〜2〜
「いいですか?ここではなるべく目立たないようにしましょうね」
みかげに言われて日向は頷いた。
みかげの言葉の5割を聞き流し3割が理解できない日向だったが、今ここでみかげがそう言った意味はわかる。5時間目の体育、学年始めの体力テストで狩刃由羽が学内新記録を次々に出していたからだ。
「すごい!!狩刃さん、1年の時の自分の記録を塗り替えてる!」
「絶対何かの選手とかになった方がいいよ!運動部男子に余裕で勝ってるもん!」
グラウンドの隅にいる日向とみかげにも女子が賑やかに騒ぐ声が聞こえて来る。
由羽はそれでも無表情を崩さなかったが、女子生徒たちは由羽のリアクションなど端から期待していないようで、好き勝手に褒め称えている。性格に難ありかと思ったが、あのキャラでも女子の中では案外上手く馴染んでいるようだ。
「あの狩刃は悪い見本ですからね!!」
みかげに念を押されて、日向はまた頷く。
架帥の本家では、垂直跳びだの反復横跳びだのをわざわざ数字にして記録することがなかった。
実際の所、自分はどの程度なのだろうと日向は気になる所ではあった。しかし、由羽のように学内新記録を出してしまった時に周囲も自分もどんな反応をするのが正解かわからないから止めておこうと考える。
「狩刃ってさ、あれで運動部でもないしスポーツ推薦狙いでもないし勿体無いよなぁ」
みかげと日向の隣に同じジャージ姿の生徒が並んだ。
同じクラスの男子で、転校初日に教師や生徒がいくら話しかけきても完全無視をし続けていた日向に喋り続けていた稀有な生徒である。
「俺の名前、覚えた?」
「足立」
「そうそう、当たり!下の名前は?」
「忘れた」
日向は短く答えて会話を打ち切った。足立は今のみかげと同じ気配がする。こちらの都合を考えずに延々と喋り続ける日向にとっては得意ではない気配だ。
「あの狩刃は有名なんですか?」
クラスメートの4分の3と友人になっているみかげは、狩刃を知るいい機会だと足立に尋ねた。足立はクラスの偉人を誇るように当然、と力強く頷く。
「美人だし頭いいしスポーツ万能だしさ。学校で知らない奴はいないだろ」
「と、なると!!男女問わずモテモテなんでしょうか!?」
「んー……?怪しいぬいぐるみをいつも抱えて話しかけてるから、男子にはモテてないなぁ……俺はあのキャラに付き合うの無理かも」
ハンドボールを投げようとしている由羽の腰には、朝と同じように不気味なぬいぐるみを下げている。
そして、体育教師が由羽を慌てて止めている。この程度の広さのグラウンドだと由羽が本気を出したら簡単に外まで飛んでいくだろうな、と日向には簡単に予想できた。
「でも、女子には超モテてる。ああいう不思議キャラって女子の方が受け入れるの早いよな」
「あれを不思議キャラで片付けるなんて、多様性の許容もそこそこにした方がいいと思いますけどねー?いつか痛い目に遭いますよ!!!」
狩刃が気に食わないみかげはきゃんきゃんと文句を言い続け、足立は面倒になったのか話を変えた。
「なぁ、2人って兄妹?苗字だと区別つかないからみかげちゃんって呼んでいい?てかさ、兄様って呼んでんのってマジなやつ?」
「そうです。躾が厳しい家で育ったんですよ」
「ふぅん、そんなら兄貴に友達の名前を覚えるのは礼儀だって教えてやってくれよ」
「だ、そうですよ兄様」
日向はみかげの言葉を無視して立ち上がった。2人の会話から離脱するために体力テストを受けようと見渡して、100m走が1コース空いていることに気付く。
「100mの平均ってどれくらい?」
「多分、14.3とかじゃないですか?」
そんなものか、と日向は2人から離れてグラウンドに向かった。ストップウォッチを持つ生徒に記録用紙を渡し、既に4人が並んでいる端に目立たないように並ぶ。
スタートの笛の合図と同時に、走りながら時間を計る。
規則正しい生活をしていると0.1秒単位で時間がわかるようになる、というのは御影の誰かから本家に上がる前に聞いた話だ。
当時の日向は聞き流していたが、記録係の生徒から受け取った用紙には「100M:14.3」と書かれているのだから案外嘘ではないらしい。
今の時間で足立はどこかに行ってくれたんじゃないかと期待していたが、足立とみかげはまだ2人でグラウンドの隅に座ってサボっていた。
「兄様、やる気になったなら50mと1キロ走もやってきたらどうですか?」
「今のを2で割って、あと10掛ければいいだろ」
「人間ってそういうふうにできてないんですよ」
足立は日向の体力テストの結果を横から眺めた。全て平均値が並んでいるのを見てふーんと唸る。
「架帥って運動神経は普通な感じ?」
「なんと?!凡人が兄様の能力を推し測ろうなどと100年早いです!!」
「違うよ。2人はこれから部活に入るだろ。サバ高の運動部ってレベル高くてガチだから、知らないで入ると後で苦労するぞって話」
「部活……」
みかげが懐から『サバ高入学のしおり』を取り出し、日向はみかげが捲ったページを覗いた。
***サバ高裏ルールその5***
ーーー建前上は部活の所属は必須ではないが、入らないと教師がプレッシャーをかけてくるし、いつまでも入部しないと人数の少ない運動部に強制的に入部させられるので、なんらかの部活に早めに入部しておくこと。ーーー
日向は、その程度ならわざわざ入部しなくても大丈夫かと考えた。
教師からのプレッシャーなどに負ける気はしなかったし、強制的に入部させられたとしても参加しないで適当に逃げればいいだけだ。
しかしみかげの方は、隣にいる日向が熱を感じるくらいメラメラと闘志を燃やしていた。
「なるほど!!部活動×青春=無限大!!!!」
「みかげちゃんって声デカいよな。架帥、耳疲れない?」
「疲れる」
日向は初めて足立の言葉をまともに聞いて、心の底から同意の返事をした。静かな山の中で育った日向の耳は、ここ数日で限界に来ている。
生活を一切看てくれているみかげに文句を言うのは悪いと思うが、つい正直に漏らしてしまった。しかし、入学のしおりに夢中になっていたみかげは聞いていない。
「兄様!!!なにかキラキラして全国大会とか目指すいい感じの部活に入りましょう!!!」
「……」
「入部しましょう!!!!!!そして輝かしい一般学生の道を歩むのです!!!!!!」
「……」
日向はみかげの声量に押されて仕方なく頷いた。