今ここから___
ふらつく足でたどり着いたのは王都の中心にある大広場。
豪華な噴水が涼しげな音を立て、着飾った貴族や富裕層が偽りの笑顔を浮かべて行き交っている。
倒れるわけにはいかない。
『覇王アシュレイ』が、空腹ごときで無様に倒れるなど解釈違いも甚だしい。
ならばどうする? アシュレイならこの状況でどうする?
___決まっている。
この身が滅びる前に、我が魂の在処を、この世界の記憶に一筋でもいい、刻みつけてからだ。
私は最後の力を振り絞り、人々が最も注目する噴水の縁によじ登った。
「な、なんだ、あのガキは」
「みすぼらしい格好で……」
「けれど、あの髪と瞳…まるで宝石のよう……」
「どこぞの没落貴族の生き残りか?」
ざわつく群衆を、私は睥睨へいげいした。
恐怖はない。
あるのはこれから始まる初舞台への高揚感だけ。
「聞け、愚民ども!そして、その目に焼き付けるがいい!」
まだ幼さを残すが、不思議とよく通る声が広場に響き渡る。
「我こそは、かつて世界を統べるはずだった覇王アシュレイ・フォン・ヘルシャフト! その魂を受け継ぎ、この地に再び顕現した者である! この腐敗した世界を正し、我が世界征服することを、ここに宣言する!」
広場は一瞬の静寂の後、失笑と嘲笑に包まれた。
「頭がおかしくなったのか」
「可哀想に」
「誰か衛兵を呼べ」
だが、それでいい。
今はまだ誰も理解できなくていい。
その時だった。
群衆を割るようにして一台の豪奢な馬車が私の前に停まった。
ヴァレンシュタイン公爵家の紋章を見た人々が慌てて道を開ける。
馬車の中から退屈そうな視線が私を射抜く。
(また、つまらない道化か……。……ん? 違う。あれは……目が、死んでいない。いや、死にすぎていて、逆に生きている……? なんだ、あれは……)
「おい、お前。止まれ。今すぐにだ」
扉が開き、現れたのは私と同じくらいの年頃の少女。燃えるような真紅のドレスをまとい、気の強そうな黒い瞳が印象的な、気品あふれる美少女だった。
「……面白い」
少女は扇子で口元を隠し、私を値踏みするように見つめた。他の人々のような嘲笑や憐れみはない。
その瞳にあるのは退屈な日常の中で、ようやく面白い玩具を見つけたかのような、好奇心の色だった。
「その戯言、我が館で詳しく聞かせてもらおうか。おいで、黒い子猫ちゃん」
私が連れてこられたのは、城と見紛うばかりの公爵家の屋敷だった。
あの少女、セレスティーナ・フォン・ヴァレンシュタイン公爵令嬢に導かれ、私は豪華な風呂と生まれて初めて見るようなご馳走を与えられた。
温かいスープが空っぽの胃に優しく染み渡る。
現世ではコンビニの弁当が常食だったことを思い出し、自嘲しそうになるのを完璧なポーカーフェイスで隠す。
私は『アシュレイ』として、完璧なテーブルマナーで、しかし一口一口を惜しむように食事を終えた。
その様子をセレスティーナは興味深そうに眺めていた。
彼女の私室で改めて二人きりで向かい合う。
「さて、単刀直入に聞こう。お前は何者だ?あの言葉は本気か?」
続けてセレスティーナは退屈そうに肘をつきながら尋ねた。
「私は、この退屈な世界に飽き飽きしている。優秀すぎる兄、人形のように私を扱う両親、凡庸なくせにプライドだけは高い婚約者。反吐が出る。……お前のあの眼、久しぶりに面白いものが見られるかと思ってな」
彼女は隣にいた使いの者を蹴り倒すと「喉が渇いた」とだけ伝える。
「我が言葉に偽りはない。我は覇王アシュレイ。この世界を我が手に収めるために蘇った」
「ほう。その小さな体で、どうやって?」
「いずれ、我が足元には世界がひれ伏す。お前の目的は退屈しのぎか?ならば、せいぜい観客として楽しむがいい。だが、もしお前もその鳥かごを壊したいと願うなら我が同志となれ。退屈な場所から世界が燃える様を眺めているだけでは、何も変わらんぞ」
「くくっ……あははは! 面白い、実に面白い!私に説教し、同志になれと言う人間など、生まれて初めてだ!」
セレスティーナは腹を抱えて笑った後、すっと真顔に戻った。
「いいだろう。ならば、試してやろう。この世界で覇道を唱えるなら、『力』が必要だ。……お前に魔法を教えてやる。もっとも、魔力は血筋と才能が全て。平民のお前には何もできんだろうがな。光れば儲けもの、程度の遊びだ」
彼女に導かれるまま、私は書庫に置かれた大きな水晶玉の前に立った。
「いいか。魔力を意識し、この水晶に注ぎ込むのだ。まあ常人なら、ほんのり光る程度だがな」
魔法。
原作の『アシュレイ』も比類なき魔力の持ち主だった。もし、この身が本当に彼女の器なら……。
私は言われるがまま、そっと水晶に手をかざした。
体の中の何かを意識して送り込む。
その瞬間だった。
ゴウッ!!!
水晶玉が部屋中の燭台の光が霞むほどの凄まじい純白の光を放った。
ビリビリと空気が震え、本棚の書物が数冊床に落ち、窓ガラスにピシリとヒビが入る。
長年この部屋に置かれていた水晶玉そのものにも亀裂が走っていた。
「なっ……!? ありえない……! 王宮の魔導師長ですら、こんな魔力は…!」
セレスティーナが生まれて初めて見たであろう、驚愕と、そして長年の常識が覆されたことへの畏怖の表情を浮かべていた。
やがて光が収まると、部屋には静寂が戻った。
セレスティーナはまだ呆然と砕け散った水晶と私を交互に見つめていたが、やがてその唇がわなわなと震え始め、歓喜に満ちた輝くような笑みを浮かべた。
「……くく、はははは!素晴らしい!最高だ!アシュレイ!」
彼女は私の肩を掴んだ。
その黒い瞳はもはや退屈の色など微塵も浮かんでいない。あるのは共犯者を見つけた、熱狂的な輝きだけ。
「本物か偽物かなど、もうどうでもいい!その力が本物なら、お前は我が退屈な世界を、根底から破壊してくれる嵐だ!この力があれば、忌々しい兄も、退屈な婚約者も、王家さえも……!」
野心を隠そうともしない彼女は私の前に恭しく片膝をつき、スカートの裾をつまんでみせた。
「我が名はセレスティーナ。以後、お前を我が主と認め、その後援者となることを誓おう」
「よかろう、セレスティーナ・フォン・ヴァレンシュタイン。その誓い、確かに受け取った」
私は彼女の手を取り、立ち上がらせる。
「だが忘れるな。我を裏切ることは、世界そのものを敵に回すことと同義であると」
「望むところだ、我が覇王」
私は最初の同志と共にバルコニーへと歩み出た。
眼下に広がる豪奢な庭園と、その向こうの王都の夜景を見つめる。
そして手に入れたばかりの「本物の力」を確かめるように、指先に意識を集中させた。ぽっ、と小さな漆黒の炎が、蝶のように揺らめく。
まずは、この魔法を完全に掌握する。
次にセレスティーナを使い、この国の情報を得る。
そしてヴァレンシュタイン公爵家の力を利用して、我が覇道のための足場を築くのだ。
「よく見ていて、アシュレイ」
この世界にはあなたはいなかった。
でも、もう大丈夫。
私が、この体で、あなたになるから。
この魔法の力で、この世界そのものをあなたに捧げる。
神崎美玲という偽りの人生を上書きする私だけの本当の物語をここから始める。
私は12歳の少女の顔に、絶対零度の覇王の笑みを浮かべた。
偽りの覇王と、本物の悪役令嬢。
二人の少女の、世界を覆すための危険な遊戯が、今、静かに幕を開けた。
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