二つの序章
「そもそも、だ。何でお家を守らなくちゃならねーんだよ。お家の伝統か? 何だそりゃって話だぜ? そんなもん守る価値がどこにあんだよ? ああ? それで何か楽しいのか? それで俺ら星炭に生まれた者が何か得するのか? 何で自由に生きることを許されないんだよ? この先もそんなもんずっと続けて、生まれてきた子孫に、妖術の修行だの、御国を護るだとか、妖怪や妖術師や悪霊との戦いを強いるってのかよ? 真剣なアホか? 頭腐ってるのか? 俺はてめーらと違って頭マトモだから、こんな馬鹿げたこと俺の代で辞めようって言ってるんだが、俺のどこが間違ってるんだ? ちゃんと理屈で説明して論破してみろよ。てめーら脳足らずの出来損ないのチンカスに、俺を説き伏せる脳みそがあるとは思えないけど、一応努力だけしてみ? その努力を俺がほんの少しでも認めたら、考えてやってもいいぜ」
二十畳もある広い和室にて、何十人もの老若男女が真剣な眼差しで注目する中、上座にふんぞり返った制服姿の少年は、憎々しげな口調で一気にまくしたてた。
それは流派の一大事であった。流派の当主が、千年以上もの長きにわたって担ってきた、国防の任務を捨て去ると言い出したのだ。
当主の突然の決定に、星炭流派一門の顔役達が血相を変えて本家に集い、当主の真意を問いただし、思いなおさせるつもりでいた。
星炭流妖術。日本における超常関係者で、その名を知らぬ者はいない。数ある妖術流派の中でも、名家中の名家。妖怪退治を生業として、表には出ない国の裏の歴史で様々な功績をあげ続け、国からも霊的国防の任を与えられてきた流派である。
他の妖術流派よりも実戦的であり、使役する妖術の多くは、他の妖術師達のような霊や精神に干渉する術や幻術とは異なり、直接的な破壊や攻撃に用いる術が多い。これは妖術師の中では稀有な方だ。雫野流や破心流もそうした傾向にあるが、その二流派とて精神干渉の術や呪術の類が多い。
上座にだらしない格好でふんぞりかえっている当主は、まだ少年だった。髪の毛は脱色して薄い金髪で、ハリネズミのようにツンツンと尖って立てている。制服もシャツのボタンの上三つもかけずに、胸元をひろげた着こなしである。耳はピアスだらけだ。耳からは髪の毛が細く長く一房垂れて、胸まで伸ばしている。
パンク風味なヤンキー全開な見た目であるが、その顔つきは愛嬌に満ち、あどけなさが目立つ。そのうえ手足も妙に短い。というか背が低い。今座っている状態でもはっきりと小柄だとわかる。その身長は140も無い。しかし年齢は十七歳で高校二年生。はっきりとチビと言っていい背丈だ。
だがその小さい体には、途方もない妖気が宿っていることも、他の術師達とは桁違いの才能の持ち主であることも、彼と向かい合って正座している、星炭流門下の妖術師達は皆知っている。
若干六歳で当主として選ばれた、星炭流の歴史の中でも類を見ない天才児。星炭流妖術二十七代目継承者――星炭輝明。それが彼だ。
「元々星炭は超常の災厄から、人々の身を護ることを常としていた。国のお抱えは二の次だろ? それは星炭の家訓にも書いてあるじゃねーか。国のお抱え術師として威張ってふんぞり返るなってよ。民の味方であれと」
上座でふんぞり返って威張り散らす輝明の言葉は、間違ってはいない。他の国のお抱えの妖術流派達は、国の命令が無い限りは動かない者達が多い。しかし星炭流はそうあってはならないとされている。国に仕える立場を取りつつも、積極的に民の安全を護れというのが、家訓である。
代々の星炭流妖術の当主たる継承者達は、ただ当主の座に胡坐をかく事無く、自らの足で戦いの場へと赴き、人外の魔の手から人々を護ってきた。それが星炭の在り方であり、星炭流派に属する妖術師達は、それを誇りとしてきた。
実際、現在の継承者である星炭輝明も、裏通りの住人となり、超常関係専門の始末屋として、裏通りでは名の知れた存在になっている。国から命じられる仕事よりも、始末屋としての仕事の方を数多くこなしてきた。国から命じられし任務の多くは、星炭流派に所属する妖術師達が担当してきた。それは星炭として正しい在り方である。
今、輝明の前に並ぶ妖術師達の多くは、輝明より年上だが、輝明より多く実戦の場に出た者はいない。その実力においても、輝明にかなう者などいない。
本家の血筋に生まれ、生まれながらに星炭の姓を持つというだけではなく、生まれながらにして才能の塊であったことに加え、若くして百戦錬磨と呼んでも差し支えない戦歴の持ち主である。誰も見くびる者はいない。妬む者はいても。
「俺はその家訓は気に入っているし、従うつもりでいるぜ。いや、それ一本で行こうっつってんだよ。国にとやかく言われるのは沢山だし、御国に仕える身分なんつーアホな矜持なんざ、オナニーした後のティッシュと一緒に丸めて、ゴミ箱に捨てても構わねーだろって話だよ」
その偉大な当主が――千年に一度の天才と言っても過言では無い傑物が、代々星炭流妖術が国より授かってきた名誉ある任を捨てると、主張したのである。
それだけではない。星炭の本家は元より、分家や、星炭に仕える事を誓った家系に至るまで、本人の意思を尊重して、自由な生き方を認めるという方針を打ち出したのだ。
星炭流の妖術師はその半数以上が、先祖代々より星炭流妖術師となることを義務づけられた家系の者達である。まず星炭の本家が有り、さらには分家が有り、星炭流妖術を子々孫々学んで守護することを誓った一族が複数有る。
秘奥を継承し、星炭流妖術の継承者を名乗り、当主として君臨するのは、その中から最も優秀な妖術師が選ばれる。必ずしも本家の者が選ばれるわけではない。血にはこだわらず、力と才を見せた者が選ばれる。現当主であり二十七代目の輝明は本家の者であるが、代々の継承者は半数以上、本家以外の者が選ばれている。
生まれながらにして、彼等は生き方の選択などできない。しかしそれに輝明が異を唱えたのだ。
国防の任の放棄だけでも、とんでもない決定だと星炭の門弟達の目からは映ったが、星炭に携わる家系に自由な生き方を与えろなどと、星炭の存続にも関わるような血迷った命令だと、一部の者達は感じ取った。
ただし、自由な生き方を認めるという決定に関しては、実はこの時点において、全員が反発しているわけでもなかった。こっそりと共感している者も多かったが、口に出さず様子を伺っている。
輝明が下したこの突然の決定に、星炭門下の大半の者が承服できないとして、こうして一斉に本家に詰め掛けた次第である。
しかし輝明はまるで動じることなく、自分より年上である妖術師達を前に、尊大な態度で言いたい放題言っている。
「前時代的なんだよ。何から何までよ。もううんざりだわ。もうすぐ二十二世紀だぞ? てめーらの頭は、糞と混じって化石化してんのか? 人のように見えて、人の言葉を覚えただけの猿共か? 俺は星炭流を人間に進化させてやろうってんだ。その心遣いを受け入れようとせず、それどころか不満顔で抗議しにくるとか、まさにモンキーそのものだわ。この猿っ。俺は猿なんか同胞と認めたくねーんですがー? さっさと人間に進化しろよ。無能低脳の三流のチンカスの阿呆猿共の分際で、身の程知らずに身の丈弁えずに、誰に向かって抗議しにきやがったんだ? 滑稽だねえ。無様だねえ。猿が人間様に抗議だってよ。笑えねーなあ」
輝明が常に他者を見下した言動を取り、口から毒を吐きまくる男であることは、星炭の妖術師達は皆知っている。ずば抜けた才があるが故、確かなる実績があるが故、当主であるが故、一応堪えてはいるものの、内心嫌悪している者は多い。
輝明も自分が嫌われていることはわかっているし、わざと人から嫌われるような悪罵を吐きながら生きてきた。人を罵ることはやめられない。くそみそにけなすことを改められない。ずっとそうやって生きてきた。それが星炭輝明という少年だ。
「従えませぬ。いや……もう私は、星炭輝明を当主として認められない」
壮年の術師が、膝に置いた手を震わせつつ、顔を紅潮させて怒りを殺しきれない声で、きっぱりと宣言した。
「星炭の今後の方針を改めるとしたら、才だけで選出するだけではなく、人格面も考慮すべきではないですかね」
初老の術師が腹に据えかねたという顔で言う。
「迸るほど同意!」
「今までこの小僧の不遜な態度に耐えてきたが、もう限界だ……」
「ああ、俺もこいつが星炭の名を担う継承者だとは認めたくないっ。継承者のやり直しをすべきだ!」
「輝明殿は、星炭の護るべき掟を破ろうとしている。その時点で、星炭の名を捨てたと見てもよいでしょう」
堰を切ったように、怒りと不満が溢れ出て、輝明の当主リコールの大合唱が始まった。
「ケッ。じゃあ実力で引きずりおろせばいいじゃねーか。上等、上等。星炭の秘奥義も、継承者の名も、俺はてめーら屑共に、言葉で譲れと言われても、はいそうですかと譲る気はさらさらねーぜ? 俺を殺した奴が次の当主って形で、継承者争いと行こうぜ。それが一番手っ取り早いだろ。よし、そうしよう」
へらへら笑いながら挑発した輝明に、術師達は押し黙った。
少なくとも一対一で、輝明に勝てる者はいない。さりとて複数で一斉に襲いかかって殺害することができない理由もある。
「前時代的とか言っておきながら、あんたも前時代的な継承者争いをする気とはね。呆れるわ」
輝明のほぼ目の前にいる女性が、うんざりした顔で言った。OL風のグレーのスーツに身を包んだ、二十代後半から三十歳くらいの、薄化粧の面長の美人である。背中まで伸ばした髪は、ダークブラウンに染めている。背筋をピンと伸ばし、座っていてもスタイルの良さが伺える。
星炭の過去には幾度か、そうした実力による継承権争奪の戦いが起こっている。継承者を決めあぐねた場合や、当主が暗愚で星炭の存亡に関わるとなった場合、あるいは単純に継承者の座が欲しくなったら、命をかけて星炭の妖術師として戦って、当主を決めろという掟が、一族にはある。
その場合、星炭の妖術師複数が手を組むことは、許されないとされている。これは星炭門下でさらなる争いの火種となることを防ぐためである。ただし、星炭門下以外の者を助っ人とする事は許されているため。複数対複数で、合戦のような形での継承者争いになった事も幾度かあるという話だ。
「ババア。力で我を通すことに、前時代的も糞もねーんだよ。それはこの世の始まりから終わりまで変わらねー、絶対法則だ。てめーの我を通すのは、いつの世だって力ずくだ。ンなこといちいち説明させんなっての」
目の前にいる女性に向かって、やけに伸びて目立つ犬歯をちらつかせて、不敵な笑みを浮かべる輝明。しかしその笑みは不敵であると同時に、愛嬌にも満ちている。彼特有の魅力的な笑顔だ。この顔を見るたびに、輝明の目の前の女性――星炭綺羅羅は、心が和む。
「じゃあ私も……力であんたを抑えるわ、輝坊」
ドスの効いた声を発する綺羅羅に、それまで余裕ぶっていた輝明の顔が引きつった。
「え? まさかババアも俺の敵に回るの?」
「そうだけど?」
動揺する輝明に、綺羅羅がにっこりと笑ってみせる。
それが一週間前の話。
***
星炭流は本家の他に無数の分家が存在し、さらには星炭の姓を持たずして、星炭の妖術を代々学ぶ家系が無数に存在する。
星炭の継承者は、本家の血筋で決めるわけではない。これら全ての星炭の妖術師の中から、実力を見たうえで選出される。よって、分家の者が継承者になった場合は、本家の者であろうと分家の継承者に仕えることになる。しかし継承者以外の上下関係では、本家が常に他の上に立つ。
星炭綺羅羅の兄は、星炭の二十六代目継承者となってわずか五年足らずで、任務で命を落とした。妻と共に任務に臨み、揃って死んだ。
当時十六歳の綺羅羅は、五年前に親を任務で亡くしていたため、兄夫婦とその一人息子と共に暮らしていた。
兄夫婦とも甥っ子とも、とても仲の良い関係であった。それ故に兄夫婦の死は、綺羅羅にとってショックだった。
両親も失い、兄夫婦も失い、綺羅羅に残った家族は、甥っ子だけ。齢四歳にして、自分と同じように親を失った、哀れな甥――輝明。
「私がこの子を育てます」
高校生だった綺羅羅は、星炭の妖術師達の前で、輝明の手を握ってそう宣言した。
「あんた未成年だし、結婚もしてないのに……」
「そもそも養子にするには、未婚じゃ駄目なんじゃない? しかも子供の貴女が……」
分家の親戚達は思いとどまらせようとしたが、綺羅羅は聞き入れなかった。
「法律とか世の中のルールなんか知ったこっちゃないっ。この子は私が育てるよっ。私しか家族と言える相手がいないのに、他に渡せないっ」
もっとはっきりと言えば、幼くして輝明は才能の片鱗を見せている。後継者争いで邪魔者と見なす者の元へといけば、そこで潰される。それを綺羅羅は見越していた。
そして綺羅羅がそこまで見抜いている事も、星炭の関係者達も察していた。星炭の継承者争いは時として、物理的な戦いにも発展する。本家、分家共に、継承者になることの名誉を喉から手が出るほど欲する者は多い。
四歳にしてはひどく利発なうえに、すでに妖術師としての才華を見せていた輝明は、疎まれて恐れられていただけではない。星炭流の高弟たる妖術師達にも、長老達にも、ひどく期待されていた。故に綺羅羅の申し出に渋面であったが、綺羅羅と輝明のことを不憫とも思い、これを認め、見守ることにした。
綺羅羅は高校を中退した。青春を投げ捨て、輝明の育成に全てを注いだ。それは単に子供を育てるというだけではなく、妖術師としての教育を行わなくてはならなかった。
妖術にしろ魔術にしろ呪術にしろ、大抵の術は、吸収のいい幼いうちから学ぶ。よほどの才能が無い限りは、大人になってから学んでも大した術師にはなれないし、時間がかかる。例外としては学びやすさを極めた破心流くらいだ。雫野流もその例外という話であるが、雫野流は謎が多く、超常関係者の間でもあまり詳しいことは知られていない。
輝明の才能はずば抜けていた。生まれながらにして強力な妖気を体に宿し、術を扱うセンスも、術の習得の早さも、舌を巻くものだった。
綺羅羅が輝明の親代わりになった二年後、若干六歳にして、星炭の妖術師の中に、輝明の右に出る者はいない有様であった。
「俺がこれで一番だろ? じゃあ俺を継承者にしろ。そういう掟だろ」
妖術の才だけではなく、頭の良さも六歳とは思えぬほど飛びぬけた天才児である輝明は、星炭の妖術師達を前にして、物怖じせずそう要求し、これが認められてしまった。
それが十一年前及び十三年前の話。




