第2話「揺らぐ笑顔と兄の影」
春風が緩やかに吹き抜ける午後。
訓練場の片隅で、セシリアは杖を構えていた。
魔法学教師に頼まれ、騎士団長の息子――エドワードと演習をしているのだ。
「セシリア嬢、魔法の集中は悪くないが、詠唱の間を短くした方がいい」
「え、えっと……こう、ですか?」
「そう。その調子だ」
エドワードの穏やかな笑みに、セシリアは頬を緩めた。
「ありがとうございます、エドワード様」
その瞬間、訓練場の空気が微かに冷えた。
少し離れた場所で、その様子を見つめる男の姿があった。
アラン。
彼は何も言わず、ただ静かに二人を見つめていた。
(……笑っているな、セシリア)
その笑顔を見て、胸の奥に焼けるような感覚が広がる。
「……楽しそうだな」
低く、抑えた声が漏れる。
そのとき、内側から甘く冷たい声が囁いた。
『またあの男か。……お前の妹は、随分と人気者だな』
「黙れ」
『怒るなよ、アラン。お前の瞳が、すでに嫉妬で濁っている』
アランは拳を握りしめる。
(俺は、ただ……心配なだけだ。あいつは人を疑わない。誰にでも笑う)
魔王はくすりと笑った。
『心配? それを“独占欲”と呼ぶのではないか?』
訓練が終わり、セシリアはエドワードに深く頭を下げた。
「今日もありがとうございました!」
「いや、こちらこそ。君と練習すると時間を忘れる」
その言葉に、セシリアは嬉しそうに笑った。
(……その笑顔を、他の男に向けるな)
気づけばアランの足は自然と動いていた。
訓練場の出口で、セシリアを待つ。
「……終わったか?」
「あっ! お兄様!」
セシリアは嬉しそうに駆け寄る。
アランは微笑みながら、彼女の頬についた埃を指で払った。
「泥だ。気をつけろ」
「あ、ありがとうございます」
その優しい手つきに、セシリアは胸が少しだけ高鳴る。
けれどアランの瞳は、どこか暗く揺れていた。
「……エドワードと、随分仲が良いな」
「え? そんなこと……! 演習でお世話になってるだけです」
「そうか」
淡々とした返事。
それ以上、アランは何も言わなかった。
その夜、アランは机に向かい、書きかけの報告書を閉じた。
窓の外では風がざわめく。
『お前の妹は、本当に無垢だな』
魔王の声がまた響く。
「……黙れ」
『だが、お前のその苛立ちは、もう隠せていない。
お前が望んでいるのは、“守る”ことではなく“縛る”ことだ。』
アランの手が止まる。
胸の奥が、静かに疼く。
否定したいのに、できない。
『俺ならば、彼女を泣かせはしない。
誰にも触れさせず、俺だけの場所に置く。それが“愛”というものだろう?』
「……違う」
『違わないさ、アラン。俺たちは同じ想いを抱いている。
ただ、俺の方が素直なだけだ。』
窓の外の月光が、アランの瞳を照らす。
その光は、いつか見た兄の優しさとは違い――
微かに、狂気の色を帯びていた。
翌日。
セシリアは朝の教室で、昨日のことを思い返していた。
(お兄様、最近なんだか……優しいけど、少し怖い)
けれどそれも、嫌ではなかった。
胸が少し苦しくて、温かくて。
(……変ですね、私)
その笑顔を見つめながら、廊下の影でアランは静かに微笑む。
(……俺が守る。誰にも渡さない)
内側から、魔王の囁きが響く。
『そうだ。それでいい。
お前が彼女を守る限り、俺も――この心に、居続けてやろう』
アランの唇が、微かに笑みに歪んだ。




