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二度目の人生、俺は


 暗い。温かい。そしてひどく窮屈だ。


グレンベール・カルティの意識は底なしの泥沼からゆっくりと浮上するように、曖昧な輪郭を取り戻しつつあった。


死んだはずだ。

あの神々しい光の中で跡形もなく消滅したはず。

だとすればここは死後の世界か?

地獄の釜の中か、あるいは輪廻の輪の中か。


(……にしては、妙に生々しい)


ドクン、ドクン、と。


すぐ近くで巨大な心臓が脈打つような音が絶え間なく響いている。それは自分の心音ではない。

もっと大きく、もっと力強い、別の生命の響きだ。


そして視界。

何かを見ようとしてもそこにはぼんやりとした赤黒い闇が広がっているだけで何も見えない。


何が起きている?


状況を把握しようと彼はまず、自分の体を動かそうとした。指一本で軍団を薙ぎ払い、一足で城壁を飛び越えた、あの万能の肉体を。


(動け)


念じる。

しかし、体は意思の伝達を完全に拒絶していた。

まるで自分のものではないかのように。


(動けと言っているだろうがッ!!)


焦りが彼の精神を掻き乱す。

前世では考えられなかったことだ。

自らの肉体が自らの意思に従わない。

それどころかそもそも手足がどこにあるのか、その感覚すらも曖昧だった。


必死に意識を集中させ、ようやく微かに動いた「それ」は、彼が知る剛腕とは似ても似つかぬ、小さく、か弱く、そして驚くほど短いものだった。


その時だった。


彼を包んでいた窮屈な世界がぐにゃりと歪んだ。


今まで感じたことのない強烈な圧迫感。

外部から何かが彼を無理やり引きずり出そうとしている。


(な……なんだ、これは……!?)


抵抗しようにもなすすべがない。

彼はただその抗いがたい力に翻弄されるしかなかった。



やがて眩いほどの光が彼の目に飛び込んでくる。


冷たい外気に肌が晒された瞬間、彼の肺が初めてその役目を果たそうと痙攣した。


「おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!」


自分の意思とは全く関係なく、口から甲高い叫び声が迸る(ほとばし)


なんだこの声は。なんだこの無力感は。


混乱する彼の体を温かい布が優しく包み込み、巨大な腕が抱き上げた。


「まあ……!元気な男の子ですよ、奥様!」

「ああ……!よかった……!私のかわいいかわいい赤ちゃん……」


女の声が二つ、すぐ近くから聞こえる。

一つは喜びに満ちた産婆らしき声。

もう一つは疲労困憊だが、深い慈愛に満ちた若い母親の声。


その巨大な顔が彼の視界を覆い尽くす。

微笑んでいるようだった。


(赤ん坊……だと……?)


そこで彼はようやく自分の置かれた信じがたい状況を完全に理解した。


世界最悪の犯罪者、グレンベール・カルティは。


神に最も近いとされる超越者を屠り、世界をその手に収めんとした男は。


(俺が……赤ん坊に、なっている……!?)


精神が絶叫を上げた。

しかし、その絶叫が外に出ることはない。

ただ、赤ん坊特有の甲高い泣き声となって木造の粗末な家の中に響き渡るだけだった。


屈辱。これほどの屈辱があっただろうか。


かつて世界を震撼させたこの俺がミルクを飲まねば生きられず、おしめを替えられねば不快に泣き喚くことしかできない無力な肉塊になったというのか。


(ふざけるな……!ふざけるなッ!!神の悪戯か!ならばその神、今度こそ八つ裂きにしてくれる……!)


怒りに身を任せようにも、その怒りをぶつける肉体がない。黒い稲妻の力の片鱗すらこの柔肌のどこにも感じられなかった。彼は完全に無力だった。


「あなた、ご覧なさい。私たちの子です」

「おお……!本当によく頑張ってくれたな……」


母親と思しき女が彼を父親らしき男の腕に渡す。

無骨だが壊れ物を扱うかのような優しい手つき。


その男は喜びで顔をくしゃくしゃにしながら、赤ん坊…つまり、カルティの顔を覗き込んだ。


「ありがとう。本当に、ありがとう。……それで、名前は決まっているんだろう?」

「ええ、あなた。もし男の子が生まれたら、と二人で決めていた名前です」


母親は幸せそうに微笑みながら、はっきりと告げた。


その名前は彼の魂に再び雷を落とした。


「この子の名前は、アクーサ。タンドレット・アクーサです」


(……なんだと?)



グレンベール・カルティは泣き叫ぶのをやめた。


彼はただじっと自分を覗き込む二人の男女を見つめていた。


この無力な肉体。

この屈辱的な状況。

そして再び与えられた人生。


ふと彼の小さな口の端が微かに吊り上がった。


それは赤ん坊が浮かべるにはあまりに不敵であまりに邪悪な、(わら)いの形だった。



(面白い。実に、面白いじゃないか)


魂の奥底で消えかけていたはずの欲望の炎が再び燻り始めるのを感じる。


(神よ、運命よ。貴様らが俺に二度目の機会を与えたというのなら、ありがたく受け取ってやろう。この屈辱も、この無力も、全て糧にしてくれる)


彼は心に誓う。

誰に聞かせるでもなく自らの魂に、深く、深く刻み込むように。


(見ていろ。今度こそ何一つ取りこぼしはしない。この何もない赤子の状態からもう一度だ。もう一度、世界の全てをこの手に掴んでみせる)


辺境の国の、名もなき夫婦の間に生まれた赤子はこうして二度目の簒奪を開始した。


その小さな拳はすでに次なる世界を握り潰さんと固く、固く握りしめられていた。


扉が開く音が聞こえる。

歩く軽快な音と共に現れたのは優しそうな笑顔の女性だった。


「あら。ネグリュストさん。貴方のお祈りのおかげで無事に産まれましたわ。私達も」

「良かったです。これでうちの娘も友達探しには困りません」

「昨日産まれたんでしたね。そう言えば……お名前は」

「娘の名前はネグリュスト・メルヘンです」


後にそいつは、俺の×××となることをこの時はまだ知らなかった。





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