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神童[Shen tong]

神祐と呼ばれていた頃

作者: 藤夜 要

 退院後のGINがサレンダーへ赴くより少し前。入院中に聞いていた“鷹野由有警護は零が担当”という話が、いつの間にかGINに押しつけられていた。今日はそれを知ってから八日目のこと、とも言い換えられる。そんな九月三日の昼下がり、GINが数日でへたばった由有の子守も、新学期が始まったことでやっとRIOへ引き継がれたと自由を満喫するつもりでいたのに。

「だーかーらっ」

 なぜかGINは、自分の事務所で学校帰りの由有から質問攻めに遭っていた。

「どうして鍵をくれないのよ。それに、零とどんな関係なのって質問にも答えてないっ」

 由有は事務所の書棚を整理しながら、一度にいくつもの事柄について追及の言葉をまくし立てた。そんな彼女が、GINに言及していることのひとつが、“それ”だ。

「絶対ウソ。何か隠してるっ」

「だから隠してないって。零とは個人的な繋がりじゃなくて、現職時代の同僚だっつってんじゃん」

 これでこの回答は、今日だけでも三度目だ。GINは行儀悪くデスクに腰掛け、入院中にゲットして来た案件へ視線を落とした。

「じゃあ、なんで本間さんには事務所の鍵を渡してないの? 零には渡してるのに。遼だって怒ってたんだから。助手にも事務所の保証人にも渡してないのに、それはおかしいだろって言ってたもん。絶対、なんか、隠して……るっ」

 言葉の最後が震え出したので、ついうっかり視線を向けてしまった。正義漢面をした由有が、間近でじとりと睨みつけて来る。それに怯む自分に気づき、心の中で赤面した。

「……つか、そもそもお前には関係ないだろ」

「あるっ。これでも事務担当要員なんだからっ」

 ばさりと資料が舞い上がった。貴重な依頼が足許に落ちる。それを払い除けた由有が、食って掛かるようにGINの襟を掴んで文句を連ねた。

「気紛れに電話に出たり出なかったりするぼんくら探偵の機嫌次第で、入れたり入れなかったりじゃあ、あたしが困るのっ。給料泥棒になんかなりたくないっ」

 迫る至近距離にうろたえ、GINの体が後ろへ傾く。由有の重みが掛かり、デスクに両手をついてどうにか姿勢を保つ。両手がふさがってしまったGINは、ただひたすらに彼女の両手が自分の素肌に触れないことばかりを必死で祈った。

「そのバイト要員も、お前が本間に頼み込んでそうなっただけだろ。俺は頼んじゃいないっつうの」

 やっとのことで出した言葉が、今日もまた由有の“最終兵器”を前になす術もなくスルーされた。

「う……っ」

 吊りあがった由有の眉尻が、突然垂れた。かと思うと、彼女の眉間に、堪えようと足掻く縦皺がいく筋も刻まれる。GINの中に、また白旗が立つ。

「あたし、そんなに、メイワク?」

 身を退く由有の動きに併せ、やっと自由になった両手のグローブをしっかりと嵌め直した。

(何も、泣くことないじゃん……ったく、ズルい子だな)

 降参の代わりに、深い溜息をつく自分がいた。

「由有が迷惑って言うんじゃないよ。イロイロ本間には知られたくないこともあるってこと。いちいち口どめされてだんまりを続けるってのは、由有がしんどいだろう?」

「どういう、こと?」

 まつ毛を濡らしたまま、きょとんと覗く由有に苦笑を投げ掛ける。

「本間には、内緒だぞ。あいつ、相当鈍感だから」

 とん、と足をついてデスクから降りる。目で由有をソファへ促した。

「零は、おんなじ目的を持ってる……同志、って言えばいいのかな」

 GINはそんな切り出しで、無難な話だけを由有には話しておこうと言葉を選んだ。応接セットの横を通り過ぎ、キッチンでケトルに水を入れる。GINがガスコンロに火をつけると、由有がGINの隣に立ってインスタントコーヒーの用意をし始めた。

「同志って?」

「本間は昔から、俺や零や、弱者の立場ばっかり考え過ぎて、自分のことに無頓着だからさ。あいつの背中は俺らが守ろう、って。そういう同志、かな」

「……本間さんが、共通の大事な人なんだ」

 独り言のように呟いたその言葉が、由有の察しのよさを表していた。

「うん。俺も零も、紀由のお陰で今がある」

「あ。GINも名前で呼んだ」

「あ。って、え?」

 うっかり素の状態で話してしまい、そして由有の思わせ振りな言葉に、頓狂な声が連続した。

「本間さんもね、GINのことを話すとき、すぐ“神祐”って変わっちゃうの。本間さん自身は、それに全然気づいてないんだ。シンユウ、っていうの? あたしにはいないから、いいなあ、って」

 由有の横顔が、初めて会ったときに見せた、寂しい微笑をかたどった。

 ケトルがピーと沸騰を知らせると、由有がはっとして顔を上げた。ごまかすようにそれを手に取り、マグカップへ熱いそれを注ぎ込んだ。

「GINと本間さんって、どうやって知り合ったの?」

 あたしも当時のGINを真似て、友達を作りたいな。そんな小さな呟きが、GINの舌を滑らかにした。

「紀由と、その妹の由良と知り合ったのは、俺が小五のガキんちょの頃だったんだ」

 GINは取り敢えず、本間兄妹と自分の馴れ初めを由有に語ることから始めた。




 今思うと、下らない理由で《能力》を使っていた。

「由有とは時代が違うから、ウソくさい話に聞こえるんだろうけど。結構施設育ちに対する一般家庭の偏見って根強いもんだったんだ」

 由有に語りながら、あのころを思い出す。公園のトイレ裏に呼び出された理由が蘇ると、それを由有にどう話せばいいのか、一瞬言葉選びに手間取った。

「俺って、ガキのころからちょっと変わっててさ。施設の中でも鼻つまみもんだったし、職員にも毛嫌いされてて、最低限の飯しか食えなかったし、貧弱な方だったんだ」

 本当は、《能力》を知られたせいで職員に恐れられていた。未知に対する人間の恐怖は、時に人を暴走させる。攻撃が最大の防御と言わんばかりに、何も被害を受けていない内から被害者面で加害する。そんな経緯から虐待を受けていた、という屈辱的な事実を由有に語ることは出来なかった。

「何かと職員の大人に叱り飛ばされて、ひどいときには殴られたりとかしてて。そんで、それをガッコの上級生とかに見られてたらしいんだよな」

 それをバカにされ、それを見た上級生たちに侮られ、「施設の職員室にある金庫から金を盗んで来い」と脅された。当然断ったものだから、人通りの少ないトイレの裏へ連れ込まれて制裁を受けた。そこまでは、由有に話せた。

 今でも鮮明に蘇る。身動きの取れないあの痛み。容赦のない蹴りや、バットで背を殴られた瞬間に走る、なんとも言えない耐えがたい苦痛。内臓と頭を守るため、惨めなほど華奢な身体を丸めて、ただひたすらに彼らの気が済む時間の来るのを待っていた。

「GIN?」

 由有の声で、はたと我に返る。心配そうな顔が隣から覗き込んでいた。

「コーヒーも淹れたことだし。おじさんは立ちっぱなしだと疲れるんで、取り敢えずソファに戻ろうか」

 わざとおどけた口調でそう促すと、由有が苦笑しながら頷いた。




 相手は五人で、自分は独り。そこまで口にして、続きが紡げなくなる。

(“アレ”を使えば、こんなヤツら)

 まだ《能力》という言葉と結びつけられなかったころに浮かんだ“ソレ”が《送》だった。

 ゆるゆると頭を守っていた両手の指と指を絡ませる。グローブを脱ぎ捨て、素手をあらわにさせた。手当たり次第に誰かを掴んだ。GINの掌が、素肌を剥き出しにした足首の部分と覚った途端、自然とゆがんだ笑みがGINの浮かび上がった。

 ぼんやりと流れ込んで来る映像と、声。掴んだ足首から染み出す思念が、どこにでもあるのだろう、ありふれた家族の空気をGINへ流し込んだ。うっすらと瞼を開けば、掴んだ足を覆っているのは中学生の制服。自分を取り囲んだ五人の中にいた内のひとりと思われた。

(こいつがアタマだといいな)

 ぼやけた思考でそう願う。指示を出す奴さえどうにか出来れば、あとは勝手に散っていくと思った。

 視界が淡い緑に変わっていく。ガッ、と鈍い音がこめかみに走ると同時に、強い痛みが首に走った。緑の視界が濁っていく。どろりとぬめる物が目に入って来る。

(――あ、切れた)

 生温かさが、そのぬめる液体を自分の血だと認識させた。

 流れ込んで来る思考に、ちょっとした小細工をして《送》り返した。この中学生の弱点は父親らしい。その父親に、今自分がされたことと似たような仕打ちを受ける思念を練り込んだ。

『う?!』

 頭上からそんな声が降り、GINを殴打する手がひとつ減った。

『川久保?』

『兄ちゃん?』

 次々と、GINをなぶる手足が止まる。GINに足を掴まれた少年が、ガクリと目の前で膝を折った。

『いぎっ』

『うわぁ、父ちゃん、ごめんっ。違うっ。ぶたないでっ』

 彼のついた膝が、足首を掴んだままのGINの腕に自重を掛ける。思わず零した悲鳴が、その状態をほかの四人に知らせた。

『おい、こいつ』

『風間、お前、兄ちゃんに何したんだよっ。離せっ』

 そうまくし立てながら振るって来る拳に、さっきまでのものとは比べ物にならない容赦のなさが加わった。その原動力は、恐怖。職員たちが浴びせる思念と似たようなものが、GINの体以上に心を襲った。

(なんだよ、こいつ。なんか変だ)

(川久保のやつ、こいつが触った途端におかしくなったじゃねえか。なんだ、こいつ?)

(兄ちゃん、兄ちゃん、どうしよう。こいつ、やっぱバケモノってあだ名、ウソじゃなかったんだよ)

(なんかヤバイ、こいつ。今の内に……)

 触れなくても読み取れてしまうほどの、大きく膨れ上がった思念たち。淡い緑の世界が、自分の存在を拒んでいるように見えた。

『ご、めんな、さ、い。だから、もう……』

 誰にともなく、何についてかも解らず、そんな言葉が口に出掛けたその時。

『いい加減にしておけ。一人対五人では、いくらなんでも卑怯だろう』

 不意に頭上からそんな声が降って来た。ほどなく甘い匂いが鼻をかすめ、間近に人の屈む気配を感じた。

『大丈夫? 頭から、血が出てる』

 その言葉と同時に、GIN――神祐の髪が、風もないのにかすかに揺れた。

『触るなっ』

 咄嗟にその声の主が翳した手をはねのけ、慌てて外したグローブを手繰り寄せた。

『痛かったの? ごめんなさい。ハンカチを当てようと思っただけなの』

 震える声でそう言われ、自分の言動を省みた。

(八つ当たりにしか取れないじゃん……)

『……汚れるの、悪いから。ごめん』

 俯いたまま、そう補った。グローブをつけ直しながら、どうにか痛んだ身を起こす。伸びた前髪の隙間から見える公園の砂は、もう緑色ではなかった。視点の定まって来た瞳を上げると、差し出されたまま所在なさげに宙を迷うハンカチと、それを手にした少女が目にとまった。彼女が今にも泣きそうな顔で見つめているので、神祐はばつの悪さから、それを受け取って先に目を拭った。

『さんきゅ。悪いけどこれ、もらうよ』

 誰なのかなんて興味はなかった。訊けば関係が築かれる。またこの奇妙な“アレ”が原因で、要らぬ想いをしたくはない。そんな習慣が身についてしまい、一方的な言葉を少女へ投げつけた。

 誰なのか、という強い関心。それは目の前にいる少女に対してよりも、あっという間に自分を取り囲んでいたやつらを自分から引き剥がし、次々と見慣れない武術の技でなぎ倒していくブレザー姿の年長者に向かっていた。

『あいつ、誰?』

 こめかみの血をハンカチで拭いながら、隣で地べたに膝をついた少女へ尋ねた。

『本間紀由。私の兄さん。昨日引っ越して来たばかりなの。通学時間を計りに来た帰りに、兄さんが君とあの人たちを見つけたの。兄さんってお節介だから』

 多勢に無勢の乱闘が目の前で行なわれているというのに、少女はまるで心配する様子もなく、笑いさえまじえて自分たちの身の上を語った。父親の異動が引っ越して来た理由だということや、父親が警察の偉い役職の人で、紀由も刑事を目指してお節介ばかりしているということ。こんなことが、少女の物心ついたころから当たり前だったということも。

『兄さんは、ああいう人たちが相手なら絶対に負ける心配なんてないから。そんな顔、しないで?』

 そう言われて初めて気づいた。見守っていた自分の顔が強張っていた。

 ひとりが紀由の背後を取り、両腕の自由を奪って拘束する。相手の中学生にいびつな笑みが宿り、思い切り拳を振り上げる。

『!』

 その瞬間、紀由の右脚が、一瞬にしてふたつに折れ上がった。かと思うと、それが紀由の正面にいる少年目掛けて再びまっすぐに伸ばされ、次の瞬間右脚の先端が、素早く華麗な弧を宙に描き出した。

『んぁがぁッ!』

 そう叫んだのは、紀由に面して拳を振り上げていた中学生。彼の肩に、紀由の振り落とした右脚が見事に入った。垂直にくずおれる中学生を見て、紀由を拘束していた少年があとずさる。

『あ……うぁ……ッ』

 紀由の右脚は着地することなく、そのまま真一文字を描いて背後の少年の脇腹にめり込んだ。そんな紀由の額には、汗ひとつ滲んでいない。

『次は、誰だ』

 涼しげに微笑さえ浮かべてそう問う彼に、神祐はいつの間にか魅入っていた。

『す……げぇ……』

 ひとりは、神祐の“アレ”で、身を丸めて震えている。ほかのふたりは仰向けで倒れ、残りふたりの小学生は、紀由の微笑を見た瞬間、蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。

 背格好からして、多分中学生と思われる紀由だが、神祐には妙に年齢以上の大人びた印象を抱かせた。

『おい』

 そんな呼び掛けと同時に睨まれ、神祐は返事も出来ずに固まった。彼が大股で近づいて来るのに合わせ、つい一歩二歩と後ずさりする。

『お前、喧嘩が弱いなら頭を使え。ああいうときには“解った”と返事をしてから、さっさと施設へ逃げろ。向こうっ気が強いだけでは殴られ損だろう。喧嘩の仕方を知らないああいう連中は、加減を知らないからな。下手したらこの程度では済まないぞ』

 矢継ぎ早に巻くしたくられ、しまいには頭にゲンコツを食らった。

『いでっ』

 そのとき初めて声が出た。ほんの一瞬だけ触れた彼の手が、とても温かく感じられた。

『俺は本間紀由だ。そこの社宅に越して来た。お前、名前と学年は?』

『……風間神祐、五年』

 答えるのが当然のように質問されて、気づけば名乗っていた。

『お。由良と同い年か。この学区なのか?』

『……そうだけど』

『新学期までにこの辺の地理を頭に入れておきたい。案内と、それから由良も同じ学校へ通うだろうから、こいつのこともよろしく頼む』

 そう言って神祐の隣を顎でしゃくる。釣られて隣を見れば、にこりと微笑む少女と目が合う。

『神ちゃん、よろしくね』

 そんな親しげに自分を呼ぶ人は、今までひとりもいなかった。

『とにかく家に来い。その傷をどうにかしなくちゃダメだろう。施設の人が心配する』

 当たり前のように腕を引っ張る紀由に思わず抗った。

『……いい。帰る』

 言っている間にも、踵を返す。彼らが向かおうとしていた社宅とは逆方向に。

『え、ちょっと待ってっ。神ちゃん、ケガっ!』

『おい神祐っ! 走るなっ、傷が』

『うっさいっ! お前ら、初対面の癖に馴れ馴れし過ぎっ。気持ち悪いっ。気やすく名前で呼ぶな、ウザいっ』

 頬がひどく熱くなっていた。胸がくすぐったくて気持ちが悪かった。心臓の騒がしさが苦しくて、神祐はそんな悪態を突きながら、彼らから一目散に走って逃げた。




 いつの間にか、懐かしさで笑んでいた。くすりと笑う声がGINにそんな自分を覚らせた。

「GINって、天邪鬼だったんだね」

 由有が笑いながらそう言って、マグカップに口をつけた。

「んー、そうだったの、かな。でもさ。そのころの紀由や由良とか、その親とか、なんか俺には別世界、っていう感じで、関わっちゃいけないっていうか」

「理解出来ない、って思った?」

「……まあ、そんなとこ」

「育った環境も性格も違うし?」

「……まあ、そうだな」

 新年度から警視長になる父親に、元婦警だった母親。紀由本人は中学生にして刑事という明確な将来を描いていて。

「由良も、結局そんな家族とおんなじで。人当たりがいいけど、筋の通らない理不尽には、徹底的に論破するタイプだった。同い年だったのに、考えることも行動も別次元のハイレベル、っていうか」

「卑屈だったんだねえ、チビGINは」

「やかましい」

 妙な気まずい沈黙に耐えかね、コーヒーをひと口すすった。

「本間さんが“あれを手懐けるのに苦労した”って言っていた意味が、解った気がする」

 由有の零したその言葉が、GINの眉をひそめさせた。

「何それ。“あれ”って俺?」

「うん。“弟みたいなものだ”って、照れ臭そうに言ってた。だけどなかなか逃げ足が早くて、ユラのお陰でやっと掴まえることが出来たんだ、って」

 ――神ちゃんも家の子になっちゃえばいいのよ。

 由良の声とよく似た声で、懐かしい言葉が紡がれる。

「――って、お母さんの前でユラが言ったから、お母さんがそれに乗ってGINを追い回したんだ、って。笑って教えてくれたよ」

 懐かしい情景が蘇る。施設に連絡を入れては、本間家に寝泊まりしていた遠い日々。

「施設の職員も煙たがってたからなあ。ホント、兄弟妹みたいな感じで、実質的には月の半分は本間家で暮らしてたんじゃないかな。……うん、人並のあれこれを覚えられたのは、紀由の両親のお陰かも」

 そのきっかけをくれたのは、由良。その名を口にするのに、何故か少しだけ苦しさが和らいでいた。

「GINの一番になるのは大変だね」

「は?」

 ぽつりと漏らされた言葉と、伏せられた寂しげな表情の意味がまったく解らなかった。

「あ、紀由の両親だけに感謝してるっていうわけじゃないぞ? あいつに護身術も教わったわけだし、そのお陰でトラブルもだいぶ少なくなったし、ちゃんとその辺は口には出さないけどさ」

「だから、本間さんが一番なんでしょ?」

「……一番っつうか……」

 どこか話に矛盾を感じる。だがそれがどこだか解らない。考えもせずにつらつら話したことを、頭の中で整理し終えない内に、由有からエンドマークをつけられた。

「ま、いっか。ありがとね、プレゼント」

「は? プレゼント? 何が? なんの?」

 少し無理を感じる由有の笑みが、少しずつ崩れていく。

「……あたしの履歴書、見てないの?」

「え、そんなのあったっけか?」

 地雷を踏んだ、らしい。由有の眉尻がじわじわと上がっていく。勝気な目はあっという間に剣呑に細まり、そしてマグカップを持つ右手が振り上げられた。

「こンのバカ探偵っ! 雇用者なら履歴書くらい目を通せっ! 今日はあたしの十七歳の誕生日よっ! だからいつもより喋ってくれたのかと思ったのに、バカっ!!」

「あづっ、ちょ、待……あだっ」

 まだ肌には熱めのコーヒーがGINを襲う。もちろん、陶器で出来た、固い固いマグカップ込みで。

「風間神祐のバカヤロウっ! マグカップに急所直撃されて悶絶しながら死んじまえっ」

 GINに弁解の余地も与えず、ガツガツと鈍い靴音が木製の床を傷めつけていく。

「……誕生日、だったのか」

 バタンと乱暴に閉じられた扉が、GINのそれを掻き消した。

「あげたようなもんじゃん」

 最初の質問――部屋の鍵を渡さない理由、それを話さなかったことが、多分ささやかな贈り物になるだろう、と思った。

「親父さんに甘えたいなら、俺を代わりにするんじゃなくて、鷹野本人に甘えろよ」

 床に落ちた由有のマグカップにそう愚痴ったら、首を横に振るようにコロコロと転がった。

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