汚辱異界
異変……磯本広大が部屋から出なくなってから十日目。
兼子は意を決して磯本の部屋を訪ねた。
インターホンなんて洒落たものはない。ドアを叩く手が震えるが、大家の威厳をもってノックする。
次の瞬間、返事の代わりに聞こえたのは「ふざけんなババァ! 出ていけ!」という甲高い女の声。
磯本の声ではない。
恐る恐るドアを開けると、暗闇に沈んだ部屋から異臭が溢れ出し、兼子は意識が朦朧となるところだった。
部屋はゴミ地獄だった。
カップ麺の容器やコンビニ弁当の空き箱が腐臭を放ち、食べかけのスナック菓子の袋にカビが這う。
薄暗い中で若い女向けのファッション雑誌やAVパッケージが不自然に積み上がり、脱ぎ捨てられた女物の下着が足の踏み場もなく散乱している。
化粧品の瓶が割れてこぼれた液体が床に染み、汗と埃と甘ったるい腐臭が混じり合い、鼻腔を焼いた。
窓は厚手の遮光カーテンで閉ざされ、僅かに漏れる蛍光灯の光がジジジと不規則に瞬く。
窓際に置かれたシングルのパイプベッドは、まるで異界の祭壇だ。
白ブリーフ一丁の磯本がその上で蠢き、脂ぎった腹を突き出し、薄い髪を振り乱して「はぁぁん! おふっ! ァァァ〜!」と絶叫する。
焼酎焼けした磯本の野太い声に時折、女の甲高い声が重なる。
「なんだい…これは」
吐き気をもよおすほどの狂気が部屋に満ちあふれていた。
「磯本ちゃん…あんた一体どうしちまったんだよ」
兼子の声など聞こえないのか。磯本のであろうはずの物体は、独り狂態に興じている。
「あんた…磯本ちゃんじゃないのかい。誰なんだい?」
なにかの病気…いや、多重人格ではないのか。
兼子は目の前の光景を受け入れるために、理由を探す。
「なんだババァ!出ていけぇ! 女なんかいらねぇんだよぉ!」
次の瞬間、空のペットボトルが床を滑り、AVパッケージが宙を切り、汚れたフォークが唸りを上げて兼子の顔をかすめた。
兼子は悲鳴を上げて逃げ出し、閉めた扉の向こうで女の笑い声が壁を震わせた。
笑い声は次第に低く歪み、獣の唸りのように響き渡った。
違う。
これは病気でも多重人格でもない。
「アレは…タチの悪いモノに憑かれてる…」
兼子は部屋を飛び出した。
田舎の親戚にツテを頼り、藁にもすがる思いで霊媒師やら拝み屋を探した。
そしてようやく昨夜、胡散臭い男から「明日昼過ぎに伺いますね」と電話があった。
ほっとしたのも束の間、その声すら兼子の耳には不気味に聞こえた。