第2章「エンジニアの覚醒」
宿代をケチって借りた、街外れの廃倉庫。
カビと埃の混じった湿っぽい空気が、鼻腔をくすぐる。
作業台代わりの木箱の上で、俺は『鉄屑』と向き合っていた。
「……酷いな。よくこれで原型を留めていたもんだ」
ランプの明かりを近づけ、拡大鏡越しに彼女の胸部──心臓にあたる『魔導コア』を覗き込む。
本来なら蒼く輝くはずの結晶体は、蜘蛛の巣のような亀裂に覆われ、ドス黒く濁っていた。
通常の魔導士なら「修復不可能」と断じるだろう。
だが、俺の目には血管のように張り巡らされた魔力回路の奔流が見えている。
(回路の切断箇所は千二百……いや、千三百か。コアの崩壊まで、あと数分ってところだな)
額に滲んだ脂汗を手の甲で拭う。
ここからは時間との勝負だ。
「よし……始めるぞ」
俺は右手をかざし、意識を極限まで集中させた。
指先から不可視のワイヤーを伸ばすイメージ。
「【状態固定】──対象、コア内部領域AからF!」
ガギィッ!
空気が凍りつくような異音と共に、崩壊しかけていたコアの時間が『停止』する。
砕け散る寸前のガラス細工を、無理やり空中で縫い止めた状態。
これなら、触れる。
俺はピンセットと魔力溶接具を構え、ミクロ単位の修復作業を開始した。
バチッ、バチチッ!
ショートした魔力が指先を灼く。皮膚が焦げる匂いが立ち込めるが、痛みを感じている暇はない。
一ミリのズレも許されない。一瞬でも気を抜けば、俺ごとこの倉庫が吹き飛ぶ。
(ここを繋いで、余剰エネルギーをバイパスへ逃がす……!)
神経がヤスリで削られるような感覚。
かつてパーティの武器をメンテナンスしていた時とは比べ物にならない負荷だ。
だが、不思議と苦痛ではなかった。
『雷光の牙』では、どれだけ完璧な仕事をしても「当然」と見なされ、礼の一つも言われなかった。
だが今は、俺の指先の動き一つひとつに、この人形が応えてくれている気がするのだ。
濁っていたコアの奥底から、微かな光の脈動が返ってくる。
まるで「生きたい」と訴える心音のように。
「……あと少しだ。戻ってこい!」
最後の亀裂を魔力で埋め、俺は叫ぶようにスキルを解除した。
ヒュンッ──。
音が消えた。
次の瞬間、倉庫内がまばゆい蒼光に包まれた。
┏ UI ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ システム:再起動
┃ 魔力供給:正常
┃ 同調率:計測不能(∞)
┃ ……おはようございます、マスター。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
光が収束し、作業台の上の少女がゆっくりと瞼を開く。
そこに現れたのは、夜空を切り取ったような、深く澄んだ蒼色の瞳だった。
彼女は上体を起こすと、自分の手を確かめるように握りしめ、そして視線を俺に向けた。
機械的な動作で作業台から降り、床に片膝をつく。
美しい所作だった。
「──再起動、完了しました」
鈴を転がすような、しかし凛とした涼やかな声。
「個体名アイリス。古代魔導文明の遺産にして、貴方様の忠実なる剣。……我が主よ、命令を」
俺は呆気にとられながらも、震える手で彼女の頭に触れた。
冷たい金属ではなく、人肌のような温もりがある。銀色の髪は絹のように滑らかだ。
「命令なんてないさ。俺はただ、お前を直したかっただけだ」
「……理解不能です。私は兵器。破壊と殺戮のために作られました。修理の対価を求めないのですか?」
「俺は整備士だ。壊れたものがあれば直す。それが俺の生き甲斐なんだよ」
そう言って笑うと、アイリスは小首を傾げ、瞬きを繰り返した。
無機質だった瞳に、さざ波のような光が宿る。
「……登録しました。貴方様は、これまでの所有者とは異なるようです」
彼女は立ち上がり、俺に顔を寄せた。
整った顔立ちが至近距離に迫る。甘いオイルの香りがした。
「マスター・アルト。貴方様の魔力波形は、私のコアと完全に同調しています。私の性能の全てを引き出せるのは、世界で貴方様だけです」
「全て?」
「はい。試しに、あちらを」
アイリスが視線を向けたのは、倉庫の隅に積まれていた分厚い鉄板の山だ。厚さは十センチはあるだろうか。
彼女は右手を軽く振った。
詠唱も、予備動作もなく。
──ザンッ。
風が凪いだ直後、鉄板の山が音もなく斜めにズレ落ちた。
切断面は鏡のように滑らかで、赤熱すらしていない。
物理的な切断ではない。空間そのものを断ち切ったような、絶対的な破壊力。
「Sランクモンスターの装甲でも、紙切れ同然です」
アイリスは涼しい顔で言い放つと、俺の方を向き直し、ふわりと微笑んだ。
それは兵器としての笑みではなく、あどけない少女のものだった。
「これからは、この力で貴方様をお守りします。……害なす敵は、塵一つ残さず殲滅しますね?」
その笑顔の裏にある圧倒的な殺意に、俺は背筋が凍る思いがした。
とんでもないものを起こしてしまったかもしれない。
だが、頼もしい。
「……ああ、頼りにしてるよ、アイリス」
こうして、俺は最強の相棒を手に入れた。
この時、元パーティの連中が酒盛りをしている頃だろうか。
彼らはまだ知らない。
自分たちの命綱が切れ、破滅へのカウントダウンが始まっていることを。




