第1話「囁き始めた影」
学園の中庭に、春の風が吹き抜けた。
セシリアは笑顔で花壇の花を整えている。
その隣で、アランは穏やかな笑みを浮かべながら彼女を見つめていた。
――しかし、その笑みの奥に潜むものは、もはやただの兄の優しさではなかった。
「……楽しそうだな、セシリア」
「はい! この花、去年よりたくさん咲きましたよ!」
セシリアの無邪気な声に、アランの胸の奥で何かがざわつく。
(……そうやって誰にでも笑うな)
口には出さない。
けれどその瞬間、心の奥から別の声が囁いた。
『妬いているのか、アラン?』
アランの表情が一瞬だけ陰る。
魔王の声――。
封印されたはずのその意識が、今も静かに彼の中で目を覚まし続けていた。
『可愛いだろう? あの笑顔……俺も好きだ』
「……黙れ」
『お前も俺も、同じものを見ている。違うか?』
アランは歯を食いしばり、視線を落とす。
魔王の声は柔らかく、それでいて酷く甘やかだった。
『守りたいんだろう? なら、閉じ込めてしまえばいい。』
「……それは、違う」
『違わないさ。お前の中の“愛”は、もう“独占”に近い』
アランの胸が、静かに熱を帯びる。
その熱は恋のときめきではなく――焦燥と嫉妬が混じった、危うい熱。
「お兄様、今日はエドワード様と一緒に授業なんです!」
(※エドワード=騎士団長の息子、修行を共にした青年)
ぱっと笑うセシリアに、アランの微笑みが僅かに凍る。
「……エドワードと?」
「はい! 魔法の演習を一緒に見直すことになってて……」
(……またあの男か)
アランは静かに微笑みながらも、手の中の手袋を強く握りしめる。
指先が白くなるほどに。
「……そうか。だがあまり遅くなるな。夜は、俺が迎えに行く」
「え? でもそんな、わざわざ――」
「行く」
低く、短く。
その声音に、セシリアは小さく瞬きをする。
(……お兄様、少し怖い声……でも……なんだか、嬉しい?)
天然な彼女は、微妙な違和感を感じながらも、素直に頷いた。
アランはそれを見て、静かに息を吐く。
(……あぁ、本当に。お前は、どうしてそんなに無防備なんだ)
その夜。
アランが部屋で書類に目を通していると、再び魔王の声が響く。
『可愛い妹だな。……お前だけのものにしたくなるのも、わかる』
「……黙れ」
『だが、俺ならばもっと上手くできる。恐れも、ためらいもなく。』
アランの目に、一瞬だけ暗い光が宿る。
魔王の囁きが、少しずつ彼の心に染み込んでいく。
『愛する者を守りたい――それは美しい。
だが守るとは、他者の手が届かぬ場所に置くことだ。』
アランはゆっくりと目を閉じる。
セシリアの笑顔が、脳裏に浮かぶ。
(……守る。何があっても……)
そして――
その「守る」の言葉の中に、静かに「閉じ込める」という影が、芽を出した。
セシリアはまだ知らない。
優しいお兄様の笑顔の奥に、もうひとつの心が眠っていることを。
アランの中で、魔王の囁きは静かに繰り返される。
『お前も、俺も。あの娘を手に入れたいだけだ』
アランは答えない。
ただ、心の奥にある「独占欲」を、否定しきれずにいた。
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