第3話「もうひとりの“お兄様”」
夕刻。学院の中庭には、赤い夕日が滲んでいた。
セシリアは花壇の世話を終え、手を払う。
「……ふう。今日もきれいに咲きましたね」
その背後で、聞き慣れた声がした。
「セシリア」
「お兄様!」
振り返ると、アランが立っていた。
けれど、どこか様子が違う。
いつもの柔らかい笑みではなく――
その瞳は、深い夜のように光を帯びていた。
「手、見せて」
「え?」
アランはセシリアの手を取った。指先に残る小さな傷を、じっと見つめる。
「……こんな傷、誰がつけた?」
「だ、誰って……棘にちょっと引っかけただけですよ?」
「許せないな」
「え?」
アランは笑っていた。だがその笑みは、冷たく、美しく、どこか狂っていた。
「この世界は、お前の指先ひとつにもふさわしくない」
「……お兄様?」
そのとき、セシリアの背筋を冷たいものが走る。
アランの声が低く、まるで別の人のように響いていた。
「なぁ、セシリア。
この学院も、人間も……お前を傷つける。
だから俺が――全部、壊してやる」
「……え?」
一瞬、世界が静まり返った。
だがすぐに、アランはまばたきをして、息をついた。
「……セシー? どうした、そんな顔をして」
「え? い、いえ……今、ちょっと……」
「顔色が悪いな。無理をしていないか?」
穏やかな声。いつものアランだ。
けれどセシリアの心には、まだ先ほどの“何か”が残っていた。
その夜。
アランは自室で頭を押さえていた。
「……まただ」
断片的な映像が頭をよぎる。
セシリアの顔、夕日の色、そして――
己の口から出た、聞き慣れない言葉。
『壊してやる』
「……そんなこと、俺が言うはずが……」
額に手を当てる。中から微かな声が響く。
『あれはお前の本音だろう?』
「黙れ」
『違うか? お前は願っている。
この世界を、妹だけのための場所に変えたいと』
アランは歯を食いしばる。
「違う……俺は、ただ……守りたいだけだ」
『守るために世界を壊す。
それは、俺のやり方でもある。……アラン、俺を認めろ。
お前が俺を拒む限り、苦しみは続くぞ?』
アランは机に手をつき、目を閉じた。
胸の奥で、鼓動がひどく早い。
(俺の中の……“こいつ”は――)
翌朝。
セシリアは中庭でアランと顔を合わせた。
「お兄様、昨日……その、少し怖かったです」
「怖い?」
「なんか、別人みたいで……」
アランは瞬きをした。
「……すまない。覚えていない」
「え?」
「昨日のこと、少し……記憶が曖昧なんだ」
セシリアは困ったように笑う。
「お兄様、最近忙しいから疲れてるんですよ」
「……そうかもしれないな」
その笑顔に、アランの胸の奥がじくりと痛む。
(――違う。疲れじゃない。あれは確かに、俺の中の“何か”だ)
夜、魔王の声がまた響く。
『お前が彼女を想うほど、俺の力は強まる。
これは宿命だ。愛こそ、闇を呼ぶ』
「……だったら、俺の愛は闇でも構わない」
『ほう……?』
「それでも、あいつを守れるなら――どんな存在でもいい」
魔王は静かに笑った。
『ならば、俺の力を使え。
お前と俺、どちらが主か……いずれ決めればいい』
月光が差し込む。
アランの影が二重になった。
ひとつは人の姿、もうひとつは――獣のような形をしていた。




