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雷軸の襲撃があった日、修は入院する事になったが、輝明は病院で傷の手当てだけをしてもらい、自宅へと戻った。
「輝坊のせいで修が大怪我か。負わなくていい大怪我を、輝坊のせいでねえ」
夜、卓袱台を挟んで向かい合って夕食を取る輝明に、綺羅羅が嫌味たっぷりに言った。
「やめろよ、てめー。飯が不味くなるだろ」
輝明が顔をしかめるが、綺羅羅は容赦無く話を続ける。
「こんな事態を引き起こしたのが誰かを考えると、私の飯は不味いままだわ。しかもその本人は理由を黙して語らず。ま、私は何となく察しているけどね。あの子のことでしょ?」
綺羅羅の指摘を受けて、輝明の箸の動きが止まった。
「あんたひょっとして、あの子に惚れてたの?」
「いちいちそんな野暮なこと聞く無神経さが、ババアの悪い所だな。俺はそれにどう答えろってんだよ。そこまで脳みそ使ってから質問しろよ」
「つまり惚れてたのね。そっか……。辛いね」
嫌味ではなく、いたわる響きになった綺羅羅の声を聞いて、輝明は気持ちが和らぐのを実感した。いつもは厳しい綺羅羅が優しさを伺わせる時、輝明は懐かしい気分と同時に、心底安堵してしまう。
どうしてそんな感情を抱くか、輝明は理解している。物心がついたかどうかの幼い頃、自分にとってまだ姉のような存在だった綺羅羅を、記憶の底にいる幼い自分だけが思い出しているのだろうと。ほとんど覚えていないのに、記憶の引き出しの奥にいる自分はちゃんと覚えている。綺羅羅お姉ちゃんに会えたと思い、喜んでいる。
「同情してくれるなら、俺の味方になってくれよ。ババアも俺に賛同してくれよ。修はちゃんと俺の味方になってくれてるぜ?」
「輝坊なんかの肩持ったせいで死にかけている修が可哀想ね。修だって本心はどうかと思ってるんじゃねーの?」
真摯に訴えた輝明に対し、また嫌味たっぷりに返す綺羅羅。カチンとくる輝明。
「あー……今の一言聞いて、卓袱台引っくり返したい気分になったわ」
「やれば? そうしたら当分飯作ってやんねーけど」
「ああ、そうなるから、やらねーよ」
当分どころか一ヶ月以上も食事を作ってもらえず、その間ずっと出前で済ました。最後は泣いて土下座して謝った過去を持つ輝明であるが故、もう二度と卓袱台返しはすまいと心に誓っている。
(ババア……半分正解だが、理由はそれだけじゃねーんだよ。他にも幾つか理由があるんだ)
心の中で輝明は話しかける。それが口にできないことは、輝明も辛い。
一つは、自分と綺羅羅の関係が、星炭という家によって壊されたと、輝明は思い込んでいるからだ。才能があったため、星炭流の当主に相応しい器にせんと、綺羅羅は輝明を厳しく教育した。輝明も幼い頃はそれを受け入れていたが、同時に、星炭流そのものに対して、強烈な反発心も生じた。
もう一つは個人的な感情だけではない。おそらく知れば、今自分に反発している星炭流の妖術師達の多くが、自分が国に背を向けたことにも納得してくれるであろうと、輝明も確信している。しかしそれを口にできない事情がある。
食事を終えた所でディスプレイを開き、メッセージボックスを見ると、星炭銀河の名があった。どうやら星炭の妖術師全てに発信しているようだ。
「銀河からメッセだ。多分ババアの所にも行ってる。明日の夜、また集会を開いて流派の一同を集めたいってさ。そこで、当主の件について話しあいたいってよ。露骨に罠の臭いがプンプンしてやがるな」
輝明に言われ、綺羅羅もホログラフィー・ディスプレイを開き、確認する。
「用心はした方がいいだろうけど、まさか集会で襲うなんて馬鹿な真似はしないでしょ。星炭流全ての者が、輝坊に反発しているわけでもねーし」
「あれ? そーなの?」
少し驚く輝明。綺羅羅の言葉は意外だった。
「霊的国防を退任する件はともかく――ね。今時掟で縛って、生き方も選べないとか、それで嫌な思いした奴はいっぱいいるでしょー。そっちだけなら、上手いこと主張すれば通るかもしれないよ? 今からそっちだけに絞って、国から離れることは――」
「ダメだ」
綺羅羅の言葉を遮り、きっぱりと言う輝明。
「そいつは絶対にできない相談だ。星炭の未来を考えても、許せないことだ」
「許せない?」
いつになく真剣な面持ちをしている輝明に、綺羅羅は怪訝に思う。
「あんた……一体何を知ったの? 何を見たの?」
「そいつは話せない。身内だろうと喋るなと言われてるしな。ま、明日の夜か? 銀河のアホが何しでかしてくれるか楽しみだし、出てやろーじゃねーか。出なかったら逃げたとかぬかすだろうしよ」
不敵さとやんちゃが同居した笑みを浮かべる輝明を見て、綺羅羅も表情を綻ばせた。輝明のこの顔を見る度に綺羅羅は、まだ自分が姉のように接していた時のことを思い出す。
***
輝明と綺羅羅が向かい合って食事をとっている頃、善治も父親の夕陽ケ丘良造とテーブルで向かい合い、夕食をとっていた。
善治の母も星炭の妖術師であったが、まだ善治が物心つく前に、任務で命を落としている。
「輝明を襲うのに、雪岡研究所の力を借りたり、外部の殺し屋を雇ったりと、まともに継承者の座を狙う者はいないようだな。ただ輝明を引きずり下ろせれば、それでいいという考えのようだ」
良造が穏やかな口調で言う。見た目は善治とあまり似ていない。のっぺり顔でもなければ、顔のパーツが著しくアンバランスな異相でもない。美男子というほどでもないが、普通の顔だ。
「実際問題、実力で輝明と戦って勝てる者がいないから、諦めているんだろうさ。しかし輝明が死ねば、空席をどう埋めるかという話になる。卑怯な手段で屠っても、結局は一番強い者がその座に就くことになるのでは?」
善治が投げやり気味に言う。善治もわりと優秀な妖術師であるが、その空席の座につくほどの実力が無いことはわきまえている。
「輝明の主張は、お前にとっては悪くないものじゃないか」
父の言葉に驚く善治。
「お前は警察官になりたいと言ってたろ。星炭の門下の家に生まれたからには、そんな自由は許されなかったが、輝明がその自由をくれるというんだ。それに関してはありがたい話だろう」
小さい頃は確かにそんな夢があった善治である。しかし今はもう無い。つい最近まで善治は総理大臣になりたいと思っていたし、今は独裁政権を築いてその頂点に君臨したいと思っている。全て自分の思い通りになれば、きっとよい社会ができるはずだと。
「あの時、輝明に非難轟々ではあったが、内心では輝明に同意している者も少なくないぞ。私は国防任務を退くことはともかく、生まれで縛るなどというのは確かに前時代的だし、辞めた方がいいと思う。私だってやりたいことはあったしな」
最後の一言は照れ笑いと共に言う良造であった。
「俺は世界を変えたい」
ぽつりと口にした息子の言葉に、良造の笑みが消え、啞然とした面持ちになる。
「何を馬鹿なことを……」
「馬鹿じゃない。俺はこんな腐った世界を作り変えたい」
むっとした反発する善治。初めて父の前で漏らした言葉だが、父に即座に否定されて、いつもの脊髄反射で熱くなっている。
「一人の人間が世界を変える事など……」
「秀吉だって足軽から出世して天下人にまでなった。ヒトラーも浮浪者にまで落ちぶれて、そこから歴史を動かす人物にまでなった。出来ないことなどこの世にないはずだ。俺は……この世に生まれてきたからには、自分の望みをかなえたい。人の可能性を信じたい。しかしそれは、星炭流の妖術師としての生き方の延長でも出来たはずだ」
早口で主張する善治。良造は小さく息を吐く。
「ヒトラーの名言を思い出したよ。『私は間違っているが、世間はもっと間違っている』。いや……お前は自分が間違っているとさえ思っていないようだな」
穏やかに諭す父親に、善治は激昂しかけた。一体自分の何が間違っているというのか。
(そもそも輝明は何で望まれぬ変革をしようとしているのか。その理由を皆の前で喋るべきだ。それを語ろうとしないのでは、余計に納得されないではないか)
輝明が朝見せた表情を思い出す。朝の言葉を思いだす。深い理由があるのは確かなようだが、それを口にしないのでは話にならない。
(いや、どんなに理由があろうと、受け入れられない。皆は望んでない。喋れないということは、きっと話したところで納得できない理由だからだろう)
善治はそう判断する。自分が途中で思考停止している事に、彼は気が付いていなかった。
食事を終えた所で、良造は星炭銀河からのメッセージに気がついた。集会をかけたいという旨だ。善治にもそれを伝える。
「何を企んでいるんだろうな。まあ、あいつの企みじゃ底が知れている」
「同感」
父の言葉に、侮蔑を込めて頷く善治であった。




