わたしたちはいつもいっしょ
世の中には魂の双子と呼ばれる相手がいる。本当の双子がそうであったり、全くの赤の他人だというのに妙に惹かれあったり。
美穂は幸運にも魂の双子と出会えた。神様の気まぐれというものなのか、小学校に入学してすぐ、クラスメイトの一人として顔を合わせたその瞬間にまるで雷でも落ちてきたような衝撃を感じたのだ。
ようやく会えた、と。
そこからずっと、それこそ三十も半ばになるこの歳までずっと、一緒に過ごしていた。
「……里奈」
そう、過ごしていた。過去形になってしまった言葉に、美穂は一人涙を流した。
事故だった。赤信号だと言うのに、余所見をしてしまったらしい運転手がちょうど横断歩道を渡っていた里奈に追突したのだ。
運転手は気が動転しながらも逃げずにその場にとどまり、急いで救急車と警察を呼び、対応してくれた。けども、里奈は助からなかった。運転手はその後どうなったか美穂は知らない。知りたくもなかった。
きっと、とても痛かったはずだ。
魂の双子。ツインレイ。自分の唯一。里奈の事を思えば思うほどに涙は溢れてきて、残されてしまった苦しさに呼吸すらおかしくなってきた。
なんで、生きているのだろうか。魂の双子であるならば、そう、そうだ。追わなくては。
美穂は涙を流しながら立ち上がり、廊下にあるキッチンの前に立つ。そしてしまってあった包丁に手を取った。
薄暗い室内で、それは鈍い銀に光った。
と、玄関から鍵が開けられる音が響いた。
「邪魔するよー」
「ほら、ご飯買ってきたんだから」
勢いよく扉が開かれ、一気に廊下に光が入り込む。と同時に二人の、潤と、香織が耳に入った。
「あ、美穂ちょうど……って! 何持ってんの! 早くそれ置いて、置いて!」
「もう! だから隠そうって言ったのに!」
潤が靴を投げ飛ばすように脱ぎながら室内に入って、美穂が持つ包丁を掴んだ。その後ろで香織が怒ったように声を張る。
美穂はああ、失敗したと素直に思ってしまった。
潤と香織は高校からの友達だ。魂の双子である美穂と里奈の事を茶化すことなく、むしろ二人がそろって過ごしている姿を誰よりも大切にしてくれていた大切な友達だった。
「……ごめんなさい」
「気にしないでよ。それに、いつまでも閉じ籠もってたら怒られるでしょ」
「……そうね」
だから二人は、こうして片割れを無くした美穂の様子を暇さえあれば見に来てくれた。
「洗濯回しても良い?」
「あ、うん……」
美穂が二人が買ってきてくれた弁当を食べている間に、潤は部屋の空気を入れ替えながら掃除をし、香織は洗濯までやってくれる。
本当に申し訳ないと思いながらも、どうしても自分からやる気力さえもない今、二人が頼りだった。いずれ、そう、いつか、ちゃんと恩返しをしなければいけないと、美穂は心に刻んだ。
「あ、そうそう。美穂、ちょっと出かけない?」
潤が思い出したかのように外出を誘ってきた。
「……外に?」
「そう。近くでフリーマーケットしていたのよ」
ああ、そういえば、近くの公園でごくまれだけれども定期的にやっていたと美穂は思い出した。
いつか里奈と一緒に行こうと話をしていたけども、結局行けなかった。
「私、ちょっと気になってたのよ。せっかくだし行かない? あ、無理にじゃないわよ?」
「そうそう。もしかしたら掘り出し物があるかもしれないし。どう?」
香織が同意し、潤はまた美穂に問う。
里奈と一緒に行けなかった場所へ行っても良いのだろうか。なんて美穂は考えてしまった。けど、里奈は行っておいでと笑顔で言ってくれる。そんな気がして、美穂は小さく頷いた。
「……そうね。ちょっと見るだけでも……」
魂の双子とはいえ、活発的な里奈はいつも美穂を連れ出してくれていた。だからむしろ、外へ出ないと怒られてしまうかもしれない。
二人は美穂が頷くと、そろって笑顔を浮かべて急いでまた出かける準備をし始めた。
「……ごめんね。いろいろと」
「謝らないで。私達の仲でしょ」
「そうそう。あたし達はいつも一緒であちこち行ったじゃない。それと同じよ、同じ」
謝る美穂に、二人は笑顔で答えてくれた
公園で行われているフリーマーケットには、まばらに人が集まっていた。
小さな子供を連れた母親が玩具を見ていたり、その隣では高齢の夫婦が食器を眺めている。
長机の上に並べられている物を見れば、服や靴。おもちゃに、あれはハンドメイドのアクセサリーだろうか。そのほかにも鞄や本まで並べられていた。
「何か気になるものでもあった?」
隣にいる香織が美穂の顔を覗き込むように聞いてきた。
「あ、ううん。いろいろとあるなって思って」
「分かる。あのアクセサリーとか可愛いと思わない?」
「あたしはあの服かな。後で見ても良い?」
香織はどうやらハンドメイドのアクセサリー。潤は服が気になったらしい。それならとまずはハンドメイドのアクセサリーが並べられている所へ足を向け、そして何故かその隣の長机に置かれている物に目が惹かれた。
「……あ、あの。あそこ、行っても良い?」
「何? どれが気になったの?」
「えっと、あそこの人形、なんだけど」
改めて今度は潤が聞いてきた。美穂は控えめに指を指す。その先には一体の西洋人形が置かれていた。遠目からでも分かるほど、精巧に作られているそれは見る人によっては不気味だと言われてしまうほどだった。
ほんの少しだけ潤は顔をしかめたが何も言わず、香織は目を丸くした。
「え、すごい。あんなのもあるのね。早く行きましょ」
「はいはい」
潤は香織に腕を引かれ、美穂に着いてきてくれた。
改めて美穂はその西洋人形を見てみる。繊細な金の髪は丁寧に扱われていたのあろうほつれや乱れなんてものはない。細かい刺繍が施された若草色のワンピースには汚れなんて見当たらず、シワなんてものもない。顔は、なんだか無機質で特徴という特徴は特に無かった。けども、だから特に目を引いたのは青い目だった。ガラス玉なのだろうが、それを見つめていると妙に吸い込まれそうな魅力があった。
美穂は上から下まで、そして横からも見る。また上から下まで見て。座っている中年の男へ顔を向けた。
「あ、あの。おいくら、ですか?」
「書いてあるだろ」
ぶっきらぼうに話す中年の男の言葉通り、よくよく西洋人形の周囲を見る。と、目の前には千円の文字。
「これってどうなの?」
「え、安いんじゃないの?」
潤と香織が書いてある価格に反応する。たぶん、そう、とてもお手頃価格。
美穂はもう一度西洋人形を見つめ、決心した。
「この子、ください!」
絶対に何故か、連れて帰ってあげないといけない。そんな気がした。
持ち帰った西洋人形はテレビ横に置かれることになった。
ぼんやりとテレビを眺めながら少しだけ視線を横へとずらせば、いつもそこに西洋人形が見える位置だ。
「……ふふっ」
美穂は自然と何故だろう、笑みがこぼれた。この日から、あれほど溢れ続けていた涙がぴたり、と止まってしまった。
そしてしばらく休ませてもらっていた職場にもようやく復帰することが出来た。職場の全員とは言わないが、半数以上の人は皆、安心した顔で待っていたと温かい笑顔と共に美穂に声をかけてくれた。
頑張ろう。そうじゃなきゃ、里奈に顔向けが出来ないと美穂は小さく意気込んだ。
それから美穂はその日にあったことを西洋人形に話すことが多くなった。
電車でこんな人がいた。買い物してたら珍しいものがあったからつい買ってしまった。仕事先でここが褒められた。けどミスがあって。
いつもと変わらない。本当に何一つ変わらない日常をひとつひとつ、西洋人形に話しかけるたびに確実に取り戻していった。
「どう? 最近は」
近くのカフェで香織とコーヒーを飲んでいた美穂はふっと、笑みを浮かべた。
「うん。もう平気よ」
「けど、まだ顔色悪いわよ。無理してない?」
「それは……」
生活は、ようやく以前のように戻ってきていた。けどもやはり足りない。どうしても足りないものが一つだけあった。
美穂は持ち上げていたコーヒーカップをソーサーの上に戻し、わずかに俯いた。
「……ごめんなさい。そんな顔をさせるつもりはなかったの」
「ううん。香織のせいじゃないわ」
美穂はゆるりと首を横に振った。
だってもう、これは誰にだって美穂の心を本当に救ってくれる人なんていないのだから。
半分も欠けてしまっているこの心はもう、どうすることだって出来やしない。模造品でなんとか埋めようにも、偽りであることは変わらない。世界は灰色。耳に届く音もどこかノイズが混ざっているかのよう。
ああ、帰りたい。帰って、里奈の遺品を抱きしめて。ああ、そうだ。あの西洋人形に里奈のアクセサリーをつけるのはどうだろうか。そしたら気が紛れるかもしれない。西洋人形が来てから、少しだけ欠けた心が埋められた、気がする。だからきっと、あの子には申し訳ないけども、少しだけ飾らせて貰おうと美穂は決めた。
美穂は早速、西洋人形にネックレスを首にかける。追加で気に入っていたハンカチをスカーフを髪に飾ってみたりと、毎日毎日、違うもので飾り続けた。日によってはハンカチに里奈の好きな香水を振りかけた。里奈の好きな色のリボンも使った。
「今日はこのリボンにするわね。きっと似合うわ」
違う素材の、ちょっと良いリボンを使って首元を飾った。やっぱりよく似合う。
美穂は西洋人形を抱きしめ、隣に座らせる。そのままではちょっとかわいそうだから、下にクッションを置いて。
そのまま美穂はいつものように話しかける。今日は何をして、それから、それから。
気づけば、西洋人形の定位置は美穂の隣。それこそ、里奈がいつもいた場所に置かれるようになった。まるで最初からそこにいたかのようだった。するとどうだ、半分も欠けたはずの心が何故か満たされていくような感覚がした。
「今日はね、グラタンを作ったの」
里奈の好きなグラタン。自然と美穂は人形用の小皿に一口ぐらいのグラタンをよそい、話し続ける。そう、以前と全く変わらず、里奈がそこにいたときのように。
不思議な感覚だった。本当はいけないと分かっている。分かっていながら、西洋人形を里奈の代わりにあてがってみた。それだけだったのに、妙に胸の内に温もりが戻ってきていた。世界には色が戻ってきた。聞こえてくる音に混ざっていたノイズは何もなくなった。
そう、まるで。里奈が一緒にいた時のように。
美穂は西洋人形を見つめる。そしてはた、と気付いた。
よくよく西洋人形の顔を眺めると、何故か、そう。誰かに似ていたのだ。目はやはり青いがそれでも、その顔はまさしく、彼女だった。
「ああ、そうなの。そうなのね」
美穂はそこでようやく理解した。
里奈はとっくに戻ってきていたのだと。
美穂は西洋人形を両手で持ち上げ、そして抱きしめる。
「おかえり、里奈」
里奈、と呼ばれた西洋人形の青い硝子の目がわずかに傾いた。
美穂の部屋に遊びに来た潤と香織は、すっかり以前のように明るくなった美穂を見て安堵の息を吐きだした。
「これ、あたしのお勧めよ」
「ありがとう。さっそく食べても良い?」
「もちろん」
土産として潤が持ってきたお菓子を美穂は嬉しそうに受け取った。美穂はテーブルに土産の菓子を置き、お茶の準備をし始める。
潤と香織はその姿を見つつ、並んでテーブルの前に揃って座り、そして気づいた。
西洋人形がちょこん、とテーブルの前に座っていたのだ。しかもちゃんと隠れないようにと下にクッションを置き、後ろに転ばないようにと座椅子にまで使っている。
どうやら美穂は相当この西洋人形に入れ込んでいるようだった。
微笑ましいと思うと同時に、何故だろうか無機質な青い目に何とも言えぬ不気味さを二人そろって感じてしまった。
「どうしたの?」
お湯を沸かしている途中の美穂が西洋人形の隣に座った。
「あ、ううん。ただちょっと、大事にしているな、と思って。ね、香織」
「うん、そう。前はテレビの横に置いてたじゃない? だからちょっと驚いちゃって」
世の中、人形を大切にする人はいる。それも隣に並んで置くぐらい別に不思議なことではない。
美穂はああ、と小さく声を漏らした。
「そうなのよ。私ったら、あんな場所に座らせちゃってたじゃない? すぐに謝って、ちゃんといつもの場所に座ってもらったのよ」
美穂は眉を下げながら西洋人形の頭を軽く撫でる。何かがおかしいと、二人は気づいた。謝った。いや、その次に、いつもの場所、と美穂は言った。
二人は覚えている。だって今、西洋人形が座っている場所は、いつも里奈が座っていた場所だったからだ。
「……え、と……美穂? いつもの場所って……?」
恐る恐る、潤が問いかけた。
美穂は小さく首を傾げた。
「え? 何言っているの?」
本当に何を言っているのか分からないと言わんばかりに。
「里奈はいつもここに座っていたじゃない。ね?」
美穂は西洋人形を、「里奈」と呼んだ。昔からそうであったかのように。当然と言わんばかりに。
絶句する香織と潤はそして、確かに見てしまったのだ。
西洋人形の瞳がくるりと動き、美穂を見つめ、そして二人を見つめてきたのを。
その光景を目にしてしまった二人はその後、慌てて美穂の部屋から逃げるように去った。取り残された美穂はその後、どうなったか分からない。急に帰ってしまったことと、次は外で会おうとメッセージを送れば、変わらずに美穂から返事は来た。
気にしていないということ。そして、次も四人で会うのが楽しみだと。
そして、さらに続けてもう一つメッセージが届いた。
里奈がね、お友だちを紹介してくれるって。
香織と潤はそれを見た瞬間、美穂の連絡先をブロックした。
あの後、美穂がどうなったのか、二人は分からない。生きているのか、それとも……。
ただ、四人をよく知る友達から言われた。
相変わらず仲良いわね、と。
取り残された魂の双子。ツインレイ。片割れ。
美穂は一体、誰と一緒にいるのか。あの日、フリーマーケットになんて誘わなかったら、何か違っていただろうか。
香織も潤も、それを知ろうとはせず、ただそっと西洋人形の影から逃げるように生きていくことを選んだ。
「もう、こんなところにいたのね。ずっと探したんだから」
美穂は綺麗に微笑んだ。
「わたしたちはいつもいっしょ、だもの。ね?」




