共感してしまっている自分に、疑問も抱かず腹も立たなかった。
***
電話が鳴っているので、オンドレイは面倒臭そうに電話を取る。彼がいるのは居候としているかつての師事した妖術師の家だ。そして今彼がいる部屋には、老婆が布団で寝ている。
『何をやってるんだ。いつになったら星炭輝明を殺しにいってくれるんだ』
電話を取ると、現在依頼を受けている最中の星炭銀河から、依頼の催促をしてきた。
「期限は決められてないぞ。こちらも事情があるし、解決次第行く」
声を潜めて、老婆を起こさないように、聞かれないように小声で答えるオンドレイ。
『じゃあここで期限を決めてやる。明日までだ」
「無理だな。それで不服なら、他所をあたってくれ」
苛立ちを露わにして決める銀河に、オンドレイはにべもなく告げた。
『わかった。他所をあたる』
「他所が駄目なら、またこちらに連絡をくれても構わんからな」
オンドレイの言葉途中に電話は切られた。
「まあ、仕方ない」
寝ている老婆を見て、溜息をつく。オンドレイはインフルエンザにかかってしまった老婆の看病をしていた。
仕事となると極めて冷徹で非情なオンドレイであるが、オフでは気の良い巨漢である。もし依頼者が時間指定もしてきたなら、老婆を病院に預けるなりして、仕事に行っていた。
正直今回の依頼者は、今の電話のやりとりで、オンドレイの嫌いなタイプだったとわかったので、このまま仕事が流れてくれればよいとまで思っていた。もちろんいざ仕事となれば、真面目にこなすつもりでいるが。




