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Episode:2 026 錬金術師のおじさん

 『万療樹の杖』の宝玉がぼぅっと光を放つ。サナリオン石の橙色と同じ色の光だ。


 柔らかな色合いの光は、男の包帯をまいた腕に注がれる。


 すると先程まで苦悶の表情をしていた包帯男の顔が、少しずつやわらいでいく。

 そして杖の光が消えた時には、男は信じられないといった表情となった。


 男は急いで包帯を解いて自身の腕を確認した。腕にはどこにも傷は無い。

 恐る恐る腕を動かしてみた。そこで男の顔は驚きから歓喜へと変わる。


「す、すごい、本当に治った。痛み止めも効かずに、ずっと痛かったのに!」


 そう言われて、ヨハンは微笑みながら答える。

「そうかい、そりゃ良かった。……じゃあ、代金をもらおうか」


 腕が治った男ははっと気づいて革袋を取り出した。音から察するに硬貨が詰まっているらしかった。

「こ、これで足りるかい?」


 ヨハンは受け取った革袋から、半分だけ硬貨を抜き取って男へ返した。

「全部は要らねえ、あんたにも生活があるだろ?」


「あ、ありがとうございます!」

 男は何度も頭を下げながら、ヨハンに見送られて店を出ていった。


 ここは大通りに面した錬金術師向けの道具屋――ベルハルトの店だった。


 ヨハンは木造りの家で老婆を治した後、そのままここへと来ていた。

 そして、ベルハルトに杖の錬成の成功を伝えるとともに、店の中で即席の治療所を開いたのだった。


 最初は胡散臭い錬金術師の治療など誰も受けようとはしなかったが、ヨハンが半ば強引に客のひとりの古傷を治してやると、店の中で大きなどよめきが起きた。


 その後も、ヨハンは店の客の持病や、怪我を負った箇所を治してまわり、その対価として少しばかりの代金を徴収した。


 すると騒ぎを聞きつけた近所の病人や怪我人がベルハルトの店へとやってきて、ヨハンの前に列を成したのだった。


 そして今ようやく、列を成していた患者の最後の一人を治して、ヨハンは一息ついたところだった。


 酒瓶をあおって満足気に稼ぎを数えるヨハンに大男が近づく。


「とんでもねえ物を作ったな、ヨハン」


「おう、ベルハルト。悪いな、場所を借してもらって。俺の工房じゃ誰も近づかねえからよ」


「いいってことよ、こっちも店に人が多く来るのは、悪いことじゃねえ。しかし、いいのか?」


「ん? 何がだ?」


「あのくらい代金でいいのかってことだよ。あれだけの効果があるんなら、もっと高い金を請求しても、誰も文句言わねえぞ」


「あー、それか。いいんだよ。世話になったこの街への奉公だから、金なんざ二の次さ。借金が返せて、そこそこ酒が呑めればいい。それに、大金稼いだところで、もう使い切れねえしな」

 ヨハンはそう言ってまた酒を一口飲む。


 それを見てベルハルトは眉を寄せる。

「使い切れねえってことは無いだろ。酒を飲み過ぎなきゃ、まだまだ人生これからだぜ」


「まぁ、普通はそうなんだがな︙…」


「……?」

 言葉を濁らすヨハンを怪訝に見つめるベルハルト。


 そこへ来客を知らせるドアのベルが軽やかに鳴った。

 ベルハルトがそちらへ視線を向けると、やってきたのは買い物客では無く、カゴを抱えた一人の赤毛の少女だった。


「お、おお、ハルちゃん。ご苦労さん」


 少女はベルハルトを見つけると、にぱぁと顔を綻ばせる。

「ベルハルトさん! お届け物だよ!」

 元気よく言うハルにつられて、ベルハルトも自然と笑顔となるが、何故だか少し引きつっている。


 ベルハルトは意味ありげな視線でヨハンを見つつ、入口近くに立つハルへと近づいた。

 そして彼女の持つ重そうなカゴを片手で軽々と受け取る。


「ちょっと待っていてくれ、ハルちゃん。中身の確認をしたら、お駄賃持ってくるからよ」


「うん!」

 店の奥へと消えていくベルハルトを見送ったハルは広い店内を見渡している。


 その彼女がヨハンを見つけるのは必然だった。


 ハルがヨハンを見つけると一瞬目が合った。


 しかし、ヨハンは慌てて眼を逸らした。それに首を傾げながらも、ハルがヨハンの手元の綺麗な杖を見つけた。

 吸い寄せられるようにハルが杖に近づいてきた。

 ヨハンはわざとハルを視界に入れないようにそっぽを向いた。


「ねえ、おじさん」

 ハルに声を掛けられて、ヨハンの身体がびくりと震えた。

 無邪気な声に胸の奥が熱を帯びる。


「その杖、すごい綺麗だね。なんていう杖なの?」

 ハルが純粋無垢な瞳で問いかけてきた。

 そっぽを向いていたヨハンだったが、その場を離れようとしないハルに根負けして、口を開く。


「……こ、これは、ま、『万療樹の杖』っていうん、だ……」

 数年ぶりに声を出したかのように声が震えた。


「ふーん。『万療樹の杖』かぁ。うーん。私、どこかで聞いたことがあるよ」


「そ、そうかい」

 人懐っこい仕草を見せるハルにヨハンの胸は高鳴る。


「ねえ、おじさんも錬金術師なの? その杖はおじさんが作ったの?」


「え、ああ、そうだ。一応は錬金術師だな。これは、お、俺が作った」 


「すごいね!」

 錬金術師という言葉にハルの眼がきらめく。


「お、お嬢ちゃんは、錬金術に興味があるのかい?」


「うん、わたし、大きくなったら錬金術師になるの!」

 その言葉にヨハンは眼を見開いた。


「……そうなんだね」

 柔らかい眼でヨハンは言った。


「そ、そうだ、お嬢ちゃん。錬金術師を目指しているのなら、本でも買ってあげようか? いっぱい勉強しないといけないだろ?」

 ヨハンは店の壁側にある本棚を指差しながら言う。


 ハルもその本棚に視線を向けるが、ゆっくりとかぶりを振った。


「ううん。要らない。だって本ならお家にあるもん」

「え、ああ、そうなのかい」


「うん、わたしのお父さんもね、錬金術師だったんだって。それでね、お父さんの形見の教本がお家にあるから、それで勉強しているの」


 形見――その言葉にヨハンは肩の力が抜ける思いがした。


「……そうなのか、形見の品があるんだね」


「うん、ハルの宝物なの!」


「そうかい、大事にしなよ」


 その時、ベルハルトが店の奥から戻ってきた。


「さぁ、ハルちゃん。今日は重かっただろうから、お駄賃は多めだ。これでお母さんと美味しいものでも食べな」


「ありがとう! ねえ、ベルハルトさん、『万療樹の杖』って知ってる? 私、どこかで聞いたことあるんだけど、思い出せなくて」


「ああ、『万療樹の杖』か、それなら――――あれ、どこへ行くんだヨハン? ちょうどその杖の話をしようと……」

 ハルとベルハルトの二人の横でヨハンはいそいそと帰り支度を始めていた。


「ああ、今日はもう帰るよ」

 そう言うと瞬く間にヨハンは帰り支度を済ませてしまった。


 そして、ベルハルトが止める間もなく、足早にヨハンは店から出ていってしまったのだった。



**********


 その日の夜――。ハルは家に帰って眼を丸くした。


 いつも部屋で寝たきりだった祖母が、元気に部屋の掃除をしているのだ。


「お婆ちゃん。寝てなくていいの?」

 心配そうに聞いてくる孫に、祖母であるカタリーナは優しく微笑む。


「ああ、なんだか身体が軽くてねぇ。心配かけたわね、ハルディア。もう大丈夫だよ」

 ハルは嬉しそうにカタリーナに抱きつく。そして頭を撫でられるといっそう顔を綻ばせた。


「お義母さん、本当に治ったかどうかは判らないですから、あんまり無理は……」


「そうね。有難うフリーデリケさん。でもね、本当に大丈夫だって実感があるのよ。あんなに苦しかった胸の痛みが全く無いのよ」


「そう、ですか」

 嬉しそうなカタリーナとは対照的に、フリーデリケの方は嬉しさと困惑が混ざった複雑な顔をしている。

 彼女の心情を察したカタリーナは顔を伏せる。


「そうよね、複雑よね」

「ごめんなさい。お義母さんの病気が治ったというのに、こんな顔をして……。でも素直に喜んでいいのか、気持ちの整理がつかなくて」

 フリーデリケは申し訳無さそうに謝る。


「いいのよ、謝らなくて。正直、私も困惑しているわ。まさか、あの子が今更――」

「お義母さん」


「あ、ごめんなさい。禁句だったわね」

 そう言うカタリーナの顔をハルが覗き込んでいる。


「お婆ちゃん。あの子ってだあれ?」

 ハルの無垢な瞳に問われて、カタリーナは苦笑する。


「ええと、ねえ、誰だったかしら? 駄目ねえ、お婆ちゃん、最近もの忘れがひどくて、忘れちゃったわ」


「えー、変なの」

 そう言うハルをカタリーナは再び抱きしめた。


「愛しているわ。ハルディア」

「うん、ハルもお婆ちゃん好き」

 それを見てフリーデリケはようやく微笑んだ。


 経緯はともかくとして、この目の前の景色は真実であって、今はとても幸せな瞬間なのだと、そう思うことをフリーデリケは決めた。


「それそうと、ハルディア。今日のお仕事はどうだったの?」

 フリーデリケは食卓に皿を並べながらハルに問うた。その質問にハルは瞳を輝かせる。


「そうだ、今日ね、お母さん! ベルハルトさんのお店で、凄い錬金術師のおじさんに会ったんだよ!」


「そうなんだ、誰なの? その凄い人って?」


「うーん。そう言えば名前を聞くのを忘れちゃった」

 無邪気な回答に、フリーデリケは笑う。


「そっか、じゃあ、なんで凄い人だって判ったの?」

「あのね! その人ね、『万療樹の杖』っていうのを作ったんだよ! ベルハルトさんが言っていたの、それを作ったのは、アルカナスっていう昔の偉い錬金術師と、そのおじさんだけだって!」


 それを聞いたフリーデリケは皿を落としそうになった。


「『万療樹の杖』……アルカナス……目録教書……」

 そう呟くフリーデリケをハルは訝る。


「どうしたの? お母さん」


「……なんでもないわよ。それで、その人とはお話できたの?」


「うーん、ちょっとだけお話できたんだけど、その人、すぐ帰っちゃったの」


「……そうなのね」

 動揺するフリーデリケを助けるように、カタリーナが皿を受け取ってそれを食卓へ並べた。


「お料理は私が持ってくるから、フリーデリケさんは座っていて。ハルディアも座りなさい」


「うん」


 ハルは椅子に座って床に届かない足をぷらぷらと揺らして、食卓に増えていく料理を眺めていた。


「……ねえ、お母さん?」


「なあに?」


「あのね、お父さんも錬金術師だったんでしょ? どんな錬金術師だったの?」

「え、ええと、ねえ……」


 無邪気なハルの顔を直視できずに、フリーデリケは顔を伏せる。


 その二人の間に割って入るように、カタリーナが食卓に料理の皿を置いた。


「どうしたの? いきなりお父さんの話なんてして」

 カタリーナは小皿に料理を取り分けながら問いかけた。


「うーん」

 そう聞かれて、ハルは天井を見上げながら考える。


「わかんない」

 屈託のない笑顔でハルは答えた。


「そうなのね。まぁ、いいわ。ご飯を食べましょう」

 そう言いながら、カタリーナはハルの隣に座って頭を撫でた。


「うん」

ハルは嬉しそうに目を細めて頷いた。


「――ねえ、ハルディア?」

 黙っていたフリーデリケが静かな声音で呟いた。


「なあに? お母さん?」


「ハルディアは、お父さんに……会いたい……?」

 途端、ハルは沈鬱そうに俯く。


「会いたいけど、お父さんはもう……」

 ハルのその表情にフリーデリケは息を呑む。


「ごめんね、あのね――」


「――でも、大丈夫! ハルにはお母さんもお婆ちゃんもいるから、大丈夫だよ!」

 ハルは顔を上げて、いつものように笑顔を振りまいた。


 幼いながらに気を使い気丈に振る舞う娘の姿に、フリーデリケの胸は締め付けられていた。

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