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Episode:1  043 契約と呪い


 ザウスベルク帝国ゲルハルト皇子の側近であるジークムントが、リアンダール王国アンジェリカ皇女の暗殺を企て、護衛の兵との戦闘の末に討ち死にしたという事実は、両国に衝撃と共に伝わった。


 更に、皇女親衛隊がエディンオル貧民街で捕らえた凶賊(きょうぞく)の口からも、ザウスベルク帝国の要人による皇女暗殺の企てが明らかとなり、先の菓子職人による暗殺未遂を愛国者の暴走と片付けていたザウスベルク帝国の威信は地に堕ちることとなった。


 国家としての威信を揺るがす由々しき事態に対して、帝国の対応は迅速そのものであった。

 ジークムントによる暗殺未遂から数日も経たぬうちに、帝国はダニエラ王妃を一連の首謀者として断定するに至ったのだった。


 尋問に対してダニエラ王妃はあっけないほどに自らの罪を認め、計略を洗いざらい白状した。そして己の罪の全てを語り尽くした後、共謀者とともに自害して果てたのだった。


 ダニエラ妃の実子であるゲルハルト皇子は処刑こそ免れたものの、王位継承権は剥奪――皇子としての地位の失権を余儀なくされた。それにより、アンジェリカ皇女とゲルハルト皇子との婚約も破棄されることとなったのだった。


********************


 手元のカップを虚ろな眼で眺めながらシェリーは呟く。

「皇子の命だけでも助かって良かったわ」

「そうですね」

 独り言のような言葉に、後ろで控えるトリシアは律儀に応えた。


 エディンオルに居座っていたゲルハルト皇子率いるザウスベルク帝国一行は、強制的に帰国の途に着かされ、シェリーの屋敷は皇女邸としての役目を取り戻していた。

 シェリーはカップを置き、正面に座る少女を見た。


「リリアちゃん、食べないの?」

 声を掛けられたリリアは一瞬だけ顔を上げたが、すぐに顔を伏せて無言で首を振った。

 彼女の前には綿のようなクリームの乗ったケーキが置いてあるのだが、全く手がつけられていなかった。


 この場にはシェリーとリリアの他には、護衛のトリシアしか居ない。ライアン抜きで話がしたいシェリーが、渋るリリアを無理矢理に連れてきた格好だった。

 目の前の少女の沈んだ表情に躊躇いを憶えるシェリー。しかし皇女として騎士の主として、彼女には確認しなければならないことがあった。


「脅威は去ったのね」

「……はい。脅威の対象を、()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()たちによる、リアンダール王国に対する敵対行動だと定義するのであれば、取り除かれたと思います」

 リリアは俯いたまま、しかしはっきりと問いに答えた。


「ダニエラ妃殿下の計略下にいながら、まだ敵対行動を起こしていない者が居た場合は?」

「脅威となる可能性はありますが、ダニエラ妃殿下との繋がりだけでは排除はできません」

「脅威が増える可能性がまだあるのなら、もう少しの間は様子を見るの?」

 その問いにはリリアはゆるゆるとかぶりを振った。


「願いが叶えられた後、悪魔が魂を執りたてない場合は、契約は呪いに変わります。その呪いは契約者の魂を腐らせて死に到らせます。現時点で脅威が無くなっている――願いが叶っているのであれば、私が魂を執りたてなくとも、数日も経たないうちに呪いが発生して……」


「呪い……」

「はい。前に一度見たことがあります。以前、願いを叶えた人に逃げられたことがあって、私がその人を探し当てた時には、その人は既に命が無くて。でも、私にはその人の魂は頂けませんでした」


「…………」

 押し黙るシェリーの後ろで、言葉を発する気配がした。

「つまりは、現時点でライアンの願いが成就している場合、このまま何もしなければ数日の内にライアンは呪いで死んでしまう。そうなるとリリアはただ働きになるということか?」

 後ろで話を聞いていたトリシアが確認の質問をした。


「そういうことになります。ただ実際のところ、いま魂の執りたてができるかは、不透明ではあります……」

「どういうこと?」

「この国には、まだ私の悪魔の力で排除できる存在が残っています」

 その言葉にしばし逡巡したシェリーだったがすぐに思い至った。


「ジルドの作った薬、レーゼマイン卿、それにトリシアたちを襲った賊もそうね。確かに、脅威の括りに入る存在は残っているわね」


「あの魔獣を凶暴化させる薬に関しては、錬金術師の屋敷と南の森に残っていた分をライアンさんと私とで処分をしました。念の為に薬の製法を記述した文書も燃やしておきました……。あとは先程名前が挙がった人たちですけど、既に投獄されている人をわざわざ排除する必要があるのかが判らなくて……」


「確かに脅威の存在だけれど、現時点では無力化された状態ね」

「はい。ですから、ライアンさんは、明日契約を履行してみようって……」


 その言葉にシェリーは眉を寄せた。

 あの騎士には契約履行前――魂を捧げる前には、ひとこと声を掛けるように言っておいたはずだが、言伝(ことづて)ひとつも来てやしない。シェリーの胸の内には怒りと呆れが混ざったものが湧いていた。


 深呼吸で心を落ち着けるシェリー。

 用意している質問はあとひとつ。感情を殺して最期の問いをしなければならないのだ。


「契約の解約は、できないの?」


 我ながら恥知らずな質問だと思った。


 相手は悪魔とはいえこの国を救ってくれた英雄。そんな存在に対してただ働きを要求している。皇女として恥ずべき行為だが、シェリーが羞恥に心を灼きながら発した質問はあっけなく切り捨てられる。


「どうしても契約が履行できない状況にならない限り、一度結んだ契約の解約は無理です。でも前にも言いましたが、終わりの無い願いや叶えられない願いは、そもそも契約が結べないので……」


 そう言うと、沈痛な表情でリリアは黙ってしまった。

 眉を寄せて唇を引き結んだ悪魔の少女の顔には自責の念がにじみ出ていた。


「ごめんね。貴方を苛めるつもりは無いの。あなたは、国と私を救ってくれた恩人なのだから。ただ、ちょっと……確認したかっただけなの……」


 無理に笑顔を作ってシェリーは言った。リリアの回答も反応も予想はしていたとはいえ、シェリーの胸には悔恨の刃が深々刺さった。テラスに差し込む陽光に照らされて輝く金髪とは裏腹に、碧眼の美貌は奈落へ落ちたかのように沈んでいた。


「アンジェリカ様。そろそろお時間かと」

 後ろのトリシアから声が掛かった。ふっと我に返ったように顔を上げるシェリー。

 ひとつかぶりを振って、皇女らしい気品を纏った表情に戻る。

「ええ、そうね。明日の主役――ルドルフはもう来ているのかしら?」

 シェリーは肩越しに背後のトリシアに問うた。

「……ええ、おそらく……」

 返答は歯切れが悪く、沈んだ声だった。


「トリシア。気が進まないのなら、明日の叙任式は欠席でも構わないわよ?」

「い、いえ、そのようなことは……」

 ふと、こちらをぼんやりと見つめているリリアの視線に気づく。


「ごめんね。リリアちゃん。これから、明日の騎士団長の叙任式の準備があるの」

「叙任式……」

「そう、ルドルフがもう一度騎士団長を引き受けてくれることになったの」

 リリアは説明を聞きながらも、トリシアの表情を怪訝そうに見ている。その視線に気づいたシェリーは苦笑いを浮かべた。


「トリシアは彼が騎士団長になるのが気に入らないみたい。なんてたって、愛しのジークムントを討った張本人だから」

「そ、そのような理由ではありません!」

 トリシアは声を荒げて否定した。

「わ、わたしは、釈然としないだけです。あのお方、ルドルフ殿が全ての功績を持っていくような形に違和感を憶えるのです。途中の難事は全てライアンに押し付けておいて、自分は最後の敵を討っただけなのに……」



 ――その瞬間だった。


 リリアの頭の中で重い扉がかちりと解錠した。


 開け放たれた扉から流れ出たのは記憶の奔流だった。

 廃屋でのライアンとの出会いから始まり、エディンオル市街、酒場、ルドルフ邸、魔獣の森、錬金術師の館、シェリーの屋敷、北の砦――この国に来てからの記憶が濁流のように脳裏を駆け巡った。


 そして、一つの光景が強烈に脳裏に展開された。


 今まさに体験しているかのような臨場感で展開されたその光景は、とある感情を想起させたかと思うと、すぐさま別の光景に切り替わる。

 切り替わった先の光景は同じように次々と別の光景を展開させて、目まぐるしく頭の中を浮かんでは消えていく。

 そうして繰り返し起こる記憶の連鎖は、朧気で形の定まっていない感覚を、明確で具体的な一つの結論へと導こうとしていた。


「――そんなことを言っても、ライアンは恩賞を受け取らないから、仕方が無いじゃない」

 シェリーは溜息混じりに言った。


 がたんと椅子が鳴った。

 見るとリリアが立ち上がっていた。


 リリアは虚ろな目を虚空に彷徨わせて、何かを呟いている。

「どうしたの? リリアちゃん?」

 その問いかけが届いていないのか、少女はひとり呟きを続ける。


「……あの人、……でも、だめ。……………………あ、」

 彷徨っていた視線は突然何かを見つけたように焦点を取り戻した。漆黒の双眸は思考の地層から鉱脈を掘り当てたのか、爛然と輝いたが、すぐに曇った。


「だめ。こんなこと、こんなことは…………」

 宝物を見つけたような表情から一転、リリアの顔は苦々しく歪んだ。

 先程見せた、自責の表情とは比べ物にならないほどの苦悶に満ちた顔をしている。


「どうしたの?」

 突然、変貌したリリアに思わずシェリーは声を掛けた。その声に反応してリリアはちらりとこちらに顔を向けた。シェリーの目に映る彼女の顔は、困惑と焦燥が色濃く混ざり合い、今にも泣き出しそうな、助けを求めるような、か弱き少女の表情だった。


 それを見て、にわかにシェリーの胸の奥がざわめいた。何故なのかは言葉では表せられないが、今ここを離れてはいけない――そんな確証に近い感覚がシェリーの胸にあった。


「トリシア」

 リリアの方を見据えたまま、後ろの親衛隊長に声を掛けた。

「はい。なんでしょう」

「悪いけど、会合には少し遅れると、伝えてきて頂戴」

「畏まりました」

 展開を予期していたかのように、滑らかに返答したトリシアは、一礼した後に軽やかにテラスを辞した。


「とりあえず、座りましょう。リリアちゃん」

 優しく諭すようにシェリーは言った。

「あ、い、いいのですか? 明日の準備は……」

「いいのよ。少しくらい遅れても」

 そう言いながら柔らかくシェリーは微笑んだ。


「それよりも、リリアちゃん。何か、私に話したいことがあるんじゃなくて?」


 澄み切った翠緑の瞳は、凛とした輝きをもって漆黒の瞳に問いかけた。


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